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Author: 加藤 瞳

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。

ムーミン展に行って、全然関係ないマグカップを買って きたというお話〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

土曜日ということもあり、なかなかの盛況ぶり。親がじっくり作品を眺める間、こどもたちはボートでのんびり(?)。本当のムーミン谷に来たような気分だ

我が家の子どもたちは最近、ムーミンやバーバパパといった懐かし世代のアニメをYouTubeで見つけて気に入っている。どちらもキャラクターとして有名だが、ムーミンはフィンランド生まれの物語、バーバパパはフランス生まれの絵本から広がった作品。日本でも昭和の時代にアニメが放送されていて、かくいう筆者も(もちろん再放送で!)幼い頃に楽しんでいた記憶がある。

2歳になった娘が「ムーミ、ムーミ!」と言ってユニクロのムーミンコラボパジャマを喜んで着るようになったので、これは行くっきゃないだろうと、3月からバラードのナショナル・ノルディック博物館で開催されているフィンランドのムーミン美術館による特別展「ムーミンの海の冒険(Moomins’ Sea Adventures)」と「トーベと海(Tove and the Sea)」を体験してきた。没入型展示というので、ここは「体験」。

再開発ですっかり雰囲気の変わったマーケット・ストリートに驚きつつ目指す博物館へ。館内正面のカフェを通り過ぎ、吹き抜けの入場口を抜けるとすぐに特別展の入り口が見えた。トーベ・ヤンソン氏の緻密な原画展示はもちろん素晴らしかったが、子どもたちは実物大のキャラクターパネルとの記念撮影や、「ムーミンパパ海へ行く」でムーミンたちが移り住む灯台、ボートに乗っての絵本読書を大いに楽しんだ。

ぜひカフェオレを入れて飲みたい、スタジオ・アーホイのミオン・マグ(中央)。裏には2025年制作の刻印が押されている。ミュージアムのオンラインストアだと、色が選べないのかぁ、なんて調べちゃったりして、そのうち色違いを購入してしまう気がする……

初めて訪れた同館はこぢんまりとして、明るく気持ちの良い館内が印象的。シアトルの北欧移民や北欧家具の歴史をたどる常設展も充実していて、とてもいい所だった。とはいえ、ミュージアム探訪と言えば筆者が何より楽しみにしているのはやはりお土産ショップ。ムーミン美術館の限定グッズが何かないかしらと意気揚々と入店したが、やはりどれもなかなか……。ムーミンパパ(ムーミンでもミイでもなく、なぜかパパ!)のぬいぐるみをせがまれるも、お高い。クリッパンのムーミン柄ブランケットもいいな……と思うも、お高い。なんて言ってどれもこれも諦めたのに、本とパズルを持ってレジに並んでいたところ、カウンターの後ろに並ぶマグカップに目を奪われてしまった。「ちょっと……見せていただけますか?」なんて手に取ったが最後。マグカップはショッパーにすっぽり収まり、私たちと共に帰路についたのだった。

調べてみると、デンマークでサステナブルなもの作りをするスタジオのもので、なかなか手に入らないらしい。久しぶりに、一目ぼれマグに出合えて大満足。でも、本当は隣に置いてあったニョロニョロそっくりのオブジェも欲しかった。また近々行ってしまいそうだ。

■「Moomins’ Sea Adventures & Tove and the Sea」https://nordicmuseum.org/exhibitions/moomins-sea-adventures-and-tove-and-the-sea

フィンランドのムーミン美術館所蔵の原画コレクションがアメリカで初めて展示される特別展。ムーミンたちの冒険や世界をのぞき見ることができる。またトーベ・ヤンソン氏の生涯と、シアトル生まれのパートナー、トゥーリッキ・ピエティラ氏との海辺での生活を捉えた記録も同時展示。海との関わりがヤンソン氏の創作にどのように結びついていたのかを探る。

期間:開催中〜9/6(日)
場所:National Nordic Museum」
   2655 NW. Market St., Seattle, WA 98107
料金:一般$24、学生・65歳以上$18、5〜18歳$10、4歳以下無料。
   オンライン事前購入割引あり。8/6、9/3は第一木曜のため一般入館無料、特別展$5

■ Studio Arhoj
https://arhoj.com

デンマーク・コペンハーゲンを拠点に、陶器やガラス作品などを手がけるスタジオ。創設者のアナス・アーホイ氏は2005年に東京で日本語を学ぶ傍らギャラリーで働いた経験があり、古くからの和の陶磁器文化に影響を受けたという。2013年にコペンハーゲンに自身初の陶芸・デザインスタジオを構える。同スタジオでは、陶芸や吹きガラスといった伝統的な工芸技術に、リデュース(削減)、リユース(再利用)、リサイクル(再生)の考え方を取り入れると同時に、「地産地消」にこだわったものづくりをしている。原材料は可能な限り近隣の欧州圏内で調達。自社店舗のすぐ裏手でデザイン・制作を行い、「窯から新たな持ち主の手に渡るまで、わずか20メートル」で、カーボンフットプリントの削減を目指している。ちなみに、ニョロニョロそっくりのオブジェは「ゴースト」。神道の「八百万の神」の精神に着想を得たシリーズ。ほかにも作品シリーズの名には「ユキ」、「ハナ」、「エド」、「トーキョー」といった日本語の言葉が多く見られ、おもしろい。

服が捨てられない、いや、捨てたくない。だから捨てない〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

服を手放すことが苦手だ。世のお片付けメソッド的に言えば、「2年、なんなら1年着てない服は、もう着ない服だから処分しましょう」となるだろう。いやいや、そんなことないよねぇ?! と思ってしまう。好きで選んだ服は、こ〇まりさん風に言うなら、たとえ何年着ていなくても「ときめく」し、シルエットが今の気分ではないなぁという服でも、「絶対この服、私はもう着ないんだよ。でも生地がかわいすぎて、娘(2歳なりたて)の服にリメイクしようってストックケースに入れてみたんだけど、本当にやると思う?」と友人にラインする始末。

以前、断◯離が流行ったとき、私も挑戦した。それで思い切って手放したニットカーディガン。後になって「あの時、母と選んだものだったよなぁ」なんてエピソードを思い出し、しばらく悲しくて仕方がなかった。古い服になるほど思い入れは強い。高1で買ったヘリンボーンのテーラードジャケットは、実家ではなく現在の自宅のクローゼットにかかっている。20年以上がたち、すっかりセルフ・ビンテージになってしまったが、いずれ娘が着たりしないかしら、と期待している。というのも、私は小学生から高校生、大学生になっても、70年代に青春を過ごした母の服たちを好んで着ていたものだから。母も服好きで、そのうえ物持ちが良い。父の古いベストも愛用していた。そして今も、手編みのセーターや古いローラ・アシュレイのブラウスといった母のお下がりたちはお気に入りだ。祖母が着ていたハナエモリのツーピースだって……スカートはウエストが入らないけど。

ほらね、15年後には私の服もそうなるんだから。きっと。断◯離のインストラクターさんからすれば、不必要な「執着」と一刀両断だろう。その通り。それでも、古いものは簡単に替えがきかない。だから捨てたくない。

とはいえ、全部を抱え込んでいくわけにはいかないのが人生。4月の引っ越しを機に、オンライン古着サイト、スレッドアップを試してみようと思っている。昨年のハロウィンに、同サイトからピンクのGジャンを購入したところ、リセール品回収用の袋が付いてきた。それに詰めて送るだけで何やら全部済むらしい。ポッシュマークやイーベイと違い、商品撮影も購入者への発送も全て委託できるという手軽さ。昔はユー・ディストリクトのバッファロー・エクスチェンジによく持ち込んだものだが、やはり今は何かとオンライン。どうなるんだろう、ちょっと楽しみ……。

最初に購入した商品は、クリーンアウト・キットとともにかわらしい箱に入れられ、スピーディーに到着。初回特典で半額だったので、ハロウィン用Gジャンは$15程度、しかも送料無料というお得さ

そんなに古くなく、素材が特別良いわけではないものや、一度も着てあげられなかったものなどから選んで、入るだけ袋につめこんだ

■ thredUP   www.thredup.com
婦人服や子ども服に特化したオンライン古着リセールサイト。2009年創業。ウェブサイトからクリーンアウト・バッグ(配送ラベルつき)を申し込み、古着を送ると、検品、写真撮影、値付け、出品、販売後の配送までをすべてサイト側が請け負う。販売された場合は、手数料などを差し引いた金額を受け取る仕組み。出品されなかったものや売れ残ったものは、寄付またはリサイクルに回されるので安心。

■ Poshmark   https://poshmark.com
2011年に設立されたファッションを中心とするSNS型マーケットプレイス。アメリカとカナダを中心に利用されている。女性向けの商品が充実しており、購入希望額をこちらから提示する機能もある。筆者はビンテージのクリスマスセーターなどの購入にしばしば利用している。

■ ebay   www.ebay.com
1995年、ピエール・オミダイア氏がカリフォルニア州でオークションサイトとして立ち上げた、世界最大級のオンライン・マーケットプレイス。世界190以上の国と地域で利用され、オークション形式のほか定額販売の商品も扱う。おもちゃや服はもちろん、ブランド品、本、雑貨など、ありとあらゆるものがそろう。

■ Buffalo Exchange   https://buffaloexchange.com
1974年、アリゾナ州ツーソンで創業した古着の販売・買い取り専門店。販売価格の25%を現金で、または50%をストアクレジットで受け取ることができる。現在は全米に40店舗以上を構え、シアトル市内ではバラードに店舗がある。残念ながらユニバーシティ・ディストリクト店とキャピトル・ヒル店はいつの間にかなくなってしまっていた……。

 

天海 幹子さん〜文筆家、ボランティア・コーディネーター

天海あまがい 幹子さん
文筆家、ボランティア・コーディネーター

2000年代、北米報知出版のゼネラル・マネージャーとして辣腕を振るった天海幹子さん。現在はボランティア活動の傍ら、文筆家としても活躍しています。2020年には自叙伝『ゼッケン67番のGちゃん』を出版。この春、3人目の孫の誕生を控え、シアトル、カリフォルニア、沖縄を行き来する多忙な日々を送っています。そのエネルギーの源とは。型破りで天真爛漫な幹子さんの半生をひもときます。

取材・文:加藤 瞳 写真:加藤 瞳、本人提供

天海幹子■1952年、東京都日本橋生まれ。1971年仏パリへ2年間留学。1977年、結婚を機にシアトル移住。エバーグリーン州立大学環境デザイン学科卒業後、コンピューター・エイデッド・デザイン(CAD)個人会社を設立し、マイクロソフト社オフィスなど多数の建設現場に携わる。4年間の日本一時滞在を経て、2000年から2004年まで北米報知出版ゼネラルマネージャー、邦字新聞「北米報知」編集長を兼任。2020年、著書『ゼッケン67番のGちゃん』を刊行。2020年より本誌で「みきこのシリメツ ハタメーワク」を5年間連載。現在は姉妹紙『北米報知』で同コラムを連載中(https://napost.com/ja/category/column/shirimetsu/)。CAD引退後の現在は、執筆業に専念している。

 

跳ね返りミッコちゃん、日本を飛び出す

日本という小さな島国は彼女には狭すぎたのだろうか。「型にはまるってことが苦手なのかな。なにしろとんでもない父親を見て育ったものだから」。こうと思ったら一直線。幼い頃から意志が強く、他人に意見することもされることもいとわない幹子さんは、人とは違う道を走ってきた。

日本橋堀留町の生まれ。栃木の織物工場の次男だった父の清二きよじさんは、生活苦から中卒で身を売られ、半玉はんぎょく(一人前の芸者になる前の見習いの芸妓)として置屋にいた母と、周囲の大反対を押し切って結婚。商売や事業、新しいことを思いつけばすぐに挑戦し、その夢に向かう過程が楽しくて仕方ない。そんな「堀留の変わり者」と呼ばれた父の背中を見て育った幹子さんも、しっかりその血を受け継いでいる。

6歳で母と死別したが、その母の切なる願いを受け、厳格なカトリックの私立女子校に小学部から入学した。中学ではマフラーの色を規定する校則に納得がいかず評議委員に猛抗議。仲裁に入ったシスターを泣かせてしまったというから恐れ入る。合点のいかないことには決して妥協しない。

若くして他界した母と、日本舞踊のお稽古に励む幹子さん。笑った目元が幹子さんとそっくりだ

天海家の三姉妹。左から幹子さん、姉、妹。姉と妹もそれぞれ国際結婚し、海外で暮らしている

この頃仲良くしていたのは、ベトナム出身の幼なじみ、クリスティーヌさんだった。まだベトナムがフランスの植民地支配を終えて間もない時代だ。幹子さんの学校では小学4年生からはフランス語が必須科目だったこともあり、クリスティーヌさんとの会話はすべてフランス語。おかげで中学を卒業する頃には日常会話程度なら話せるようになっていた。そうなっては、「普通ではない」ことを思いつくのが幹子さんだ。そのままエスカレーター式に高校へは進まず、東京日仏学院でフランス語漬けの勉強生活を送りたいと、清二さんに直談判した。だがその時は「将来、日本のことを知らない人間になっては仕方がない。そのためにはなんとか高校だけは出てほしい。卒業したらどこへ行ってもいいから」という清二さんの意に従い、高校へ進学。それでも卒業後は必ずフランスへ行くという約束はしっかり取り付けた。1960年代のこと。当時、フランスに留学する日本人は、まだそう多くはなかっただろう。「父は若い頃、ブラジルに移民として行きたかったそうです。でも祖父に勘当だと激怒され、祖母が泣いて止めるので断念。そういう気持ちを私には味あわせたくなかったんですって」。ただし、条件があった。清二さんを安心させられるような学校を見つけてくること。そして、月々どのくらいの費用がかかるのか、全て自分で調べること。その当時かかった費用は、実は清二さんが借金をして工面していたのだとのちに知った。「自分の経験から、挑戦して失敗したことよりも、やらなかった後悔のほうが忘れられず、一生つきまとうって。父にはとても感謝しています。父のいちばんの教えは『やりたいことはなんでもやればいい。その代わり、自分で責任を取りなさい』ということでした」

幼なじみで親友だったベトナム人のクリスティーヌさんとの一枚。黒髪ストレートのワンレングスが当時の幹子さんのトレードマークだった

フランスに渡った幹子さんが通うことになった寄宿学校は、ヨーロッパ中から集まった貴族や良家の子女が文化的教養や家事などを学ぶ、いわゆるフィニッシングスクールだった。だが、ここでも幹子節がさく裂する。「2年の学校だったんだけど、そこでまたスクール・ディレクターとケンカしちゃったもんだから、1年でやめちゃった!」実に豪胆だ。2年の約束で日本を出てきたのだからと、すぐには帰国せず、その足でパリ大学に入学し日仏翻訳を学んだ。フランス語よりもむしろ、日本語の難しさを痛感したのもこの頃だった。「そこで出会っちゃったのよ。アメリカ人の元夫と!」とにかく、転んでもただでは起きないのが幹子さん。

「そこで」と言っても実はパリで出会ったわけではない。夏のバカンスを利用し、ユーレイルパス(ヨーロッパ33カ国の鉄道やフェリーが乗り放題になる外国人旅行者向けの周遊パス)でヨーロッパを一人旅した際に、イタリアのフィレンツェにあるユースホステルで、イリノイ州から来ていたアメリカ人男性と出会い意気投合した。クリスマスには彼を訪ねアメリカへ。さらに、フランスで過ごすはずだった2年の最後の6カ月間は、イリノイ大学のESLに移り英語を学んだ。「もう私の人生、めっちゃくちゃ複雑! でも自分で複雑にしちゃってるのよね」と笑う。このポジティブさこそ、幹子さんの持ち味だろう。どんなことも、良いほうへ良いほうへと気持ちを切り替えていける。

カナダ大使館レセプショニストとして、トルドー元首相とファーストレディーに応対。当時フランス語が話せる人材は貴重だった

パリ時代。実は日本帰国後、伊藤忠商事に勤めていた叔父に頼まれ、パリに戻って日本人向けのツアーコーディネーターをしていたことも。この時に取ったきねづかか、今は北米報知ツアーでその手腕を発揮している

新天地、シアトルへ

フランス語、英語、日本語のトリリンガルとなって日本へ帰国。帝国ホテルのフロントや、カナダ大使館のレセプショニストとして働き、当時のカナダ首相ピエール・トルドー氏(ジャスティン・トルドー前首相の父)の応対も務めたというのだから、その有能さがうかがえる。その頃、「幹子のために日本にいちばん近い街、シアトルに移ったから」と、アメリカからプロポーズを受けた。大使館職員としてのキャリアを天秤にかけざるを得なかったが、確実に積み上げられるキャリアよりも、何が待っているか分からないアメリカでの新しい挑戦のほうが、幹子さんには魅力的に映った。1977年、25歳でシアトルに移住した。ところが、その夫の不貞が発覚する。「こんな男とこれから50年も一緒にいられない!」と離婚を即決。慰謝料として学費を受け取り大学進学を決めた。やはり、ただでは起きないのだ。平日働きながら週末はコミュニティー・カレッジで単位取得に励んだ。そこからの幹子さんの日々は、聞けば聞くほど大忙しだ。

1981年、コーネル大学で日本語を学んだというアメリカ人男性と2度目の結婚。政治部の新聞記者として働く夫とオリンピアでの生活が始まる。編入したエバーグリーン州立大学では、1歳の長男を教室に連れて、アートや環境学を学んだ。そんな折、オリンピア市が姉妹都市である兵庫県やしろ町(現・加東市)との友好の証として、日本庭園を造園する話が持ち上がる。実はその企画・立案をしたのが、幹子さんだった。大学の卒業プロジェクトとして、立ち上げから市との交渉まで下仕事に尽力し、7年をかけてヤシロ・ジャパニーズ・ガーデンを完成させた。

二人目の夫と結婚した1981年、来米し結婚式に列席してくれた父清二さんと

エバーグリーン州立大学の卒業式。日本庭園造園プロジェクトが卒業単位として見事認定された

次に関わったのは、現在も続くオリンピアの盆踊り。ある日系人の友人からの相談がことの発端だった。「盆踊りをやりたいんだけど、お寺もないしできないんだよね」。幹子さんの応えはもちろん、「やりましょうよ!」だ。「シルベスター公園にある東屋をステージに見立てて、提灯ちょうちんをともしてぐるぐる回ったら楽しいんじゃない? でも誰かが教えないと始まらないから、まずは私が習いに行きましょう」。その話しぶりから、当時の高揚した空気が伝わってくる。今のようにインターネットで何でも容易に調べられる時代ではない。タコマで日本舞踊を教えるT先生に頼み込み、炭坑節、ソーラン節、広島音頭、江州音頭、社音頭の5種をマスター。毎週末コミュニティー・センターで、日本文化になじみのないオリンピア市民を相手に、第三子妊娠中の身重の体でレクチャーした。これが第1回オリンピア盆踊り会の始まりだった。日本庭園も、盆踊りも、そこに一貫してあるのは、「みんなで楽しく集まり、日本文化を感じられる素敵な場所をこの地につくりたい」という幹子さんの思いだ。

恒例となったシアトルの盆踊りで。当時2歳だった末っ子のテシカさんを肩に乗せて      

フルブライト・プログラム(米国政府が支援する国際教育交流プログラム)を利用して日本で博士課程に進んだ夫に帯同。テシカさんの日本での小学校の卒業式で。その4年の間にも、当時不平等だった都立高校帰国子女枠の入学規定に関する法律改正を成し遂げた

北米報知で残したもの

シアトルで1902年から続く邦字新聞、北米報知のゼネラル・マネージャーからある日電話を受けた。「日本にバケーションに行ってくるので、3週間だけゼネラル・マネージャーの代理を務めてくれないか」経験もないのだから無理だと断ったものの、そこにいてくれるだけでいいから助けてほしいと懇願された。人助けと思い引き受けたが最後、なんとそのマネージャーが3週間後に退職。さらに経理担当者まで急遽不在となり、思いがけず会社の厳しい財政状況を目の当たりにする。あれよあれよと言うまに幹子さんはその立て直しに奮闘することになる。

人手不足を補うため、記者、編集長としても奔走した。中でも幹子さんが担当した連載、日系二世の元米国軍人に話を聞いた「静かな戦士たち」は意義深い。日本軍による真珠湾攻撃後の1942年2月、ルーズベルト大統領による大統領令により、約12万もの日系アメリカ人が財産を没収され、強制収容所へ送られた。翌年には、17歳以上を対象に「合衆国に忠誠を誓うか」「日本への忠誠を放棄するか」を問う忠誠登録が実施される。その質問にノーと答えた者は「ノー・ノー・ボーイ」と呼ばれ、市民権を剥奪された。反対にイエスと答えた者たちは、米国陸軍情報部の諜報機関や、第442連隊戦闘団としてヨーロッパ戦線に送られた。「アメリカ人」としての自分を証明しようとした青年たち。その生き証人たちに、13回の連載を通して当時のことを思うままに語ってもらったのだ。「1988年にレーガン大統領が、あの強制収容は間違いだったと正式に認めて謝罪をするまで、やはり彼らは何もしゃべることができなかったんです。祖国のために戦っていたのに、日本から見たらスパイだったわけでしょう?」アメリカ人として戦ったことを「どう感じたか」と直截ちょくせつに尋ねたこともあった。「やっぱり当時は『嫌だった』と。日系人として生まれたことがね。でも今になって、『行って良かったと思う』と言っていました。『僕たちが戦って忠誠を示したからこそ、今あなたたちがこうしてアメリカにいることができるんだよ』って」。当時、ノーと答えたのか、イエスと答えたのかで分断された日系人社会。その過去について聞くと、「『僕たちは結局、ノーと言った者も、イエスと言った者も、同じことのために戦っていたんだ。自分たちの権利のために』と気づいたそうです」。幹子さんが話を聞いた直後に亡くなってしまった人もいた。高齢だったことはもちろんだが、「ずっと心にためていたことを話して、終止符を打ったような気持ちになったのか。自分たちがしたことは良いことだったと納得できて、ふっと心が楽になったのかなって……私はそう解釈したいんです」と複雑な胸の内を吐露する。しかし、彼らの最後の声を残すことができた、その功績は大きい。
※連載「静かな戦士たち」は北米報知ウェブサイトでも公開されている。
https://napost.com/ja/category/history/quiet-warriors

清二さんの他界後すぐ、シアトルの「ファーストレディー・オブ・ゴスペル」と呼ばれた故パトリネル・ライト牧師(右)のもとでゴスペルを始める。東日本大震災の翌年には、シアトルで募った募金や寄付を持って牧師とともに石巻を訪ね、コンサートを行った

2010年には三味線をスタート。アメリカでは新しいことを始めるのに年齢は関係ない

これから

今年2月、初孫の育児を手伝うために一時居住していた沖縄からシアトルへ戻ってきた。次はカリフォルニアで第二子の出産を控えた次女をサポートする。沖縄にいる間も、北米報知財団のファンドレイジング企画である日本旅行ツアーに、コーディネーターとして2年連続でボランティア参加した。もちろん今年の秋もその予定だ。4月にシアトルセンターで開催された桜祭りでは、自ら発掘した沖縄紅型びんがた職人のワークショップを企画。職人夫妻を招きブースを設置した。「それから、著書の英語翻訳をしたいとも思っています」

なぜこんなにまで精力的に活動を続けられるのか。そう問うと、「私、暇じゃダメなのね。つまらなくなっちゃう。面白そうだなって思うと、ぱっと動いてしまうの。物事すべて両面あるのが現実だけれど、私はなるべくポジティブな面を見るようにしています」。これぞまさに、幹子さんが父、清二さんから受け継いだレガシーなのだろう。幹子さんには大切な人からもらった強く心に残る言葉がある。「God never gives more than you can handle (神様は、あなたができる以上のことは決して課さないのよ)」。逆境はあろうとも、持ち前の明るさで、これからも忙しく充実した日々を突き進んでいくに違いない。

『ゼッケン67番のGちゃんー孫の句が 海を渡って父の日にー』 (ままがいい・編集室) 破天荒な父Gちゃんと、3人娘の次女である著者、そして3人の孫との心温まる30年の日々を軽やかな筆致で描く私小説。表紙はシアトルで活躍する切り絵作家曽我部アキさんが担当。パイク・プレイス・マーケット内のチン・ミュージック・プレスにて購入可能。

続、地球に優しいは体と心にも優しい。草木染めを知る〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

大阪府和泉市で植物による「Re:染め」のサービスを提供する山里歩美さん、章悟さん。古びた衣類を染め直し、新たな品として生まれ変わらせる取り組みは、和泉市の「いずみ印」に認定されている。もともとも専業主婦とサラリーマンだったという山里さん夫妻が、草木染めユニットWUYとして事業を興すに至った経緯とは? 

心地良い生活を描いていたら、今に至ったという歩美さん。「ストレスコントロールが自由にできる世の中になったら良いなって」

大学では幼児教育を学んでいた歩美さん。南大阪のニュータウンで子育てをするなか、子どもと緑地公園を散歩し、拾った木の実で工作をしたり、摘んだ草花で色遊びをしたりが日常だった。スマホやSNSが広まる前のこと。図書館で借りた染色の本を読み込み知識を深めたという。今でこそ伝統工芸のように思われがちな草木染めだが、実は古来から優れた知恵として人々の生活に溶け込んでいたものだ。「例えば藍って、薬草にもなるし、防虫効果もあって万能の植物。私も敷居が高いように感じていたんですが、やってみるとプランターでも育てられる。『私でもできるやん』って思ったんです」。知れば知るほど魅せられていった。知人から依頼され、放課後デイサービスで草木染めを紹介したことをきっかけに、ワークショップを行うように。それが話題を呼び、染め直しのサービスを始めた。 

廃棄植物と廃棄衣類を組み合わせて。捨てられる服を少しでも救い、ずっと使っていく、そんな形を提案したい

「やりたいことを、やりたい時にやりたいだけ」。それをみんなができているようにというブランド理念を語るのは章悟さん。「10代の頃は世の中のことなんて全然考えていなかった」と言う。しかし、結婚・出産を機に自分軸の生き方から社会へと意識が向くようになった。「子どもが生きる時代が、息苦しい環境になっていたら嫌だな」。そんな思いが歩美さんの草木染めとリンクした。伝えたいのは、伝統工芸の染めではなく、循環する暮らしのあり方であり社会モデルだ。「台所で誰でも簡単にできる」草木染め技術を発信したいという思いは、収益を得るためのビジネスと相反してしまう難しさも感じている。 

大量生産・大量消費の世の中で、一枚一枚時間と手間をかけて染める「Re:染め」は一見時代と逆行しているようにもみえる。しかし、SDGsへの関心の高まりとともに依頼は増え続けているそう。地元生産者との藍の生産プロジェクトや、植物染料といった素材を販売するなど事業も拡大しつつある。「これからは、植物のトレードという形で海外ともつながっていきたいと思っています。その土地ならではの植物があり、それぞれの地域の染めの技術や色があるんです」。WUYの提案する豊かな暮らしが、シアトルで実現する日も近いかも!?

