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Author: 菅原 瑞穂

明治大学経営学部3年生。2019年9月よりシアトル・セントラル・カレッジで1年間の留学中にインターンシップ参加。 趣味はスノーボードとダイビングで、国内外問わず海と山にスポーツをしに出かけるのが大好き。自粛期間ではパズルにハマり、現在は5,000ピースに挑戦中。

自宅でも続けよう! {タイプ別}英語学習のススメ

自宅でも続けよう!
{タイプ別}英語学習のススメ

新型コロナの影響で留学を断念せざるを得なかった方も多くいるのではないでしょうか。
ここでは留学経験者がおすすめする、自宅での効果的な英単語学習法についてご紹介。4つの学習タイプのうち、自分がどれに当てはまるかを確認し、参考にしてみてください。

取材・文:菅原瑞穂

Why(なぜ)タイプ

「なぜそれが必要なのか?」と考えるタイプ。そんな皆さんにおすすめなのは「マイ単語帳」の作成だ。映画やドラマを観ている時、文法問題を解いている時など、英語に触れている中でわからなかった単語をレベル別に分けて単語帳を作成することで、自分だけの単語帳が出来上がる。「初見の単語」、「見たことはあるけれどわからない単語」、「もう少しで思い出せそうだった単語」の3つにレベル分けして記録することで、効率良く学習可能。自分の苦手とする単語も一目瞭然に管理できるので、コツコツ方の皆さんにはぴったりの学習法となっている。

What(なに)タイプ

「何を勉強するの?」と考えるタイプ。このタイプの人は、まず全体の概要や内容、全体像、仕組み、背景が最初に知りたいと感じるもの。そんな皆さんには「単語を文章で覚える」方法が最適! 単語単体だけではなく、覚えたい単語を含めた文章ごと暗記することで効率的に学習を進められるはず。たとえば、「dog」を覚えるべき単語だとすると、「I like dogs.」というように例文を自分で作成してみる。例文の自作により、単語の使い方も同時に身に付けることができるのだ。

今すぐタイプ

「今すぐ行動できる方法を知りたい」と考えるタイプ。そんな皆さんは、市販の単語帳の広い範囲を何度も繰り返す方法を試してみて。たとえば、1回の学習量を1章として、音読学習をする。1回に時間をかけるのではなく、「浅く広く」を意識して何度も繰り返すことが効果的。

どうやってタイプ

「それってどうやるの?」「どうやって勉強すればいいの?」といったように、方法論をまずは知りたいタイプ。そんな皆さんは①〜③の方法に加え、ほかの方法も試して、自分に合った方法を見つけることから始める必要がありそう。自分に合った方法を見つけるのは骨が折れるものの、1度見つけることができれば高い学習効果を望めるはず。

学習方法を決めたらあとは実践のみ!

それぞれのタイプに当てはまる先輩留学生たちが実際に役立ったと教えてくれた学習方法。自分に合いそうなものはありましたか? ぜひ取り入れてみてください。


・シアトル留学生の本音 コロナ禍でも自分らしく頑張るしかない!
・元シアトル留学生にインタビュー
シアトルは将来の課題解決のカギやヒントが詰まっている

シアトルは将来の課題解決のカギやヒントが詰まっている

元シアトル留学生にインタビュー
シアトルは将来の課題解決のカギやヒントが詰まっている

大学時代にシアトル留学し、今は新聞記者として日本で働く渡邉 朔さんは、ソイソースを発行する北米報知社の元記者インターン。留学で得た経験が人生に大きな影響をもたらし、将来設計が明確になったと言います。当時の就職活動について詳しく話を聞きました。

取材・文:菅原瑞穂

北米報知社でのインターンシップで戦時中の日系アメリカ人強制収容について取材中の渡邉さん
渡邉 朔 ■大学2年生の夏、2012年9月から2013年7月までの約1年間、ワシントン大学に交換留学。2012年12月から2013年6月まで、北米報知社で記者インターンシップに参加。現在は朝日新聞記者として活躍。
 

就活を始めた時期を教えてください。

大学3年の夏ごろからですかね。大学2年次に大学の交換留学制度を使って留学していたので、帰国後、大学3年の夏から秋にかけて新聞社3社、テレビ局2社、通信社1社のインターンに参加し、積極的に業界理解に努めました。毎週のように合同説明会やOB・OG訪問にも積極的に参加していました。

帰国前からオンラインでもできる就活や情報収集を始めるべきだと思います。日本の企業に就職を希望する場合、留学中で日本から離れていてもネットを使ってインターンシップの参加申し込みをしたり、オンラインの企業セミナーを受けたりすることはできるので、帰国前に早めに情報収集をすることが大切です。

メディア業界に絞っていた理由は?

