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Author: りんりん

中国生まれ、日本育ち。大学卒業後、カナダで10キロふっくらしたのち2025年シアトルに移住。子どものころの夢は女優、中学校の時に自分の顔面偏差値を自覚し断念。フワフワ愛猫2匹のために今日も奮闘中!

第6回 アメリカで根をはるということ〜シアトル徒然〜りんりん日記より〜


第6回 アメリカで根をはるということ

1月中旬のある日、変わり映えしない曇り空に慣れ始め、いまだにクリスマスの装飾が輝く住宅街のなかで、アメリカで生活するということについて考える。

移民大国であるアメリカで生き残っている移民は皆、家族の支援が手厚いか、血のにじむような努力をしてきた人だと思う。環境は人の背中も押すし、孤独にもさせる。支援にしろ、自分の努力にしろ、自分がなぜここにいるのか、その理由がわかる人たちにもまれて同じ環境で生きていると、繰り返し自問自答に陥っては、長い夜に溶けてしまう日が続いていた。

どちらもない私は、アメリカにいる資格があるのだろうか。

12月に1年ぶりに日本に帰省して、たくさんの友達と会った。みんな悩みを抱えていた。悩みの重さはそれぞれだけど、それでも彼らは身分のことを心配する必要がなく、たとえ明日仕事を失っても、生きていく国土を心配する必要がない。どうぶつの森のBGMが自然と脳内で流れ始め、私はよくないとわかりながらも彼らがほんわか生きているようにどうしても思えて仕方なかった。

好きな生活をするのにはそれぞれ代償が伴う。私は安心感と引き換えに、何を選んだんだろう。預金残高を見ながら、自分の孤独の市場価値に思いをはせた。大人気漫画「呪術廻戦かいせん」の中で、主人公の虎杖いたどりが他人の魂と体を共有する存在であるがゆえに自分の魂の形を常に自覚しているという描写があった。それと同じように、他国で硬い土に根をなんとか延ばしている私たちもまた、自分がどこまで根を張れているのかを常に自覚させられる。花が咲くまで下に一生懸命根を延ばしたいと決心するときもあれば、諦めて土の栄養となってしまいたいときもあった。そうやって繰り返しすり減っていく中で、自由を求めていたはずなのに、本当の自由とは何だろうと自分さえも見失いそうになる。孤独と、毎日の気合と、自覚が肥料となり、水となり、自由の花を咲かせる日を信じるしかない。

ニーチェの言葉を借りるなら、「踊る星を生むには、心に混沌こんとんを持っていなければならない」。

星一つ見えないシアトルの空をみあげながら、徒然と、夜の焦燥に駆られて。

第5回 Maps Bring Me Back to You〜シアトル徒然〜りんりん日記より


第5回 Maps Bring Me Back to You

10月21日、また一つ、小さいころからの夢がかなった。

高校の時、大好きだったマルーン5のライブに行けずに泣いていたことが、まるで昨日のことのように感じる。マルーン5は私の人生のBGMだ。「This Love」で登校し「Misery」で下校する。 悲しい時は「Lost stars」で泣いて 「Payphone」で朝を迎える――そんな子どもだった。

幼い私はウォークマンに入れた彼らの曲を擦り切れるほど聞いてはアメリカに思いをはせた。歌詞カードを作って、英単語を一つずつ調べ、歌えるようになるまで必死に練習する。心から大好きだった。 

高校生の時、来日ライブがあると聞いて心を躍らせた。なぜかその時は、きっとこれが最後のチャンスだと思って必死に両親にお願いしたことが思い出される。結局、料金が高いことを理由に断られてしまった。絶望だった。もう二度と会えないんだと自分で決めつけて、「Leaving California」と長い夜を過ごした。 

あの夜から何年も経って、ようやく私は彼らのステージに辿り着いた。ライブの始まりを告げる音が響いた瞬間、まぶしい光の中に彼らの姿が現れた。 

自分でチケットを買って、自分の足で会場に来たはずなのに、「あぁ、やっと会いに来てくれた」と思わず声が漏れた。涙でぼやけていく視界の中で、彼らは輝いていた。幼少期から「夢はかなう?」と幾度となく大人に聞いてきた。かなわないなら願わない方が楽だと思ったから。しかし大人は皆、口をそろえて言う。

「必ず、かなうよ」 

そんなわけないと思えるような出来事が重なって、その答えにイラッとすることも少なくなかった。きっとこの人たちは自分の人生がうまくいってるからそう言えるんだとひがんだことさえある。でもいざ自分が24になって振り返り答え合わせをすると、夢はやっぱり全部かなった。それは遅れてくるかもしれない。かなったときにはもうその夢は願った当初の輝きを失っているかもしれない。それでもやっぱりかなう。 