▪️WUY
https://wuy7.comhttps://wuy.stores.jp

染め師の山里歩美さん、章悟さん夫妻による、草木染め染色ユニット。「Re:染め」と呼ぶ衣類の染め直しは、大阪府和泉市が認定する特産・技術ブランド、「いずみ印」に認定されているアップサイクルな取り組み。通常の草木染めとは一線を画す鮮やかで力強い色彩が特徴。ワークショップや自宅でできる染色キットの販売を通して、気軽にチャレンジできるものとして草木染めを広めている。

▪️いずみ印
大阪府和泉市独自のブランド。和泉市商工会議所が地域の優れた素材や技術などを生かした特産品やサービスを認定し、同市の魅力発信と価値の向上を目指すプロジェクト。WUYの「Re:染め」のほか、地元金属加工会社による廃材を利用した家具や、和泉産の食品を使ったグルメなど認定内容は多岐にわたる。水仙と勾玉まがたまをモチーフにしたロゴが目印。

▪️「【注目研究】ジャパンブルー「藍」が新型コロナウイルスを不活化? 藍が秘める本当の魅力に迫る」
https://macrobiotic-daisuki.jp/indigo-dye-264884.html#index_id13

近年再注目されている藍染の歴史や背景、藍が持つ特性について、オーガニックな生活を提案するという視点から分かりやすく解説している。記事内では、2021年に奈良県立医科大学と株式会社寿スピリッツが行った、藍由来成分に関する研究にも触れられており、特定の条件下で新型コロナウィルスの不活性化が確認されたことが紹介されている。インフルエンザにも効果があるらしい。藍染には抗菌性や消臭性があるとされ、頻繁に洗わなくてもよいと言うのだから、インディゴ染めのジーンズを洗わずに育てるのは理にかなっているのだと納

 

地球に優しいは体と心にも優しい。草木染めを知る〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

前回のコラムで、今年の夏、使いすぎてすっかり色あせたお気に入りのハットとサロペット二着を、植物染料による染め直しサービスに出した話をした。どれも染め上がるまでおよそ1カ月弱。手元に届いたパッケージをドキドキしながら開けてみて驚いた。草木染めというと、柔らかな風合いをイメージしていたが、予想に反し、ぎゅっっと濃縮したような、しっかりとした色に染め上がっている。かっこいい! 大阪の染色ユニット、ワイ(WUY)にお願いしたハットは、ユーカリや玉ねぎの皮などを使って染めたと手書きのメッセージが添えられていた。さらにふわっと漂うその香り。独特のハーブのような、木を焼いたような香りは確かに虫除けになりそうだ。もちろん不快なものではなく、なんならとっても気分が良い。 

濃いめのミリタリーグリーンに茶を混ぜたような渋い色に。ワイの「Y」は、「や」りたいことを、「や」りたい時に、「や」りたいだけ、というコンセプトから。心地よい暮らしとは? と考えさせられる

そもそもなんで今回草木染めをやろうと思ったかというと、草木染めってホントに良いの? なんで良いの? という疑問がずっとあったから。調べると、なんだか良いことづくめすぎる情報が出てくる出てくる。自然由来で化学物質を含まない染料は、環境負荷が少ない(これはなんとなく予想がついた)うえ、それぞれの染料によって抗菌作用や香りによるリラックス効果、血行促進や保温、虫除け、肌への負担がかからない、などなど……。でもやっぱりその分、大量生産するには手間がかかりすぎるし、コストもかかる。だからこそ、個人で楽しむにはもってこいなんじゃない? という気がする。とはいえ、自分で突然やるにはちょっとハードルが高い。そこで染め直しサービスを利用してみた、というわけ。だとしても、気に入らなかったら意味がない。お気に入りの子たちがどう生まれ変わるのかは、ある意味ギャンブルだったのだが、結果は大満足。新品同様、だけど使い込んだ味はそのままに返ってきた。そしてその効果にも、早速納得。 

こちらは染め屋貴久さんに依頼した二着。もともとブルーのサロペットは、藍染で縹はなだ色に。薄い蓬よもぎ色だったジャンプスーツは老おいたけ竹色で。それぞれ昔ながらの日本の色合いでオーダー

そして草木染めって、実は思うよりももっともっと手軽なものらしい。WUYは夫婦で活動する染色スタジオだが、もともとは妻の山里歩美さんが、育児のかたわら、子どもたちと散歩中に摘んできた草花を使い、台所で染めもの遊びをしていたことがきっかけだったそう。「お鍋、コンロ、シンクさえあれば誰でもできるんだよっていうことを伝えたくて」と。ほら、なんだか私にもできそうな気がしてきた。それにしても台所遊びからおこるビジネスとは。これはなんだか素敵な話が隠れているのでは? ということで次回、WUYにまつわるお話を聞いてみることにしてしまったのでした……またまたつづく。


■WUY
https://wuy7.comhttps://wuy.stores.jp

染め師の山里歩美さん、章悟さん夫妻による、草木染め染色ユニット。「Re:染め」と呼ぶ衣類の染め直しは、大阪府和泉市が認定する特産・技術ブランド、「いずみ印」に認定されているアップサイクルな取り組み。通常の草木染めとは一線を画す鮮やかで力強い色彩が特徴。ワークショップや自宅でできる染色キットの販売を通して、気軽にチャレンジできるものとして草木染めを広めている。

■染め屋 貴久 KIKYU
https://someyakikyu.com

アパレル業界で30年以上のキャリアをもつ貴村きむら隆久たかひささんによる大阪池田の染色スタジオ。日本古来の天然染料である柿渋や茜、柘榴ざくろ、藍などを使い、和の伝統色に染め上げる。染め替え、染め直しのサービスのほか、草木染め、藍染め、ベンガラ染めの体験教室も行っており、海外からの観光客にも人気。

「草木染めとSDGsの関係性|ものづくりに取り入れるメリット・デメリットと使用例」https://sus.i-goods.co.jp/columns/6163

企業向けに、サステナブルなグッズの制作やアップサイクルなシステムの提案を行うサスプロ(SUSPRO)のオンラインコラムでは、草木染めの良さと難点がわかりやすく解説されている。草木染めのオリジナルアイテムを企業向けに提案・制作した経験を持つ社員へのインタビューも掲載されており、小規模なモノづくりにとどまらない天然染色の未来を示唆している。

古くなったわけではございません。生まれ変わるチャンスです〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

4年ほど前、私としては奮発して買った特大ツバ広(イマドキは日本でもワイドブリムって言うみたい)のサンハットがある。大好きな帽子ブランドと某人気スタイリストさんのコラボアイテムで、「おしゃれよね〜。いや、しかしハットにこの価格か……」という躊躇ちゅうちょに対する購入の最終的な決め手となったのは、「草木染め」であるということ。なんかサステナブルらしい。「よし、何が良いのか見極めてみようではないか」と。しかし当初おしゃれ目的で買ったはずのそのハットは、スタイリストさんが被っている姿と想像していた自分の姿、そして実際に被った姿の、なにかチガウというギャップに加え、そのあまりの使い勝手の良さに、すっかりガーデニング作業の必須アイテムになってしまった。日差しも小雨も、なんならスプリンクラーさえ浴び放題の日々を過ごし、ある日気づくと「これ、なんか色変わってない……?」。表と裏地を比べてみると歴然の差。ショックだ。私はまだ、この高価なハットのおしゃれアイテムとしての真価を発揮させていない。 

最近たまたま何かの記事を読んでいたら、「草木染めは、そもそも色あせや色落ちがしやすいもので、その変化も魅力の一つ」、とあった。そういえば、全て天然染料で色をつけているというベースレンジ(Baserange)のサロペットたちも、すごい色落ちするじゃん! 洗濯機で普通に洗っていたら(だって夏物の普段着をいちいちドライクリーニングになんて出してられないですもの)最初と全然違う色になってしまって、どうしたもんかと思っていた。自分でダイロンの染粉でも買って染め直してみようかとも思ったが、服は良くても顔の皮膚に直接触れる帽子はちょっと心配……それにせっかくの草木染めに上書きしてしまってはもったいない? なんて考えていたところ、6年ぶりに日本に一時帰国することになった。ちょうどいいやと調べてみたら、ほら、やっぱり! サステナブルなアップサイクルの取り組みとして、天然染料のみによる染め直しのサービスを行う染め屋さんの情報がいくつも出てくる。「Re:染め」とか、「Re:カラー」、「Re:ダイ」というのが最近の共通語みたいな様子。せっかくなので昔ながらの和の色合いを染め上げている染め屋 貴久 KIKYUさんにお願いしてみようか、それともこの染色ユニット、ワイ(WUY)がおしゃれっぽい? と、楽しくリサーチ。ついでにアメリカでもあるのか調べてみたら、シアトルやペンシルべニアにも染め直しの工房が! シアトルの工房の創設者はキャシー・ハットリさんというから日系の方かしら? さて、どんな色に染め上がるのか。次回、乞うご期待!

Photo courtesy of WUY
Photo courtesy of WUY

「やりたいことを、やりたい時に、やりたいだけ」。そんなことがあっさり成せる暮らしを提案するWUYワイの、「Re: 染め」やオリジナルのプロダクト生産は、全て自然の摂理にそって環境に優しい安全な素材を使用している

今回染め直しに挑戦する3点は、ハットがコットン、サロペットはどちらもローシルク。天然染料での染色は、天然素材ではないと難しいとのこと。この見事にツートンになったハットがどう変わるのか……

■染め屋 貴久 KIKYU
https://someyakikyu.com

アパレル業界で30年以上のキャリアをもつ貴村きむら隆久たかひささんによる大阪池田の染色スタジオ。日本古来の天然染料である柿渋や茜、柘榴ざくろ、藍などを使い、和の伝統色に染め上げる。染め替え、染め直しのサービスのほか、草木染め、藍染め、ベンガラ染めの体験教室も行っており、海外からの観光客にも人気。

■WUY
https://wuy7.comhttps://wuy.stores.jp

染め師の山里歩美さん、章悟さん夫妻による、草木染め染色ユニット。「Re:染め」と呼ぶ衣類の染め直しは、大阪府和泉市が認定する特産・技術ブランド、「いずみ印」に認定されているアップサイクルな取り組み。通常の草木染めとは一線を画す鮮やかで力強い色彩が特徴。ワークショップや自宅でできる染色キットの販売を通して、気軽にチャレンジできるものとして草木染めを広めている。

■Botanical Colors
https://botanicalcolors.com

石油化学由来の合成染料の安全な代替品として天然染料を提供することで繊維業界を変えたいとの思いから、2010年にキャシー・ハットリさんによってシアトルに設立された。お気に入りの服を蘇らせるサステナブルな方法として「Re:カラー」を提案。色あせたり汚れたりした服を、唯一無二のアイテムとして生まれ変わらせる。藍染めのオンラインオーダーを受け付けており、「絞り」など複数のスタイルから選ぶことができる。

■Green Matters Natural Dye Co.
www.greenmattersnaturaldyecompany.com

2015年、ペンシルベニア州ランカスターで設立されたオールナチュラルの染色スタジオ。ニューヨークを中心に、サステナブルに配慮したファッションブランドやデザイナーなどへ植物由来の染色技術を提供するほか、一般消費者向けに月毎のテーマカラーによる染め直しや後染加工のサービスを郵送で受け付けている。

 

鵜川 有さん〜きものコーディネーター、一般社団法人きものアート

きものコーディネーター、
一般社団法人きものアート
鵜川うがわ ゆうさん

着物を日常の中で自由に、洋服のように楽しんで着る「和遊着わゆうぎ®︎」というコンセプトを提唱する鵜川有さんは、娘の香山真理子さんと二人三脚で「きものアート神戸・シアトル」を運営しています。着物の世界に飛び込んで60年。日米、アジア、さらにはヨーロッパと、今なおエネルギッシュに活躍の場を広げる鵜川さんの半生をひもときます。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

鵜川有(鵜川由紀子)■ 兵庫県芦屋市出身。神戸市内の老舗呉服店カネ照に嫁いだことをきっかけに、女将として着物のプロを目指す。1985年、「カネ照きもの着付学院」を設立。1990年に「近畿和装着付協会」を創立し、1993年には「You&有きもの着付学院」へと発展させ、新時代の着物コーディネートを打ち出す。翌1994年、「ブライダルグループ You&有」を立ち上げブライダルの世界にも進出。阪神・淡路大震災以降、着物を自由に洋服感覚で着こなす「和遊着®︎」を提唱。2010年、着物文化普及のため、NPO法人「愛loveきもの幸の会」を発足。2019年、一般社団法人「きものアート/KIMONO ART」設立。シアトルでは毎年成人式USAで着物を提供するほか、ジャパンフェアなどさまざまな機会でショーを開催している。
 
「お嬢様」から「女将」へ
 
神戸とシアトルを行き来しながら、日本の伝統文化である着物を世界へ発信し続ける鵜川有さん。その生まれは意外にも、兵庫県芦屋市の洋風家庭だった。ピアニストを父に持ち母も音楽家。幼い頃からクラシック音楽に親しんで育ち、着物文化とは対極の生活。「男の子だったらピアニストに、女の子だったら嫁いで普通の奥さんになりなさい、という感じでした」
クラシック音楽に囲まれて育った子ども時代。「今でもピアノはお上手ですよ〜」と真理子さん
 
1965年、いとこの友人として知り合った元秀もとひでさんと19歳で結婚。元秀さんが老舗呉服店カネ照の後継ぎだったことで、人生が大きく変わることとなる。「呉服屋に嫁いだらどうなるかとか、そんなこと全然考えないで結婚しちゃったものですから。新婚旅行から帰ってきた翌日にはもう店頭に立って、販売に携わりました。着物の知識なんて全くなかったし、着物に必要なものが何なのかすらわからなかった。それに家族のおさんどん仕事もしていましたので、もう毎日、その日一日をどうしていくかでいっぱいいっぱいでした」と当時を振り返る。
 
カネ照呉服店へのお嫁入りが人生の大転換!
 
「着物を着る」ということは現代の日本人にとっては一大イベントだが、当時はそれが日常。「お嫁にいくときは、嫁入り道具としてまず小紋こもんつむぎといった普段着、そして訪問着、留袖とめそで羽織はおり、コートといったそれぞれの着物を全てあつらえていく。入学式、卒業式には無地の着物に黒の羽織を着て……」。そんな当たり前が急速に変わっていった高度経済成長期。その真っ只中で、鵜川さんは変化を肌で感じていた。「着物からだんだんと洋服の生活になっていき、日常で着ることが減っていった。着物を売っても、自分で着れない人が多い。『着れない』と、『着ない』ですよね。着物は自分で着れてこそ価値がある。そうでなければタンスの肥やしです。だから『着る』機会を増やさないとって、着付け教室を始めたんです」。1985年のこと。着物人口を増やしたい、それが鵜川さんの思いであり、今の活動の原点だ。
 
カネ照呉服店女将時代。反物を巻くスピードはまるで神業! 真理子さんも子どもの頃にはお店やさんごっこでよく真似をしたそう。呉服店ならではだ
 
たっぷりと肩揚げ、腰揚げがなされた真理子さん3歳の着物は、お宮参りの産着を仕立て直したものを7歳まで着用。「帯も重くて、ランドセルを背負ってるみたいにしんどそうな顔して写ってますよね」と笑う
 
真理子さんの晴れ着で迎える、孫のハンナさんの7歳の七五三
 
 
「和遊着®︎」の誕生
 
1995年1月、神戸を襲った未曽有の大地震、阪神・淡路大震災。東灘区にあったカネ照も店舗が全壊した。「店がつぶれ、家がつぶれ、マイナスからの出発でした。私に何ができるか考えたとき、着物しかないと。着物で何ができるかなって、そこが始まりです」。被災者のために無料開放された豪華客船「ホテルシップシンフォニー」で、浴衣のファッションショーを開催した。「お風呂上がりに何かみんなに和んでもらえないかって、提案したんです。ただ浴衣を着て見せても面白くない。短く着てミニにしよう。ドレスにしてみよう。角帯でスニーカーを履かせてみよう。洋服感覚で、袖を肩までたくし上げてあみタイツを履かせよう。着物を前後ろ逆に着せてみたり……。『ええ!』という驚きですよね」。被災した人々に笑顔になってもらいたいという一心から始まったこのイベントは、またたく間に話題となった。
 
阪神・淡路大震災(1995年)の被災者に無料でお風呂を提供したホテルシップ、シンフォニーで開催した浴衣ショー。「和遊着®︎」が誕生した瞬間だった
 
「ただ綺麗に、着崩れないように着るのが着物ではなくて、もっと楽しんで着てもいいんじゃないかと気づきました」。鵜川さんが提案する和遊着®︎は、斬新ながらも、ほどけばまた一枚の普通の着物として着ることができる。「日本の伝統文化を崩すな」という元秀さんの考えと、鵜川さんの新しい発想が対立したこともあった。しかし、和遊着®︎の根底にあるのは、着物の原点を尊ぶ精神であり、古いものも現代の感性にアップデートしながら、後世に伝えていきたいという願いなのだ。「伝統を守りながら現代を演出するというのが私のモットーなんです。私は絶対に着物を切りません」と強調する。
 
着物は、人の一生に寄り添うものだ。産着から七五三、成人式、婚礼衣装、喪服と、人生には着物の歳時期がある。鵜川さんは、その全てを網羅するプロだからこそ、新提案を打ち出すことができる。もちろん、そのための研鑽けんさんも常に重ねてきた。一級着付け講師を取得後、着物支度をトータルでサポートできるようにと、50歳で美容師免許まで取得した。さらには花嫁着付けの講師資格を取り、ブライダルコーディネーターとして活動。「厚生労働大臣が認定する『一級着付け技能士』も含め全ての資格を取得しました。全てができるから、何がきても怖くないんです」。新発想の礎にあるのは、本物の着付けができるという自信なのだ。
 
 
「これは私が選ぶ!」と、鵜川さんが真理子さんのために仕立てた振袖は、袖を切り、今では色留袖として愛用されている。形や、合わせ方を変えながら、人の一生に長く寄り添っていけるのが着物の魅力だ
 
真理子さんの花嫁姿は、全て鵜川さんの手によって着付けられた
 
着物はアート
 
震災後、店舗で商品を見せ販売するのではなく、個人サロンというビジネススタイルに転換した。「顧客を展示会場にお連れしてお買い物のお手伝いをします。着物の着方の提案は、ただ反物に帯を合わせるだけでなく、襦袢じゅばんに始まり、そこにのせる半衿はんえり、帯締め、帯揚げと、トータルでコーディネートをサポートすることなんです」。さらに、着物は売ったら終わりではない。染め替えやお直しによって生まれ変わらせることもサポートの一環であると、メンテナンスも広く請け負っている。鵜川さんが特に目を輝かせて教えてくれたのは「作家さんとお客さまをつなぐ」という役割。「細田あずみ先生という臈ろうけつ纈染の作家さんを応援しているんですが、彼女はその技術もさることながら、発想がすごい。タコやワニのデザインとか、どんどんユニークな発想が出てくる。これぞ着物アート! という感じですよ」。女性として初めて染色領域での博士号を取得したという人気工芸作家の細田あずみさんは、2016年にはシアトルでも講演会やワークショップを行った。
 
2014年、シアトル・アジア美術館にて「デコ・ジャパン 着物浪漫飛行」開催
 
鵜川さんは常々「着物界のピカソになりたい」と明言している。「私の親友が昔ね、『鵜川さんは、着物を逆に着せたり、ドレスにしたり、そんなんピカソやわ』って言ったんです。じゃあそれ目指そうか! って」。屋号の「きものアート」はそこから生まれた。「一枚12メートルの布から作り上げる着物、そして帯結びはまさにアートそのものなんですよ」
 
鵜川さんがトータルでコーディネートした花嫁衣装
 
鵜川さんの活動を後押ししたのは、夫の転勤に帯同しシアトルで暮らしていた娘の真理子さんだ。「孫に会いに母もちょくちょくシアトルに来てくれていて、ベルビューの秋祭りに一緒に遊びに行くこともありました」。東日本大震災が起こった2011年、ゲストとしてイーストサイド日本祭りの会(ENMA)から招かれ、「絆」をテーマに浴衣ファッションショーを開催した。神戸から鵜川さんほか5名の着付講師が来米し、留学生や地元の住人など30人近くのモデルが参加する盛大なショーとなった。それが評判を呼び、翌年には北米報知財団主催の着物コーディネート・ショーが和みティーハウスで開催されるなど、毎年シアトルでイベントが催されるように。その活動資金を確保するため、真理子さんが七五三や、成人式のスタジオ撮影をシアトルに開設したのが、今のきものアート・シアトルサロンだ。日本では表参道のブランドショップで店長を務めていたという真理子さんの手腕が、縁の下の力持ちとして母である鵜川さんを支えている。
 
着物文化の裾野を広げる

大盛況だった今年の成人式USA。代表スピーチを務めたソフィア・パレルモさんの振袖をきものアートが提供したほか、レンタルでの支度や撮影、祖母の着物を着たいという参加者の着付けなど全面的にサポートした。「きものアートでは、常時新作を入れながら、常に多数の厳選された着物を用意しています。時代を超えて愛される古典的なものを中心に、日本各地の伝統工芸や貴重なビンテージ、気軽に着れる化繊素材の着物まで多彩に取りそろえ、世界各国からのお客さまの個性や文化背景に寄り添った着物選びを可能にしているのも、当店の特徴です」と真理子さん。

日本の着物業界は今、伝統から離れたモダンな柄や色合いがトレンドだそうだ。しかし鵜川さんは、やはり古典柄にこそ着物の良さを覚えると言う。特にそれを実感するのが「ママ振袖」。「お母さんの着物を着る『ママ振袖』が流行っています。小物を替えて、現代風にコーディネートすることでモダンなアレンジができます。先日もおばあちゃまの着物と帯を身に着けた方がいましたが、やっぱり素敵でした。昔の着物はメリハリが効いているんですよね」。斬新な着こなしを提案する鵜川さんの言葉だからこそ重みがある。

孫のハンナさんの成人の振袖は、真理子さんと2人で着付け。地毛で結った見事な日本髪は中澤裕氏によるもの。ジャパンフェアでの一コマ

シアトルのサロンもすぐに軌道に乗ったわけではない。最初の頃はその価格設定に戸惑われたことも。「長年、家族の着物を大切に受け継いできた日系コミュニティーにとって、新しい着物や専門的なサービスへの投資は、新しい価値観との出合いでもありました」と経営を一手に担う真理子さんは振り返る。「予算や好みに応じて骨董市の京都アート&アンティークスを紹介することもあります。お客さまと一緒に行って、まずは着物への興味を育むことから。着物への理解が深まるにつれ、手にした反物を自分のサイズに誂えたい、色あせた着物を染め直したいといったご依頼を頂くようになりました。コストを抑えるために、着物の縫い合わせを解く『トキ』の作業をご自身でお願いしたり、あわせの裏地をなくし単衣ひとえに仕立てる提案なども積極的にしました」。異国の地ならではの独自のスタンスで着物文化を広めている。「ご両親やご祖母様から受け継いだお着物を処分したいという相談があれば、おたんす整理に出向きます。バラバラに保管されている着物と帯をコーディネートし、関心を深めてもらうことで、残すものと手放すものをアドバイスしたり。日々の着用で染み抜きが必要な場合は、大切なお着物を手持ちで日本に持ち帰ることもします。」提案からメンテナンスまで、トータルで着物ライフを支える心強い存在だ。2人が心がけるのは、「お客さまに寄り添う着物」の提案。「その日一日を気持ち良く、着物を着て良かったと思って過ごしていただくことですね」

メイデンバウアー・センターで開催された今年の成人式USA。代表スピーチを務めたソフィア・パレルモさんの豪華な振袖は、鶴や亀甲、青せいがいは海波の伝統的な縁起柄がふんだんにあしらわれ、ひときわ艶やかだ

今、鵜川さんは、母娘おやこでともに着物の仕事に携わる喜びをかみしめている。そんな鵜川さんにとって、着物を着ることとは何か尋ねた。「着物は文化であるとよくいわれますが、母のぬくもりであったり、子どもの成長を垣間見る楽しみであったり、日本の心を感じる素敵な衣装だと思います。着ていく場所に応じた着物を選び帯を合わせ、半襟、帯揚げ、帯締めで自分流のおしゃれを楽しむ事ができる唯一無二のものです。これからも着物の継続と継承に尽力する所存でございます」

きものアートKimono Art Seattle/Kobe

■サービス
七五三、結婚式、成人式、卒業式などの着物レンタル、着付け、ヘアメイク、前撮り撮影をトータルでプロデュースする。事前に40分の無料相談がつくので気軽に相談を。また、日本の専門業者と連携し確かな品質の洗濯・メンテナンスも提供するほか、着付レッスンも希望があれば行っている。

■問い合わせ
☎︎425-785-5853、contact@kimonoart.org(担当:香山真理子)

メイド・イン・ジャパンで循環型社会を考える(後編)〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

前回、「タタミ禅マット、ローンチされたんだってよ」という話をした。国産だから、職人技だからと聞いて、ついSDGsだ! と短絡的にひもづけてしまうのは安易な気がして、私なりに畳のサステナビリティについて調べてみることにした。 

「使命は畳を後世へ残すこと 夢は畳を世界へ広めること」という久保木畳店の畳コースター(2,750円〜)。お正月のテーブルコーディネートにも合いそう!

なにしろ、畳文化の衰退は私ですら肌で感じるほど。私が子どもの頃は、団地やマンションにだって一部屋は畳があるのが当たり前だった。その少し前の世代では、自分の部屋が畳でかっこ悪いなんて中高生が嘆いていた。でも今は、フローリングが主流で、畳を知らない子どもがたくさんいる時代。小さい子どもがいる家庭では、フローリングの上にウレタンのプレイマットを敷くことが多いけれど、それが畳だったら素敵じゃない? 