シアトルで経験した新聞社でのインターンシップが決め手でした。留学中に感じた日本の悪い部分をメディアで可視化することで、日本の若者に危機感や現実を受け止めて欲しい、日本の課題解決に貢献したいという思いから、メディアを志望するようになりました。

留学は日本を客観的に見つめ直す良い機会になり、日本を改めて捉え直すことができました。日本は、男尊女卑や少子高齢化、海外の方への差別など、他国に比べてまだまだ遅れている部分があるように感じます。創刊100年を超える『北米報知』での記者インターンシップを経験したことで、日系アメリカ人コミュニティーの方々と深く交流する機会に恵まれました。その半年間に、戦時中の強制収容や人種差別など、さまざまな苦難を乗り越えてきた人々が紡いできた生き方や思い、価値観に触れた経験が、かえって自分の生まれ育った日本が抱える課題に向き合うきっかけを与えてくれたと思っています。

留学経験は就活にどのように生かされましたか?

自分の過去の経験と、未来にある将来の目標をつなげる役割を果たしてくれました。振り返ってみると、留学先を決める時にシアトルを選んだのは「未来を作るアイデアを持っている、いろいろな人の話が聞けそうだから」でした。環境に配慮したまちづくり、多文化共生の橋渡し、デジタルのリーディング・カンパニー、ワクワクして聞きたい話がたくさんありそうなシアトルに魅了されました。その頃から、さまざまな人の話を聞くという記者の仕事につながるものがあったと思います。

就活とは、自分の過去、現在、未来を一直線につなげる作業です。今、自分がなぜ留学しているのか、今までなぜその選択をしてきたのか、興味を持っていたのか、これまでの自分を振り返って未来を見据えることが大切です。また、留学中に自ら足を動かし肌で感じて得た経験が、今まで抽象的であった自分のやりたいことや目標を具体化してくれました。インターン中に生の人の話を聞いたこと、ホームステイ先での家庭内のコミュニケーションや初めて触れるキリスト教の文化など、身近にある貴重な経験が自分のビジョンをはっきりさせてくれたと感じています。もちろん勉強も大切ですが、留学でしか得られない生の経験を多く積むことを意識してもらいたいです。

最後にシアトル留学生に向けてアドバイスをお願いします。

コロナ禍で、思うような留学生活が送れていないと感じる留学生は多いと思います。今は心身共に本当につらい時期ですが、元シアトル留学生のひとりとして言えるのは、「今、学生として2020年の米国シアトルを体感していること」が将来の何よりのアドバンテージになり得るということです。

全米に広がったブラック・ライブズ・マター(BLM)運動やコロナ禍が改めて浮き彫りにしたのは、「人種差別や分断の再燃」、「ここ20年のグローバル化の再考」、「デジタルトランスフォーメーション(DX)の重要性」、「持続可能な社会への疑問」といった、これから私たちの世代(ミレニアル〜Z世代)が世界的に直面している課題です。こうした課題を克服するヒントを、シアトルという街・人・地域は持っています。特に「多様性」、「デジタルイノベーション」、「環境意識」については、日系アメリカ人コミュニティーなど地域としての歴史や経験、知恵を持つシアトル、ワシントン州という地域のあらゆるところにそのヒントが隠れています。

コロナ禍で大変な局面ではありますが、豊かなシアトルにいる学生の皆さんは、今まさにそうした諸課題の解決を図る能力を耕している最中と言っても過言ではないと思います。その第一歩として、オンラインでもリアルでもできる範囲で「足で稼ぐ(街を歩く)」、「現地の人の話を聞く」機会を増やせば、出会いや幸運、発見が転がり込んできます。たとえば、日々ニュースをチェックして、現地の友人とビデオ通話で議論するのはどうでしょう。

