Loading...  0%

Author: 磯野 愛

2020年6月まで北米報知社でセールス・マネジャーを務める。北海道札幌市出身。2017年に夫の赴任に伴ってシアトルに渡るまでは、日本で広告代理店に勤務し、メディア担当、アカウント・エグゼクティブとして従事。ワシントン大学でMBA取得後、現在はシアトル発のスタートアップ、Native English Instituteのマーケティング担当として日本市場参入準備に携わる。趣味はテニスで、大会(とその後の打ち上げ)の再開を心待ちにしている。

テレビ番組プロデューサー 阿久津友紀さん

乳がんにかかるということ、そしてがんと共に生きるということ
テレビ番組プロデューサー 
阿久津友紀さん

大泉 洋さんの出世作「水曜どうでしょう」で知られる北海道テレビで、乳がんに関する取材と啓発に15年以上携わってきた阿久津友紀(あくつゆき)さん。46歳で自身も乳がんと診断され、闘病の様子をドキュメンタリー番組「おっぱい2つとってみた〜46歳両側乳がん〜」として昨年5月に放送しました。番組は大きな反響を呼び、日米で受賞。阿久津さんに、番組制作への思いを聞くことができました。

取材・文:磯野 愛 写真:北海道テレビ、本人提供

阿久津友紀■千葉県出身。中・高で放送部に所属し、憧れのテレビマンを目指してマスコミに強い早稲田大学へ進学。小学生の頃、北海道に住んだ縁もあって1995年HTB北海道テレビ放送株式会社入社。深夜番組制作や情報番組の立ち上げに携わり、報道部や営業推進部を経て、現在はネットデジタル部に籍を置く。オレゴン州ポートランドへの留学に加え、2018年には米国務省が主催するインターナショナル・ビジターズ・リーダーシップ・プログラムにも参加し、国際経験も豊富。

乳がんという診断から、それを番組にしようと決意するに至った経緯を教えてください。

母親も乳がんを罹患し、父親は胃がんで他界しているので、がん家系であることはわかっていました。毎年の健康診断は欠かさず受けていましたが、私の場合、ゆっくり膨らむタイプのがんだったため、おそらく何年も前から存在していて見つからなかったのだと思います。乳がん、しかも両側と診断されたその瞬間、「これを番組にしよう」と心が決まりました。同じくテレビマンとして働く夫も、私の決意を受け入れ、応援してくれました。これまで番組制作者として、たくさんの乳がん患者さんを取材し、時には辛い中でカメラを向けさせてもらってきました。それなのに、自分だけ隠れるわけにはいかないという気持ちが強くありました。また、取材を通して乳がんに対する正しい知識がまだまだ行き渡っていないことを感じていました。

がん患者に対する社会の冷たさやサポートのなさ、差別を目の当たりにしてきた私には、番組を通して伝えたいことがたっぷりと蓄積されていました。また、会社という組織の中で同じくがんと向き合いながら仕事を続ける仲間を見てきて、私も自分を奮い立たせ、働く意欲を保っていきたい、そしてその成果を認めてもらって、これからも変わらず会社の一員として生き残っていきたい、という反骨精神も正直ありました。がんの知識があればあるほど、余計に恐怖を感じてしまうのは否定できません。でも、生かされているからこそやらねば、少しでも世の中を良くしなければ、そんな使命感でいます。

ー番組を通して、乳がんは治療法含め多種多様だとわかります。患者が正しい情報を得るにはどうすれば良いでしょうか。

ネットに氾濫する情報は鵜吞みにせず、医師によるものなのか、学会の裏付けがあるか、きちんと確認してください。乳がんは抗がん剤が効くタイプ、ホルモン治療が有効なタイプなど、種類によって特徴が異なります。当然、個人差もあるので、ハンドブックなどで目にする「標準治療」も、そのがんのタイプで分かれています。自分に合った正しい治療法を医師と相談することが大切です

がんのタイプ、副作用、日進月歩で進む最新の治療法、そしてもちろん費用など、考慮すべき内容はさまざま。担当の医師とよく相談しながら、患者は多くの「選択」を迫られることになります。医師のせいなどにして後悔することのないように、不明瞭な部分があるなど必要だと思った場合はセカンドオピニオンを求めることもできます。

病院ごとや地域ごとに患者会もあります。乳がんの先輩たちはちょっとしたことでも相談に乗ってくれますし、わかり合える仲間がいると思うと安心できます。「こんな症状、私だけ?」と不安になったときに「そうそう、私も経験したよ」と言ってもらえるだけでホッとするものです。身の回りのリソースをフルに使ってください。正しい情報を手に入れることで解消される不安もあります。

同僚や友人など、身近な人ががんと診断されたら、周囲はどんなサポートができますか。

乳がん啓発のピンクリボン運動を応援する北海道テレビのマスコットキャラクター、okちゃん

職場に関しては、本人が望んでいない過剰な心配や配慮は不要です。私も番組制作中、「働き過ぎじゃないのか」「現在の部署での仕事は厳しいのでは」と、気持ちはありがたいのですが、本人が全く思ってもいないことを先回りして心配されました(笑)。これは配慮という名の排除につながる可能性がありますので、ぜひご本人とよく話をして、本当に必要なサポートをしてあげて欲しいと思います。

がんと診断され、仕事を辞めざるを得ない状況に追い込まれる人は大勢います。どんなに優秀でも人格者でも、これまでずっと健康だった人でも、いつがんと診断されるかは誰にもわかりませんし、介護や子育てで一時的にサポートが必要になるケースもあります。できることは変わらずやってもらう、できないことはフォローする、「お互いさま」の精神。これが残念ながら昨今の日本社会には欠けてしまっている気がします。

今後の目標は?

日本では年間およそ9万人ががんと診断されます。医療が進歩し、患者の数だけ治療法がある現在は10年生存率も上がり、「がん=死」ではなくなりました。今、必要とされるのは「がんと共に生きることができる社会を構築していくこと」。これは番組を通して最も伝えたかったメッセージのひとつでもあります。

とは言え、がんと診断された私が5年、10年先の自分を考えるのは辛いことです。がんと診断されてから、目の前のことには短いスパンで、より一生懸命取り組むようになりました。普段の生活も、心配のないことや余計なことはしないなど、取捨選択する日々です。がんと診断されて気持ちが沈んでしまっている患者さんの力になりたいとも考えます。このコロナ禍でオンラインが当たり前になり、日本全国そして世界中で気軽につながれるようになったのは唯一の恩恵かもしれません。患者さんと患者会、または別々の患者会をつないで互いの持続可能性を引き出すことに尽力したい。テレビ局で働く利点を生かし、そういったコミュニケーションのハブになれればと思っています。