しかも畳が本当にサステナブルな素材なら、畳文化ってもっと注目されるべきでは? と思うのだ。 畳のサステナブルさってどこにあるのだろう? 畳に使用されるい草は、吸湿性と通気性が高く、部屋の温度や湿度を快適に保つ力があるそうだ。しかも2008年、い草には水虫の原因菌である白癬菌はくせんきん に対する抗菌作用や足の臭いのもとになる成分の発生を抑える作用があるとわかったとのこと。すごいじゃん畳! もともと環境資源の乏しい国、日本で古くから使われてきた畳は、傷んだら表だけを交換したり、裏返してさらに使用したりと、ながーく使える工夫がされている。日本人のもったいない精神はサステナビリティと相性が良い。 

老舗い草製品メーカー、イケヒコ・コーポレーションが海外市場に向けて展開を始めた五連畳マットレス。伝統的ない草と、モダンなデザインが融合しており、5つ折りでコンパクトに使える実用性も魅力

さらに調べてみると、今多くの生産者や製造者が畳を活用したSDGsな取り組みをしているようだ。中でも福岡の佐野畳屋さんの「畳で森をつくる物語」というプロジェクトは大変興味深い。日本全国で年間100万畳も出るという古畳は、その複雑な構造から、通常は環境負荷の高い焼却や埋め立てで処分せざるを得ないとか。そんな畳を解体・分別し、可能な限りリサイクル。い草は米ぬかや石灰を混ぜて堆肥化し、その堆肥で植林をすることで、「畳で循環型社会を実現する」ことを目指しているんですって。「地球を株主とし、モノとココロの循環型社会を実現」と銘打って、SDGsな畳の情報をインスタグラムでも積極的に発信している。 

畳。消費しながらもサステナブルに、というのがこの「ゆる〜くSDGsに消費者生活」にぴったりだ! というわけでますます欲しくなってしまった。最近では積極的に世界に畳を発信しているお店も増えている様子。ああ、こうしてまた出費が……。

「ニッポンと話そう:北九州市立大学准教授森田洋先生」※現教授
www.yawaragiya.co.jp/nippon08_01.html
神戸の畳製造会社・和らぎ屋による対談記事。白癬菌や大腸菌O-157に対する抗菌作用を持つい草の性質を、微生物研究者・森田洋氏が解説。い草の香りには、子どもの集中力を高める効果もあるというから驚き。

「畳で森を作る物語」
https://sano-tatamiya-fukuoka.co.jp/tatami_mori_sdgs
「足元から世界を変える」。1949年より続く福岡の佐野畳屋の3代目、佐野典久さんによるプロジェクト。焼却・埋め立てされるはずだった古畳を堆肥化するなどし、リサイクルすることによってゴミ処理問の解決と森林再生、さらには雇用創出までを目指す。

「畳を世界へ」
https://tatami-jp.com/world
福島で280年続く久保木畳店は、「畳を世界へ」を合言葉に、海外展開を推進。2020年には畳コースターを携え、ニューヨークで飛び込み営業を敢行! こんなふうに地道に日本文化を広めている人たちがいるということに感動だ。久保木畳店は和室の畳や、置き畳の海外発送も行っている。ちょっと問い合わせてみようかな……。

株式会社イケヒコ・コーポレーション
https://ikehiko.net
1886年創業。福岡を拠点にい草製品・畳を中心としたインテリア商品の開発・製造・販売を展開する総合インテリアメーカー。「Natural Life自然に暮らそう」をテーマに、未来の快適空間づくりを提案している。SDGsな取り組みも積極的に行っており、長さが足りなかったりふぞろいだったりするために廃棄されるい草を用いたさまざまな商品の開発をすることで、生産ロスと焼却処分を減らすなど、使い手と作り手、さらに環境にも心地よいモノづくりを追求する。公式オンラインショップでは、転送サービスのワールドショッピングと提携しているため、海外配送も可能。

 

メイド・イン・ジャパンで循環型社会を考える(前編)〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

年末、ヨガとの「再会」を果たした旨を本コラムにしたためた。そのおかげか否か、興味深い情報が耳に入ってきた。「い草ヨガマットなるものが、最近アメリカでローンチされたらしいですよ~」。つまり……畳? 気になる。ヨガマットを買ったばっかりだけど。よくよく聞いてみると、正確には「タタミ禅マット」という製品で、Kohakuというブランドが展開しているらしい。熊本産のい草を100パーセント使用し、現地の熟練職人が生産しているという。畳業界は近年、安価な外国製品に押され、さらに後継者不足の影響もあり、存続の危機にさらされている。そんな業界を盛り立てようと日本の伝統技術の魅力を世界に広めるべく、活動しているそう。 

タタミ禅マット・ヘリンボーン($195)。100パーセント熊本県産のい草を使用した自然な香りが最大の魅力。「心が落ち着く香り」、「リラックスできる」と好評だそう

その昔、「アメリカに居を構えるなら、せめて小上がり程度でも畳が欲しいなぁ……」と思ったことがある。しかしその当時は、日本製の畳を個人輸入するのは、どうやらなかなか大変(=とっても高価)らしいと分かり、現実的ではなかった。だからと言ってはなんだが、今回はメディア業界にいる特権を最大限活用し、KohakuのCEO小田竜輝りゅうきさんに詳しく話を聞くことに成功。ラッキーだ。そんなわけで、久しぶりにインタビューで紹介したい。 

裏面は環境に配慮したリサイクル可能なTPE素材(ゴムのような弾性を持つ柔らかいブラスチック素材)を採用し、優れたグリップ力とクッション性を実現している。禅マットのほか、い草のコースター($12)やプレースマット($25)も販売

い草農家の畑野泰人さん(中央)、日本で生産管理を担当する深見さん(右)と小田さん。かって1万世帯以上いた熊本県のい草農家は、現在200世帯を下回る状況だという

そもそも「タタミ禅マット」とはどういう商品なのだろう? 「100パーセント熊本県産の畳表たたみおもてを使用し、自然素材ならではの心地よさと伝統的な美しさを兼ね備えています。ヨガ、瞑想、ストレッチ、茶道など、心身のリラックスを求める幅広い方におすすめです」。い草には、森林浴で感じられる「フィトンチッド」という香り成分が含まれており、リラックス効果や安眠効果が期待できるという。「日々のストレスを解消したい方、集中力を高めたい方、安らぎの時間を大切にしたい方にぜひ使っていただきたいマットです」 

熊本県は日本国内のい草生産量の95パーセント以上を誇り、最高級のい草が育つ地域。ところが今は業界の衰退が深刻化していると言う。「私たちは現地の熟練職人の方々に生産を依頼し、完成品を直接購入することで、地域経済の活性化と伝統技術の継承に貢献したいと考えています」。なるほど。つまり文化・伝統の持続を可能にするためのビジネスというわけだ。ただ、日本国産、職人技術、と聞くと、なんとなくそれだけで、「良さそう」とか「サステナブルな気がする」とか思い込みがち。でも実際はどうなんだろう。ということで畳とSDGsについてもう少し突き詰めてみようか。続きは次回、後編で!

Kohaku America LLC
https://kohakumats.com

畳製品とその文化を通じ、落ち着きや安らぎを届けるブランドとして、2024 年 12月末にスタート。畳が時を重ねるごとに美しい琥珀色へと変わるように、同社の製品も長く愛され、使い込むほどに味わいが増していくことを願い、ブランド名「Kohaku(琥珀)」を冠している。伝統を守りつつ現代のライフスタイルに合うデザインや機能性を取り入れ、日常に自然に溶け込む製品を開発。畳文化を世界へ広め、日本の伝統文化、畳を後世に残し、次世代へと継承していくことを目指す。

小田竜輝■
熊本県山鹿市出身。関西学院大学経済学部卒業。商社で営業として東京勤務ののち、ワシントン大学のビジネスコースに留学。ふるさとの伝統的特産であるい草と畳の魅力を海外に発信し、業界を活性化させたいとの思いから、在学中に日本在住の友人、深見裕介氏とともにKohaku America LLCを設立。現在はCEOとしてシアトルを拠点に活動中。

キンキラキンにさりげなく〜ゆる〜くSDG’sな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

10年ほど前から、手仕事の器を好んで使うようになった。日本に帰るたび、旅行に出かけるたび、その土地それぞれの作家のお皿やマグカップを少しずつ買い集めてきた。ちょっと良い器を使うようになると、気になるのはやはり壊してしまうこと。特に、生来うっかり者な上、失敗を長々と引きずってしまう気質の私にとって、大好きな器を割ってしまうというのは恐怖極まりなく、器を扱う手もつい慎重になる。 

あれは2015年のこと。母が就職した頃に買ったという一人用の小さな急須のふたを落としてしまい、取手がポロンと取れてしまった。大ショックだった。40年近くも前から母が持っていたものなのに……。せっかく大切なものを譲り受けたのに……。「捨てるわけにいかない、絶対に!」と、なんとか直せないかと思いついたのが金継ぎだった。「これを習っておけば、いつ壊しても大丈夫じゃないか」。 

欠けた片口、割れたマグカップ。久しぶりに挑戦したのでへたっぴなのはご愛嬌。これはこれで愛しい。でも、これから練習してうまくなってやる! と心に誓う

日本に帰るタイミングを狙い、金継ぎの教室をリサーチ。たどり着いたのが西荻窪の古民家カフェで開催されている「金継ぎ部(http://kintsugibu.com)」だった。漫画家兼漆職人の堀 道弘先生が主宰するワークショップで、直したい器を手に集合し、金継ぎ教室後はお茶して解散、というなんとものどかなもの。堀先生自身ものんびりとした方で、とても楽しく学ぶことができた。器は、「壊れても直せる」と思うと、確かにおおらかな気持ちでいることができるものだ。そして金継ぎは、施すことで「壊れもの」だったものを「一点もの」にできる。SDGsな上にビンテージ好きの心もわしづかみにする技術。昔からの日本人の「もったいない精神」が生んだ芸術なのだ。 

堀先生の著書「おうちでできる おおらか金継ぎ」と先生のくれた金継ぎ部修了証(の裏側。笑) 「つぐキット」は、見た目がおしゃれなので、ますますたくさんの人が挑戦しやすくなるんじゃないかな、と思う

久しぶりに調べてみると、5年前の新型コロナ・パンデミックによるおうち時間の増加をきっかけに金継ぎがブームになっていたという。オンライン講座や、おうちでできる金継ぎキットも種類が増え、選び放題。しかもどれもシャレオツなパッケージで驚いた。アマゾンでも気軽にオーダーでき、海外暮らしの身にはありがたいことである。中でも評判の専門ショップ「つぐつぐ」の「つぐキット」をオーダーし、使ってみてさらに驚いた。使いやすい! 「つぐつぐ」はYouTubeでステップごとの懇切丁寧な動画も出していて、私のように習ったのに「もう忘れちゃったよ」という人はもちろん、習ったことがない人でも「これさえ見れば一人でできちゃう!」というほどのわかりやすさだった。その上「つぐつぐ」のサイトには海外向けのページまであった。良い時代だ……。ホント海外暮らしの不便さなんて感じない時代になったなぁ。

■金継ぎとは?
壊れた陶磁器を、漆を中心に小麦粉、米といった自然の素材を用いてはりつけ、金などをまぶすことで見た目も美しく修復する技術。欠けたものや割れたものはもちろん、破片が見つからないものでも他の器の破片を組み合わせて直す「呼び継ぎ」によってよみがえらせることができる。通常本ほんうるし漆を使用するが、合成樹脂を使用したより簡単な直し方もある(手軽ではあるが、この場合修復後に食器として使用はできない)。

■つぐつぐ
https://kintsugi-girl.com
「金継ぎを通して、器・人・伝統をつなぐ」をキャッチコピーに、金継ぎにまつわるさまざまなサービスを提供。初心者向けの金継ぎキットの販売から、金継ぎ教室やワークショップ、金継ぎのプロによる器修復も請け負っている。また、同社のSDGsへの取り組みとして、割れた器のリサイクル、アップサイクルを行っており、金継ぎで修復された器のレンタル、販売もしている。

■Kintsugi Repair Service – JMCraft Store
www.jmcraftstore.com
もしやと思い「kintsugi Seattle」で調べてみてびっくり。シアトルの日系ギフトショップ、KOBOのウェブサイトで金継ぎの修復サービスが紹介されていた(さすが)。カンザスで金継ぎによる行っているのは、日本出身のマイコさんと、シアトルでガラス職人をしていたというジョセフさんの2 人。プロに依頼するとそれなりにお値段はするが、もし大切な器で諦めきれないものがあったらぜひお願いしてみては?

 

内村 一成さん〜ソーシャルワーカー

人々の健やかで豊かな生活を支える
ソーシャルワーカー 内村 一成さん

長年精神科ソーシャルワーカーとして、日本、カナダ、そしてアメリカで数多くの人々の人生の手助けをしてきた内村一成さん。同時に、子どもの頃からの夢だったアメリカ暮らしを実現させ、広い世界に飛び出すことで自身の幸せもつかみ取ってきたその半生を、じっくりとうかがいました。

取材・文:加藤 瞳 写真:加藤 瞳、本人提供

内村一成■1974年生まれ。大阪府阪南市出身。大学で社会福祉学を学び、大阪の精神科クリニックにて4年間勤務。2002年、ワーキングホリデー制度を利用しカナダに移住。移民ビザ取得ののち、精神保健福祉を専門とする医療ソーシャルワーカーに。2015年、新天地を求めシアトルへ。精神障害者リハビリテーションプログラムを展開するヒーローハウスで精神障害を抱える人々の自立支援や社会復帰のサポートに携わる。2023年4月よりシアトル市に勤務し、高齢者や障害のある市民向けの在宅ケアサービスのサポートを中心に、シアトルハウジング入居者を対象としたソーシャルサービスを提供している。
 

社会福祉との出合い

「面白いことが好きで、みんなを笑わせることがうれしかった」。そう語る内村さんの子ども時代。大阪で生まれ育ち、当時まだ東京に進出前のダウンタウンが出演する「4時ですよ〜だ」を観ては、翌日友だちとお笑いの話で盛り上がる。そんなクラスに一人はいるお調子者だった。今も、その明るい笑顔からは朗らかな人柄がうかがえる。

内村さんが社会福祉の道を目指すことになったきっかけは高校生の頃のことだ。「12歳離れた姉に3人子どもがいるんですが、当時小さかった甥っ子が、言葉に詰まることが多く、なかなかうまく話すことができなかったんです。原因がわからない中、姉は児童相談所(以下児相)に相談に行っていました。その話を聞いて、すごくやりがいのある仕事かもしれないと思い、社会福祉学科のある大学を選びました。だから、最初は児相のソーシャルワーカーになりたかったんですよ」。もともとは英語学科を目指していたが、甥っ子を通じて知った児童福祉の世界に心を動かされたという。

その後、大学4年次に実習先となった精神保健クリニックがさらなる変化をもたらした。「精神疾患の方って、特に日本では隠されてしまいがちというか、社会で認知されづらいんです。同居する家族との葛藤や治療、そして回復した先にある就労支援などといった社会復帰のサポートにどのようにクリニックが介入するのか。そのクリニックは実習生でも積極的にアウトリーチ(必要な助けが届いていない人に、支援機関側から出向きアプローチをすること)に同行させてもらえたので、つぶさにその様子を見ることができました。例えば、引きこもりのクライアントの家を訪問し、どのように働きかけて治療につなげていくのか、先輩の手腕を間近で学びました。精神疾患は寛解(治療をしながら症状を抑えることができている状態)はするけれど、完治(治療を終え、症状が消失した状態)することはないんです。一生病とともに生きながら、どう楽しくポジティブに生きていくかというところをお手伝いできるのが魅力的でした」。卒業後は同クリニックに就職がかない、そこから内村さんの精神科ソーシャルワーカーとしての道が始まった。

シアトルの友人夫妻と独立記念日の一枚

助けを必要とする人のもとへ

精神科ソーシャルワーカーとは? と問うた。統合失調症、そう状態やそううつ、不安神経症、パニック障害といった多様な精神疾患に苦しむ患者が、治療を受けるための橋渡しをし、社会復帰をサポートする役割を担う仕事だ。日本での内村さんの業務も多岐に渡った。「まず、クリニックを訪れた患者さんへのインテイク。睡眠や食欲の有無、服用している薬などに関する問診を行い、そこからドクターにつなげます。そこに辿り着くのが難しい引きこもりの患者さんの場合、家族からの電話などで情報を聞き、一度実際にソーシャルワーカーが訪問します」。内村さんが働き始めた90年代後半は、日本で「引きこもり」が社会問題として重く捉えられ始めた時期。それまで精神疾患患者は、家族の恥になるとタブー視され、親が外に出したがらないことが一般的だったが、この頃から、精神疾患の早期発見・早期治療が求められるようになったそう。大病院では手の届かない場所へ小回りをきかせ、目の届かない所に風穴を開けるように動き回ることができたのが、内村さんの勤めるような地域密着型のクリニックだったという。その中でソーシャルワーカーは重要な役割を担った。「当時うちのクリニックのドクターは初診に40分、以降は15分刻みのスケジュールで患者さんを診ていたので、そこをソーシャルワーカーと、心理テストやカウンセリングを担当する臨床心理士でバックアップするような形でした」。障害年金の申請や医療入院が必要な場合の手配といった事務的な作業から、作業療法やデイケアといったプログラムの準備計画も業務のうち。「精神疾患の治療は、日々のルーティンを作ることが非常に重要になってきます。作業療法は、例えば封筒作りなど簡単な作業で日々のルーティンを作りながら社会復帰を目指します。また少額でも賃金が支払われるとで自信にもつながります。午前中に作業療法をしたら午後にはデイケア。スポーツやカラオケ、ヨガなんかもありましたね」。こうして着実にキャリアを重ねていた内村さんが海外に飛び出すことになったのはなぜだったのだろうか。

その人柄に引かれたというパートナーとは出会った翌年に結婚した

2017年、パートナーに生まれ育った場所を見せたいと、連れ立って日本へ一時帰国。母(中央)、内村さんをソーシャルワーカーの道へといざなった姉(正面)、2人の姪とともに

旅行は2人の趣味。毎年11月の旅を楽しみにしている。昨年はトルコ、ギリシャ、クロアチアへ。その前年には南米各国を回った

カナダへの移住 

アメリカで暮らしたいという思いは、実は中学生時代にまでさかのぼる。「中学2年生の時、読売新聞主催のホームステイ体験プログラムに両親が応募したんです。LA近郊のパームデールという街で、夏休みの30日間を過ごしました。午前中は公立校で英語の授業を受け、午後は地元のピザ屋でピザを作ったり、ディズニーランドに行ったりといった課外授業があって……。その時、このアメリカという国を実際に体験して、こんな所があるんや、住んでみたいなぁと思ったのが最初でした」。

大学2年次にはカリフォルニア州北部のハンボルト州立大学で1年間の語学留学も果たした。「ハンボルトではESL(English as a Second Language)の取り組みで、週に一度学部授業に聴講生として参加することができました。その時の教授が良い方で、もし大学院に来るなら推薦状を書いてあげるなんて言ってくれて」と、アメリカへの思いはますます強まったのだが……。「やっぱり、アメリカって留学で来るにはすごく学費が高く、その夢はかなえることはできませんでした。でも当時、カナダは年間5000人のワーキングホリデーを受け入れてたんですよね」。

28歳の年、カナダでワーキング・ホリデー・ビザを取り、「生活」をしてみようと一念発起した。こうしてカナダのブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーにやってきたのが2002年のこと。観光業が盛んな同州では、日本語のできる観光ガイドであれば、就労ビザが下りる可能性が高いと聞いた。そこで、思い切って日系旅行会社に就職。8カ月で見事就労ビザを取得した。さらにそこから3年の間になんと移民申請をし、2006年には念願かないカナダ移民となったのだ。その情熱と行動力には舌を巻く。

同年夏にはパスウェイズ・クラブハウスで、メンタルヘルスワーカーとして再スタートを切った。クラブハウスとは、精神疾患を抱えた人々が、医療を介すことなく社会復帰をするためのリハビリテーションモデルの一つ。1940年代にニューヨークで始まったこのモデルは、利用者とスタッフが日常生活のルーティンを共に行い、協調することで生活能力の回復を目指すというものだ。「例えば当時、私はフード・セクションを担当していました。まずはみんなで材料を買ってきて、作業を分担し調理をする。『トップ・ダウン』ではなく、スタッフとクライアントが一緒に働いて、リカバーしていく、ということをしていました」。

日本の精神科治療は欧米と比較し、かなり遅れを取っているそうだ。「日本には精神病院が多いんです。それはやはり、精神病患者は隠したい、問題がある人は病院に閉じ込めておくという風潮があったからです。それに対し、ヨーロッパやアメリカは地域で治療し、本人の力で早く社会復帰できるように支援します。そこが大きな違いです。その部分で、自分のできる役割を果たしたいという思いでやってきました」。内村さんの口調から、自身の仕事にいかにやりがいを持って向き合ってきたのか、その強い思いが伝わってくる。「回復していく様子が見て取れる時が、本当にうれしかったです。クラブハウスに来る患者さんは、社会的な恐怖を抱えているけれど、社会の一員でありたいと思って来るわけです。最初はソワソワして30分しかいられなかった人が、1時間過ごせるようになる。それだけでも大きな進歩です。『仕事したいんだけど、何かある?』と聞いてきてくれれば、『アプローチしてくれてありがとう』と心から思います。面接の準備を手伝って就職が決まったりすると、自分が親になったかのようにうれしかったです」。精神科ソーシャルワーカーは、「人の人生に関わることができる仕事」なのだ。

こちらまで明るい気持ちになる笑顔が印象的。あたたかい人柄がストレートに伝わってくる

自分の心にも定期的にメンテナンスを  

「カナダで8年働いたんですが、やっぱり人生は一度きりだし、どうせなら本当に住みたい国に住もう! と思い切って、ナフタのTNビザ(北米自由貿易協定に基づき、カナダ国籍を持つ特定の専門職者が米国でビジネス活動を行えるビザ)を取得し、2015年にベルビューの『ヒーロー・ハウス』に来ました」。その後、ベルビュー・クラブハウス、そしてサウンドメンタルヘルスと精神医療一筋でやってきた内村さんだが、昨年大きな転機を迎え、シアトル市の高齢・障害サービス課で、高齢者や身体障害者を対象に長期的な介護のコーディネートを行う部署に転職をした。「ここまで精神科100パーセントだったのが、今では担当する38件のうち、精神科の方は3割にも満たないんです。仕事自体もカウンセリング業務やインテイクではなく、ガラッと変わった。行政なので、税金を使ってのサービス、できることとできないことの線引きが難しいですね」と苦労を語る。行政のサービスに対する利用者の態度は二極化する印象があると言う。「介護サービスを申し込むことができるとこちらがオファーをしても、自分は大丈夫だからと言って受けたがらない人。逆に、なんでもサービスを受けられるなら受けたい、あれもこれも買ってほしい、という人。先日、車椅子を利用しているクライアントで、一人で立ち上がるためにリクライニングチェアを買ってほしいという方がいました。介護ベッドであれば医師の処方箋を書いてもらえれば購入できますが、リクライニングチェアは医療の対象にならないので買えないんですよね。なんでも必要なものを買ってあげられればもちろん良いのですが、税金を無駄遣いするわけにもいかない。こういった問題は最終的に解決しようがないものなので、オフの時でもふとした瞬間に思い出してしまって、そういう時がつらいですね」。

ワシントン州アネット湖で。雄大な景色を眺めながらのハイキングは、内村さん自身の心の安定を保つための大切な気分転換の
一つだ

人の心と体の健康を支える内村さん自身の心が弱ってしまうこともあるだろう。そんな時はどうするのだろうか。「仕事が英語環境なので、日本語の友人と飲みに行ったり、日本語のYouTubeを見たりします。世界各国を回っている日本人ユーチューバーの男性がいるんですが、自分が行ったことがない場所を見て、こんな世界もあるのか、行ってみたいなぁなんて非日常を感じられることがモチベーションにつながります」。内村さん自身も旅行が趣味。毎年必ず一回、大きな旅行を計画し旅に出る。これまで海外はもちろん、アメリカ国内も広く旅をしてきた。「アラスカを除く全ての州を回ってきましたが、今年50歳の記念として、誕生日の週末にアラスカに行き、50州を制覇しました」。プライベートでは、7年前に結婚。憧れ続けた国で、生涯の伴侶とも出会い、幸せをつかんだ。「4年後にパートナーが仕事をリタイアするのに合わせてカナダに戻ろうと思っています。のんびりしたいし、国民健康保険のシステムが整っているので。あとは毎年11月に2、3週間の旅行にいくんですが、今年はポルトガル、スペイン、モロッコを計画しています」。たくさんの人々の人生を支えてきた内村さんは、自身も豊かな生き方の達人なのかもしれない。

ボランティアとして関わる医療福祉関連のボランティア団体、はあとのWA!(www.heartnowa.net)のメンバーと。講演会「心の健康」ではナース・プラクティショナー、メンタルヘルス・インテイク・スペシャリスト、メンタルヘルスワーカーとともに、心の健康を保つアドバイスを行っている。「手助けが必要な時は、一人で悩むのではなく、とにかく連絡してみてほしい」とのこと

細く長く来年に向けて〜ゆる〜くSDG’sな消費者生活

SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

この秋、ヨガを再開した。10年ほど前までは週5でレッスンに通うほど「一生懸命」だったが、パンデミック前の2019年を最後にぱたっと体を動かすのをやめてしまった。そもそも一生懸命だったのがいけなかったように思う。私は何かに取り組むとき、「細く長く続ける」ということができない。AB型の特性(?)か、子どもの頃からやることは0か100かだった。ヨガだって、本当は心の安定のためのものでもあるはずなのに、始めたからには真剣に体を鍛錬しなければ! となぜだか思い込み、レッスン中も常に頭をフル回転させ、今日はレッスンに行けなかったと言っては落ち込み、通うのが難しくなった途端、一切何もしなくなってしまった。 

見た瞬間「これにするしかない!」とポチったデッドベアの限定マット。夫に「ファンだったの?」と聞かれ、初めてグレイトフル・デッドが単なるクマさんではなく、ヒッピー文化の象徴ともいえるサイケデリック・バンドだと知った。使うからにはやはり音楽も聴くべきか