だから、願った自分を笑わないで。「ばかなこと考えてるな」って自分を否定することで逃避しないで。心にまいた種は必ず人生の先で咲いてあなたを待っているから。 

鳴り響くBGMの中で、マルーン5がそう私に叫んでいた。

ラグドールのルルとフフ編〜うちのペット自慢

ラグドールのルルとフフ編

2025年、バンクーバーの節分は大雪。 
 
ずっとネコを飼うのが夢だった私は、友人に勧められてブリーダーの家を訪れた。室内で元気いっぱいに遊んでいる子ネコたちを見て帰路につこうとすると、来たときは静かだった少し大きめのネコが2匹、大きな声で必死に鳴き始めた。 
 
「この子たちは姉妹なんですが、性格が臆病なうえに模様もあまり人気がなくて売れ残っているんです」 
 
ブリーダーによると、この2匹が臆病な性格に育ったのは、ブリーダーの目が届かないところで同時期に生まれた兄弟姉妹にいじめられていたからだという。 
キスしてくるフフ
 
柵の中に入ると、くんくんと私の匂いを嗅いだあと、すぐにネコトイレの中に隠れてしまった。あれほどこちらに向かって鳴いていたのにも関わらず、怯えるように去っていく。 
 
「普段ならこの部屋に人が入ると、こっちを見ることもなく逃げるんだけどなぁ。縁があるのかもね。怖がりだけど、やっぱり遊びたくて、だからこうしてよく鳴いてるんですよ。入ったら逃げるんだけどね」とブリーダーが笑いながら話した。 
大好きな箱に入っているルル
 
縁という言葉を聞いて、中国から日本に転校した当時の自分を思い出した。クラスメートと遊びたくて気を引こうとしたけれど、いざ誘われると怖くて返事ができなかった7歳の頃の自分……。 
 
中国の言い伝えでは、ネコには人間に対する第六感があるという。きっとこの2匹も私の中に同じ匂いを感じて、くんくんと挨拶してくれたのだろう。 
 
姉妹仲良くコストコの箱でお昼寝するフフとルル
 
部屋の端っこでさみしかっただろうな。本当は大きな声で注意を引こうとするほどさみしがり屋なのに、人が来ると逃げざるを得ないほど怖い思いをしてきたんだね。震える2匹を見ていたら、涙が出そうになった。 
 
一緒に帰ろう。 
 
2匹には、中国語で幸せを意味する「福禄(フール―)」からそれぞれ一文字をとってフフとルルと名付けた。鬼はそと、福はうち。節分の日に出会えた小さな福、フフとルルに限りない幸福がより添いますように。
 
(リンリン/シアトル)
 
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第4回 長い雨のはじまりに〜シアトル徒然〜りんりん日記より〜

第4回 長い雨のはじまりに

シアトルの夏が終わる。街からは日の光とともに観光客が消えゆき、冷たい風が吹き始めた。ロサンゼルスから半袖で降り立った同僚は、上着を調達するためにその足でユニクロへ向かった。

シアトルの秋から冬は雨が多く、しかも長い。それ故なのか、この街は人の入れ替わりが早く、多くの人がここを中継地点と考えているように思う。留学生、駐在員、出張などによる短期滞在者、祖国に帰る夢を抱く者――。この街を故郷と呼ぶ声を、私はほとんど耳にしたことがない。 

アメリカの9月は、日本でいう出会いと別れのある4月。またたくさんの顔が入れ替わった。新しい風が吹くエメラルドシティーで、私もまた意図せぬ自分との出会いを迎えていた。芯が通った子だといわれ続けて24年。環境に流されず、強く意見を持てる人間だと調子に乗り始めていた。そんな折、親知らずの抜歯を控えていたときのことである。 

親知らずを抜く決断をしたのは、ずっとしたかった矯正のためだった。抜歯を終え、説明を受けに向かうと、差し出された選択肢はワイヤーかマウスピース。矯正中に口元からワイヤーが見えるのは恥ずかしいと思い、「歯の裏にワイヤーをつけるタイプはできますか?」と聞くと「アメリカにはそのタイプはないよ。恥ずかしいことじゃないし、みんな逆に見せたがるんだよ」と驚きの返答が。矯正のワイヤーが見せたいほどかっこいいものだという価値観に初めて触れたと同時に、さっきまで感じていた恥ずかしさが薄れていくのを感じた。自分の感情が外的環境・要因によっていとも簡単に変えられていく瞬間だった。かたくなと信じていた自分の芯が思いのほかもろいことを知り、歯医者帰りの足取りは少し重かった。 