今後の活動については「乙女温泉」といって、乳がんで乳房を失った女性の温泉デビューをお手伝いするイベントを企画しているほか、3月にはオンラインでのトーク・イベント、さらに5月には本も出版する予定です。がんになったことは、とてもとても悔しい。でもその診断のおかげで番組で賞ももらったし、人生悪いことばかりじゃない、と考えるようにしています。何があっても良い方向に捉えるよう心がけていると、前を向いて頑張ろうという気持ちがついてくるのかなあと今は思います。

ちなみに私は、番組の英語版タイトルに「Boobies behind, Journey ahead」を選んだことでもわかるように、旅が大好き。退院してから友人に会いにポーランドへ行ったり、ドイツやベトナムに旅行したりしました。残念ながら現在は新型コロナのせいで国内で足止め状態。状況が落ち着いたら、夫と青い海を見に海外へ行きたいものです。

阿久津さんがディレクターを務め、自身の闘病を扱ったドキュメンタリー番組「おっぱい2つとってみた~46歳両側乳がん~(英題:Boobies behind, Journey ahead~Bilateral Breast Cancer at 46~)」は、2020年日本民間放送連盟賞番組部門テレビ報道番組優秀/第58回(2020年度)ギャラクシー賞奨励賞/JAPAN PRIZE 2020 International Contest For Educational Media FINALISTに輝いた

シアトルからも英字幕付きで番組視聴可能 www.youtube.com/watch?v=_NM4LD9SEt4&t=1959s

 

【取材を終えて】

阿久津さんとの出会いは筆者が北海道の広告代理店で働いていた頃。早稲田大学レスリング部の出身で、長い手足にスラリとした高身長、良く通る声で緊張感漂う生放送の現場をバリバリ仕切る阿久津さんは、まだまだ男性社会の色が濃いマスコミ業界において、会社は違えども私にとってはロールモデルのような存在でした。病に侵されたと聞いた時にはとても驚き、心配しましたが、自身の病気さえも番組作りに生かし、しっかり賞まで獲得したと知り、なんとも阿久津さんらしいというか、すっかり脱帽。自分を貫く生き方に本当に頭が下がります。またいつか一緒に仕事ができる日を楽しみにしています!

MBA取得への道

MBA取得への道

MBA取得を志したきっかけ

MBAとはMaster of Business Administrationの略で、日本語では「経営学修士」と言います。何か特別な響きのように感じられますが、要は経営学の大学院で取得できる学位のことです。医師や弁護士といった資格とは違うので、ひと口にMBAと言っても、全ての授業がオンラインでマイペースに履修できる学校もあれば、1学年に何百人もの学生がいて生き馬の目を抜くような競争を勝ち抜く必要のある学校もあり、どこの大学院でMBAを取得したのかによってその価値には雲泥の差があります。

私は夫の転勤に帯同して2017年にシアトルにやってきました。大学院への入学を志したのは、限られたアメリカ生活の中で何か財産になるものを持ちたかったのと、大好きだった仕事を泣く泣く辞めてきたこともあって、このアメリカでの数年間をただキャリアに穴を開けただけのようには見せたくないという負けん気根性もありました。何よりも、日本で仕事を辞めた頃はちょうど働き方改革が叫ばれ始めた時期で、組織の中で何となく通用してきたサービス残業やハラスメントといった諸問題がこれからの時代は許されなくなっていくのは明白だったために健全な組織運営について学びたいと考えたこと、そして年齢と経験を重ねるに伴って組織の中でひとつの歯車から全体を動かすエンジンとなるために、もっと大きな視点から経営について学びたいという思いから、自分でもびっくりの一念発起をしたのでした。

先に書いた通り、進学先にはさまざまな選択肢がありました。いろいろな観点から私の希望にピタリと合致したのが、このたび修了したワシントン大学ボセル校の2年制のパートタイム・クラス。私は留学生扱いということもあり、学費はまさかの1学期当たり1万ドル超え。学費を工面するためにも仕事を続ける必要があったのと、勉強一色の生活に嫌気が差すことも目に見えていたので、北米報知社で週に30時間程度仕事を続けながら、火曜日と木曜日の夜6時から9時半まで学校に通いました。このプログラムは、ボセル・キャンパスに加え、ベルビューにあるラーニング・センターでも開講されていて、ベルビューの自宅から通いやすかったことも大きな魅力でした。9月のスタートにギリギリ間に合うかどうかというタイミングで受験を決めましたが、GMATと呼ばれる英語と数学のテスト、TOEFL、2つのエッセイという課題を乗り越えて何とか合格! 夫の任期中に学位を取得する必要があったので、これが最初で最後のチャンスと思い、なかなか点数の伸びないTOEFLに泣きそうになりながらも、3カ月間は図書館に缶詰めとなり、久しぶりの受験勉強を味わいました。

個性豊かなクラスメートと充実の2年間

いざ入学すると、最初の学期はわずか13人(後にボセルのクラスからの移動や追加入学で25人程度にまで増加)。「そうか定員割れだったのか!」と無残なGMATのスコアにも関わらず合格できた背景に妙に納得しつつも、きっとこれも縁と思うことにしました。クラスメートは年齢も職業もバラバラで、マイクロソフトやボーイング、Tモバイルに勤める人、弁護士、ワシントン大学職員、看護師、投資会社の社員などなど。英語が第2言語だったのは私を含めて数人だけで、日本人は皆無でした。

クラスのメンバーと

必要な単位は必修科目と選択科目合わせて64単位。これまで文系一本で来てしまった私は、統計学やデータ分析のクラスでは予想通りの大苦戦。英語がわからないのはもちろん、これまで全く触れたことのなかった分野なので、たとえ日本語で説明を受けたとしても難しかったでしょう。どの科目にも共通していましたが、学問がわからないのか、それとも英語がわからないのかがわからない! つまずいたらまずは日本語で徹底的にやる。毎週課される膨大なリーディングにも相当手こずりました。ある日、クラスの友だちに「まさかこの量、一言一句読んでるの? バカか!」と言われてハッとし、特に時間のない時は割り切って概要部分をつかんで最低限のエッセンスは押さえるというやり方で何とか乗り切りました。ただ、やはりディスカッションは最後までつらかったです。ディスカッションのテーマは予想できるので、もちろん準備はしていくのですが、発話はOKとしても、それに対する相手の呼応まではカバーできず、正直なところ最後まで発言の全容がわからないクラスメートもいました。とはいえ、日本の教育というのはやはりすごいもので、テスト対策(ヤマの張り方?)は体に染み付いたものがあり、いざテストをやってみると、そこまで成績は悪くないものでした。