そんな自分を改めようと、少しずつでも以前の感覚を取り戻すべく久しぶりにヨガスタジオを訪ねてみることにした。とはいえ、愛用していたマットはボロボロに劣化し、3年前の引っ越し時に処分してしまっていた。何事も形から入りたい私はまず新しいマットのリサーチから始めた。調べてみると、ヨガグッズ業界にも「エシカル」や「サステナブル」といった言葉が当たり前に浸透していることに時の流れを感じる。今や、10年はひと昔どころか大昔だ。私のお気に入りブランド、ジェイドヨガのマットは天然ゴムで作られていて、最終的には自然に還るという。そして一本購入するごとに一本の木が植林される。大定番のマンドゥカでは、どのアイテムにもリサイクル素材や天然素材といった素材から作られているとしっかり表記され環境への配慮が徹底されている。ヨガウェアで気になったのはインヤンという京都のブランド。いかにもなスポーティーなヨガスタイルとは一線を画す、よりナチュラルなデザインでほんのり和の雰囲気も漂っている。製品の90%以上が自然素材、70%以上が草木染めだとか。良いなあ、着てみたいなあ。高価だけど。 

ボタニカルカラーのタイダイ柄とリラクシーなジャンプスーツ。普段使いしても素敵に見えるデザインは、ヨガを日常の一部として取り込める感じがする

そもそもヨガの哲学というのが、「非暴力」や「足るを知る」といった広い意味で自分も周りも心地よい生き方を理想として説いているというのだから、SDGsとは相性が良いはずだ。そんなわけで再開した矢先、カビたかぼちゃのヘタをペティナイフでとろうとして、うっかり左手のひらを負傷しERで縫合。しばらくは絶対に手でふんばれそうにない。それでもめげずに、新年からは今度こそ「細く長く」続けていきたい。

JadeYoga
https://jadeyoga.com
強いグリップ力を持つ天然ゴムのヨガマットに特化したブランド。環境に優しい製品を作るのみならず、さまざまな社会活動団体と提携し、同社製品を購入することでそれらの団体をサポートすることができる仕組みになっている。ヨガタオル一枚で発展途上国の成人が一人30日間必要とする新鮮な水を提供する「バイ・ア・タオル・プロバイド・フレッシュ・ウォーター・プロジェクト」のほか、熱帯雨林保護、植樹、自閉症児・家族の支援など多岐にわたる。また、日本限定カラー、萌葱グリーンのマットは売り上げの一部が能登半島復興支援に充てられる。

manduka
www.manduka.com
1997年、ヨガインストラクターであり建築家のピーター・ステリオス氏によって、「ヨガマットの良し悪しで世界はがらりと変わる」という信念のもと創立。ヨガアイテム全般を取り扱う人気ブランドで、ヨガをやっていたら一度は特徴的なカエルのロゴをみたことがあるはず。ヨガと地球は結びついているという考えのもと、可能な限り環境破壊をしないモノ作りを第一に考え素材を選定。ヨガマットから、タオル、小物、アパレル全てに至るまで、生産時の環境廃棄物を最小限に抑えるように努めている。また、世界中での大量消費を減らすことを使命とし、「一生モノのヨガマット」をコンセプトに掲げている。

yinyang
https://yin-yang.jp
自然のリズムにそって生きるためのライフスタイルを提案するヨガウェアブランド。2009年よりオーガニックコットンをはじめとする天然繊維を使用した製品づくり、 製造者の健康や自然環境に配慮した、伝統的な方法での草木染めの製品に注力。2020年からは、「エシカル・ステップス」として、「アース・フレンドリー」(シングルユースプラスチック*の使用を 90%削減し、コンポスタブルな素材を使用)、「ハンド・トゥ・ハンド」(製造者との密なコミュニケーョンを通して製造過程の透明性を守る)、「サステナブル」( 持続可能な未来に向けた地域経済の発展に貢献)の3つの理念を掲げ、ファッション産業の環境負荷低減に向けた取り組みを行っている。*1度だけ短時間使った後に廃棄されるプラスチックのこと 

 

余 春子さん〜インターナショナル・ラーニング・アカデミー創立者/ディレクター

子どもたちの個性豊かなアイデンティティを育んで

自身は中国の出身ながら、日本語の学習塾、インターナショナル・ラーニング・アカデミーをベルビューで運営する余春子よしゅんこ さん。「遊びと学びは同じこと」という発想のもと、国際感覚に優れた独自の教育理念で、根強い人気を誇る同スクールの屋台骨を支えています。今年でスタートから8年となる、スクールの創立に至る道のりを聞きました。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

ILAピアノ発表会。ILAから独立したインストラクターを通じ、ピアノのレッスンも紹介している

余 春子■ 中国、東北地方にて在中韓国人の両親の元に生まれ育つ。1998年、夫の東京大学留学に帯同し来日。自身も横浜国立大学国際社会研究院を修了し、日本に帰化。2013年渡米の後、多文化のバックグラウンドを生かし、温かい雰囲気の中で言語学習に取り組める幼児教室としてベルビューにILAを創立。
 
アイデンティティを模索した子ども時代
 
「勉強ばかりの教育環境で育ちました。当時の中国は大学進学率が10%以下という時代。勉強をして大学に行く=良い生活、という感覚で、遊びのない子ども時代は今思えばすごく残念でした」。自身の幼少期をそう振り返る。今の子どもたちにはそんな経験をさせたくないという思いがILA設立へとつながった。
 
余さんの両親は、若くして中国へ移住したが、『韓国人』として中国社会にうまくなじめない部分があったと言う。だからこそ余さんには、もっと勉強をし、上を目指してほしいという気持ちがあったようだ。家では韓国語と中国語を織り交ぜた生活だったが、就学すると周りの子どもたちからは出自をからかわれるようになった。おかっぱ頭を『日本人』と揶揄された。「韓国だろうがどこだろうが関係なく、ただ『中国』でないことがいけなかったんです。そんなことから、私自身も、中国にいるのになぜ韓国語を学ばなければならないのか、と混乱し、長く反発している時期がありました。親に韓国語で話しかけられても中国語で応えたり……それ以来、自分は韓国語を捨てたとずっと思っていたんです」。
 
の感覚に意外な変化があったのは、実はだいぶ経ってからのことだ。「大人になってから、仕事や趣味で韓国語を聞く機会が出てきた時に、すぐにキャッチアップすることができたんです。眠っていたものが一気によみがえってくる感覚がありました。自分では気づかなかったけれど、体は韓国語を忘れていなかったんですね」。
 
このことは、今アメリカで生活する日本人にも当てはまることだと余さんは考える。「小さい頃に親と日本語でやりとりしていても、中学生、高校生になったら日本語を完全に忘れてしまうんじゃないかと心配する親がいると思います。でも言語って簡単には戻らなくても、すぐに忘れるものではない。幼いうちに染み込んだものは、それだけ強く根が張っているんです」。
 
伝統を守るという価値観との出会い
 
卒業後、大学講師として働いていた余さんは20代で夫の留学に伴い来日。いちばん驚いたことは日本の「祭り」文化と、お盆休みの習慣だったと言う。「祭りって、何百年も前のものじゃないですか。それなのにみんな昔ながらの格好をして、伝統やその心を守っている!」1960年代に始まった文化大革命後、古い風習は捨てよう、新しいものが良いものだという「ニュー・チャイナ」の感覚の中育った余さんにとって衝撃的だった。「日本の文化のほとんどはもともと中国から伝わったものだったのに、古いものを守っているのは日本人だと知った時に本当にびっくりしました」。
 
夫の大学院修了時、東京大学赤門前での記念写真
 
◀︎長女は日本で初等教育を開始。小学校入学式に、家族での一枚
 
実は余さんの家族には、文化大革命による苦々しい歴史がある。余さんの祖父母は、伝統的価値観を守りながら漢方の処方を家業としていたが、スパイとの嫌疑をかけられた上、羊皮に代々記された調合書を全て焼かれてしまったのだ。なぜこんなに良いものを、古いからと捨てなければならないのか、余さんはその話を母から聞いて育った。「日本人にとってはごく普通のことかもしれませんが、お祭りも、自分の先祖のために休みになるお盆も、私には驚きと、心地良さがありました。新しいものは受け入れるけれど、なくしてはいけないものもある、というのが日本で教えられたことです」。
 
アイデンティティとは、国籍や民族よりも、人生でいろいろな道を通る中で、どれだけ伝統や文化、「捨ててはいけないもの」を蓄え、自分の中で生かし、役立てていくことができるかの方が重要だと、余さんは多くの人に知ってもらいたいと感じている。「だから自分をよく知ることは大切なんです。私は、中国で育った韓国人。現在は日本とシアトルを行き来しています。私の子どもも、自分は「なに人?」という感覚があると思います。けれど、私には自分が「なに人」かという問いかけは重要ではないんです。言葉に限らず、習慣や文化、良いところを自分の中に取り入れることは心を豊かにすると、私自身の経験から知っています。そして周りとの違いや自分と異なる意見を広く受け入れることが自然とできるようになると。最初は不安もありましたが……。だからILAの子どもたちにも、混乱する必要はないんだよって、そんなことも発信できたらと思っているんです」。
 
遊びから学びを得られる場所を作りたい
 
もともと経済学を学んでいた余さん。日本でも経済研究の修士号を取得したが、教育者を目指していたわけではない。にもかかわらず、なぜ子どものための学習塾であるILAを設立するに至ったのだろうか。
 
「シアトルに来て、私の娘たちも徐々に英語が強くなってきました。それで土曜は補習校に通い始めたのですが、そこで私が子どもの頃に持っていたような、『なんで日本語を勉強しなければいけないの?』という反発を彼女たちからも感じるようになったんです。同時に、親が子どもに日本語を学んでほしい、という思いと、子ども側の、仕方なくやらされているという気持ちのギャップにも気が付きました。私自身、子ども時代に勉強ばかりだったのもとてもつらかったんですよね。でも実は、勉強と遊びの楽しさって同じだと思うんです。遊びの中で学びを発見する場所を作ることが、自分ならできるんじゃないかなって」。それがILAのスタート地点だった。
 
家族そろってシアトルでのハロウィーン。長女は9歳、次女は5歳でシアトルに移住した
 
日本にいた頃、ボランティアでママ友とともに幼稚園の子どもたちを相手に英語教室を開いていたことから、幼児教育の面白さに目覚めた余さんは、シアトル移住後ベルビュー・カレッジで早期教育のコースを受講した。そこで子どもの発達の方向性はさまざまであることを知った。「例えば音楽などの音声から入っていく子。ある子は文字は書けなくても、ことわざを音で覚えていって最後には書けるようにまでなる。または、歌詞を文字では覚えられなくても、歌なら全て完璧に覚えている。それらは個性です。文字が遅れていると発達の心配をしていた子が、ある時爆発的にできるようになることがあります。だから、得意不得意をすぐに決めつけるのではなく、小さい頃はそれぞれであることを認めてほしい。個性は宝なんです。2歳や3歳、そんな早くからお勉強する必要あるの? なんて思う人も多いですが、ことわざや熟語などで遊びながら学んでいけるんですよね」。ところが、余自分がなに人なのかは重要ではなくなりますさん自身がアメリカの日本語教育機関を覗くと、机につき、紙での「お勉強」に偏っているようなことが気になった。「自分の小さい頃の勉強ばかりの記憶がよみがえってきました。同じ4歳児、5歳児、6歳児だからって、一緒のパケットで勉強しなくても良いんじゃないかなと思って。それぞれの勉強のスタートの方向性は違うのだから、もっと柔軟なクラスのやり方があっても良いんじゃないかと考えました」。
 
ILA版「ピタゴラスイッチ」プロジェクトでは、立体をイメージする力を養う
 
子どもたちはみんな天才
 
夏の音楽キャンプでは、体を使ってリズムの練習
 
「私自身は、教育者ではなく、現場に立つ先生のお手伝いをしたいという思いから経営の立場で2015年に会社を設立しました」。余さんの情熱に感化され、ともにILAの立ち上げに携わったのが、シアトルでできたママ友だった。IT業に携わっていた友人はホームページ作成をサポート。そしてボランティアに多く関わっていた友人は、教育経験こそなかったが、その豊かな人間性でILAの中心的存在となり、今でも教壇に立っている。経営の余さんと先生4人、生徒2人からのスタートだったが、徐々に資格を持つ先生も集まり始め、ピーク時には70家族を抱える大所帯に。今も約40家族がILAに集う。「最初の頃は、本当に『明日倒産するかも』という不安で必死でしたね」と笑う。ところが、軌道に乗り始めたにもかかわらず、しばらくして今度は新型コロナウィルスによるパンデミックに見舞われる。それでも人と交流できるコミュニティーの場を提供したいと、職員はボランティアで全て無料のオンライン・クラスを開講した。「それが半年続いて、収入が200ドルと保護者からのドネーションだけという月もありました。生徒数が減ってしまい、校舎を移転しなくてはならなくなった際には、親がボランティアで助けに駆け付けてくれ、ILAがまさにコミュニティーとして機能していました。ILAをやっていて良かったなと心から思います」。
 
季節ごとの文化を体験できる幼児クラス。お祭りのお神輿は子どもたちの手作りで
 
 
クリスマスにはサンタに変身!コロナ禍によって、さまざまなイベントができなくなってしまったが、これから徐々に再開していきたいとのこと。「餅つき大会なんかもやってみたいですね」▶︎
 
設立以来、余さんは、日々自分自身が子どもから学ぶことの方が多いと感じていると言う。「子どもたちって天才なんです。ILAでは3枚のカードに描かれた絵からストーリーを作るというゲームをよくします。例えば、赤ちゃん、子ども、大人の絵が描かれていた場合、大人だったら大体同じ時系列で成長していく話をしますよね。けれど、子どもは本当にいろいろなバージョンを思いつく。私たち大人の方がなるほどなと感嘆することばかりです。子どもの頭の柔らかさや想像力には限界がない。何事も決めつけちゃいけないと思わされますし、ILAのおかげで自分の子どもに対する教育方針も変わってきました。3歳、4歳、5歳の頃の子どもの変化って本当に大きいですよね。その大きな変化を毎年見られることは、幸せですし、ILAは大人が子どもから教えられる場所だと思います」。それこそがまさに余さんにとってやりがいだ。
 
ILAの学びは、知恵遊びや積み木での脳トレ、左脳だけでなく音楽やダンスなどで右脳も使い、想像力を働かせるような全能教育を特色に持つ。また、1クラス最大5名という完全少人数制にも驚かされる。小さいグループの中で、得意なことも不得意なことも、それぞれの個性をしっかりと受け入れられている、そんな感覚を一人ずつに持ってほしいからだ。さらに、両親のどちらも日本と関わりのない完全非日本語家庭の子どもたちも通っているという。日本人にとってごく普通の文化やマナー、例えば食事の前には手を洗う、授業の後には片付けをし、「ありがとうございました」とお礼を言う、そういったことを子どもに学ばせてあげたいという家庭だ。そこから日本の文化にひかれ、日本の大学に行きたいとまで言うようになる生徒もいるそうだ。その意味で、ILAはいわゆる「日本語教育機関」だけではなく、日本語をツールとして心、体、頭の「まるごと学習」ができる場所と呼べるかもしれない。
 
ESLのクラスでも、工作や音楽などのアクティビティーを通じ、生きた英語を学びながら現地校になじめるようサポート。言葉だけでなくアメリカ生活のマナーも学ぶ
 
余さんは、ILAのモットーを、「子の個性を受け入れ、その潜在能力を信じる」ことだと考える。「良く聞くフレーズですが、『スタートで負けない』ということには私は賛同しません。人生は長いので、焦らずに自分に自信を持てるようになってほしい。子どもの成長する環境を作るのにいちばん大切なことは、親や先生が子どもと遊ぶこと。親も一緒に成長しながら、焦らずに穏やかな気持ちでいてほしいです。たとえ習い事が続かず、大人から中途半端に見えたとしても、たくさんの物事に触れるのに無駄なことはありません。この子は勉強ができる、できないとすぐに決めつけるのではなく、忍耐を持って、いかにその子の個性を小さいうちから認めてあげるかが将来につながるのではないでしょうか」。
 
インターナショナル・ラーニング・アカデミー

子どもたちの発達段階に合わせ、少人数制で運営し、学習の土台を築く。自分の原点である言語や文化を知り、自分を認めることで、子どもたちは自信を持って他を受け入れるようになる。平日の幼児日本語・英語クラスと土曜日の日本語クラスに加え、そろばんや算数、スペイン語、ESLなどのアフタークラスも充実。学習のほか、花壇や菜園作りといった多彩な活動を取り入れている。

⚫対象年齢  2歳半〜中学生

⚫預かり時間/授業時間預かり時間/授業時間
年少・年中・年長クラス:月〜金9:15am〜1:45pmのうち4時間
英語幼児クラス:火木10:30am〜1:30pm(日本語クラスを1時間追加可能)
土曜日クラス(3歳〜中学生):9:30am〜12:30pm
ESL、日本語、スペイン語、そろばん等のクラス、宿題やテスト準備のサポートも受けられるアフタースクール(プライベート/セミプライベート)の利用可。詳細は問い合わせを。

⚫問い合わせ
InternationalLearningAcademy
16404 NE. 4th St., Bellevue, WA 98008  
☎425-223-5565、info@ilausa.net 
https://ilausa.net

穴開き靴下の愛嬌にサステナビリティを見た話〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

イギリスなど、ヨーロッパで古くから行われている衣類の修繕方法のひとつ、「ダーニング」をご存じだろうか。靴下やセーターの穴開き、擦り切れを補修し、刺しゅうのような手法でカラフルに美しくアップサイクルしてしまうというもの。私がその存在を知ったのは、ずいぶん前に母が日本から送ってくれた雑誌『暮しの手帖』の「靴下のお直し」特集。ページのトップにどーんと載った写真がとっても素敵で、すぐさま魅了された。 

『暮しの手帖』(上)と野口 光さんによるダーニングの本。ダーニングには立体を維持するため木製のキノコ型の道具、ダーニングマッシュルーム(かなり高価)を用いる。が、私は義実家からもらってきたこけしで代用

本コラムでも触れたことがあるが、私は靴下が好きだ。そして靴下はやはり日本製が良いと思っている。しかも気に入ったものはひたすら履き倒すため、なかなか買えない日本の靴下は、かかともつま先もよく擦り切れる。そんなお気に入りたちを、ダーニングでかわいく繕えたらどんなに良いだろう! 少し前、愛読していた漫画『珈琲いかがでしょう』が中村倫也さん主演でドラマ化された際、助演の夏帆さんのダーニングを施したセーターが目に留まった。着ている人もかわいければ着られているセーターもかわいかった。 

これは自分もやってみるしかないよね、と手始めに、日本サイズに見合わない大き過ぎる足のため、いつも穴だらけになる夫の靴下を補修してみた。ネイビーに白のネップが入った日本製の靴下に、パステルカラーで縫い付けた初ダーニング。プロトタイプとしてはうまくいったと思う。しかし、いかんせん手間がかかるうえに、自分にはセンスが全くない気がして、その1足で断念した。 

再挑戦のダーニング靴下は、手近にあった刺しゅう糸を使用(ダーニング専用の糸もあるそう)。補修部位が大きく、とんでもなくカラフルになったが、それはそれで愛らしい。ついでに夫の靴下たちもお直し

そのダーニング熱が今、再燃している。子どもの穴開きレギンスを上手に補修する友人に触発されたのもある。なんでこんなにうまくできるんだろう? と思っていたところに、インスタのリールでダーニング動画が上がってきた。以前は思い付かなかったが、ダーニング作品やそのプロセスをアップする人は世界中に山ほどいて、大変参考になる。最近では日本の刺子の技術も注目されているようで、外国の人の、刺子でデニムのお直しなんてのも見かける。本当に便利な世の中になったもんです。 

久々のダーニングは、かかともつま先もボロボロになった愛用の靴下で。あまりにボロボロだったので、あと3足くらい新しく毛糸の靴下が編めてしまうほどの時間がかかってしまった。でも良い練習にはなった。これは楽しい。この勢いで、しばらく頓挫していた金継ぎも再開しようか。そうだ、今しかない!

hikaru noguchi darning
https://darning.net

日本でのダーニングの第一人者でテキスタイルデザイナーの野口 光さんのダーニング専門サイト。ダーニングの基本知識、さまざまな道具について紹介している。野口さんのオリジナル·グッズを販売するオンライン·ショップ(https://hikarunoguchi.shop)もある。どれもかわいくて、つい欲しくなってしまうから要注意。

Quince & Co.
https://quinceandco.com

主に編み物用品を扱うオンライン·ショップ。手編みデザイナーのパム·アレンさんがメイン州の織元と提携して始めたビジネスで、サステナブルなスローファッションにフォーカスしており、ダーニングマッシュルームや刺子用具などもそろう。ここも手芸好きにはたまらないものばかりだ。

Brooklyn Haberdashery
www.brooklynhaberdashery.com

日本やイタリアを中心に世界中からハイクオリティーの手芸用品を集めるオンライン·ショップ。DIYセクションの「メンディング+ダーニング」のコーナーが特に充実し、豊富なダーニング糸、刺子糸はもちろんのこと、上述の野口 光さんのオリジナル·マッシュルームや、日本語のダーニング·キット本も購入できる。なんと、簡易金継ぎキットまで。

Fast Fashion Therapy
「Find-it-at-home Darning Mushrooms!」
www.fastfashiontherapy.co.uk/2020/04/08/find-it-at-home-darning-mushrooms

古着の修繕、アップサイクル、リメイクを推奨しているイギリスのワークショップ団体、ファスト·ファッション·セラピーによる、「家にある物でダーニングマッシュルームの代用ができないか?」というアイデアをまとめた記事。ジャムの瓶やタンブラー、すりこぎなど、それぞれの形状に向いた修繕アイテムなども提案。こんな物までと目からウロコ! 

 

加柴律子さん〜米国書道研究会シアトル支部長

▲2023年9月、書道を通じての日本文化の普及、日系コミュニティーでの活動を評価され、在外公館長表彰を受けた(在シアトル日本国総領事館提供)

17歳で渡米。21歳で結婚。以来、長年にわたり、寿司職人の夫の店を盛りたてながら、育児と仕事に追われる毎日を過ごしてきました。現在は書道の活動で、シアトル、ロサンゼルス、日本を飛び回ります。常に全力の加柴律子さん、そのパワフルな生きざまに魅了されます。

取材・文::加藤 瞳 写真:本人提供

加柴律子■熊本市生まれ。1966年、家族と共に母の故郷、シアトルへ。1978年に米国書道研究会シアトル支部にて書道を始め、以来、生田博子現会長に40年以上師事。産経国際書会の認定を受けながら研鑽を積む。現在は産経国際書会理事、米国書道研究会副理事長/シアトル支部長を務め、伝統芸術普及のために書道の実演を行うなどしている。

米国書道研究会 シアトル支部 教室
時間:毎水曜日 12pm〜2pm
場所:シアトル日蓮仏教会
   1042 S Weller St., Seattle, WA 98104
問い合わせ:加柴 206-779-2764
                  藤井 206-230-0765
 
家族と九州からアメリカへ渡る
 
生まれは熊本県熊本市。戦前、日本で教育を受けるためにアメリカから祖母と来日した「帰米2世」の母の娘として、6歳年上の兄、双子の兄と育った。九州の片田舎で、日系アメリカ人の母、クララさんは少し異質だったと言う。「周りはまだ敵国の人という目で見るような時分ですから。でも母はとても陽気な人で、ものすごくおしゃれでしたね。子ども時代はそれこそ、アメリカでフランス人形みたいな格好をしていたわけです。私もスカートばかり履かせてもらっていました」
 
▼いつも一緒だった双子の兄、真二郎さんと。真二郎さんは宇宙航空工学を専門とし、ロケットエンジンの設計に携わった
小学低学年で両親の離婚を経験。祖母を頼り、熊本県人吉市に移った後、一家で福岡へ転居。クララさんは数年後、アメリカ人と再婚した。母は、戦争によりアメリカに残った家族と引き離されていたため、律子さんは幼い頃から、「いずれはシアトルに帰るよ」と聞かされていた。ついに、律子さんが高校2年の時、1年先に留学生として渡米していた長兄の誠一さんと叔母の待つシアトルへ。「母は日本が合わず、アメリカへ帰りたいと常々思っていたようです。でも、私は真逆。最初は本当に大変でした。福岡で私立の女子高校に通っていた私が、それまでハリウッド映画のイメージしかなかったアメリカの公立校にポーンと放り込まれたんですから」。特に英語には苦戦した。「1年遅れの学年に編入したものの、年下にもかかわらず身体の大きな同級生たちに圧倒されましたね」
 
当時のシアトルはまだI-5もなく、物流も豊かとは言えなかった。日本の食材を扱う店はあるが、福岡から来た律子さんの目には戦後間もない頃と変わらないように映った。「私にはアメリカは合わない。高校が終わったら、絶対にひとりで日本へ帰ると決めていました」
 
しかし、娘を日本に返したくない母は一計を案じる。兄ふたり、叔母と家族ぐるみで引き留められ、語学学校へと入れられてしまう。「そしたら楽しかったんです。それでそのあとも、家の近くのコミュニティー・カレッジに通うことにしました」。そこで出会ったのが、後の夫、寿司かしばで今も現役の加柴司郎さんだ。「スクールボーイ、スクールガールというシステムがあって、寿司職人として働きながら学生ができたようです。7つ違いで、お兄さんという感覚でしたね」
 
司郎さんとの距離が縮まるきっかけとなった面白いエピソードがある。「知人が、車を売りたい人がいる、どうやら良い車らしいって言うんで買ったんです。ビュイックのスカイラークでした。でも私、運転免許を持っていなくて……」。免許取得のために運転を教えてくれたのが司郎さんだった。「自動車学校に通うつもりでしたが、彼に習った人がみんな試験に合格しているよって周りの評判を聞いて、お願いすることにしました」
 
大忙しの日々を駆け抜けた40年
 
結婚式は、シアトル別院で。母、クララさん手縫いのドレスを身にまとって

不安定な職業に思われた寿司職人との結婚に家族は大反対。そんな中、兄の誠一さんが「彼はすごく良い人だよ」と口にしたことが大きかった。「私はお兄ちゃんっ子だったので、兄がそう言うなら、と。母もそれなら信頼できるって」。誠一さんは後にワシントン大学工学部教授として教鞭を執るが、当時は日本食レストランでアルバイトをしていた。
 