ある意味では、この時代の転換期に米国シアトルを体験した学生のマインドは、良識ある日本の企業でもきっと求められるはずです。


・シアトル留学生の本音 コロナ禍でも自分らしく頑張るしかない!
自宅でも続けよう!{タイプ別}英語学習のススメ

アメリカに留学して得たもの

人によって留学の目的はさまざまだろう。私の場合、日本とアメリカの違いを知ることだった。昨年9月に渡米後、シアトルの大学でビジネスを学びながら寮で下宿生活。奮闘する中で多くの違いを感じると共に、乗り越えるのに苦労した。新型コロナの影響で一時帰国を強いられたが、短い期間でも日本にいては知り得なかった違いを肌で感じられた。この経験は私の中で大きな財産になっている。

まず、教育が大きく違う。アメリカの大学に通ってみて驚いたのは、授業で学んだ知識や情報を自ら実践する機会が多いことだ。たとえば、私は日本の大学でもシアトルの大学でも、中国語の授業を履修していた。日本では文法・語彙を丁寧に覚えられるが、テストでは教科書に載っている知識をどれだけ覚えてきたかを問われるように思う。アメリカでは授業で習った文法を駆使して自分で例文を考え、語彙も自分で活用することが求められる。具体的には、無音の動画に自分で考えたセリフを吹き込む課題。文法や語彙の復習だけではなく、発音を練習する機会にもなり、より実践的な能力を身に付けることができたと感じた。

また、アメリカでの学習は、正解が1つとは限らない問いに対して、自分の答えを導き出すものが多いようだ。日本の授業が座学で理論を学び、知識として蓄えさせるのに比べて、アメリカの授業はYes/Noを判断させられる教育ではないように思う。これは、「違っていることが当たり前」であり、違いを唱えることが良しとされている文化が根付いている多民族国家であることと関係するのかもしれない。

モノの種類の豊富さも違う。スーパーに行くと、目にしたことのないものだらけで衝撃を受ける。牛乳ひとつ取っても、脂肪分が0%、1%、2%、さらにホール・ミルクと呼ばれる普通の牛乳、生クリームと牛乳が半分ずつ混ざったハーフ&ハーフなど、平均5種類の牛乳がどのスーパーにも用意されている。ほかにもシリアルは15種類ほど、コーヒーも20種類ほどといったように、個々のライフスタイルの多様な需要に合わせた商品展開がされている。日本では何かをこれだけの種類に区別することに対して、あまりニーズがないのではなかろうか。これもやはり、違いを主張する意識が人々の根底に存在するか否かに関係しているように思う。

日系アメリカ人市民同盟シアトル支部

日系人の地位向上から、全てのマイノリティーのための活動へ
日系アメリカ人市民同盟シアトル支部

全米最古のアジア系アメリカ人による市民運動団体として、全米各都市で活動を続ける日系アメリカ人市民同盟(JACL)。昨年からシアトル支部代表を務めるスタンリー・シクマさんにインタビューしました。

1920年代からの歴史ある団体

JACLシアトル支部の歴史は、前身のシアトル日系市民協会が設立された1921年までさかのぼる。当時、8,000人ほどに増えた日系移民は、人口約30万人だったシアトルで最大のマイノリティーとなり、白人社会から強い差別の対象になっていた。土地所有の権利を阻んでいた外国人土地法への反対運動、また日系人自身もアメリカ社会になじもうという米化運動など、日系人の地位向上を目指す取り組みが行われた。西海岸各都市でこうした団体が結成され、1929年に全米組織として誕生したのがJACLだ。第1回全米大会は1930年にシアトルで開催された。中心メンバーは、アメリカ市民として生まれた2世たちだった。

1931年9月のJACL全米大会での記念写真。IDに今も残る建物の前で撮影されたもの

第二次世界大戦下では、JACLは米国政府へ「忠誠宣言」を行い、強制収容のさなかでもアメリカ市民としての立場を貫く。戦後は、再び外国人土地法や差別的な移民法の撤廃運動に取り組んだ。アメリカ植民地から移住する形で市民としてシアトルへやってきたフィリピン系や、第二次世界大戦での国家間の協力で市民権の取得がしやすくなっていた中華系とは異なり、外国人土地法と移民法は日系移民にとって大きな障壁として残っていた。JACLが中心になった長年のロビー活動の末に、ワシントン州の外国人土地法は、1966年にようやく撤廃。移民法は、1965年に改正が実現した。