どのクラスでもグループでのプロジェクトが課されていたので、授業のない日の夜や週末はグループでのミーティングがあります。実際のビジネスの現場に近いところで学ぶクラスもあり、ビジネス戦略のクラスでは医療機器を扱うスタートアップに、またオペレーション・マネジメントのクラスではコミュニティーに新しくフードバンクを開設しようとしている団体に、マーケティングや組織構成、フロア・マップ、運営プランなど提案を行いました。一方、リーダーシップのクラスでは、チームのモチベーションを上げるにはどうしたら良いのか、なぜフィードバックが大事なのか、チームに多様性が必要なのはなぜか、組織が直面している状況に応じてどのようなリーダーシップが適切なのかといったテーマを、実験や論文に基づく学問的な事実やケーススタディーを通して学ぶことができました。

挑戦の日々を終えて

この2年間を振り返ってみると、受験準備のために図書館で半べそをかいていた日々がもう何年も前の出来事のような気がします。それだけ濃い2年間だったのでしょう。もう2度とごめんですが、同時に大人になってからの勉強がこんなに楽しいものだったのかと、学期ごとに湧き上がるこの感情には自分でも心底驚きました。また、日本の学校では先生側に絶対的な主導権がありましたが、職務経験を持つ学生が相手ということもあってか、教授陣も敬意を持って学生に接していた点はとても新鮮で素晴らしく思いました。時には学生が挑戦的に議論をふっかける場面や、学生の質問に対して先生があっけらかんと「うーん、それは私にもわからない!」と謙虚に言ってのける姿にも驚かされました。

各学期の最終日には必ず近所のバーへみんなでお祝いに繰り出した

また、グループワークの際にはとにかくチームとしての最大出力を目指します。チーム内の誰かが時間をかけて行ったリサーチや一生懸命作ったスライドでも、貢献しないと判断されれば、労をねぎらう言葉を投げかけつつも「これはスライドの付録にしよう(実際のプレゼンテーションでは日の目を見ない)」のひと言であっさり片付けられ、本人もそれに対して恨み節を言わない潔さと効率の良さがあり、感銘を受けました。私のスライドも、これまで相当付録を充実させてきたので、最後のクラスのプレゼンで18枚中の3枚に私のスライドが採用された時には心躍ったものでした。

学校の体系にもよりますが、仕事や家庭を持ちながら大学院卒業を成し遂げるには、やはり周囲の理解が不可欠です。睡眠不足が続いてイライラしたり、せっかくの休日なのに課題やミーティングに追われて出かけられなかったり、大好きなNBAのTV観戦にヘッドホンの使用を強いたりと、夫の生活にも不便をかけてしまった部分があります。夫の理解と協力がなければ、ここまでたどり着くことは不可能でした。また、学費の高いアメリカの大学院で学ぶという観点から言えば、夫の収入のおかげで生活の基盤が守られ、経済的な不安がなかったのは大きいことです。これは入学して数カ月後に気付いたことですが、パートタイムの大学院で学ぶ学生は勉強のほかにも仕事や家族があり、二足と言わず何足もの草鞋を履いています。特に私が入ったクラスは他人を蹴落として成り上がっていこうというよりも、急な出張や家庭の用事などを互いに補い合いながら、何とかMBA取得までたどり着こうという雰囲気にあふれており、本当に恵まれた環境でした。

卒業式当日。北米報知社代表で本誌発行人のトミオ・モリグチとオフィス前で

ちなみに英語に関して言うと、入学当時は「2年後はここで話していること全てがわかるようになっているはずだ!」と期待を寄せていましたが、結果的に先生が言っていることで理解していたのは最後になっても6割程度、クラス内のディスカッションとなるとそれ以下だったと思います。それでも、スライドや周囲のサポートもあり、日々の予習復習を重ねれば授業にはついていけます。チームにもちゃんと貢献できます。

ひと昔前はMBA保持者と言えば少しはちやほやしてもらえたものですが、最近はそう簡単には行かないようで、日本の転職エージェンシーの担当者から「MBAを持っていてもあまり役に立ちませんね」とはっきり言われたこともあります。ただ、これは仕事で出会った方に教わったことですが、「努力を重ねてそこにたどり着いた人にしか見えない景色があって、その努力をしない外野に限ってネガティブなことを言うものだ」と。この学位を持っているからどうこうということではなく、ここで学んだことが私の中で血となり肉となっていることだけは確かだと信じています。この夏はたっぷり休んで、思いっきり趣味のテニスに打ち込み、これまで我慢を強いてきた夫に尽くす充実の時間を過ごしたいと思っています。

この店・この味 Vol.15 ヤミツキになる!大地の恵みたっぷりのサルサ

Vol. 15

甘口レビュー、辛口コメント、なんでもござれ!
ソイソース食レポ班が、シアトル近郊の店で
味わえる1品を主観フルスロットルでご紹介。

ヤミツキになる! 大地の恵みたっぷりのサルサ

シアトルからI-90で東に車でおよそ4時間、パスコという町にあるカントリー・マーカンタイルの自家製サルサがおいしい。この店は日本で言うところの道の駅で、新鮮な野菜や果物を始め、ジャム、ピクルスなどの加工品までそろう、ロング・ドライブの休憩には持ってこいの場所だ。中でもおすすめしたいのがマッド・マックスというシリーズのサルサで、農業に従事するメキシコ系移民が多く住む土地柄、本場のサルサを楽しませてくれる。オリジナル、ローストガーリック、トマト・アボカド、アーティチョーク・シラントロなど常時8~10種類のフレーバーが並んでいて、筆者のイチオシはオリジナル。ジューシーなトマトの甘味をベースに、フレッシュなオニオンやシラントロがどれも主張し過ぎずにバランス良く混ざり合い、水っぽさもなく大地のうま味がぎゅっと詰まっている。辛みや塩加減もちょうど良い。サルサを3つ以上購入するとチップスが1袋付くのもうれしい。口の中に刺さって痛いくらいパリパリのチップスにたっぷり載せて口に運べば、もう止まらない。サルサは2週間ほどしか日持ちしないが、食べ切れないかも……と思っても迷うことなかれ。あっという間になくなること間違いなし。ワラワラにワイン・ツアーに出かける際などに立ち寄ってみて欲しい。(A)

 

Country Mercantile
232 Crestloch Rd., Pasco, WA 99301
営業時間:7am~7pm

☎︎ 509-545-2192 
www.countrymercantile.com 

アイラブ寿司オン・レイク・ベルビュー 島津修平さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

島津修平さん。カウンターを挟んで寿司を握ってもらえる日が待ち遠しい

#29 島津しまづ 修平しゅうへい ■兵庫県出身。アイラブ寿司オン・レイク・ベルビューでゼネラル・マネジャー、寿司調理長として勤務する。日本で映画やTVドラマさながらの厳しい修行の世界を生き抜いてきた根っからの寿司職人。初対面の客であっても、味の嗜好を含め、店でどういう時間を過ごしたいのかを短時間で察知できるコミュニケーションの達人でもある。