 
 
◀︎ 義母(右)、義妹(手前)と共に司郎さんの故郷、京都での結婚記念撮影
 
1970年に司郎さんと結婚。1971年、息子のエドさんが誕生した。現在、エドさんは寿司かしばと、その姉妹店に当たるタカイ・バイ・カシバのマネジメントを手掛ける。翌1972年には司郎さんが自身の店、日光レストランをインターナショナル・ディストリクトにオープンしたが、律子さんはその時24歳。「何の経験もなかったので、どこかの店へトレーニングに行ったほうが良いかしらと聞いたけれど、『君は何もしなくていいよ』って言うんです。そうもいかないわよね……ってお手伝いに入ったら、もう最後ですよ」と笑う。やがて日本でバブル景気に入り、日系商社、銀行等がシアトルにオフィスを次々と開設。駐在員がこぞって来店し、12部屋234席の店内が毎晩のように満室、満席という盛況ぶりだった。
 
1992年、シアトルのウェスティン・ホテル内で日光レストランが新装オープン
律子さんも、夕方からエドさんを叔母に預け、店で働いた。とにかく忙し過ぎたと振り返る。「生活に必死で、自動的に体が動いていた感じ。それが20年続いたの。よくやったなと信じられない思いです。おしぼりは持ち帰って、その日の夜に洗っていましたし。何も知らない私は、おあいそなんて言われても『はぁ?』という具合。経理は当然素人でしたが、支払いを遅らせないことだけが頭にずっとあって、一生懸命頑張りました」と胸を張る。
 
その一方で、1980年から昼はシアトル・タコマ国際空港で働いていた。まだ英語を話せる日本人が少なかった時代、世話好きだった母の影響もあり、何か自分にできることはないかと、大好きな空港で働くことを思い立つ。兄の誠一さんからは無理だろうと言われたが、どうしても外に出てみたくて、「1日数時間だけだから、ものは試しに」と説得した。
 
日本からシアトルに戻る際、ハワイを経由し新婚旅行。流行のミニスカート姿がまぶしい ▶︎
 
空港の入国審査で、日本から来た便の乗客の通訳として勤め始め、1983年にユナイテッド航空によるシアトルからの日本定期便が就航すると、それを機にユナイテッド航空に入社。「昔はほぼ団体旅行で、添乗員さんがみんなのパスポートなんかを全部預かり、ビザもお客さんはサインするだけ。だから、入国審査で何を聞かれてもわからない。審査官は決まった質問をしてくるとは限らず、冗談も言いますよね。お客さんは緊張して汗ダラダラで固まってしまい、怪しまれちゃう」
 
そこで間に立つのが律子さんの仕事だ。「腹巻きに現金を入れていたり、奥さんが荷造りしているから自分の荷物に何が入っているのか全然知らなかったり、アメリカ人にとって信じられないことばかり。私が全部説明しなくちゃいけなかったんです。本当に文化の違いには困ることがありましたね」。空港の仕事が肌に合っていたのだろう。以降2018年まで、ユナイテッド航空のVIPカスタマーサービス・スタッフとして勤務を続けた。
 
ユナイテッド航空退職時に、同僚たちから贈られた分厚いアルバムの中の1枚は、特に仲良しだったふたりと。律子さんの人柄が伝わってくる
 
書が生活の一部に
 
◀︎ 武者小路実篤の言葉を書いた、産経国際書展での受賞作品。律子さんは、日本人である以上はひらがなを、という師の信念に賛同し現代書を専門とする
 
1978年の書道との出合いにも、例の「車を売ってくれた知人」がまた関わってくる。「日本から國井誠海っていう大書家が来て、店の近くでワークショップをするから、ぜひ来てくれって言われたんです。仕事書道の楽しさは、 二度と同じものは書けないこと着の着物のまま走って行って、会場に入ったら、墨の匂いがすごく心地良くて、心が落ち着きました」。これが、書道と「恋に落ちた」瞬間だった。
 
律子さんは、このワークショップにロサンゼルスからサポートとして駆け付けた、米国書道研究会の生田博子現会長に師事することに。同じ年、シアトル支部の発足を聞きつけ、忙しい合間を縫いながら書道を学び始めたのだ。週に一度、水曜夜には店を抜け、シアトル日蓮仏教会で行われる稽古に参加した。ロサンゼルスを拠点に活動する生田会長には、実地での指導を年に数回受けながら、普段は郵送した書を添削してもらう。それは今も続いている。
 
「好きな書家は私の先生」と律子さんが敬愛する生田会長と、2023年11月にロサンゼルスで開催された「パス・オブ・ブラッシュ&インク:カリグラフィー・エキシビション」にて▶︎
 
米国書道研究会シアトル支部は、翌1979年にシアトル桜祭りへの出展と実演を開始。律子さんは着実に腕を上げ、1993年、日本の4大書道展のひとつである産経国際書展にて、応募総数1万439点の中から公募の部特別賞受賞を果たした。「武者小路実篤の言葉を書いたんですけれどね、先生に『言葉は平凡』って言われちゃいました(笑)」。書道では言葉選びも評価の対象になるそう。「見る人に感動を与えるのが、まずは言葉ということです。書道の楽しさは、二度と同じものは書けないこと。書き直すこともできない。ノーコレクションなんです」
 
現在、年に少なくとも3点は日本の書道展に出品している。1作を書き上げるのに、100枚は書き、99枚がボツになる。「リタイアして時間があるから書けるってものでもないんですよ。どういう作品にしようかと考える、練る時間が重要。肩肘張ると逆に書けないので、リラックスしたほうがいい。何はともあれ努力、練習あるのみです」。基礎を学んでからも、深く入れば入るほど新しい世界が開けてくる。律子さんが取り組む作品からは探究心が垣間見える。「お手本は、大体が中国の原著に当たるのですが、そもそも読めない。日本語にない漢字もありますから。どんなものなのだろうと、書の流れに注目したり、解説を調べたりしているうち、その書家のことをだんだん理解できるようになっていきます」
 
◀︎ ▲展示会の準備にはいつも夫の司郎さんが手伝いに駆り出 さ れ る そ う。 東京 五 輪 に 際 し、モ ット ー の「United by Emotion」を書にしたためた
 
今後について尋ねてみた。「微力ではありますが、自分に手伝えることがあれば、イベントなどにもどんどん参加したいですね」。この取材後もすぐ、日本とロサンゼルスで仕事だと言う。誰かのためにという母譲りの気質、どんなに忙しくても好きなことを追求していくポジティブさが、律子さんのエネルギッシュな生活の根幹にあるのだろうか。
 
毎年8月6日に開催されるグリーンレイクでの灯籠流しには、1983年から参加している
2023年10月には米国書道研究会シアトル支部の設立45周毎年記念式典が開催され、律子さんも揮毫の実演を披露

昨年行われたワシントン州日本文化会館(JCCCW)のサマーキャンプで、米国書道研究会シアトル支部の面々、JCCCWのスタッフと

夫の司郎さん、長男のエドさんと、家族水入らずのクリスマス

▲母、クララさんと。歳を重ねてからも美しくヘアをセットし、赤いブレザーがお気に入りだった

 

 

ミミズのいる庭〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

年が明け、1月はずいぶんと冷え込み、雨が続いたが、土の中は着実に春が近付いていたようだ。2月に入り、昨年初めて植えたクリスマスローズがついに花を咲かせた。すこしずつ芽吹いていたチューリップやクロッカス、スイセンにアリウムなんかも、ぐんぐん背を伸ばしている。昨年の球根植え付けシーズンに体調を崩し、もう無理かと諦めかけたが、なんとか頑張って良かったと心から思っている。朦朧もうろう としながらの作業だったせいか、どこに植えたのかも忘れていた。「おお、こんなところにも!」なんてセルフ・サプライズも春っぽい。 

▲クリスマスローズのアメリカでの呼び名はヘレボルス。急な寒波による雪と霜で、出ていた花芽がしんにゃりした時にはどうなることかと思ったが、植物というのはなかなかしぶとい

こうして庭いじりをしていると、見つけてうれしいのがミミズだ。土から、あのニョロっとした姿が現れると、小躍りしてしまう。と言うのも、わが家の庭土は引っ越してきたばかりの 2 年前にはカッチコチの粘土質。ミミズの気配はみじんもなかった。地道に土壌改良を進め、ついにヤツらの生息する庭になったかと喜びもひとしおだ。 

ミミズと聞くと、土中の有機物を食べ、その排泄物でフカフカの良い土壌を作ってくれる良い虫さんというイメージがある。生ゴミを堆肥化するコンポストもミミズが大活躍し、家庭ゴミが減ることで、焼却処理による二酸化炭素排出の削減にもひと役買っている。例えば花王は、イトミミズを使って工場排水の汚泥を減らし、環境負荷の削減を試みているらしい。ちょっと気持ち悪い見た目のくせして、ミミズってすごい……。 

※イメージ

◀︎ カナダやアメリカ北東部では、ミミズのいない森の分厚い腐葉層が数千年かけて形成され、さまざまな動植物や菌類の命を支えている。ここワシントン州でも、この「ミミズ危機」はあるのだろうか?

と思いきや、実は小躍りしてばかりもいられない。土壌改良を調べていて知った衝撃的事実。ミミズは、このアメリカでは侵略的外来種だというのだ。 

もともとカナダやアメリカ北東部では、ミミズは氷河期に絶滅したまま生息していなかったらしい。落ち葉などが堆積し、それが長~い時間をかけて分解されることで、分厚い腐葉土によるフカフカの土の森を形成していた。そこにミミズが入ってきたことで、有機物があっと言う間に分解されてしまい、地中の微生物のバランスが崩壊。森の生態系に影響を与え、今では北米の昆虫が激減しているって言うじゃない。 

サステナブルに消費者であることと、ミミズのいる庭と、北米の森林危機……。あぁ、バランスって難しい。

■Planet Natural「ミミズのコンポスト入門完全ガイド」www.planetnatural.com/worm-composting

オーガニックなガーデン作りに特化した情報や商品を紹介する同サイトでは、ミミズによるコンポストの始め方を7つのステップに分け、とてもわかりやすく説明している。アメリカでも盛んに行われているミミズのコンポストは、ほかにもコーネル大学生産土壌学部によるCWMIプログラムのウェブサイトに詳しい(https://compost.css.cornell.edu/worms/basics.html)。「worm compost starter kit」で検索すると関連商品も多数見つかるので、ぜひお試しを。

■ 花王「ミミズを活用した工場排水処理への挑戦」
www.kao.com/jp/sustainability/eco-approach/making-products/employing-worms

製品製造の過程で大量に出る排水は、環境基準に適合するレベルまできれいな状態に戻し、川や海に流される。イトミミズの寝床となるパイル繊維のシートを浄水過程に入れることで、汚泥になる有機物の分解を活性化させるというシステム。最近は、サステナビリティと声高にうたっていなくとも、さまざまな企業が環境保全のためにより良い方向へと動いているようだ。

■ScienceDirect「ミミズが土壌の微生物に与える影響」www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0038071720302510

2020年10月発表の、ウィスコンシン州ウィスコンシン大学マディソン植物園における、カエデとナラの広葉樹林での調査。アジア圏からのミミズが、以前から同地に生息していたミミズを排除し、土壌の微生物バランス、化学組成を変化させているとのことだ。外来種のミミズは腐葉土層を消費、除去し、森林の生態系の機能に重大な脅威をもたらしている。アジアからどのようにミミズが侵入したのかも気になるところ。

■Biology Letters「ミミズの侵略:北米北部の節足動物の変化」https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsbl.2021.0636

1万2000年ほど前から消滅していたミミズが、近年は北米北部の土壌に再侵入しており、環境を変化させ、地上の節足動物(昆虫類など)の生態に影響を与えているとする研究が、2022年3月に発表された。カナダのアルバータ州カナナスキス渓谷、バリア湖北西岸のポプラの森で行われた調査によって、ミミズの生息数の多い地域ほど、節足動物の顕著な減少が認められたそう。植物の受粉を媒介し、鳥や魚の餌となる昆虫類の減少は、ひいては人間の生存にも関わるのだから、これは見逃せない。

 

サステナブル・デンマークに憧れて〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

大学では西洋史学を専攻していた。3年間、デンマーク史の授業を取り、デンマーク語を学んだ……というのは形だけで、研究室で毎週お茶を飲んでいるばかりだった。そのため、せっかくのデンマーク語も、「私は男です」という全く役に立たないフレーズしか覚えておらず、切実に後悔している。なぜなら今、デンマークがアツいからだ。 

▲ヘンリック・ヴィブスコフのマフラーを使い倒していた2010年冬。うっかり縮ませてしまったが、解いて新たに別の何かを作ろうと考えている。これもSDGs!?

そもそも最初にデンマークが気になり始めたのは15年前、お気に入りのセレクト・ショップでヘンリック・ヴィブスコフというデザイナーズ・ブランドに出合った時。その頃はあまり見かけなかった独特の色使いやユニークなデザイン性に、すぐさま魅了された。ここ10年ほどで、ガニーやバウム・ウンド・ヘルガーテンなどのデンマーク・ブランドが日本やアメリカに次々と進出し、人気を博している。ファッション・フォトグラファーのシトウレイさんのYouTubeチャンネルでも「コペンハーゲン発」というワードをしばしば耳にし、つい「おぉ!」と反応してしまう。 

▲ガニーは、植物や鉱物から抽出した天然染料によるカラフルなラインが特徴的。生産過程で水の消費量とCO²の排出量を削減し、有害な化学成分を排除したサステナブルなデニムの生産も行う

これらのブランドの共通点は、サステナビリティに対しての意識の高さだ。ガニーと言えば、遊び心のあるデザインと、リサイクル素材の活用など環境への配慮で知られる。興味深いのは「私たちはサステナブル・ブランドではない」と大きくうたっていること。常に新しさを追求するファッションの概念そのものがサステナビリティとは相反することを認めたうえで、ブランドには社会的・環境的影響を最小限に抑える責任があり、それは道義的義務だとしている。つまり、サステナブルというのは目新しい宣伝文句ではなく当然のこと、というわけか。なるほど。 

2017年からオーガニックのリサイクル素材を使用し始めたバウム・ウンド・ヘルガーテンも、2024年までに全素材を持続可能な供給源から調達することと、ポリエステルやナイロンの100%リサイクルを目標としているそう。服に限った話ではない。インテリア・プロダクト・ブランドのHAYも、環境への配慮に力を入れているし、本コラムで紹介したサステナブルなおもちゃメーカー、ダントーイもデンマーク! 

◀︎ 2018年、義妹の結婚式にと購入したバウム・ウンド・ヘルガーテンのドレスは、ビスコースとシルクの混紡。自宅での洗濯が可能で、ドライクリーニングに比べ、よりエコなのも良い

学生時代、教授が研究者としてコペンハーゲンにいた頃の話を聞いた。1980年代当時、すでに自転車通勤が当たり前で、自転車専用レーンも整備されていたそう。環境先進国なんだなぁと感じたように記憶している。そんなデンマークでは、昨年大晦日にマルグレーテ女王が退位を発表し、新国王としてフレデリック10世が1月14日に即位。新しい時代の幕開け、と沸いているらしい。行ってみたい! けれど、デンマーク語が……。

■Henrik Vibskov
https://henrikvibskovboutique.com
1972年、デンマークに生まれたデザイナー、ヘンリック・ヴィブスコフさんが、2001年より自身の名を冠したブランドをスタート。2003年には、パリ・ファッションウィークでコレクションを発表する。アーティストとのコラボ、インスタレーション制作なども手掛ける。近年は環境配慮型の生産・デザインに大幅転換。

■Baum und Pferdgarten
www.baumundpferdgarten.com/us
1999年、コペンハーゲンで誕生。ブランド名は、設立時のクリエイティブ・ディレクター、ヘレ・ヘステハブさんとリッケ・バウムガーテンさんの名字を組み合わせたもので、「木と馬の庭」(Tree and Horsegarden)の意味。同ブランドのオンライン・ショップでは、負荷の少ない素材や生産の透明性などの基準を満たした、より「責任ある」商品に地球儀のアイコンが付く。

■GANNI
www.ganni.com/us
2000年、美術商であったフランス・トルーウルスン氏によってコペンハーゲンで設立された同ブランドを、2009年にニコライ、ディッテ・レフストラップ夫妻が新CEOとクリエイティブ・ディレクターとしてリブランディングし、現在のような形に。鮮やかな色とプリントの組み合わせを得意とし、生産過程におけるサステナブルなアプローチを重視。社会や環境に配慮した公益性の高い企業に与えられるBコーポレーション認証を取得している。

■HAY
https://us.hay.com
2002年、新タイプのデザイン・カンパニーとしてデンマークで開業。「良いデザインはあらゆる人の権利である」という理念の下、高品質でサステナブルかつ現代社会のニーズに合わせたインテリア・プロダクトを手頃な価格で提供することを目指す。筆者は収納に、同社のリサイクル・プラスチック・カラー・クレートを愛用する。

 

私の体の半分は米でできている〜ゆる〜くSDGs な消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

私自身は東京の外れの立川で生まれ育ったが、両親はどちらも米どころの新潟、南魚沼の出身。その血筋か(?)、毎日のお米はなるべくおいしいものを食べたいと思っている。これまでカリフォルニア米やスーパーで買える日本産米と、いろいろ試したものの、ここしばらくは日本産の特別栽培米、はえぬきにすっかり落ち着いている。 

はえぬきは、山形でそれまで主力だったササニシキの後継として1992年秋に本格デビューしたコシヒカリ系のブランド米。しっかりとした弾力があるのが特長で、水分をたっぷり含んだ炊き上がりは、米のひと粒ひと粒が驚くほど大きい。おにぎりにすると本当においしい

利用しているのは、グレート・ライス。山形・庄内地域の農業法人、サンエイファームから直輸入するという玄米を、注文ごとに精米し、ケントから配送してもらえる。ほかと比較しても、格段にフレッシュなためか、とにかく炊きたてのツヤがすごい。こんなお米を日本から遠く離れたアメリカで食べられるようになったのだから、ありがたいことこのうえない。1年半前にオープンしたグレート・ライスは、ヒルマン理恵さんが創業。娘はなんと、NHK紅白歌合戦にも連続出場するガールズ・グループのNiziUのメンバー、NINAさんだそう。日本でのオーディションに合格し(私もネットでちょこちょこ見ていたので、親子だと知ってびっくり!)、その姿に後押しされ開業したとか。 

さて、そのはえぬきだが、特別栽培米のほかに有機栽培米もあり、2種類が販売されている。有機は、もちろんオーガニックのこと。では、特別栽培米って何だろう? 特別栽培米とは、農業の自然循環機能を高めることを目的に、節減対象農薬の使用回数と化学肥料の窒素成分量を、それぞれの栽培地域での5割以下にして生産された米のこと。ただし、地域の慣行レベルによるため、同じ特別栽培米と言っても産地ごとに幅があり、必ずしも完全に安全というわけではないようだ。それでも、従来のお米よりも安心して食べられることは確か。こうして調べてみると改めて、米の生産にもサステナブルな取り組みが重要だとわかる。 

山形県で生産されている、はえぬき。農林水産省の定めたガイドラインに沿った特別栽培米もある

世界の真水の30~40%を使用し、人為的な温室効果ガス排出の5~10%を占めるという稲作は、自然環境に大きな負荷を与えている。そのため、アメリカの米産業を代表する全国組織、USAライス連合会でも過去40年間、水使用率の削減などさまざまな形で改善に力を入れる。また一方で、特別栽培米のような環境保全型の田んぼがあることは、オタマジャクシやホタル、メダカなどを含む生態系の維持に不可欠とも言われる。 

いよいよ、2024年。サステナブルなお米で、いなり寿司でも作ってその幕開けを飾ろうか。

 
■Great Rice
https://greatriceus.com

2022年4月、店舗デザイナーだったヒルマン理恵さんが、山形県鶴岡市のサンエイファームの米をアメリカに広めたいと一念発起し起業。はえぬきのほか、つや姫、雪若丸と、山形県を代表するブランド米を取り扱う。

■SMART AGRI
「特別栽培米とは? 無農薬との違いや表示ルールなどお米選びのポイントを紹介」https://smartagri-jp.com/food/2948

農業とITに関するメディア、SMART AGRI内のコラム。特別栽培米について、無農薬、減農薬との違いから問題点まで、わかりやすく解説している。このほかにも同サイトで紹介されている、お米を賢く選ぶための心得は必読!

■USAライス連合会
www.usarice-jp.com

1994年にアメリカの米産業の中核団体によって全国的に組織された。「サステナビリティ レポート」では、持続可能な米作りのための活動や成果、目標を、インフォグラムと共に報告する

■Hanako
「BG無洗米の本当のこと、どこまで知ってる? 世界が注目する『BG無洗米』。環境にも優しいサステナブルフードを取り入れよう!」https://hanako.tokyo/sustainable/147937/#heading-1

雑誌『Hanako』掲載のSDGsコラム。無洗米が環境に優しい理由を説明している。とぎ汁には、下水処理で除去できないリンや窒素が含まれるため、水質汚染につながるというから大ショックだ。

 

幼少のころから SDGsです〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

スターバックスのカップがホリデー仕様に替わり、街がキラキラし始めると、ああ今年もクリスマスの季節になったなぁと実感する。初めてシアトルに来たのも、ちょうどこの時期だったからなおさら感慨深い。何年経ったのか数えるのは怖いから割愛。さて、そろそろ皆々さま、自分の子たち、あっちの姪っこ、こっちの甥っこ、友人の子どもにと、クリスマスのプレゼントはどうしようと頭を悩ませるころかもしれない。歳を取れば取るほど親戚の子どもが増え、毎年せっせと聞き込みやリサーチに忙しい。クリスマスのプレゼント(=日本で言えばお年玉)を自分があげる側になったんだなぁ、としみじみしてしまう。 

ダントーイのバイオプラスチック製トレイン。今はアメリカにもオフィシャル・サイトができており、アマゾンで購入OK

そうして調べていると、おもちゃの世界にもSDGsがしっかり浸透していることに気付く。昔から、おもちゃは長く使える木製が良いと常々考えていた。置いておくだけで見栄えもするし、やや高価なものが多いので贈られてうれしい。さらに、長ーーーーい目で見て地球に還る優しさも感じる。しかし、最近はそれとはまた別アングルから地球に優しい製品を見かけるようになった。 

最初に知ったのは、デンマークのダントーイ。2年前のクリスマスの作戦会議で義姉が紹介してくれた。まず目を引くのはその色使い。淡いピンクにモカブラウン、クリームイエローにオリーブ色など、絶妙な配色が素敵だ。目にもまぶしい原色のあふれるおもちゃ界にあって渋過ぎる! そしてダンプトラックに電車、キッチン・セット、どれもそんな感じだから、まさしくジェンダー・ニュートラル。さすがデンマーク……と感嘆したものである。 

パッと見、プラスチックかぁと思いきや、チッチッチ。プラはプラでも、植物由来のバイオプラスチックだ。原油を原材料とした従来のプラスチックとは異なり、無害な農法で育てられたサトウキビやリサイクル素材を使って製造されている。木製だと濡らすのに抵抗がありそうな、ビーチ遊びやお砂場道具にもぴったりのエコ素材。 

▲ダントーイのバイオプラスチック製トレイン。
 今はアメリカにもオフィシャル・サイトができており、アマゾンで購入OK

アメリカ製ならグリーントイズも定番だ。主原材料はリサイクルした牛乳のプラスチック容器で、安全な着色料を使用している。パッケージも、もちろんリサイクル素材。印刷には大豆インクを用いる徹底ぶりである。同社のおもちゃは、子ども向けミュージアムや教育現場にも取り入れられている。こんなおもちゃに囲まれ、幼少のみぎりから「意識高い系」でいられたら素晴らしいことだと思う。

 
■Dantoy
https://dantoyusa.com

デンマークにて1964年設立。砂遊び用のシャベルやバケツは40年以上変わらないデザインで、世代を超え愛されている。玩具メーカーで初めて、北欧の環境ラベル、ノルディック・スワン(通称スワンマーク)を取得し、北欧の多くの教育機関が同社の遊具をそろえる。

■The Nordic Swan Ecolabel
www.nordic-swan-ecolabel.org

1989年に導入された世界初の多国間環境ラベル。現在はノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、アイスランドの北欧5カ国全てが参加する。各国で流通する製品について、原材料の採取から製造、使用後の処分に至るまでの環境負荷を審査し、認証を与えている。

■Green Toys
www.greentoys.com

2007年創業の、カリフォルニア発エコ・ブランド。地球環境に優しいものづくりを目指す同社のおもちゃは、全てアメリカ国内で生産。一般的なプラスチック製品は人体への有害性が懸念されるBPAやフタル酸エステルが使われているが、それらを含まず安全性が高いので子どもにも安心。

■朝日新聞「バイオプラスチックとは? メリット・デメリットをわかりやすく解説」
www.asahi.com/sdgs/article/15012767

朝日新聞の特設サイト「SDGs ACTION!」内のコラム。バイオプラスチックには2種類あり、植物原料の「バイオマスプラスチック」は必ずしも自然に還る生分解性とは限らず、よく耳にする海洋プラスチックゴミの問題解決には「生分解性プラスチック」の普及が鍵とのことだ。

 

毎月のことですから〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

岡塚敦子さんという日本生まれのスタンドアップ·コメディアンが気になっていて、インスタでフォローしている(10月5日・6日にシアトル公演があったそう)。お笑いに詳しくはないのだが、ファッションがカラフルでかわいい。人を元気にするエネルギーにあふれた人だなと思う。 

先日、投稿されていた動画も興味を引かれた。買ったばかりの生理用ナプキンを持って車の助手席に乗り込みながら、袋が必要か聞かれることに辟易していると言う。「なんで恥ずかしがらなきゃいけないの? みんな私が何を買ったか見たら良いのよ。ほら、私は今月も血が出てますよー!」なんて、叫びながら車外にパッケージを見せびらかしている。ほんとその通りだよね、と見入ってしまった。トイレットペーパーはそのまま抱えて持って帰るのになぁ。 

近年、生理用品の変化は目覚ましく、より機能的かつおしゃれになった。ミレニアル・Z世代のインフルエンサーたちも、SNSでポップやシックにPRしていたりする。SDGsとかサステナブルとか、世の中の風潮ともリンクしているようだ。確かに生理用品の品質は女性の権利向上と関わっている。実際、女性の立場が弱い地域では、生理の貧困も大きな問題。また、女性が一生で消費する生理用ナプキンの量はおよそ9,600枚と言われ、その環境負荷を考えることは重要だ。 