人はいつの時代も、他人という鏡を通して本当の自分を見る。不意に映った自分の本心に驚き、失望することもしばしば。今回の自分には特にがっかりした。「流行に流されず、自分の感情に正直でいる」という現代の風潮に流され、そこに気付いてまた悩む。20代は悩みの種が尽きない。 

腫れる頬を押さえながら、3杯目のおかゆをかきこむ。シアトルの冬が始まる味がした。

第3回 追いつくように、歩幅をゆるめて〜シアトル徒然〜りんりん日記より

第3回 追いつくように、歩幅をゆるめて

カナダで1年弱暮らしたのちアメリカに引っ越し、4カ月が経った。感性が豊かな方だと自負していたが、海外生活が長くなるといろいろとマヒしてくる。かつて抱いていた海外への憧れも薄れ、当たり前の日常に楽しさよりも嫌気の方が増していた。 

そんな頃、友人の来訪が心を揺さぶった。彼女は9時間のフライトをものともせず、空港に降り立つとその足で、初めてのシアトルの街へと繰り出した。「街にお花がたくさんあっておしゃれだね」「6車線もあるなんて、道が広いね!」「どうして信号機が線にぶら下がってるの?」彼女の何気ない言葉にハッとさせられる。異国で暮らす疎外感に押しつぶされ、いつの間にか心の隅に追いやっていた感性が目を覚ました。 

私は岡山の小さな町で育った。娯楽もほとんどなく、繁盛しているのは葬式屋くらい。小さな世界だった。「常識とは18歳までに身に付けた偏見の集まりである」という言葉があるが、その町では常識が1つしかなかったように思う……孤独だった。だから、木の隙間から見える飛行機に夢を重ねていた。 

初めてカナダに着いた日、英語の看板や標識に胸が躍った。初めてシアトルに引っ越した日、小さい頃に擦り切れるほど観ていた「アイ・カーリー」の舞台となった街並み、マンションから見えるスペース・ニードルに心が高鳴った。 

ぢあryなのにいつしか、足元ばかりを見ながら歩くようになっていたのだと思う。だって彼女と歩くと、街はキラキラ輝いて、そこは私が憧れていた海外の姿をしていたから。日焼けを理由に嫌っていた日差しも、シアトルの海を美しく輝かせていた。私以外家から出ないでほしいとまで思った渋滞も、日本ではありえないほど汚れた車や割れた窓をビニールで覆った車など、見方を変えると面白く、雑多な中にその街の個性が見えてくる。 

ITの町であるシアトルは移り変わりが早く、少しでも油断すると置いて行かれる危機感を感じる。毎日に必死すぎて、自分を抱きしめてあげられなかったことに反省を覚えた。 

今ここに立っていることを、飛行機を見上げていたあの頃の私に伝えられたら、彼女はきっと目を輝かせて喜んだだろう。シアトルの空を飛び交う飛行機。追いつくように、そっと歩幅をゆるめて。

第2回 涙の卒園式と、シールで動く子どもたち〜シアトル徒然〜りんりん日記より〜

第2回
 
涙の卒園式と、シールで動く子どもたち

今月は卒園式。働き始めて2カ月余りの新米教師である私は、「自分にはあまり関係ないかな」と思いながら準備を進めていた。しかし当日、そんな私でさえ、成長した子どもたちの姿に思わず涙がこぼれそうになる。何度もおもらししていた女の子や、寝起きは機嫌が悪く毎回大暴れする男の子が、静かに舞台に立っただけで感動して、スタンディング・オベーションしてしまいそうになった。親のほうが冷静に見ていたような気がする。 

以前、「友達の作り方」について私が人生相談させていただいた上級生まで卒園してしまった。先生にもプレゼントしたいからと、母の日に彼女が描いてくれた素敵な絵は今でも自宅に飾ってある。大きい子たちの卒園に伴い、園内のけんかが一気に減ったといううれしさもある反面、やはりかなり寂しかった。 

季節が移り、夏風吹き始めたわが園では、最近恐ろしい資本主義がはやり始めている。なんと、ポケモンカードを通貨代わりにして下級生に労働をさせる上級生が現れたのだ! 「ポケモンカードが欲しい人!」と呼びかけて集まった子に、「じゃあ僕の代わりにこれ片付けてね」と頼む。そんなやりとりが、最近では日常風景となっていた。はじめは、かわいいなと思って見逃していたが、そのうち先生までも買収し始めた。「先生、グーグルいる?」と聞かれたときにはさすがにもらえるなら欲しいかもと心が動いてしまったものだ。 

「この子はずる賢い子だなぁ」とのんきに交渉している姿を眺めていたとき、ふと気が付いた。この資本主義……私が始めたのかもしれない! 