東京での修業時代

中学を卒業してすぐに寿司の道に入りました。親には塾や習い事にいくつも通わせてもらったのですが、反抗期だったせいか当時はとにかく家を出たくて仕方がありませんでした。通っていた中学校に届いた就職案内の最初のページに載っていたのが、銀座にある老舗の寿司屋。父親と一緒に面接に赴き、そこで食べさせてもらった寿司がとてもおいしくて……。「こんな寿司をいつも食べられて、しかも給料までもらえるなんて!」と、15歳の私は小躍りしてすぐに就職を決めてしまいました。その甘い考えはすぐに吹っ飛びましたけれど(笑)。

数ある店舗の中で最初に配属になったのは大手町店。仕込みの始まる朝5時から閉店時間の夜10時までの勤務です。寮に戻ってからも、店から持ち帰らせてもらったシャリと、海苔に見立てた新聞紙、キュウリ代わりの使い古した割り箸で巻き寿司の練習に明け暮れました。当時の給料は手取り4万7,000円で、このうち3万円は財形貯蓄に回していたため、手元に残るのは2万円弱。それでも、食事や光熱費、布団交換まで生活の全ての面倒を見てもらえる寮で暮らしていましたし、売上目標を達成すると「大入り」をいただくこともありましたので、当時の私には十分なお金でした。修業は厳しく、最初は30人いた同期も1年後には10人に。「小僧(こぞう)!」を脱して、先輩方からきちんと認めていただけるまでは丸2年かかりました。

繊細で凛とした佇まいの島津さんの寿司

大手町店は、偶然にも父親が勤務する企業のビルの真隣にありました。バブル崩壊直後の90年代半ば、仕事の節目にオフィスで寿司の出前を取る風習はまだ残っており、仕事納めの日は寿司屋にとって1年で最も稼げる日。もっぱら出前担当だった私は、その日も幾多の企業から注文をもらった15万円分の寿司桶を抱えて出前に向かいました。しかし、大手町の交差点で台車が溝にはまってしまい、寿司を全てひっくり返してしまったんです。あまりの出来事に頭が真っ白になりました。罵声を浴びる覚悟で店に戻ってみると、怒る人は誰ひとりとしていません。それどころか「急いですぐに作り直すぞ」と言って、店のみんなで私の失敗を補ってくれました。数日後、寮の先輩に食事に連れ出してもらった時には、「店のみんなは、これまでのおまえの頑張りを見てきた。だからこそ、こんなことでくじけてもらっては困ると思って協力したんだ。今が踏ん張り時だぞ」と、励ましの言葉をかけられました。それをきっかけに、この道で生きていく覚悟が決まりました。両親は今からでも遅くはないと、寮に高校の入学案内パンフレットを送り続けてくれていたんですけれどね。実家には3年帰りませんでした。

アメリカで寿司を握る

板前として、そして社会人として大切なことを学ばせてもらった4年の修業を経て、独立する先輩に付いて新宿にオープンした寿司店に移りました。カウンター13席のみの小さな店で、親方からは仕入れ、接客、経理などの事務作業に至るまで、いろいろなことを教わりました。飲食業界全体が厳しい状況に置かれていましたし、また回転寿司の台頭により、街の寿司屋がどんどん潰れていく中で、自分の店を持つためには寿司以外にも幅広い知識が必要だと感じていた私は、日本料理屋やフグ屋などでも修業を重ねました。

おまかせコースの中で提供される、おちょこに盛られたミニサイズのウニ・イクラ丼

日本での最後の勤務地となったのは、世田谷区経堂にある寿司店。社長から仕入れ用の現金を渡され、市場に出向いては仲卸さんとやり取りする日々。交渉の面白さや対面でのコミュケーションの大切さは、その時に学びました。若い衆の給与分も含め、店の経営を成り立たせるには、自ら仕入れた魚を売り切らなくてはなりません。1日15時間以上の勤務が当たり前で、休みも週に1回だけでしたが、この店での経験は独立に向けた最高のシミュレーションとなりました。

ナパバレー勤務時代に親しくしてくれたワイナリーのオーナー夫人と

そろそろ独立しようと具体的に考えていた矢先、来店していたカリフォルニア州ナパバレーにワイナリーを持つ日本人オーナーとのご縁から、ナパバレーに新しくオープンする「自社ワインに合う和食」がコンセプトの店で寿司職人として働くチャンスに恵まれました。2016年のことです。アメリカ人の舌に合わせるのではなく、日本人が満足するクオリティーの和食を出したいというのがオーナーの要望でした。アメリカに来て気が付いたことですが、日本ではやはり、漁師さんから運送屋さん、仲卸さんと、サプライチェーンに携わる方々は共通して食材や鮮度に対する意識がとても高い。アメリカでは正直、クオリティー管理の難しさを感じましたね。店のスタッフは全員日本人でしたので、英語はほぼゼロ。接客は笑顔と情熱だけでなんとかやり切りました。おかげさまでお店も成功し、2年が過ぎた頃、アイ・ラブ・スシ・オン・レイク・ベルビューの横山義久前オーナーとのご縁で川崎博之現オーナーから熱心なオファーをいただき、2018年に現在の店に移りました。

最高のおもてなしをするために

アイ・ラブ・スシ・オン・レイク・ベルビューでは寿司を握ると同時に、店舗全体のマネジメントも担当しています。ベルビューは街の規模がちょうど良く、豊かな自然にあふれ、日本人も多い。抜群に住み心地の良いところです。ナパバレーに比べて新鮮な食材も手に入りやすく、サプライヤーさんに対していろいろと融通も利きます。お客さまの寿司や魚介に関する知識も豊富。アジア系以外の地元の方が、仕事終わりに日本酒を飲みながら寿司をさくっと食べて帰っていく姿には、寿司文化が根付いているんだなと驚かされます。

6月9日現在、持ち帰りのみで営業中。テイクアウトのメニューも圧巻のクオリティー

カウンターを挟み、おまかせで寿司を握るときは、何かストーリーを作ってあげたいという気持ちで臨んでいます。たとえば、一連のストーリーの中で最大の山場をどこに作るか、満足度を下げることのないままストーリーをうまく着地させる、といったことに気を付けています。目にもおいしい寿司を提供すべく、見栄えにもこだわります。お客さまの反応が全てを物語ってくれるので、他のスタッフにも良い刺激になっていると信じています。

これまでは、自分のファンを増やすために、ひたすらやってきたところがあります。しかし、マネジメントを預かる以上、店全体の底上げに貢献することが自分の務めだと感じています。寿司職人だけでなくホールで働くメンバーも含めて、店はチームで動いています。