さて、私はと言えば、敏感肌のため、アメリカに来てからなかなか合う生理用ナプキンにめぐり合えずにいた。ここ10年は布ナプキンを愛用してきたが、これはこれで繰り返し使えてサステナブル。リバティ柄などがそろい、デザインで気持ちもアガる。理由はわからないが、なんとなく生理痛も緩和される(気がする)。とはいえ、やはりお出かけ中などは使い捨てタイプが便利。 

ちょっとお高いが、生理用のナプキンやタンポン、パンティーライナー、ショーツのほか、今話題の月経ディスクなども取り扱うコーラ。ザ・ピースオブマインド・パッド(左)は16枚入り、ザ·ガットユーカバード·ライナー(右)は40枚入りで共に約8ドルで購入

気軽に使える物はないかと探していたところで最近見つけたのが、コーラというサンフランシスコ発ブランドのオーガニック·コットン·パッド。以前に他社のオーガニック製品を試した際は、表面が簡単にはがれてしまって使用感がイマイチだったが、これは今のところ快適に使えている。シンプルで「いかにも」という感じがしないパッケージも良い。箱のままバスルームに置けるし、個包装のデザインもスタイリッシュ。 

フェムテック・ブランドのHogaraと、森 星さんがクリエイティブ・ディレクターを務めるCITY SHEDがコラボした吸水ショーツは、ドリップ後のコーヒーや小松菜、柿で染色しているそう……と、進化している吸水ショーツも目が離せない。アメリカ発なら、全製品にエコテックス®スタンダード100認証素材を採用しているシンクスなどがある

祖母の時代にはこっそり脱脂綿を当てていたというのだから、生理用品の進化、そして社会の変化はありがたい。初潮から閉経まで1年で約84日もある日々を、より豊かに過ごしていきたいものである。

 
■Cora
https://cora.life

生理用品を買えずに生理中は学校を休むというケニアの少女の話に衝撃を受け、香料や化学染料などウェルネス製品の添加物にも疑問を持っていたモリー·ヘイワードさんが、2015年に生理用品サブスクリプション・ショップとして創業。従来品より有害物質を平均約85%削減し、提携機関を通じてインド、ケニアに製品を寄付することで、両国で1.5万人とも言われる生理の貧困に悩む少女たちに清潔なナプキンと健康教育を提供している。

■Hogara
https://hogara.jp

1841年から続く繊維を主軸とする総合商社、豊島株式会社で、2021年に女性社員のプロデュースによって発足。ブランド名は「朗(ほが)らかに光り輝き広く晴れ渡る」という意味の日本古来の言葉に由来し、漏れない4層構造のオーガニックコットン吸水ショーツなど、女性のリアルな声を反映した商品化を実現している。繊維のプロである豊島だからこそ作れる、こだわりの詰まったアイテムを数多く発信する。

■Thinx
www.thinx.com

2013年に誕生した、ニューヨークを拠点とするフェムテック·ブランド。吸収ショーツを、ティーン世代向けのシンクス·ティーンズ、尿漏れをサポートするシンクス·フォー·オール·リークスを含めた3ラインで展開する。再利用できる素材を用い、持続可能なライフスタイルを提案。多様な人々が生理·衛生用品にアクセスしやすくなるよう、ブラック·ママズ·マター·アライアンスなど14以上のコミュニティー団体と提携し、寄付などを行う。

■IDEAS FOR GOOD「Femtech(フェムテック)とは・意味」
https://ideasforgood.jp/glossary/femtech

生理用品を始め、女性特有の健康課題をテクノロジーで解決する商品が目立ってきたが、これらは総称して「フェムテック」と呼ばれるらしい。この日本語サイトでは、昨今の女性の「性」にまつわる現代的変化がなぜ起こり、世界的に注目されているのかをわかりやすく説明している。今回取り上げたブランド、コーラについても、フェムテックの海外スタートアップ企業例として紹介。

 

その消費、本当に SDGsですか?〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

庭の植栽ばかりに意識が向き、サマーセールで服を買うことなどすっかり忘れていた。これはまずいと、駆け込みでショッピング・サイト「ファーフェッチ」を見ていたら、こんな告知が目に留まった。 

「今回、私たちが提携したグッド・オン・ユーは、ブランドが与える環境などへの影響について、さまざまな基準から5段階で評価する独立機関です」 

近頃、買い物の際は、その商品がサステナブルかどうかをチェックするようにしている。が、同時に「それを物欲の言い訳にしていないだろうか」と、気になっていたところだった。というのも、ここ数年の意識の高まりから、多くのショップやブランドが、いかにエシカルかをアピールするようになっている。ついつい、「そうかそうか、これはエシカルなんだな。じゃあ、少し高くてもしょうがない。応援しなければ」と、ついポチってしまう。 

品質表示タグだけ見ても、ブランドごとにアピールの仕方は異なる。「これって本当?」と疑ってみることが大切だと学んだ

でも、本当のところはどうなんだろう? その商品がどう造られているのか、「リサイクル素材使用」、「オーガニックコットン」と表示してあればそれはエコなのか? 何でも調べてみなければわからない。エコだよとうたっていても、単にアピールだけだったり(そういうのをグリーンウォッシュって呼ぶらしい)、無知や誤解から結果的にうそとなるケースもあったりするかもしれない。

どうやら、グッド・オン・ユーとは、そんなもやもやを解決してくれるシステムみたい。早速ウェブサイトにアクセスして、知っているブランドをいろいろと見てみた。すると、想像以上に衝撃を受ける結果に……。例えば、そのうち本コラムで取り上げようかな~なんて目論んでいたスペイン発のパロマ・ウール。素材も生産背景もサステナブルと聞いていたが、「Not Good Enough」(あんまり良くない)とのこと。詳細を読んでいくと、「有害な化学物質を削減・排除するために行動を取った証拠がない」などなど、とにかくエビデンスがないとダメっぽい。 

以前から気になっていたパンガイアがグッド・オン・ユーで勧められていた。最近はティンバーランドとのコラボ製品も出ているようだ。環境意識の高いブランド同士が提携することでより広く世間にメッセージが届くようになる

興味深いのは、児童労働についてや、サプライチェーン労働者の生活保障といった情報をブランド側が明らかにしていない場合でも、「消費者にはその情報を知る権利がある」として、評価に反映されていること。わからないんじゃ評価できないのでは? と思ったが、今や情報開示もサステナブルなブランドであるための義務なのだ。宣伝文句をうのみにせず、こうした便利なサイトを使って、自分で能動的に調べて消費活動を行うことも、SDGsのためには必要なんだなと反省した。

 

■Farfetch
www.farfetch.com

世界中から1,400以上のセレクトショップ、ブランドが集結するラグジュアリー・ファッション専門のマーケットプレイス。個人輸入も簡単で、個々のセレクトショップやブランド店を利用するより、豊富なアイテム数の中からお得に購入できることも。世界はますます狭くなったと実感!

■Good on You
https://goodonyou.eco

オーストラリアの非営利団体が運営。環境、人権、動物福祉の3つの観点から、各ファッション・ブランドを公式情報やNGOなどが公表するデータに基づいて格付けしている。同名アプリでは5,000以上のブランドの「エシカル度」を比較できる。また、インスタグラムでサステナブル・ショッピングのヒントを発信中。

■Paloma Wool
https://palomawool.com

パロマ・ラナ氏が2014年にバルセロナで設立。ファッション・デザイナーであると同時に、写真家としても活躍するラナ氏のアート・プロジェクトという側面を持ち、常に「アートの創造」を探求している。 コレクションの約80%はスペイン、残りのTシャツとスエットシャツはポルトガルで生産。

■Pangaia
https://pangaia.com

2018年発足の、欧州に拠点を置く循環型ファッション、ライフスタイルを提案するブランド。革新的な技術や自然の力を利用したバイオエンジニアリング素材から製品を生み出す。地球にとってより良いビジネスモデルを築き、業界の環境問題解決を目指す。色鮮やかなアイテムの全てが、環境負荷の少ないアプローチで染色されていることに驚かされる。

▪️Spaceship Earth「グリーンウォッシュとは?
具体例と日本企業でもできる対策・SDGsの関係」
https://spaceshipearth.jp/greenwash

SDGsリテラシーを向上させるためのメディア「スペースシップアース」で、グリーンウォッシュの具体的事例、消費者目線での対策がわかりやすく解説されている。SDGsとの関係も説明されており、いかにグリーンウォッシュが身近でありながら大きな問題であるかを理解できる。

ノーラ・コーリさん/国際精神医療ソーシャルワーカー

各国の医療、出産、子育て事情に精通し、40年以上にわたり心理カウンセラーとして海外在住日本人のメンタルヘルス・ケアをサポートするノーラ・コーリさん。海外出産・育児コンサルタント、医療通訳、講演者とさまざまな顔を持ち、著書は8冊を数えます。実際に対面すると、終始こぼれるように穏やかな笑顔が印象的なノーラさんに、これまでの半生、そしてグローバルな視点から子どもたちの豊かな心を育むためのヒントを紹介してもらいました。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

2018年、台湾で日本人ママたちと。1989年より海外出産・育児コンサルタントとして各国に出向き、現地事情を調査している
ノーラ・コーリ▪️日 本 生 ま れ。1965年、家族とニューヨークへ移住し、小学校時代の大半を過ごす。帰国して日本の中学を卒業。高校からはトロントに移り、トロント大学卒業後にソーシャルワーカーとなる。結婚してからは夫に帯同し、シンガポールに滞在。そこで自身も経験した海外出産・育児の調査を開始する。いったん帰国し、2000年代からは再びニューヨークで暮らしながら、コロンビア大学社会福祉大学院を修了。2023年に新天地を求めシアトルへ。www.caretheworld.com
 
ニューヨーク育ちの帰国子女

1960年代、家族とニューヨークで過ごした小学生の頃のノーラさん。妹、母親と共に。パン・アメリカン航空のプロペラ機でハワイを経てロサンゼルスへ飛び、そこからニューヨークへという長旅だった
カナダとの国境、ナイアガラの滝へ家族旅行。旅好きの父に連れられ、北はメイン州から南はフロリダ州まで、東海岸を中心にロードトリップで回った
 
ノーラさんは、父親が国際金融業に従事する関係で、一処に落ち着くことのない子ども時代を過ごしてきた。7歳で家族とニューヨークに渡り、やがて日本に帰国すると、ここから苦労が始まる。「あまり多様性のなかった当時の日本の公立小学校で、帰国子女は私だけ。あいつはアメリカ人だ、アメリカに帰れ、なんていじめられることもありましたね」
 
息苦しさを共有できる相手もいなかったノーラさんは、ただノートに書きつづるしかなかった。「自分の中で問題と思えることを書き出したり、アメリカと比較して人々の反応の違いを観察したりしていました。日本にはいろんなルールがあって、みんなが従わざるを得ない。自分ひとりの意志は受け入れられないんだな、と感じていました」
 
両親の意向で、中学は都内の私立女子校を受験。ところが、父親の福島での勤務が決まり、急きょ転校することに。「そこでもまた、大変なカルチャー・ショックを受けました。休日も外に出るには制服を着ていなくちゃいけないし、男子は七分刈りの坊主頭。体罰もありました」。田舎の旧態依然とした学校システムの中で1年間を過ごし、3年生ではひとり東京に戻って元の女子校に通った。エスカレーター式で高校に上がれるようにと、祖母の家に居候することになったのだ。しかしそれもつかの間、高校からはカナダのトロントへ。「本当に振り回されっ放し!」と振り返る。

トロントでの高校生活は、日本を飛び出したいという自身の希望もあった。しかし、忘れてしまっていた英語に苦しむことに。「辞書を引きまくり、教科書が真っ黒になるほど書き込んでいましたね」
カナダ最難関、トロント大学に入学して社会福祉を専攻

親の都合で、その土地や文化に慣れたと思ったとたん、また次の場所という変化を繰り返した。そうした自身の経験は、帰国子女をサポートする今の活動に生かされている。
 
2002年には、名門コロンビア大学の大学院へ。「40代で卒業できたのは人生の中でも大きな出来事でした」
 
結婚後も続く海外暮らし
 
「大学進学を前に、自分には何が向いているんだろうと考え、人を手助けするソーシャルワークを学ぶことを選びました」。トロント大学を卒業して帰国すると、在日外国人、帰国子女を対象とした心の相談窓口、トーキョー・イングリッシュ・ライフライン(TELL)でカウンセラーとして働き始め、念願の社会福祉の道へ。全国から寄せられる電話相談に応じていた。
 
その間に結婚し、長男を出産。次に待っていたのは、なんと夫のシンガポール赴任の知らせだった。ノーラさんは、またしても海外へ飛び出すこととなった。帰国子女が帰国子女を育てる時代に入ったんだ、と感慨深さを覚える。「娘はシンガポールで産みました。その時、こんなに日本と違うものかと海外での出産に興味を持ったんです」
 
1989年当時でも、シンガポールの出産事情は日本と大きく異なっていた。「より自分の意志が通ることに驚きました。無痛分娩や立ち会い出産も、かなり自由に選択できました」。定期検診や超音波検査の回数から、医療保険のカバー範囲まで、国が違えば医療システムも違う。この気付きが、ノーラさんのライフワークとなる海外出産情報の収集につながっていった。
 
「海外出産を経験した日本人にインタビューをして、国ごとに小冊子を作りました。ひとり知るたび、その友だちを紹介してもらって」。大企業の海外渡航者セミナーに講師として参加し、インタビュー対象者を募ったこともあった。まだインターネットやメールが一般的でなかった時代、ネパール、カメルーン、パラグアイなどで日本人ママたちを探すのは大変だった。アンケートのコピーを配り、郵送したアンケートを返送してもらい、情報を集めては小冊子にまとめていく、そんな地道な活動を続けた。
 
旅行ガイドブックに出産・育児情報は載っていない。今のように誰もが簡単に情報にアクセスすることができない中、慣れない外国の地で出産を迎えることになった日本人ママたちにとって、これらの小冊子の存在はどれほど心強かったことだろう。
 
「インターネットの普及で世界中から情報が集まるようになりました。まさに、私のやりたい仕事に直結するテクノロジーだったんです。だって、情報は常に更新されていないと」
 
ブログなどからインタビュー対象者のネットワークを広げ、日本帰国後は海外出産・育児コンサルタントとして、講演活動や雑誌への寄稿に忙しく動き回った。ただ、インターネットの登場で、ノーラさんだけでなく個々が情報を手に入れやすくなっていたことも事実。そこで、冊子を作って配ることからメンタルのケアへと徐々に移行し、現在に至る。
 
家族の心を支える、
カウンセラーという仕事
 
2000年代に入り、ノーラさんに大きな転機が訪れる。夫に帯同し再び暮らし始めたニューヨークで、コロンビア大学社会福祉大学院への進学を決断。メンタルヘルス、医療、障がい者を専門に研究し、修士号取得後は11年間、大人の知的・身体障がい者のためのデイサービスで施設長として運営に携わる。その傍ら、カウンセリングの仕事も続けていた。2017年には沖縄米軍基地内の家族支援センターでカウンセラー職に就き、以降の5年間は日本で児童虐待や家庭内暴力など、家族問題に苦しむアメリカ人の心の支えとなった。沖縄滞在中、臨床心理ソーシャルワーカーの米国国家資格の免許も取得した。
 
今は人間関係や夫婦仲、子育てに悩む人々の相談を主に受けている。国際結婚をして文化のはざまで悩む人たちに寄り添えるのは、ノーラさんの生い立ちや経験があってこそ。「どのクライアントも環境や家族が違うため、同じケースってないんです。子育ての相談では、子どもをうまく愛せない、子どもと心の距離ができてコミュニケーションを取れない、子どもが学校に行きたくない、親としてどのように関わって良いかわからない、そんなケースも見られます」
 
心の相談には、どのように対応していくのだろうか? 「例えば、学校に行き渋る子どもの場合、『学校に行く』ことを最終目的とはせず、根本的な問題がどこにあるのかを見極めることにフォーカスします。学校や家庭、あるいは本人に何らかの問題があるのか、要因を探っていきます」。夫婦間でぎくしゃくしているのであれば、まずは夫婦の歴史を知ることから。どんなきっかけで出会い、引かれ合い、どこですれ違い始めたのか、要因に心当たりはあるのか、過去にどのような対策を試みて成果はどうだったのか、本人はどうしたいのかなど、聞き取りをする。「そのうえで、欠けているコミュニケーション・スキルがあれば教えますし、時に練習してもらうことも。一夜にして解決することではないので、大切なのはクライアントと共に原因を探り、改善方法を考えていくという作業です。答えはクライアント自身で見つけるしかない」。選択まで導くことはできても、クライアントにとっての最適解は本人の中にある、とノーラさんは確信している。
 
心の相談は、どういうときにするものなのか。「私たちは風邪をこじらせると、肺炎など重症化する前、ちょっと風邪が長引くなという段階で医者にかかりますよね。メンタル面も同じで、関係が悪化してから来る人もいるのだけれど、その前に相談してくれたら修復にもあまり時間がかからないで済むかもしれないですね」。ビデオチャットや電話、メール、または対面で相談を受け付けるノーラさんは、自分に合った方法で気軽に相談して欲しいと話す。「クライアントの希望に沿って私がフレキシブルに対応していく、というのがいちばん効果的だと思っています。私は問題解決のために伴走をするだけ。ほかの方とは少し違うアプローチかもしれませんが」
 

これまでに世界30カ国の病院を訪問。
現地の助産師や日本人ママたちから具体的な情報を集める日々を送る




 
子どもと関わる全ての人のために
 
ノーラさんの代表作『世界から学ぶ幸せな子育て』(リーブル出版)

昨春刊行された著書は、『世界から学ぶ幸せな子育て』。ノーラさんは、親の良かれと思ってしていることが子どもを傷付けている可能性のあることを知って欲しいと筆を執った。「子どもを救うには、親自身が変わらないとダメだと気付いたんです」
 
知らないうちに、子どもの自尊心を傷付けるようなことを言ってしまってはいないだろうか。「いつになったら成績が上がるの?」、「お姉ちゃんみたいにどうしてできないの?」、そういった言葉で子どもたちはとても傷付いているのだとノーラさんは訴える。
 
また、グローバルな舞台でキャリアを築くために子どもたちが育むべき、自己肯定感や多様性の受け入れといった要素は、これまでの日本に欠けていた部分だと指摘。「子どもの自己肯定感を高めるには、認めて、褒めてあげることはもちろん、リスクを取る勇気を持たせることも大切です。大人も子どもも、失敗は怖いでしょう? 肝心なのは親が『失敗したら失敗したでいいじゃない。そこから学べばいいんだから』と背中を押せるかどうか。挑戦を避けて通っては達成感もなく、成長することができません」
 
2006年、ニューヨーク州のデイサービスで施設長に就任。知的・身体的障がい者のために働いた11年は、やりがいと楽しい思い出にあふれる
2017年より5年間、沖縄米空軍基地内家族支援センターにてカウンセラーに。同時に米国の国家公認臨床心理ソーシャルワーカー資格を取得。「とても難しい試験で、受かったのが奇跡みたい。もう60歳を超えていましたから」
実は、親が子どもの才能を見つけて伸ばすというのは、そんなに難しいことではないとも。「お稽古でスケジュールをいっぱいにせず、子どもに自由時間をたっぷり与えてください。その子らしさを発見するには、やりたいことを自由に思う存分やらせてあげることが大事。外遊びで体操の才能が発揮されることもあれば、近所の無料演奏会でバイオリンに興味を持つかもしれません」。お稽古など用意されたものではなく、きっかけを作るための「時間」や「機会」を与えること。それができれば自ずと才能は開花すると、ノーラさんは助言する。
 
今、ノーラさんは小児科や産婦人科、不妊治療などの医療通訳の仕事も行う。「医療の世界は奥が深いですよ!」と、話しながら笑みがこぼれる。バイリンガルのスキルを使えるだけでなく、アメリカ中の病院から医療事情がダイレクトに伝わってくるのが面白いのだそう。「人を助けたいという思いは、ずっと変わらない。常に新しい情報が入ってくるから、勉強するきっかけにもなっています」。ノーラさんのステップアップはまだまだ止まらない。

私は家庭菜園に憧れている〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

「趣味は園芸です」と宣言するには初心者過ぎる私だが、今年は人生で2回目の栽培となるミニトマトが鈴なりに実ってくれて、ニヤニヤが止まらない。 

昨夏も本コラムでちらりと触れたのだが、ガーデニングに挑戦している。宅地造成され、まだ日の浅いわが家の土壌は、とにかくひどい粘土質。昨年はひたすら耕し、コンポストを混ぜ込むという作業に明け暮れていた。そして2年目の今年、大きく育ち花開いてくれた多年草の株も、大きくならなかった(でも頑張っている)株も、みんな無事に生き延びてくれてありがとう、とかわいさもひとしおである。 

今年は肥料をサボらなかったおかげで、8月上旬現在、ミニトマト2株合わせて80以上もの実が付いている。よりサステナブルに、コンポストも始めたい。なんて、やってみたいことは次々と

ガーデニングと言えばやはり憧れるのは、家庭菜園。アメリカでは手に入りづらい日本のナスやキュウリ、オクラなんかの夏野菜が自給自足できたら、なんてサステナブルかしら! 特に赤い実の食べ物はいくらあっても困らないと常々思っている。昨年初めて買った苗はイチゴ。今年はうっかり植え付け時期を逃してしまったが、昨年の株は健在だ。ミニトマトはスーパー・スイート100にサン・シュガーと、いかにも甘くなりそうな名前の2品種を植えた。 

ちなみに、よく視聴する園芸初心者向けYouTubeチャンネルの「園芸超人カーメン君」が、トマトは斜めに植え付けてトレリスに巻き付けるように育てるとたくさん収穫できると言っていた。今年はチャレンジしてみたが、さっぱりうまくいかなかった。斜めに伸びた後、上に向かってフラフラしながら育っただけだったので、来年は普通に植えようと思う。 

サン・シュガーという名前のミニトマト。ずいぶん待っても赤くならないと思っていたら、なんと黄色い実の品種だった(笑)。写真左は庭仕事に必須のサンハット。大好きなキジマ タカユキのもので、植物染めのテキスタイルは環境に優しいらしい。形から入るのも大事、という買い物の言い訳
ワシントン州衛生局は、アサルコ社の銅製錬所があったタコマ近郊の土壌の安全性を確保する「タコマ・スメルター・プルーム・プログラム」を行い、土壌汚染マップを作成している。無料で自宅土壌のサンプリングが可能な場合もあるので気になる人は要チェック©︎Washington Department of Ecology

さて、憧れの夏野菜だが、実はいまだ手を付けられずにいる。というのも、レイズドベッドを購入してからにしようと決めたから。なにしろ庭の土質があまりにひどかったため(建材ゴミが多数出土!)、土壌の安全性が心配になってしまったのだ。調べてみると、やはり宅地造成用に運び込まれた土の汚染はないこともないみたい。せっかく地面がそこに見えているのに……と悔しい気もするが、レイズドベッドなら土が温まるのが早いのも利点だとか。こうなると、買い物好きの血が騒ぐ。どんなものを購入すべき? 安全性は? と、リサーチ、リサーチ、リサーチ。 

どうやら、ベゴ・ガーデンのスチール製レイズドベッドが良いらしい。色もアイボリーやオリーブグリーンなんてあって、洒落ている。来年こそはと心に決め、ブラック・フライデーでセールになったりしないかな、と期待を膨らませている。園芸を通じ、未来に思いを馳せる。良い趣味だなあ。
https://ecology.wa.gov/spills-cleanup/contamination-cleanup/cleanup-sites/tacoma-smelter

 

■Vego Garden®
https://vegogarden.com

多種多様なサイズ、形のスチール製レイズドベッドを販売。USDA(米農務省)認定の塗料を用いた素材は、耐用年数20年以上(!)だそう。リサイクル可能な素材、堆肥化可能なパッケージ、有害な化学薬品は不使用といったさまざまな方向性から、サステナビリティに取り組んでいる。鋭利な部品を使わない、子どもやペットに優しいデザイン。高さのあるコレクションは、お年寄りや体の不自由な方に配慮したもの。

■Down To Earth Fertilizers
https://downtoearthfertilizer.com

オレゴン州ユージーン発の天然肥料ブランド。環境のことを考えれば、化学肥料はできるだけ使いたくない。ここでは、有機肥料、土壌改良材、堆肥、培養土などを取りそろえており、筆者はベジタブル・ガーデン4−4−4(数字は窒素、リン酸、カリウムの肥料成分の割合)を愛用している。いつも利用する園芸店で勧められて使い始めたが、コンポストにできるというパッケージもキュートで気に入っている。

■マナトピ「おうちにあるもので家庭菜園にトライ!
  自然に優しい”サステナブル”なガーデニング」
https://manatopi.u-can.co.jp/life/210413_2843.html

よりサステナブルに家庭菜園に取り組むには? サステナブルな生活を求めてロサンゼルスから鹿児島県に移住し、畑作を行うアームシャー理恵さんが、ガーデニングに関する疑問に答える。コンポストはもちろんのこと、卵や牛乳のパックといった身近な物を発芽用のプランターに再利用するなど、簡単に続けられる方法を指南。園芸もやり方次第で、もっと環境に優しくできる。

■Carmen-kun Garden Channel
www.youtube.com/@Kahmen-Gardening

愛知県の園芸店に20年以上勤める「園芸超人カーメン君」のガーデニング専門チャンネル。園芸初心者にもわかりやすく、親しみが湧く。目からウロコの園芸テクニックや日本中の素敵な個人庭を動画で紹介。「レイズドベッドを始めたら、どれだけの土が必要に……?」とおびえているが、ポッティング・ソイルの再生方法など、役に立つ情報がいっぱいだ。

夏は浴衣だし着物はサステナブルなもので 〜 ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

日本の実家に置いてあるお気に入りの浴衣を送ってもらおうかと悩んでいる。実は、この1年で着物に袖を通す機会がしばしばあり、着物熱が再燃中なのだ。 

私が着物にハマったのは、今から20年近く前の浪人生の頃。通りがかった呉服店の店先に置かれていた振袖用の反物にひと目ぼれした。しかし、振袖なんてとても手が届かない贅沢品で、成人式用にだって親におねだりできるとも思っていなかった。が、母は前々から考えていたらしく、意外に良心的な価格だったのもあり、その反物で仕立ててもらえることになった。 

えんじに近い深めの赤に古典的な菊と桜の柄刺しゅうが入った振袖は、グラデーション柄が主流だった当時、かなり珍しかった(ちなみに、大正ロマンの着物ブームが来たのはその2、3年後)。それ以来、何かを思い切って買うか迷った時には、その振袖を購入した店の販売員さんの「お出合いものですから~」がいつも頭の中に響くのだから、危険で仕方ない。前述の浴衣も、同じ店で扱っていた反物で作ったもの。和服雑誌を買い込んだり、毎日着物で過ごすイラストレーター、きくちいまさんのエッセイ本を読んだりと、すっかり着物沼に落ちてしまった。 

着物好きだった祖母が母に仕立てた着物も譲り受け、結婚式や友人との初詣などには、ここぞとばかりに着て出かけたものだ。実家の近くに、着物界では割と知られた専門ビンテージ・ショップがあったのも良かった。ニューヨークにいた頃に着付けを習い、自分で着られるようになったおかげで、結婚式で着るものに悩むことはない。ただ、やはりアメリカにいると着る機会はほとんどなく、ここ5年ほどは引き出しに眠っていた。 

メルカリで手に入れたウール着物と帯は、どれも新古品の状態で3,000円前後。家で気軽に洗えるウールは、アメリカ生活にはぴったり。カジュアルにタートルニットやブーツに合わせるとかわいい

久しぶりに調べてみると、オンラインでのビンテージ着物の購入がすっかり簡単になっていて驚く。状態の良いものが、メルカリで数千円。しかも、転送サービスと連携しており、アメリカまで送ってくれるのだ。ますます危険なことこのうえない! 