日系人強制収容への謝罪と賠償請求

1970年代には、第二次世界大戦下での日系人強制収容への謝罪と賠償を求める運動を開始する。「キングドーム建設反対運動など1970年から続くアジア系アメリカ人公民権運動の流れで、正義に基づいて活動すれば政府を動かすことができるという認識が生まれた背景がありました」と、スタンリーさんは指摘。「強制収容は日系人にとって大きな出来事でした。誰もが例外なく土地を没収され、収容所で生活することを強要されたのです。祖父母世代の1世、そして両親世代の2世は、強制収容について口にすることはありませんでした。声を上げることで、再び差別の対象になるのを恐れていたのかもしれません」と続ける。

1981年、強制収容された当事者への公聴会がシアトルで行われた。スタンリーさんはコミュニティー紙向けにボランティアで写真撮影をした。「活動は大きなうねりとなっていました。シアトルでは、まだ若かった3世に加えて、ミッチ・ミツユキ・マツダイラ、トミオ・モリグチなどの2世のコミュニティー・リーダーも積極的に動きました。他のマイノリティー・コミュニティーとの連携も欠かせませんでした。より多くの人々を巻き込むことで、政府を動かすことができました」。JACLは、アジア系初の米国上院議員となったダニエル・イノウエ氏など日系政治家らとも連携してロビー活動を続け、ついに1988年、米国政府から日系市民への正式な謝罪と補償金を受けた。

全ての差別へ抗議

日系人の地位向上を目的にしてきたJACLだが、現在ではあらゆる差別の撤廃を訴える立場にある。中華系アメリカ人の若者が日本人と誤解されて殺害された事件が起きた1980年代頃から、アジア系アメリカ人全体の地位向上を訴える立場に。毎年夏に原爆による被爆者を追悼してグリーン・レイクで灯篭流しを行う平和イベント「フロム・ヒロシマ・トゥ・ホープ」の開催にも、スタンリーさんを中心とするJACLシアトル支部が協力してきた。最近では、中南米などからの移民への米国政府による不当な扱いに抗議するなど、日系人が経験した歴史から、移民差別にも目が向けられている。「現在は、昔のように日本町に集まって住んでいるわけではないですし、他の民族や人種との婚姻も増えて、日系アメリカ人というアイデンティティーは複雑になってきています。JACLとしても、そのあり方を変える時かもしれません」と、スタンリーさんは話す。

キング郡裁判所の前で抗議活動を行うJACLメンバー。1930年代に撮影

現在のBLMムーブメントに、スタンリーさんは「正義」と「自分自身の家族のため」に賛同すると話す。「差別がなくならない世の中では、いつ誰が急に差別の標的になるかわかりません。自分自身の家族にまつわる安全の問題です」と強調する。「両親から収容所での生活を聞いた際に感じた怒りと悲しみが自身の正義感の源」と語るスタンリーさんは、先祖が戦時中に受けた差別のむごさと怒りを忘れずに今も活動を続けている。同じような差別がもう誰にも起きて欲しくないという願いの強さを感じた。

スタンリー・シクマ(Stanley Shikuma)■日系アメリカ人3世としてカリフォルニア州に生まれ、1981年からシアトルに在住し、同年にJACLシアトル支部会員になる。執筆・講演を通じて日系アメリカ人としてのアイデンティティーを後世に受け継ぐべく活動中。シアトル最古の太鼓演奏グループ、古今太鼓のアーティストとしても活躍。
Japanese American Citizens League (JACL) Seattle Chapter
☎253-256-2204 info@seattlejacl.org http://seattlejacl.org
 

取材を終えて

日系アメリカ人としてのアイデンティティーの強さに衝撃を受けた。スタンリーさんは、アメリカ生まれアメリカ育ちであり、日本で生活していたことはない。しかし、日系アメリカ人の正義と信念を後世に受け継いでいきたいという強い意思を感じた。戦時中に日系アメリカ人が受けた差別の記憶が終戦から75年経った今でも深く残っていること、2度と起きないようひとりひとりが心の底から願っていることを改めて考えさせられた。


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