妻の里衣(りえ)さんとは共通の友人を介して出会った。渡米を迷っていた時、里衣さんが背中を押してくれたことで決断に至ったそう

湯のみ茶碗の傾き加減で残りの量を察知したり、板前との会話の流れからおしぼりを交換するタイミングに気が付いたり、細やかな気配りとコミュニケーションでお客さまに喜んでいただけることが大事。チーム一丸となって、これまで以上に努力していきたいと思います。シアトル界隈でこんなに日本人シェフがたくさん働いている店はないでしょう。寿司=ロールだとは思って欲しくないので、握り寿司を今まで以上に広めていきたいですね。

休日は家でゴロゴロしていたい島津さんを、里衣さんがいろいろなところに連れ出してくれる。これまでレベンワースのドイツ村やスカジット・バレーのチューリップ畑など、ふたりでさまざまな場所を訪れた

寿司職人という仕事は、うまい寿司を握っていればそれで良いという仕事ではありませんし、またそれが立派な店でもありません。来店の瞬間からサービス、会話、コミュニケーションなど店で体験した全てを素晴らしいと感じてもらうことで、初めて良い店と言えるのではないでしょうか。アイ・ラブ・スシ・オン・レイク・ベルビューを街いちばんの店にすること、それが今の目標です。そして、日本の伝統と責任ある仕事をしっかりやり遂げること。現在は新型コロナウイルスの影響で営業縮小を余儀なくされていますが、州の段階的な緩和政策により元の状態で営業できるようになる日はそう遠くないでしょう。その時に、お客さまのために何ができるのか。最高のおもてなしを実現できるように、しっかりと準備をしていきたいと思います。

シアトル日本商工会(春秋会)-日本人コミュニティーを支え続けて60年

山田公正会長 

節目となる2020年、
後世に役立てるためにも新しい組織のあり方を考える時

シアトルの日本人コミュニティーになくてはならない日本人事業者の一大サポート組織、シアトル日本商工会は、現在の通称である「春秋会」の名で1960年に正式発足。シアトル日本語補習学校の運営母体としても知られています。これまで60年にわたり、日本企業の駐在員を中心とした会員家族間での交流、地域社会への貢献など、さまざまな活動を行ってきました。激動の年を迎え、求められる役割を果たすべく、新たな取り組みも始めています。新会長へのインタビューと共に、発足前後から現在までの春秋会の軌跡をたどります。

写真提供:シアトル日本商工会(春秋会)

シアトル、春秋会との深い縁

日本航空が27年ぶりにシアトル—成田線を運航することになり、その支店開設業務のため、2018年11月にシアトルに着任しました。実はシアトルは、1950年代、戦後に再開したばかりの領事館で、父が外交官として働いていた場所。父は赴任中、日本郵船のシアトル航路で運航していた氷川丸で留学のためにシアトルに渡ってきていた母と出会い、結婚しました。両親の思い出の地ということで、個人的にも格別の縁を感じる街です。

日本航空は長らくシアトルに支店を置いていませんでしたが、春秋会にはずっと在籍しており、ボーイング社内の日本航空事務所に勤務していた桂田 健が2016年度、2017年度と2期にわたり春秋会会長を務めていたこともあります。私は2020年1月30日に総会での承認を得て、2020年度の会長となりました。

活動目的に掲げる3つの柱

春秋会が発足した1960年は、日本航空が日本の航空会社として初めてシアトルを含む北米都市へ就航した年でもある。当時の記事を、姉妹紙『北米報知』で発見!

1960年に正式発足し今年で60周年を迎えた春秋会は、在シアトル日本国総領事館の山田洋一郎総領事を名誉会長に、現在の会員企業数は約135社、個人会員を入れると総勢360名もの大所帯。シアトル最大の日系コミュニティーのひとつと言えます。

春秋会のミッションには大きく3つの柱があります。第一には、子女教育の充実。毎週土曜日、ベルビューにあるサマミッシュ高校校舎を借用して開校されるシアトル日本語補習学校は、春秋会が運営母体となっています。第二に地域社会との交流。サマーソーシャル・イベントの開催ほか、桜祭りなど日本文化の祭典や各種コミュニティーイベントにも積極的に参画、協賛しています。そして第三に、会員相互の親睦を深めることが挙げられます。専門家による経済、IT等のビジネス関連、あるいは安全・医療セミナーといった勉強会を始め、新年会、マリナーズ観戦のような交流イベントも開催しています。

この3本柱それぞれに、教育部会、交流部会、経済・文化部会があり、毎年選任される約30名の部会理事メンバーが中心となって活動を牽引しています。また、そのとりまとめや事務方の作業を一手に引き受けてくれているのが、事務局のスタッフたちです。

新会長としての意気込み

春秋会の前身である「木曜会」は1922年に誕生した組織で、領事館や商社の駐在員を中心に、異国の地で共に商売と生活を営んでいくうえで日本人同士が親睦を深めるという色合いが強いものでした。残念ながら、現地の日系コミュニティーとは、あまり関わることがなかったという記述も残っています。現在の春秋会も日本に本籍を置く企業に所属する駐在員を中心に構成されています。異動に伴うメンバーの入れ替わりも激しいため、過去の経緯がよくわからないことも多々あります。

70年代、アメリカで激しい日本バッシングが起こった時期には、日本の産業を守るためのロビー活動のように、各商工会の役割は非常に明確でした。しかし、時代に合わせて組織のニーズが多様化する中で、春秋会のあり方をみんなで見つめ直すタイミングに来ているように感じています。私の任期となるこの1年は特に、60周年という節目でもあり、これまでの経緯を検証しながら、春秋会の存在意義や目指す方向性を、時間をかけてしっかり議論していきたいと考えています。「変わる」こと自体を目的とするのではなく、まずはその変化を必要とするかどうかの足元を固める作業を、じっくり行っていく予定です。

補習学校は「変化」の先駆け

先行して時代の変化に対応してきた例のひとつが、シアトル日本語補習学校です。来年には創立50周年を迎える補習学校は、もともと日本からの駐在員の子女に対する質の高い日本語教育を目的に創設されました。しかし、現在は長期滞在者、永住者の子どもたちが増え、アメリカ市民権や永住権を持つ在籍児童生徒の割合も増加傾向にあります。そのため、設立当初とは様相が異なってきてはいますが、校舎使用などの物理的な制約や、週に1度しか授業ができない時間の制約もある中、コミュニティーで一定の役割を果たすべく、時代に合わせて試行錯誤をした結果が今の姿です。

また、地域貢献や他団体との交流に関しても、春秋会の参画基準について、見直していきたいと考えています。各県人会を始め、多くの日系団体がワシントン州内に存在する中で、どの団体と何をさせていただくか、どういった形でコミュニティーに貢献が可能か、春秋会として求められる役割と照らし合わせて整理する必要があります。