着物というものは、とってもサステナブルで、誰かの着た古いものを着ることが当たり前。母が50年前に大学の卒業式で着た付け下げを、娘の私が今着られることがうれしい。祖母はもう空へ旅立ってしまったが、大叔母は写真を見比べ喜んでいた。そして、いつかは欲しい本麻の長襦袢はなかなか高価だが、貴重な伝統産業のサポートになる……と、思う。ああ、これはもうしばらく止まらない。 

夫の誕生日プレゼントに、前々から欲しがっていたスニーカーと雪駄を掛け合わせた「雲駄」を購入した。エアソールで履き心地抜群。うらやましい~。これも私の「浴衣着たい」熱に拍車をかけている

近頃の昭和レトロのブームもあり、若い人たちの間で和洋ミックスの着物が流行っているそうだ。有名ブランドが伝統産業とコラボするなど、最近は昔ながらのものをおしゃれに取り入れられるので、本当に良いなぁと感じる。

あのスノーピークが、きもののやまととコラボし、「アウトドア着物」なるものを作っているらしい。帯なしで着られる気軽さが売りで、「街着として映えるスタイル性」だそう。しかし、プレタで1 着5 万円と聞くと、なかなか手を出しづらい……

■やまと × スノーピーク「OUTDOOR*KIMONO」https://store.kimono-yamato.com/Page/ytg_outdoor-kimono.aspx

ボタンとバックルベルトで留められる着物は、和装の仕立ての美しさを保ちながら、帯なしで着用できる。アウトドア・シーンに対応する生地を採用し、着る以外にも「包む」「掛ける」「敷く」など、さまざまな用途で使える優れもの。リサイクル原料で環境にも配慮する。

■goyemon™️ 雲駄
www.goyemon.tokyo/unda

大西 藍さん、武内賢太さんによる2018 年結成のユニット、goyemon ™が手掛ける雪駄とスニーカーを掛け合わせた「unda- 雲駄 -」は、日本の伝統と最新技術の融合で雲のような履き心地を実現。左右の区別がない雪駄の特徴そのままに左右の交換が可能なことから、ソールの寿命を延ばせる、日本の昔ながらのエコスタイルだ。

■きくちいまが、今考えるきもののこと
www.kimonoichiba.com/media/author/kikuti

京都きもの市場が運営するウェブ・メディア「きものと」で連載中の、きくちいまさんによるコラム。かわいらしいイラストと共に、日々の着物のことや、初心者でもわかりやすい着物の解説、素敵なコーディネートの提案などを、さまざまに語っている。

スポーツはジェンダーの課題にどう向き合えるのか〜野口亜弥さんのお話を聞く その 3〜ゆる〜くSDGsな消費者生活

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

今、スポーツにおけるジェンダー平等の取り組みに注目が集まる。そもそも、スポーツでのジェンダー平等ってどういうこと? 日本政府は東南アジア10カ国(ASEAN)との国際協力プロジェクトにより、スポーツを通じてのジェンダー平等を目指しているが、2021年、22年とそのプロジェクト・リーダーを務めたのが野口亜弥さんだ。「ほとんどのスポーツで女子が参加しづらい状況があります。女子チーム自体が希少で、混合であっても男子ばかり。日本でも特に中学生女子がスポーツを行える場が少ないんです。まず部活動で選択肢が限られてしまうと、競うことなく、ただ純粋にスポーツを楽しみたいという子に場がない。実際、中学校の部活動の男女参加率にはかなりの差が見られます」。つまり、男子と同等の多様なチャンスや選択肢が、女子には公平・平等に与えられていないというのだ。 

2022年、ニュージーランドのオークランドで開催されたIWGによる「第8回世界女性スポーツ会議」にて。亜弥さんはスポーツを通じたジェンダー平等事業についてプレゼンテーションを行った

トランスジェンダー女性(以下T女性)の女子競技参加についても意見を聞いてみた。「実は、スポーツでの男女別カテゴリーは、男性中心のスポーツ文化の中に女性が参画していく過程で作られたもので、女性解放運動とも連動しています」。もともとが、ただ身体的性差によってできた区別ではなかったとは驚きだ。亜弥さんよれば、T女性の参加の可否はテストステロン値を基準にこれまで決定されてきたが、ホルモンの値だけでパフォーマンスの優劣が決まるという科学的エビデンスはなく、研究や議論自体もまだ十分に蓄積されていないと言う。「女子スポーツにT女性をどう包摂できるのかを議論のスタートにしなければ、スポーツは発展しません。T女性に対して誹謗中傷や差別をすることは絶対にあってはならないんです」 

各々の競技の特性を踏まえたうえで、どうしたらT女性が女子カテゴリーで公平に戦えるのか、ということを科学的に深め、議論・検討していくべきだと亜弥さんは訴える。「もちろん、それには膨大な時間がかかります。同時に、蓄積されたエビデンスがないからといって、T女性に『不公平』という言葉を浴びせ続けることは人権侵害です。だからこそ、人権教育を通じて、その事実をひとりひとりが理解する必要があります」。人権の尊重・保護のうえで、現状での公平・公正なカテゴリー分けを考えていくことが大事。トランスジェンダーを排除することは、スポーツ発展のためのインクルーシブにつながる議論自体を閉じてしまう、と亜弥さんは危惧する。 

今年3月発売のなでしこリーグ2023 年版選手名鑑(左)。ピンクを基調としたいわゆる「女性らしい」デザインだった2016 年版(右)と比較すると、ジェンダーレスなデザインになっていることがわかる

「女性らしさ」という無意識のジェンダー・バイアスにも問題提起した亜弥さん。「例えば、日本の女子サッカーリーグのビジュアル素材にはピンクが使われがち。でも本当は、サッカーをしている女性たちって実に多様なんです」。亜弥さんは、誰もが「ありのままの自分」でいることが肯定される社会の実現に向け、まい進し続ける。

野口亜弥■筑波大学体育専門学群卒、米フランクリン・ピアス大学大学院でMBA取得。スウェーデンでプロサッカー選手としてプレーし、現役を引退後は、ザンビアのNGOにて半年間、スポーツを通じたジェンダー平等を現場で実践。日本帰国後はスポーツ庁国際課に勤務し、国際協力および女性スポーツを担当する。順天堂大学スポーツ健康科学部助教を経て、今年4月に成城大学文芸学部専任講師に着任。2020年に一般社団法人S.C.P.Japanを共同で設立し、スポーツを通じた共生社会づくりを目指す。
 

■「女性らしさから、ありのままの自分へ」プロジェクト
https://youtu.be/pdpfS16YCnc

昨年、日本サッカー協会や日本女子プロサッカーリーグのWEリーグ全面協力の下、亜弥さんが主導する2団体、プライドハウス東京とS.C.P. Japanが啓発動画を制作。WEリーグ、なでしこリーグに所属する現役サッカー選手(2022年時点)の7人が「自分」を表す色について語っている。選手たちへのインタビューを通じ、世の中に存在する「女性らしさ」を問う試み。

■成城大学スポーツとジェンダー平等国際研究センター
www.seijo.ac.jp/research/sge

今年4月1日に開設されたばかり。多様なジェンダーや性の平等と、そのための国際協力を実現するスポーツの役割について専門に研究する、まさに最先端の機関。亜弥さんが研究テーマとしている「開発と平和のためのスポーツ」の分野において、ジェンダーやセクシュアリティーの課題に着目し、特にASEANおよび東アジア諸国と連携を取る国際学術拠点だ。

■IWG
https://iwgwomenandsport.org

1994年にイギリスのブライトンで開催された「第1回世界女性スポーツ会議」の際に設立。女性とスポーツのための国際ワーキング・グループとして、スポーツにおける女性の地位、役割の向上を目指す政府組織と非政府組織の統合団体だ。スポーツのあらゆる分野での女性参加を求めた「ブライトン宣言」を採択以降、行動を起こすことを世界に呼びかけている。

サッカーで世界を変える〜野口亜弥さんのお話を聞く その 2 〜ゆる〜くSDGsな消費者生活 Vol.26

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

現在は大学教員として「開発と平和のためのスポーツ(SDP)」を研究する野口亜弥さん。サッカー日本女子代表を目指していたアスリートが、今に至ったきっかけとは? 話はアメリカでの大学院留学時代までさかのぼる。「その頃、スポーツと教育が交わるキャリアを考え始めていました。でも、当時の日本では学校の先生か指導者くらいしか選択肢がなくて。それはおかしい、と模索していた時に、ニューヨークでサッカーを通じて子どもの居場所を作るべく活動するNPOを知り、夏休みにインターンとして参加したんです」 

ニューヨークのハーレムでは、複雑な家庭環境に育つ子どもたちが多く、ギャングなどが関わる犯罪に巻き込まれてしまうことも。そのNPOでは、子どもたちが放課後の時間を使いスポーツを行うことで、非行や犯罪、家庭内暴力から守れるようにする、という取り組みをしていた。そこでのサッカーは、技術を磨くことが目的ではない。例えば、リーダーシップやコミュニケーション力を養う、といったライフスキルの獲得に特化していたそう。「衝撃を受けました。日本で、優勝を目指して切磋琢磨するというようなスポーツをしてきた私には、こんなサッカーと教育の関わり方が新鮮で、面白いと思いました。競技を頑張ることによる人間教育は経験してきたけれど、人間教育が目的となった運動プログラムなんて、それまで見たこともやったこともなかったんです」 

さらに、進むべき道を決定付けたのがザンビアでの経験だった。「知らない間に自分が思い上がっていたことがわかり、ショックでした。事前に『あなたが行ったところで何も変わらない』と忠告されていたものの、何かしらできる、助けられる、と思っていました」。本質をまるで理解していなかった、と亜弥さんは言う。例えば、スラムで女子サッカーを教えていても、知らない外国人がいくら熱心に伝えたところで、そのスラムの中心にいる子の言葉にはかなわない。その子が「自分はこれを頑張っているよ」と言ったほうが、100万倍も響く。そんな場所に自分が行く意味はあるのだろうか? 葛藤を続けた。 

途上国支援をしたいという思いからザンビアへ渡った。ザンビアでは、女性が弱い立場に置かれることが多い。女子サッカーの練習後、少女たちに性教育や人権について話す機会も設けた

「日本でなんの苦労もなく育って、大学にも行けて、留学までさせてもらったけれど、彼女たちと私の違いは、生まれた場所だけ。それなのに、彼女たちを『助ける』なんておこがましいって気付いたんです。本当の意味で彼女たちと同じ目線に立って、一緒にアクションを起こすにはどうすれば良いのかを考え始めました」。次回へ続く。

タイでのフィールドワークの際、カセンブディト大学女子サッカー・チームのメンバーと。「サッカー=男性のスポーツ」という意識が根強い国で女性がプレーできる場を作ることで、社会が期待する「女性らしさ」から逸脱し、ありのままの自分を表現できるかもしれない、という余白を生む試み
野口亜弥■筑波大学体育専門学群卒、米フランクリン・ピアス大学大学院でMBA取得。スウェーデンでプロサッカー選手としてプレーし、現役を引退後は、ザンビアのNGOにて半年間、スポーツを通じたジェンダー平等を現場で実践。日本帰国後はスポーツ庁国際課に勤務し、国際協力および女性スポーツを担当する。順天堂大学スポーツ健康科学部助教を経て、今年4月に成城大学文芸学部専任講師に着任。2020年に一般社団法人S.C.P.Japanを共同で設立し、スポーツを通じた共生社会づくりを目指す。
 

■WEリーグ
https://weleague.jp
2021年に開幕した日本初の女子プロサッカーリーグのオフィシャル・サイト。なでしこリーグがプロリーグと思われがちだが、実はプロ契約をしている選手はごくわずかだ。サイトでは産後に現役復帰した選手のインタビュー動画なども公開されている。アジアの中で女子サッカー先進国として位置付けられている日本。「夢や生き方の多様性」「女性が輝く社会」の実現を理念に掲げる同リーグの今後が期待される。

■SOCCER KING:Letter from the Chair
www.soccer-king.jp/writer/article/1170390.html
WEリーグの岡島喜久子初代理事長によるコラム。FIFAがサッカー界における女性のエンパワーメントを重要なテーマとしていることなどが書かれていて、興味深い。WEリーグでは女子サッカー選手のセカンドキャリアの一助にと、監督またはコーチとして女性指導者を1名以上、役職員の50%を女性とすることを定めている。ここにも亜弥さんの言う「ジェンダー・インクルーシブなスポーツ・コーチング」への課題が見えてくる。

■Plan International Japan:サッカーで変える未来~ブラジル~
www.plan-international.jp/news/girl/20190625_17183
女の子をサポートし、地域社会の発展を促進する国際NGO、プラン・インターナショナルによる前回の女子サッカーW杯の記事。女性がサッカーの技術向上によって自信を持ち、男性が尊敬の念を持つことで男女の役割意識や社会規範にも変化を起こせる、としている。サッカーで途上国の女性支援、なるほどそういうことか! 女子サッカーW杯はいよいよ7月にオーストラリア・ニュージーランドの共催で第9回大会が開幕。日本はグループCで初出場のザンビアとも対戦する。

小野田ケンさん/ユナイテッド航空パイロット

日本出身ながら、アメリカの航空会社でパイロットとして空を舞い上がる小野田ケンさん。家族や周りの支えに感謝しながらインタビューに応える姿が印象的ですが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったようです。これまでの苦労や、これからの夢を熱く語ってもらいました。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

ユナイテッド航空のウイング授与式にて妻のエレンさんと。「妻、両親、教官、友人、先輩、後輩、たくさんの恩人に支えられ、夢がかなったのを心から実感した日でした」
小野田ケン1991年生まれ。神奈川県茅ヶ崎市出身。日本人の父、インドネシアのバリ人の母を持つ。拓殖大学工学部国際エンジニアコース・パイロット養成プログラム一期生。ネブラスカ州での2年間の航空留学でコマーシャル・パイロットのライセンスを取得し、卒業後はオレゴン州の小野アビエーションにて飛行教官、チーフ・フライト・インストラクター、スクール・アドバイザーとして4年間勤務。インフィナイト・エアロ・アカデミー(IAA)のチーフ・フライト・インストラクターを経て2018年、ホライゾン航空入社。2021年に機長へ昇格した後、2022年よりユナイテッド航空パイロットに。2023年、異動に伴いワシントン州からカリフォルニア州に住居を移したばかり。
 
パイロットになる決意
 
「母の故郷のバリ島を訪ねて飛行機に乗るたび、パイロットのプロフェッショナルな雰囲気にほれぼれしていました」。オーストラリアの航空会社に勤務する日本人の父と、インドネシアのバリ人の母の間に生まれたケンさんは、物心がつく頃にはすでにパイロットという職業に憧れをつのらせていた。茅ヶ崎育ちで、家の近くには旅客機が頻繁に飛ぶ航路や、海上自衛隊と米海軍の厚木航空基地があった。日々、上空を行き交うジェット機を誰よりも早く見つけては、「コックピットから見える景色はどんなものなんだろう」、「乱気流で機体が揺れる間、パイロットは何をしてるんだろう」と、いろんな想像を膨らませた。
とにかく元気で、動き回る子どもだった。飛行機離陸の加速感が大好きで、両腕を伸ばして全速力で走り、ジャンプ! と、まねをしていたそう

母、リアニさんの若かりし頃。両親の出会いはなんと、バリ島のコーヒー・ショップでのひと目ぼれだとか。カタカナ表記の「ケン」は、インドネシア語の「Sing ken ken(シン ケン ケン)」(「大丈夫、なんとかなるさ」の意)から名付けられた
父の豊さん、4歳離れた姉の有莉さんと。ケンさんが「好奇心の塊のような人」と形容する豊さんは、普段厳しくてもピンチの時には必ず助けてくれた
祖父の家で見つけたホームビデオのひとコマ。中央でパイロット帽をかぶるのが、幼き日のケンさん

しかし、そのままパイロットの道へと突き進んだわけではなかった。「実は中3の終わりから、ちょっとやんちゃしてしまって……。高校を卒業したら当時バイトしていた塗装屋で雇ってもらおう、なんて思っていたんです」。オールバックの髪を染め、ワークマンで買ったニッカポッカの出で立ちで、仲間と一緒に原付を乗り回す、やんちゃ時代を送ったと言う。そんな高2の夏、祖父が亡くなった。「姉とふたりで祖父の遺品を整理していたら、古いホームビデオが出てきたんです。幼稚園の催しでパイロットのコスチュームを着て『パイロットになりたいです!』と大声で叫ぶ自分を見て、俺、何やってんだ……って。それで目が覚めました」
 
そこから一念発起! 幼い頃に思い描いた夢を実現できる道を探し始めるが、そう甘くはなかった。日本でパイロットになる場合、その進路はある程度決まっている。航空大学校へ入学するか、大学卒業後に航空会社に入社して自社養成コースを目指すか、メインはその2択。「結局、どちらもエリートなんですよ。高2まで遊んでいた自分が行けるわけないって感じで。あとは高いお金を払って飛行学校に入り、免許を取るという方法もあるけれど、うちはそんなにお金持ちでもなく、やっぱり無理そうだと……」
 
ところが、当時はちょうど、いくつかの大学がパイロット養成プログラムを開講し始めていた頃だった。ANAと提携する東海大学を筆頭に、法政大学理工学部の航空操縦学専修や、桜美林大学のフライト・オペレーション・コースなど、ちょっとしたブームに。だが当然のことながら、それらのプログラムでは一定の英語力が合格基準として定められていた。「その頃は、TOEFLって何?っていうレベルで。浪人も視野に入れ始めた矢先、拓殖大学工学部がパイロット養成プログラムを新たに導入することを知ったんです」
 
一期生の募集で、まだ英語面接以外の語学能力要件がなかった。それまで遊んでばかりいた息子が親に頭を下げ、塾の費用を捻出してもらった。この話をするときは、いつも涙があふれてしまうと明かすケンさん。「あんなにどうしようもなかった息子を信じてくれた。母は茅ヶ崎の日本料理店でパート勤めをしていたのですが、そのお金で塾に通わせてもらったんです。だから必死に勉強しました」。結果、特別奨学生として合格。4年間の授業料が免除されることとなった。「さんざん心配をかけた自分を見捨てずにいてくれた両親には本当に感謝しています。いまだに母からは、『良かったねぇ、あの頃は大変だったねぇ』なんて言われますけれど(苦笑)」
 
アメリカへ留学後、航空教官を経て航空会社に就職
 
晴れて拓殖大学のパイロット養成プログラムに入学したが、大変なのはここからだった。最初の1年半は実家の茅ヶ崎から八王子の高尾キャンパスまで片道3時間かけて通った。電車内では工学部の必修科目はもちろん、提携大学であるネブラスカ州立大学カーニー校に航空留学するため、英語の勉強にも励む毎日。そして大学2年目の夏、ネブラスカへ渡ると、待ちに待った飛行訓練が始まった。
 
「いざとなると、やっぱり緊張しました。この仕事が自分に合っていなかったらどうしようとか、乗り物酔いしちゃうかもとか……。でも、初めて自分でセスナ機を操縦した瞬間、『これは楽しい!』とすぐに吹っ切れました」。教授や教官に恵まれ、座学講義も面白くて仕方がなかったそう。それまで勉強は好きではなかったことがうそのように、すっかり航空学の奥深さにのめり込み、時間ができると図書館へ直行した。「あまり興味のない科目さえ、飛ぶためならと思うと全く苦になりませんでした」と振り返る。空港から教室、図書館、寮をひたすら行き来するだけの日々を2年間延々と繰り返した。
 
慣れないアメリカでの生活や言葉に苦労はなかったのだろうか。「大学のあるカーニーは、オマハから車で3時間くらいの田舎町。留学して最初のクリスマスに、さらにど田舎にあるルームメートの実家に連れて行ってもらったんです。アジア人なんていない町で、僕がレストランのドアを開けた瞬間、みんな一斉に振り返り、宇宙人を見ているような目で『何あれ!』って。衝撃的でしたね(笑)」。英語は日本式の勉強をしていたこともあり、最初は全くしゃべることができなかった。それでも、アメリカ人の教官の下、免許を取らなければいけない。現地での猛勉強の甲斐あって英語力も伸び、留学2年目の夏、プログラムの最終目標であったコマーシャル・パイロット(事業用操縦士)ライセンスを取得。日本へ帰国した。
 
しかし、ここでまた大きな壁が立ちはだかる。この事業用操縦士ライセンスは、250時間の飛行経験と種々の試験をクリアし、アメリカ国内で働けるというもの。ただし、飛行学校の教官や遊覧飛行パイロット、農薬散布機などの操縦に限られる。旅客機を操縦するには、さらに1,500時間の飛行経験を満たし、ATP(定期運送用操縦士)のライセンスを取得しなければならない。すなわち、ケンさんが取得したライセンスだけで航空会社に就職することはできないのだ。「しかも、海外ライセンスだと、日本で働こうと思ったら日本の事業用ライセンスに書き換えないといけない。書き換えのための訓練には、最初から新しく取り直すのと同じくらいのお金と労力がかかります。飛行経験を稼ぐために、アフリカのブッシュパイロット(空港のない僻地に物資を届ける)になろうかとも考えました」
 
運良く、オレゴン州にある日本人向け飛行学校の飛行教官として採用され、ビザ・サポートも受けられた。「その学校には、グリーンカードのスポンサーにもなってもらいました。休日でも悪天候でも、とにかく飛んで飛んで……人一倍働きましたね。もちろん、安全第一で」。ネブラスカ時代に自分が開眼させられた教授のような航空教官になりたい、という思いもあった。アメリカでは、1,500時間の飛行経験を第一の目的とし、教えることに情熱を持たない航空教官も少なくないようだ。そんな中、真摯に取り組むケンさんは人気教官に。自身がホライゾン航空入社を決め、訓練を経てATPライセンスを取得する頃には飛行経験が4,000時間を超え、110以上の実地試験に生徒を送り出し、92%の合格率を誇った。「今、日本のスカイマーク社でボーイング737を飛ばしている副操縦士は、ほとんど僕の教え子です(笑)。実はホライゾンに入ってからも、休日には教官の仕事を続けていたんです」
 
航空教官として実績を積みながら、旅客パイロットへとケンさんを導いたものは何だったのだろう。「新しい挑戦をしてみたかったんです。航空会社に勤めるエアライン・パイロットは、規模もスタイルも全く違う飛行機に乗ります。向上心を持っていれば、常に何かしら新しいことができるのがこの仕事の魅力。ひとつとして同じフライトはないですし、操縦士から機長、小さな飛行機の次は大きな飛行機へと、可能性が広がります」。そして、教えることは自分も学ぶことであると、教官を続けた。パイロットとして成長し続けたいという強い志があふれる。
 
人と人をつなぐ旅客パイロットとして
機長を務める飛行機で迎えた、娘の初フライト。不在が多くなるパイロットの仕事は、家族の理解が不可欠だ。「出発の機内アナウンスで万感の思いを込めて家族へのメッセージを伝えたのに、妻はそれを聞き逃したんですよ(苦笑)」
ホライゾン航空パイロットになり、最初に乗ったのはDHC8-Q400型というプロペラ機。シアトル、ポートランドを起点に、北はカナダのバンクーバーから南はカリフォルニア州レディング、東はモンタナ州ボーズマンまでと、ノースウエストの空を中心に飛び回った。
 
ホライゾン航空への入社は大きな試練だったと、ケンさんは語る。「アメリカで働いていたものの、それまでの4年間は日本語の環境にずっといたため英語が上達していなかった。飛行知識に関しては自信がありましたが、チームと連携して仕事をこなすに当たってのコミュニケーションの部分、例えば機内での出来事を客室乗務員からインターコムで報告を受け、無線で管制官とやり取りし、機長と判断を下す、そんなときの英語力が欠けていたんです。すごくショックでした」
 
もし医療的な緊急事態となった場合でも、「盲腸って英語で何? どう伝えるの?」という具合。落ち込むことも多々あった。しかし、そんなときは必ず誰かが支えてくれたと言う。「2016年に妻のエレンと出会ったのですが、彼女のサポートがなかったら訓練についていけなかったかもしれません」
 
ネブラスカでの航空留学時代、初単独飛行を無事終えた後に担当教官のダリン・ジョリーさんと
ホライゾン航空時代の先輩で、日本人初の女性エアライン・パイロット、岡村嘉子さんと。「彼女が乗り越えて来た壁は相当なもの。仕事に真摯に向き合う姿勢を学びました」

昨年、国際線を飛ぶユナイテッド航空への入社を果たした。さらに大きな挑戦だ。「初めて日本からネブラスカに向かった時の便が、サンフランシスコ行き、ユナイテッドのボーイング777型機でした。自分にとっては、人生で大切な第一歩を踏み出すためのフライト。その機長がすごくカッコ良く見えた。あの人みたいになりたいと思ったんです」。これこそ、ケンさんがパイロットであり続ける理由だ。
 