園に勤め始めた頃、片付けをしない子どもに困り果て「自分でしたほうが早いじゃん」というせっかちな性格を押し込めて、なんとか説得を試みたが惨敗。そこで、「お片付けできたらシールあげる」と言ってみると、みんな人が変わったように片付け始め、次第にもらえたシールの数で競うようにまでなったのである。この技の効果に味を占めた私はこれを乱用し、それを見ていた賢い子が使えると判断し、まねをし始めたのだ。一抹の反省を覚えながらも、その子の観察力の高さに今後が楽しみに思えた。 

子どもと接する中で、自分の言動がどう子どもに映るのか、常に意識しなければならないと痛感する日々。新米教師、奮闘中……。

::新連載:: シアトル徒然 〜りんりん日記より〜 第一回 忘れられる覚悟で奮闘中

第一回 
忘れられる覚悟で奮闘中
シアトルに引っ越して1カ月ほど経った頃、ようやく仕事が見つかった。日本語と中国語のクラスがあるプリスクールの教員である。 

中国生まれで7歳のときに日本に引っ越し、大学までそこで教育を受けた私は、日本の教育方針が大嫌いだった。みんなと同じ行動をしろとプレッシャーをかけてくる教師や、「空気を読め」と言ってくるクラスメートたち。「大人になったらわかるよ」と幾度も言われたが、その言葉さえ嫌いだった。そんな気持ちがわかるような大人になりたくなかった。 

だから初出勤の日、「子どもたちがのびのびと個性を発揮できるように関わろう!」と心に誓い職場に向かった。教室に入ったその瞬間、アップルウォッチのアラートが鳴る。泣いている子ども、騒いでいる子どもに対して、先生も負けじと大声を張り上げている。まさにカオスそのものだった。私は何もできず、教室の端っこでその光景に圧倒されていた。子どもってこんなにやんちゃなの? と思いながら、いや、幼少期の自分はもっと落ち着いていたはず、と信じたい……なんて気持ちがよぎり、目の前の状況をのみ込めずにいると、突如、女の子にプロレス技をかけられた。疲労困憊こんぱい。 

子どもたちは本当に元気だ。一人が何か違うことを始めると、それまでちゃんと座っていた子たちもつられるように動き出す。仕事を始めて数日で、初日の誓いはすでに揺らいでいた。子どもたちにはのびのびと過ごしてほしい。でも、きちんと座って話を聞いてほしい場面もある。その両立は、思っていた以上に難しかった。授業中に遊び始める子を前に、いつしか同調圧力に屈してほしいと願う自分がいた。「どうして座らないといけないの!?」と叫ぶ子に「みんな座って聞いているでしょう?」と口にしそうになったとき、はっとした。嫌っていたはずの日本の教育が自分の中に染みついていたのだ。被害者ヅラしていた私自身が新たな被害者を生もうとしていたのだ。 

きっとかつての先生たちも本当は同調圧力なんて使いたくなかったのだろう。大人になって、そのことにようやく気付き、苦笑いしながら思う。結局、みんなその方法が楽だったからそうしていたのだ。今、同じ立場に立たされた私はどうすればいいのか。楽な道を選ぶのか、新たな被害者を生まないよう闘うのか。立ち向かいたい気持ちはあった。でも、果たしてその労力は報われるのだろうか。記憶力に自信がある私ですら、自分の幼稚園の先生の顔は思い出せない。きっと、この子たちも成長すれば、私のことなど忘れてしまうだろう。精神をすり減らしてまで、自分の存在をいずれ忘れ去るであろう子どもたちのために、どこまで頑張れるのか。合理的に考え、ため息をつく……。今思うと、その時点で答えは出ていたのだと思う。やっぱり私は胸を張って「先生です」と言いたい。そして過去の先生や日本の教育に向かってこう言いたい。「大人になったらわかるって言ってましたけど、私はその道を選びませんでしたよ」と。 

今日も自分にそう言い聞かせながら、職場へと向かう。そして、どうしても思い出せない自分の幼稚園の先生の姿を、今日も心の中で探している。その人がいたという事実に少しだけ慰められながら。