春秋会をより良い組織に

「春秋会って何をしている組織なのかよくわからない」という声を聞くことがありますが、確かにその通りだなと思います。コアの部分を固めるために、まずはその存在意義と目的をはっきりさせなければなりません。そして、自分たちの守備領域を明確にしていくことが大切です。春秋会役員は、ボランティアで活動しています。家族との時間やフルタイムの仕事の合間を縫って、貴重な休みを使いながら意欲的に参加してくれており、本当に頭が下がります。和気あいあいとした雰囲気で活発に議論できる役員会では仲間意識を感じられますし、各部会で女性が多く活躍しているのも組織として魅力的に映ります。

こういう組織は、たとえるならマンションの理事会のようなものではないでしょうか。自分たちが暮らす場所をより良くしたいと思うメンバーが集まり、できる範囲で目的意識を持って楽しくやっていければ、自ずと道は開けていくはず。会員の皆さまがはっきりとそのメリットを感じ、入会の目的を果たすことができ、そして会の趣旨に賛同して積極的に活動に参加してもらえるような組織を目指していきたいと考えます。その屋台骨となってくれているのが、過去の歴史や流れを理解する事務局スタッフです。入れ替わりを余儀なくされる会長や役員たちをサポートし、長期的な視点から春秋会の継承を支えてもらっています。また、役員メンバーは、時代に応じたフィロソフィーをしっかりと作り、リーダーシップを発揮していく存在。現在の試行錯誤が、後世の役に立ち、飛躍の原動力となればと、限られた任期ではありますが、これからも会長として役員メンバー、事務局スタッフと共に、新しい組織実現に尽力していきたいと思います。

コロナ禍と向き合う日本人コミュニティー 

私自身、コロナ禍のあおりを最も受けている業界のひとつで勤務していますので、日常生活、そして経済活動は本当に一変してしまいました。前述の通り、春秋会は会員企業の皆さまと、ボランティアで活動している役員によって支えられているため、本業で大きな打撃を受け、春秋会の活動どころではないという方が出てきても何ら不思議ではない環境にあります。そのような中でも商工会として地域のために何ができるのかを考え、通常月1回行っている常任委員会を月2回に増やし、情報交換や今後の活動内容についてオンラインで議論の場を設けています。

3月から休校となっている補習学校も、学年や先生の勤務状況によって提供できる内容に限界があるものの、5月から遠隔学習を開始し、子どもたちの日本語学習支援をしています。残念ながら卒園・卒業式や入園・入学式を実施することはかないませんでしたが、4月からの新入生も、この枠組みの中で日々の学習に取り組んでいます。

桜祭りやジャパンフェアなど地域を代表する日系イベントは軒並み通常開催は中止となっています。春秋会では恒例の医療セミナーを4・5月にオンラインで開催しました。例年は新しくシアトルに着任した駐在員やその家族向けにアメリカの医療制度を説明する場となっていますが、今年は門戸を広げ、テーマも新型コロナウイルス感染対策に変更して実施したところ、200名以上の参加者が集まりました。そのうち半数以上は5年を超えるアメリカ在住歴を持つ方々ということで、広くコミュニティーへ情報を発信する良い機会になったと思います。今後も春秋会が持つネットワークを生かして、地域の皆さまが欲する情報をいち早く提供できるように、交流部会と経済・文化部会が協力して、たとえばストリーミングでミニ番組のようなものを定期的に配信できないかなど、新しいチャレンジを試行錯誤しているところです。

この状況がどこまで深刻化、長期化するのか、なかなか先が読めませんが、ワシントン州内で段階的に取られている緩和政策に合わせて、今後も身近で役立つ情報を提供していく予定です。一方で長期化した場合のこともしっかりと念頭に置き、本当に必要とされる組織を目指して、地域の皆さまと一丸となり、協力しながらこの難局を乗り越えていけるように努めていきたいと考えています。

山田公正こうせい ■日本航空株式会社に勤務。2018年11月よりシアトル支店長として、空港事務所開設のためシアトルに着任した。2020年1月にシアトル日本商工会(春秋会)会長就任。

写真で振り返る 春秋会活動 >>

関連記事:シアトルの日系ビジネスと春秋会の歴史 | シアトルの生活情報誌「ソイソース」 (soysource.net)

ソースの味でごまかされない、シンプルさが肝

シアトルのローカル・ビジネスを「食」で応援! ソイソースのグルメ班が自分の舌で確かめたメニューを忖度なしで紹介する本誌連載コラム「この店、この味」拡大版をお届けします。シアトルと縁深い著名人が、これまでに食べた中から選んだマイベストの1品も併せてご紹介。テイクアウト、デリバリー利用ほか、ギフトカード購入可能な店もたくさんあります。

※掲載したメニュー、価格、時間などの内容は営業縮小などで変更される場合がありますことをご了承ください
※外出制限中の最新情報、詳細は各店舗へのお問い合わせ、またはウェブサイトやSNSでのご確認をお願いします。

SCガーリック・チキンウイング 8ピース$10.95

ソースの味でごまかされない、シンプルさが肝

ベルビュー南端の閑静なニューポートヒルズにあるテリーズ・キッチン。アメリカの定番料理、チキンウイングは、鶏肉の味がわからないくらいにソースこってりのものを想像しがちだが(これもまたおいしいけれど)、テリーズ・キッチンの「SCガーリック・チキンウイング」はひと味違う。SCとは、かつて同店の向かいにあり、惜しまれつつ閉店したレストラン、サウス・チャイナ・ペリー・コーズのイニシャルに由来する。この店のレシピを引き継いで誕生したチキンウイングは、ショウガやニンニクなどが入った特製&秘伝のたれにひと晩じっくりと漬け込んだ手羽先と手羽元がカラッと揚がり、ソースは付けずにレモンをさっと絞るだけで、このうえないビールのパートナーに。店主のテリー・タケウチさんは祖父母が福島県出身の日系アメリカ人。添えられたショウガの甘酢漬けと特製グレービーがヤミツキになるロコモコ丼やカツカレーなど、かつてテリーさんの母や祖母が作ってくれた家庭の味や、昔通った多くのレストランからヒントを得たという、日本との縁を感じるメニューも多数用意されている。(A)

Terry’s Kitchen
5625 119th Ave. SE., Bellevue, WA 98006
営業時間:火〜金11am〜12am、土9am〜12am、日9am〜11pm 定休:月
☎ 425-590-9545
www.terryskitchenbellevue.com

特集トップページに戻る

シャッツ法律事務所 岩元昭博さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

岩元昭博さん

#28 岩元 昭博
■大阪府出身。ワシントン大学ロースクールを修了後、昨年10月にニューヨーク州の司法試験に合格し、現在はアメリカで就労できるOPT制度を利用して、シアトル市内にあるシャッツ法律事務所に勤務。7歳・5歳・2歳の子どもと妻との5人暮らし。