「今、1回のフライトにつき約150人の旅客を乗せて飛んでいます。そのひとりひとりにドラマがあり、目的地に行く理由があります。家族や親友に会う人、大事な仕事のミーティングがある人、大切な人を失いお別れに向かう人……。そんな人々のドラマの一部分を手助けできていると思うと、やりがいや喜びを感じます。アメリカと日本の架け橋になれたらカッコいいなあって、思うんですよね」。ケンさんは2003年公開の米映画「ラブ・アクチュアリー」の冒頭、空港の到着ロビーのシーンが大好きだと話す。「再会を喜んでハグしている人、涙している人。自分が担当するフライトの乗客の方が、そんな美しい再会をしている場面を見ると、仕事の有意義さを感じます。人と人をつなぐ仕事です」
 
最後に、今の子どもたちに伝えたいことを聞いた。「水平線って、自分が立っている地点から16キロくらい先にあるそうです。例えばビーチに立っていて、そこから見える水平線の景色のところに、何があるんだろうって思い切って行ってみると、また次の16キロ先が見えてくる。もしビーチに座ったままでいたら、その32キロ先の景色は見ることはできなかったんです。その積み重ねで今の自分がある。僕みたいなのがパイロットなんて無理だと思った人もたくさんいたはずです。それでも信じてくれる人がいた。周りの大事な人たちに感謝し、勇気を持って最初の一歩を踏み出して欲しいですね」
 
訓練後、ホライゾンでの初フライトに、交際中だった妻のエレンさんも搭乗。急きょ行き先が変更となるハプニングがあり、緊張が止まらなかった。「『仕事に集中させて〜』なんて思っていましたが、この記念写真が残っていて良かったです」
セスナ機を借り、ハワイのマウイ島上空を遊覧中、エレンさんにプロポーズ!
両親、妻を乗せてオレゴン州上空を遊覧飛行中にパチリ。父の豊さんに操縦指導したところ、意外にも操縦センスが良くて驚く場面も

旅は道連れ、出会いは宝 〜野口亜弥さんのお話を聞く その 1〜 〜ゆる〜くSDGsな消費者生活 Vol.25

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

旅の醍醐味と言えば、食や文化体験などもろもろあれど、日常生活では知り合えないような人との出会いもそのひとつ。私にとって、野口亜弥さんとの出会いは、そんな旅先での幸運だったと思う。

10年以上前だが、シアトルで舞台芸術の勉強をしていた私は、本場ブロードウェイの舞台を観たいと、何度かニューヨークへ旅をした。その際に常宿としていたゲストハウスで知り合ったのだ。当時、亜弥さんは、女子サッカー日本代表を目指すアメリカの大学院生。そんな「すごい人」に思える彼女でも、挫折やこれからの不安などを語っていて、自分だけではないと勇気付けられたのを覚えている。その後、スウェーデンのプロサッカーリーグでプレーしたり、ザンビアでサッカーを教えたり(!)。そして日本帰国後には立ち上がったばかりのスポーツ庁に入庁と、SNSを通して活躍を目にしては、「立派だなあ……」と陰ながら応援していた。 

アメリカのセミプロチームでプレーしていた留学時代の亜弥さん(中央)

少し前、SNSで「ジェンダー・インクルーシブなスポーツ・コーチング」についての亜弥さんの投稿を目にした。スポーツ・コーチングの世界でジェンダー・インクルーシブってどういうこと? 全くわからない分野だったので、「詳しく教えて欲しい」とメッセージを送信! ずいぶん久しぶりの連絡にもかかわらず、亜弥さんは以前と変わらない気さくさで、本コラムでの掲載をふたつ返事で快諾してくれたのだった。 

そもそも、亜弥さんは今どんなことをしている人なのか? そこから説明していこう。現在は、成城大学文芸学部の専任講師として「開発と平和のためのスポーツ(SDP)」の研究を続ける傍ら、「スポーツを通じた共生社会づくり」を目指す団体、S.C.P. Japanの代表を務める。さらに、この4月にはLGBTQ+の人々を支えるNPO法人、プライドハウス東京の共同代表に就任と、なんとも忙しい日々を送っている。 

プライドハウス東京メンバーと(前列右端)。日本初の大型LGBTQ+センターとなる、プライドハウス東京レガシーをサポートするためのクラウドファンディングを4月末日まで実施中(https://syncable.biz/campaign/4292

亜弥さんが研究テーマとする「SDP」は国連も打ち出すコンセプトで、例えば女性差別や暴力の撤廃といった社会的課題の解決手段としてスポーツを捉えるもの。最近まで、タイで女性のエンパワーメントを題材としたフィールドワークを行っていたそう。「サッカーは男性のためのスポーツ」という意識が根強い同国で女性がプレーできる場を提供し、ジェンダー規範からの逸脱を図ると同時に、より大きな目標に向かうためのきっかけを作る、ということらしい。なるほど、いよいよ話が面白くなってきたところで、続きはまた次回!

野口亜弥■筑波大学体育専門学群卒、米フランクリン・ピアス大学大学院でMBA取得。スウェーデンでプロサッカー選手としてプレーし、現役を引退後は、ザンビアのNGOにて半年間、スポーツを通じたジェンダー平等を現場で実践。日本帰国後はスポーツ庁国際課に勤務し、国際協力および女性スポーツを担当する。順天堂大学スポーツ健康科学部助教を経て、今年4月に成城大学文芸学部専任講師に着任。2020年に一般社団法人S.C.P.Japanを共同で設立し、スポーツを通じた共生社会づくりを目指す。
 

■S.C.P. Japan
https://scpjapan.com
スポーツを通じて、誰もが自分らしく歩んでいける社会の実現をコンセプトに掲げる一般社団法人。インクルーシブなスポーツ・プログラムやイベントなどを実施し、ジェンダー平等のための研修・講習、アスリートを招いての交流会、情報発信も行う。

■プライドハウス東京
https://pridehouse.jp
東京2020オリパラを契機に、LGBTQ+に関する理解を広げることを目的として2018年に立ち上がったプロジェクト。現在は、特定非営利活動法人として運営される。2020年には新宿にプライドハウス東京レガシーという大型LGBTQ+センターを開設した。

■開発と平和のためのスポーツ国際デー
www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/social_development/science_culture_communication/un_sports
国連では、スポーツが「平和と開発を促し、SDGsの達成において重要な役割を果たす」とし、4月6日を「開発と平和のためのスポーツ国際デー」と定めている。スポーツ環境のための、気候変動の課題解決にも取り組む。

「丁寧な暮らし」でエコは実現できたのか〜ゆる〜くSDGsな消費者生活 Vol.24

​SDGsとは「持続可能な開発目標」。環境対策や貧困撲滅、ジェンダー平等などなど、大きな目標はたくさんあるけれど、私にもできることって? サステナブルで豊かなおうち時間を目指すべく「地球に、人に、そして自分に優しく」をテーマに、今気になるモノやコトを紹介!

わが家には炊飯器がない。が、別にミニマリストというわけではない。炊飯専用土鍋を使用して米を炊いている。 

少し前、いわゆる「丁寧な暮らし」的な日本の道具集めにハマっていた。一時帰国のたび合羽橋や築地場外市場に足を運び、鉄の打ち出しフライパンだの、銅の卵焼き器、朴ほおの木のまな板だの買って帰ったものである。ここ3年は日本に帰ることもできず、物を増やさずにいるが、どの道具も大切に使っている。昔ながらの道具の良さは、初期費用は少し高くともシンプルなので長く使えること。その意味でエコなんじゃないかと思う。 

新たに手に入れたのは、コーヒー器具でおなじみ、ハリオの「フタがガラスのご飯釜」三合炊き($92.50)。沸騰すると蒸気穴のホイッスルが鳴ってお知らせ。いつの間にかハリオUSAの公式サイトができていて、オンライン購入が可能になっていた。これはうれしい驚き! ちなみにアマゾンでも買える

さて、土鍋を入手したのは、意外にも日本ではない。6年前、ニューヨークの和包丁専門店でアルバイトをしており、そこで扱いがあり購入した。「鍋で炊飯なんて難しそう」というイメージがあったが、その萬ばんこやき古焼の「菊花ごはん土鍋」は、とにかく便利。通常通り20分ほど吸水させた米を入れ、水位目盛りに沿って水量を調節し、火にかける。10分程度で蒸気口から湯気が吹き出したら沸騰の合図。火を止めてそのまま20分放置するだけで、キラキラの白飯に仕上がる。 

見よ、この米粒の輝きを! ところで、「サステナブル・炊飯」で調べたところ、米選びも実は重要な要素らしい。これはまた詳しく調べる必要がありそうだ

その手軽さと炊きたてのお米のおいしさを実感していたので、お客さんにも勧めまくっていた(笑)。電気機器ではない土鍋は、きっと壊れづらいから長く使えるはず、万が一壊れてもプラスチックではなく自然の素材だから土に還るはず……エコ! と思い込んで使用していた。しかし、「丁寧な暮らし」にハマりながら全く丁寧な所作ができない粗そこつもの忽者の私。1年だか2年だか使用した後、まずふたを割ってしまい、ふただけ買い替えることに。さらに数年後、鍋つかみをせずに中ぶたを持ち上げ、あまりの熱さに落とし、本体の取手に激突させた。パリン……。それでも使い続けてきたが、ここに来て本体もかなり劣化が目立つようになった。 

そこで、はたと気が付いた。このペースの買い替えでは、むしろ電気炊飯器より環境に悪いのではないか、と。しかも土に還るどころか、縄文土器だっていまだにその辺の畑から破片が出てくるほど、陶器って強い。土鍋での炊飯は果たして本当にエコなのか?  

わが家は電気調理なので、一般的な「土鍋は直火、炊飯器は電気」という電力消費の比較はできないが、稼働時間を考えると「ほんのり」くらいは抑えられていると信じたい。電気炊飯器の寿命は通常3~6年、最長でも10年だそう。一方で土鍋は10年でも20年でも……もちろん大切に使えばの話。次はせめて10年は保たせたいものである。

 

■HARIO
www.hario-usa.com
日本が誇る、創業1921年の老舗耐熱ガラス機器メーカー。理化学製品の製造販売から始まり、その技術を生かしたサイフォンなどのコーヒー用品が高い評価を得ている。特にコーヒードリッパーのV60は、世界中のバリスタが支持する優れもの。ガラスのアクセサリー・ライン「HARIOランプワーク・ファクトリー」の素朴で繊細に作り込まれたピアスやネックレスもおすすめだ。

■銀峯陶器
https://ginpo.co.jp
1932年創業の萬古焼土鍋の大手メーカー。白とグレーのグラデーションに、花文様の花三島シリーズは、一度は目にしたことがあるのでは。筆者が愛用していた菊花ごはん土鍋は、火加減不要、中ぶた付きで吹きこぼれなし、という使いやすさに加え、上ぶたの色を粉引、飴、瑠璃の3種類から選べるのも魅力。サイズも2合、3合、5合炊きと取りそろう。アマゾン・ジャパンで米国への配送にも対応する。

■光琳
www.korin.com
和包丁、和食器、業務用和調理器具などを広く取り扱い、ニューヨーク、マンハッタンのショールームには世界中から著名シェフが足を運ぶ。まだアメリカで和食が珍しかった 1982 年、ウエートレスとして働いていた川野作織さんが、本物の日本文化を広めたいと和食器の行商をしたのが始まり。銀峯陶器の花三島シリーズの土鍋を含め、さまざまな和調理器具がオンラインで購入でき、包丁の研ぎ直しサービスは郵送でも受け付けている。

■TOIRO
https://toirokitchen.com
アメリカで買える土鍋を、といろいろ調べていて発見した、ロサンゼルスにショールームを持つ土鍋専門店。ワイン講師だった武井モア奈緒子さんが、伊賀焼土鍋を自作ウェブサイトでオンライン販売し始めたのがきっかけだそう。オンライン・ショップには、長谷園の炊飯用伊賀焼土鍋「かまどさん」を始め、美濃焼の窯元である深山の和食器など、日本の名品がずらりと並び、見始めると止まらない。ギフト選びにも重宝しそう。

吉田美由樹さん/弁護士

移民法専門弁護士である傍ら、日本酒ソムリエとして活動、さらにはコロンビア・リバー・ゴージで温泉リゾート施設を営む家族のサポートと、さまざまな顔を持つ吉田美由樹さん。精力的に日々を送る、そのエネルギーの源は何でしょうか。バイリンガルとしてのアイデンティティーを模索しながら育った日系1世の思いについても語ってもらいました。

取材・文:加藤 瞳 写真:本人提供

 

吉田美由樹■神奈川県横浜市出身。幼少期から日米を行き来し、9歳で本格的にアメリカへ家族と共に移住。コロンビア大学大学院で東アジア学を専攻。シアトル大学ロースクールにて法務博士号、加えてワシントン大学にて法学修士号を取得。ニューヨーク、シアトルの大手法律事務所勤務を経て、オレゴン州ポートランドに吉田美由樹法律事務所を立ち上げ、独立。現在は温泉リゾート施設のテンゼン・スプリングス・アンド・キャビンズで法務にも携わる。日本酒ソムリエなど資格多数。昼は弁護士、夜はソムリエと多忙な生活を送る。インスタグラム(@sakebeauty)で情報発信中。

吉田美由樹法律事務所
移民法や家族法、人事・雇用などに関連した手続きを一手に請け負う。ビザ申請手続きや管理のほか、米国商標登録出願、国際不動産計画もサポート。また、バイリンガル公証人として日本語書類の審査も行う。
Law Offices of Miyuki Yoshida
515 NW. Saltzman Rd., PMB 896, Portland, OR 97229
☎︎503-941-9766(オレゴン)☎︎206-697-8584(ワシントン)
myoshidaLaw@gmail.com

アメリカ移住は父親の長年の夢

「父の『アメリカン・ドリーム』だったんです」。美由樹さんは移住のきっかけを、そう表現する。横浜で歯科技工の会社を経営する両親の元に生まれた。アメリカでの生活を夢見た父親と共に家族でやって来たのは、物心つく前のことだ。シカゴ、ロサンゼルス、グアムでの生活を経験し、オレゴン州ポートランドに移住したのは小学3年生の時。ポートランド日本人学校に通い、グリーンカードも取得した。大学は市内のリード・カレッジに進学し、心理学を専攻したが、初めての就職先となったのは意外にも東京の法律事務所だった。

969年、初めてのアメリカ生活がイリノイ州シカゴでスタート。1月、横浜港から船に乗り、ハワイで入国を済ませ、2週間でサンフランシスコ湾に到着した。父親はスーツでビシッと。
美由樹さんも赤いタイツに赤のメリージェーン・シューズとハイカラだ。「グリーンカードの取得は、ロサンゼルスで会社を経営していた父の場合は簡単でしたが、それまで日米を行き来していたために、私たち家族の分の申請は大変だったと聞いています」

「大学を卒業した夏、慶應大学の国際センターで日本語を勉強していたのですが、たまたま新聞広告でバイリンガルのパラリーガルを募集しているのを見て。ちょうど大学4年生で心理学にフォーカスした法律のクラスを取っていたので、法律も面白いなと思っていたんです。それで一生懸命、日本語で履歴書を書きました」

ネイティブの英語を使う仕事と言えば英会話講師くらいだった当時、こんな偶然から東京の大手法律事務所で働き始めることに。バブル真っただ中で日本の銀行が海外の銀行に貸し付けるといった事例も多く、ニューヨークやロンドンなど世界を股にかけてコミュニケーションが取れるバイリンガル・パラリーガルは重宝された。そしてこれが、法の道へ進む契機ともなった。

日本人から日系アメリカ人へ

アメリカに戻り、ロースクールを目指すことを決心した美由樹さんだったが、その道のりは平坦ではなかった。「何度か挑戦したんですが、なかなかうまくいかなかったんです。日本でしばらく生活していたことが逆にあだとなってしまって……。これはまた英語を学ぶ必要があるなと感じました」

ニューヨークのコロンビア大学に通う兄の直樹さんを家族で訪ねて(1980年代)

コロンビア大学に通っていた兄の影響で、かねてから憧れがあったニューヨークへ。同大学院で東アジアの文化や歴史を学びながら、ロースクールへの挑戦を続けた。だが、そのことは大学院に在籍する2年間、誰にも言わなかったそう。「シークレット・ミッションでした(笑)。もし入れなかったら、そのまま日本の研究を続けて、裏千家の茶の湯について博士論文なんか書いていたかもしれません」。同じ頃、人生の大きな決断もしていた。「大学院の卒業式の翌日、アメリカ人になったんです。ロースクールに進んだら、将来はアメリカの政府で働いてみたいと思っていたので、そのためには市民権があったほうが良いだろうと」

ポートランドにて、家族と共に過ごすクリスマス(1990年代)。移住先にポートランドを選んだのは、父親が「オレゴンは子育てに最適な地」という雑誌の記事を見かけたからだそう
1994年5月、コロンビア大学大学院で東アジア学(East Asian Studies)を修了。在学中には日本文化研究の第一人者、ドナルド・キーン氏の文化センターにてバイリンガル・プログラムのアシスタントを務める

やがて美由樹さんはシアトル大学で念願のロースクール進学を果たすが、ここでも持ち前の探究心を発揮する。「ワシントン大学に日本の法律を専門とする先生が2、3人いると聞いて、バイリンガルとして国際的な仕事をするためにも、ぜひ勉強したいと思いました」。シアトル大学ロースクールの学部長に相談して許可をもらい、日本法の面白そうな授業を片っ端から受講。「でも、たくさん取り過ぎちゃったみたいで、あとから学長に怒られたんですよ! その後、私のせいで授業はひとつしか取れないルールができたみたいです」

さらに、父親の勧めでワシントン大学の1年間の法学修士課程に進んだ後、移民法に的を絞り就活。「女性として、日本からの移民として、マイノリティーの自分の立場を生かすには、どうしたら良いかを改めて考えました。そうなるとやはり、移民法を専門にすべきだと気が付いたんです」

見事、ニューヨーク市内マンハッタンにある、当時世界でトップに立つ移民法法律事務所に採用が決まった。こうして数年を超多忙な弁護士として過ごし、ニューヨークをあとにしたのは、9.11の同時多発テロ2カ月前のこと。それから、シアトルの大手法律事務所2カ所を経て、2006年、レドモンドとカークランドに個人事務所をオープン。2008年には家族のそばで暮らしたいと、故郷のポートランドに戻った。現在は同地で個人事務所の代表を務めている。

1997年5月、シアトル大学法科大学院(ロースクール)を卒業。父母と共に。学ぶことが楽しくて仕方がなかった

ワシントン大学法学修士課程ではアジア法を専門に研究し、1998年6月に無事修了。スクールカラーの金と紫のガウンがまぶしい
日本でのパラリーガル時代に秘書と。「当時、10歳年上の弁護士と付き合っていましたが、『弁護士と結婚しなくても、自分が弁護士になれる!』と思い婚約解消。そうして現在に至ります」
ワシントン州司法長官事務所の独占禁止法部門でロークラークとして2年半働いた法学部1年目の夏。6人いた学生クラークの中では唯一の女性であり、1年生だった

家族のために「温泉弁護士」として活躍

ポートランドから車で約1時間のワシントン州スティーブンソンに母親の別荘がある。テニスが趣味の母親は、体に痛みを覚えた時など、昔からワシントン州カーソンにある温泉に通っていた。両親は「近くに泊まれる場所があれば」と、そこから車で5分のスティーブンソンに別荘を購入。「そうしたら、“アメリカン・ドリーム”の父が、うちの土地も掘ったら温泉が出るんじゃないか、なんて言い出して……」。専門家を招いて地質探査をしていくうち、27年前、本当に掘り当ててしまったのだ。約2,000フィートもの採掘! それが、美由樹さんの家族が現在経営する温泉施設、テンゼン・スプリングス・アンド・キャビンズ誕生の経緯である。

「せっかくならば、その源泉で日本の温泉文化を地域に紹介したい」という両親の思いから、最初は保養施設を考えていた。ところが、さまざまな法律や規制をクリアする必要があることがわかり、計画は困難を極めた。「近くにコロンビア川が流れていますが、新規のビジネスにおいては湧き出た温泉を直接川に流すことはできません。それで、使用した温泉水をきれいにして流し入れる井戸を新たに掘らなければならなかったんです」

このルールは「リターン・ウェル」と呼ばれ、サステナビリティーの一環である。しかし、注水用の井戸の採掘はなかなかの難度で、失敗を繰り返した。ようやく成功したのは、20年後の2016年、父親の亡くなるわずか数日前のことだった。ワシントン州の保健局や環境保護局との複雑な法的手続きを一手に担ったのは美由樹さんだ。「すっかり、温泉弁護士を自称しています」と笑顔を見せる。

当初は、サウナやプール、カフェなどを併設した日帰り温泉を予定していたものの、新型コロナのパンデミックが起こり、さらなる計画変更を余儀なくされた。そしてついに2022年夏、露天風呂付きキャビン6軒がオープンした。キャビン建設でこだわったのは、エコフレンドリーでプライベートな空間。広大な敷地に建つキャビンは、規模こそ小さめだが、個々の浴槽から景色が楽しめ、各シャワー室にはスチームサウナ機能が。電気自動車用の充電用ステーションも備える。もちろん、目玉となるのは塩素を使用しない源泉掛け流し温泉だ。

使用後の温泉水はろ過され、全て元の水脈に戻される。アメリカの法律では水質維持のため、公共の使用には塩素の使用が義務付けられているが、各キャビンに浴槽を付けることで回避できた。温泉は初めてという顧客が多いが、極上の経験ができたと口をそろえ、オープン1年未満にしてリピーターも少なくないとか。「今度は私自身で、近くにある母の別荘を改築し、露天風呂付きコテージをオープンすることを考え中です。母の名が豊江なので、トヨハウスと呼ぶつもり。家族で借りてもらえるような場所にできたらいいですね」

日本酒ソムリエとしても挑戦の日々

弁護士以外に、日本酒ソムリエとして働く美由樹さん。一見、なかなか結び付かない職業のように思えるが、どんな理由があったのだろうか。

ポートランド美術館アジア美術評議会のイベントにて

「8年ほど前、在ポートランド領事事務所の天皇誕生日のパーティーに参加したことがありました。フランスのシャンパンで乾杯しているのを見て、不思議に思ったんですよ。日本のお祝いなのになんで日本酒じゃないのかなって」。興味本位でまずは1日、日本酒のクラスを受講してみた。しかし、それだけでは物足りなくなってしまい、結局はロサンゼルスの日本酒スクール、サケ・スクール・オブ・アメリカに通い始める。平日はポートランドで弁護士業、週末はロサンゼルスで日本酒スクールという、尋常ではない忙しさを乗り越え、英語で利き酒師の資格を取得した。今では日本酒のイベント・サポートや、レセプションでのソムリエなどの仕事で飛び回る日々だ。今後はロンドンに本部を置く世界最大のワイン教育機関、WSET(ワイン&スピリッツ・エデュケーション・トラスト)による難関の日本酒プログラムに挑戦したいと語る。「プログラムは、アメリカ、アジアなどで開講されていますが、発祥の地であるロンドンで受けたいと思っています。ヨーロッパ各地から受講生が集まるので、ヨーロッパ中に新しい日本酒友だちができるかも?」

このコロナ禍では、ワイン好きにも日本酒を勧められるようになりたいと、ワインの勉強も始めた。オレゴン州のワイナリーに履歴書を送り、2カ所でアルバイトとして採用もされた。WSETのワイン・レベル2のコースで学びながら、2カ月に一度はテイスティング・ルームで接客の仕事に就く。「弁護士の友人には、『法律の仕事、してるの?』なんて言われちゃってます」と笑う。さまざまなフィールドで活躍する美由樹さんの、その原動力は何だろう。「コロンビア大学大学院時代に学んだ、茶の湯の陶芸など、日本の歴史と文化といったものには常に興味を持ち続けていました。日本の文化をシェアしたい、世界に広めたいという気持ちが根底にあるんだと思います」

高校時代には、ポートランドの姉妹都市である札幌から毎年やって来る日本人高校生の通訳を務めていた。その頃から、ふたつの国と文化をつなぐ架け橋でありたいという思いが育まれた。日本で生まれ、アメリカで育った中で培われたアイデンティティーが、今の美由樹さんを支えている。

「人によく贈る日本酒は出羽桜。ブーケのような芳醇な香りが、普段ワイン派の人にもおすすめです。今後は日本酒の輸入にも関わってみたいですね」。美由樹さんの探究心と挑戦心はまだまだとどまることを知らない。

父、猛士さんの起こした歯工社デンタルラボは今年で60周年。「ラボラトリー・メンバー・オブ・イヤー」を受賞したこともある。「父は先見の明があり、ビッグ・ドリーマーでした」
利酒師資格取得後も、ニューヨーク、ラスベガス、東京と、さまざまな場所で日本酒を学び、6つものコースを修了・資格取得した
2019年、シアトルの寿司職人、加柴司郎氏が農林水産省により日本食普及の親善大使に任命された際のレセプションに招待を受ける。本誌発行人のトミオ・モリグチと
モダン、かつミニマルなデザインのキャビンは常に予約でいっぱい。大人が日常から解放され、くつろげる場を提供する

テンゼン・スプリングス・アンド・キャビンズ
日本の温泉文化と北欧のスパ文化を融合した、隠れ家的宿泊施設。6軒ある2人用キャビン全てに屋根付きの露天風呂を併設。木々の間より、コロンビア川を垣間見ることができる。成人のみ2泊から受け付け。予約はウェブサイトにて。

Tenzen Springs & Cabins
932 Berge Rd., Stevenson, WA 98648
料金:1泊$265〜(清掃費別、ペット不可)
☎︎509-800-7372、contact@tenzensprings.com
https://tenzensprings.com

テンゼン開業でテープカットを行う母、豊江さん。「子ども3人の名前に全て『樹』の字が入っているのは、木のように強く美しく育って欲しいという願いから。私たち兄妹が自然豊かなノースウエストで育つことになったのは運命なのでしょうね」     Photo courtesy of Skamania County Pioneer
20年ほど前、父の猛士さんがゴージ地域にソメイヨシノを寄贈し、学校や美術館、公園、高齢者向け施設など、さまざまな場所に植樹された。もうすぐ、テンゼン前の桜並木も見頃となる