日本の丸の内総合法律事務所で弁護士として勤務していた頃は主に上場企業や関連会社に関わる紛争解決やM&Aなどの企業法務を取り扱っており、そのうち3年間は東京都の法務課で都の代理人として訴訟を担当していました。業務を行う中で海外取引や海外進出に関する相談など国際案件へのニーズが増えてきていることを実感し、このようなクライアントの声に応えたいという思いから、アメリカでの弁護士資格取得を目指し、2018年9月よりワシントン大学ロースクールに留学。昨年6月、LLMと呼ばれる9カ月間のプログラムを終え、大学院を修了しました。

ロースクールで使用した教科書

ワシントン大学には税法や知的財産法など細分化された7つのコースがある中、私が選択したのは、General Law LLMという、特定の分野に特化せず幅広い科目を選択できるコースです。契約の成立には何が必要か、何をしたら犯罪になるのかなど、根本では日本の法律と似たところが多く、日本での知識と経験が大いに役立ちました。膨大な量のリーディングやリサーチペーパーの作成など宿題も多く、大学の課題と司法試験の準備に追われて毎日クタクタで、ひと回りほど年齢差のある周りの学生たちの若いエネルギーがうらやましかったです。また、私が学部生だった頃の日本の法学部の教員はほとんどが法律の研究者でしたが、アメリカのロースクールでは弁護士や裁判官などとして活躍していた法律の実務経験者が教鞭を執るため、実務での経験に基づいた話など学生にとって聴きごたえのある講義となっているのが印象的でした。

ニューヨーク州の司法試験会場となったバッファロー・ナイアガラ・コンベンションセンター。昼休みには受験生の親が弁当を持って入口で待ち構えていた様子に驚いた

アメリカで司法試験を受験するためには、原則としてロースクールを修了している必要があります。弁護士資格は州ごとに取得が必要で、私はニューヨーク州の司法試験を昨年7月に受験しました。試験は2日間にわたって行われます。初日は午前と午後それぞれ3時間のエッセイ。午前は「MPT」と呼ばれる、設定されたシナリオに与えられた判例や資料の分析を加えて論述するもので、これは日本で行ってきた業務と似たところがあったので、英語で短時間のうちに処理しなければならないという点(実はそこがいちばん難しいのですが)を除けば比較的取り組みやすい内容でした。午後は憲法、契約法、刑法、民事・刑事訴訟法といった14科目の中から6問が出題されます。正直なところ全科目を完璧に準備することは時間の制約上難しいので、出題予測をするサイトや過去の出題傾向を参考にしてメリハリをつけた勉強をするのが常套手段なのですが、幸運にもバッチリ予想が当たりました(笑)。2日目は午前と午後各3時間それぞれ100問ずつの四択マークシート方式の試験。日本の司法試験にもマークシートの試験はありますが、科目ごとに分けて出題されるので頭を切り替えながら臨めます。一方、アメリカでは7科目からランダムに200問が出題されるため、どの法律について問われているのかを見極めながら解き進めていく必要がありました。2日間の試験が終わったあとは、肉体的な疲労感はもちろんありましたが、それ以上に解放感にあふれ、ホテルのプールで泳ぎまくりました(笑)。

受験勉強中はなかなか家族との時間が取れず、3人の子育てを一手に引き受けてくれた妻、そして新しい環境でそれぞれに頑張ってくれた子どもたちにはとても感謝しています。これからは、帰国するまでにもっとたくさん旅行にも出かけたいと考えています。9月からは日本で元の事務所に戻りますが、シアトルで得た経験を生かして、今までより幅広い案件に対応していきたいです。

株式会社スギヨ 新田一朋さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

新田一朋さん。シアトル・シーホークスの大ファンで、ベルビュー・スクエアに遊びに来ていたグリフィン兄弟を目近で目撃した時にはあまりの興奮に卒倒しそうだったとか

#27 新田にった 一朋かずとも ◾️石川県出身。趣味のひとつと言えるほどビールが大好き。「州内のクラフトビールを全制覇したい!」という夢を持つものの、季節ごとに新商品が続々と登場するので、なかなか追い付けないでいる。中でもお気に入りはフリーモント・ブリュワリーの「ラッシュ IPA」。

生物化学専攻で大学院まで進み、故郷である石川県の特産品、漆塗りの「漆」に含まれるたんぱく質や酵素を研究していました。その成分分析などの研究経験を生かして地元の水産加工会社、株式会社スギヨに入社。研究開発部に配属となり、およそ12年間、新商品の開発などに携わりました。スギヨは、世界で初めてカニカマを世に送り出した会社で、1972年発売の「かにあし」という商品が、カニカマ第1号です。現在では全国共通の一般名詞となったカニカマですが、石川県では弊社の定番商品「ロイヤル・カリブ」に由来して、「カリブ」と呼ぶ人もたくさんいます。研究開発部では、数あるカニカマ製品の中でも「香り箱」という、最高級スケトウダラのすり身を使った看板商品を担当していました。

鮮魚売場に陳列される自慢のカニカマ。個人消費が伸びていて、今年度は過去最高益をマークしそうとのこと

そして2015年8月より、スギヨUSA(SUGIYO U.S.A., INC.)に赴任。勤務先の工場と自宅があるのは、シアトルから車で北に1時間半ほどのアナコーテスで、日本からの駐在員は3名います。私は製造・品質管理・研究開発部門のマネジャーを務め、新人からベテランまで約60名の従業員が24時間稼働の工場でトラブルなく生産することができるように、工場内を走り回る日々です。アナコーテス工場では多種類のカニカマを製造していますが、売れ筋は「アラスカン・スノー・レッグス」という、味も形も本物のカニに近付けた高級価格帯の商品です。業務用から一般用まで広く流通しており、セーフウェイなどのスーパーマーケットでは鮮魚売り場にて取り扱われています。味の微妙な調整を繰り返しながら研究を重ね、アメリカ人の舌に合った味付けに仕上げており、おかげさまで売り上げは絶好調! 例年はホリデー・シーズンからスーパーボウルくらいまでが販売のピークですが、2月後半の今も好調にキープしたままでいます。

着任早々は、やはり言葉の壁があり、従業員にこちらの言いたいことがなかなか正しく伝わらず、コミュニケーションに苦労しました。また、特に若い人たちはなかなか定着しないこともあって、常に発生する欠員の補充や新人へのトレーニングも大変です。そんな中でも、34年前の工場設立当時から働くベテラン従業員が、ほかのメンバーをまとめながらサポートしてくれるので助かっています。時にはピザを大盤振る舞いするなどしてみんなの士気を高め(?)ながら、お客さまに求めていただける商品を確実に生産できるよう努めています。

干支にちなんだ仮装(お父さんのみ)の家族写真をグリーティングカードにして送るのが新田家恒例の楽しい慣わし

アナコーテスは田舎ですが治安も良く、生活に必要なものは全て手に入りますし、時間がゆっくり流れていてとても良い街です。一軒家を借りていて、夏場の草刈りは大変ですが、大きな杉の木が3本そびえる広大な庭もあります。9歳と6歳の娘がシアトル日本語補習学校に通っているので、毎週土曜日にはベルビューに家族で出て来ています。子どもたちが勉強している間に、親たちは気分転換も兼ねて宇和島屋やトレーダー・ジョーズでひたすら買い出し。今回の海外駐在をいちばん喜んでくれた妻は、自宅からオンラインで英会話の先生をしています。家族みんなそれぞれに、自分たちのことに一生懸命でいてくれています。

間もなく日本に帰任しますが、英語もそこそこ話せるようになったので、仕事でもプライベートでもたくさんの国に行ってみたいですね。個人のツイッターで自社のカニカマに関するコメントをつぶやいたところ、遠く離れた東海岸からも、たくさんのお客さまから励ましの声をもらい、本当にうれしかったです。現在、スギヨの海外拠点はアナコーテスにしかありませんが、自慢のカニカマを世界中の人に食べてもらえるよう、新しい拠点の立ち上げにもぜひ挑戦してみたいと思っています。

 

NYKバルク&プロジェクト 酒井孝彰さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

酒井孝彰さん。ロングビューにて積み荷作業中の船上にて

#26 酒井 孝彰こうしょう ◾️愛知県出身。2008年NYK グローバル・バルク(現NYKバルク&プロジェクト)入社。2017年1月よりシアトル駐在となる。業界ではポート・キャプテンと呼ばれる職種だが、船が波に揺れる周期が乗務していた大型船と異なる小型の船では今でも船酔いをしてしまう。シアトル・シーホークスのワイドレシーバー、タイラー・ロケット選手の大ファン。

大学時代から船乗りに憧れ、航海士の資格を取得しました。航海士のキャリアは救命・消火設備の管理が主な業務の三等航海士から始まり、航海計画や計器に責任を持つ二等航海士、船の全体管理を任される一等航海士、そして船長(キャプテン)へと、業務経験と国家試験を経てステップアップしていきます。

現在、私は船長の資格を持っていますが、海運会社のNYKバルク&プロジェクトに入社した当時は三等航海士として船上勤務からのスタートでした。初乗船は2008年の6月で、アメリカから日本へ木材を運ぶ業務でした。その行き先はワシントン州南部のロングビューで、現在私が担当している港。こちらへの赴任が決まった時には、何だか深い縁を感じました。

シアトルに赴任する前の5年間は陸上での勤務で、船の安全や輸送品質管理など幅広い業務を担い、港のあるところにはどこへでも出かけ、年間100日以上は出張という日々。東南アジア、オーストラリアを中心に、時には西アフリカやパプアニューギニアなど「本当に船が入れるの!?」と不安なところには直接足を運び、入港計画から荷役のサポートまでを行いました。多忙を極め、せっかくの新婚旅行中にも電話がひっきりなしに鳴る始末。ちょうど子どもも生まれ、家族との時間がもっと欲しいと切に思っていたところでシアトル転勤の話が決まりました。

ここシアトルで勤務するNYKグローバルバルク・マリンサービス(NYK GLOBAL BULK MARINE SERVICE)は木材やバイオマス燃料、穀物など、NYKバルク&プロジェクトと輸送契約を結んだ荷主の大切な貨物を運ぶ際に技術的なサポートをする企業で、年間およそ120隻、月10隻の船積みを担当しています。

船の荷役スケジュールに合わせて、船の荷役作業の際には必ず港に足を運びます。また、船が安全に入れるかどうか、港そのものの調査に出向くこともあります。そのため、ここでも出張がとても多く、カナダのバンクーバー島には月2、3回、ロングビューにはほぼ毎週、車で出かけていて、年間の運転距離は3万5,000マイルを超えます。荷役作業を計画通りに進め、貨物の積載量を増やし、いかにその時間を短縮できるかが、ポート・キャプテンの手腕の問われるところ。それでも、荷役作業にトラブルはつきもので、そういう時こそ、船上での経験が生かせます。たとえば船のクレーンの調子が悪い場合、船上クルーと協力して原因を見つけなくてはいけないのですが、かつて船上のベテランエンジニアから学んだことに助けられています。また、荷主の要望に応えることは、時にクルーに無理を言うことに直結してしまいますが、海上勤務があったからこそ成り立つ、クルーとのコミュニケーションもあります。

冬場は太陽を求めてメキシコへ家族旅行

家族は大学の三期後輩に当たる妻と4歳の息子、もうすぐ2歳になる娘がいます。妻が社交的なおかげで、息子の幼稚園などを通じて交友関係が広がり、週末には幼稚園仲間と食事をしたり酒を飲んだりと楽しく過ごしています。わが家は本当に妻のバイタリティーに支えられていますね。また、すっかりアメリカン・フットボールの虜になってしまい、息子も最近は鋭いコメントを入れてきます。娘も、テレビからの歓声が聞こえてくると一緒に喜んでくれるようになりました。ゴルフとスキーも好きで、特にスキーは幼少期から親しんでいます。昨年からは子どもたちも一緒に出かけられるようになったので、サミット・スキー場の年間パスも持っています。仕事場が海岸沿いだけに、コロラドなど内陸でのスキー旅行もしてみたいですね。

海陸の勤務地を問わず、船舶の安全運航に関わる海技者としての仕事は0点か100点しかなく、正確に成し遂げて当たり前。なぜなら、自分のミスひとつで、荷主の大切な貨物を損なうだけでなく、乗組員の命にもかかわるからです。いつまでもこの初心を忘れることなく、これからも業務に邁進していきたいと思います。

セントラル硝子株式会社 田沼満さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

田沼 満さん。マグノリアにあるオフィス前にて

#25 田沼 みつる ◾️埼玉県出身。1986年セントラル硝子株式会社入社。研究者であると同時に世界各地でさまざまな経験を積んだビジネスマンでもあり、オフィスには化学の専門書から経営や組織マネジメントの本が並ぶ。インド勤務時代に始めたランニングが日課で、現在は平日で10キロ以上、休日はその倍以上を走り込んでいる。

今年の5月、ここシアトルのノースウェスタン・インダストリー(NORTHWESTERN INDUSTRIES, INC.)のCEOとして赴任してきました。本社のセントラル硝子株式会社は山口県宇部市で創業し、もともとは肥料やソーダ灰といった化学製品を扱う会社でした。事業多角化のため、ソーダ灰を材料とするガラスの製造を行う企業を買収したところからガラス事業が始まり、現在はガラスと化学製品の2部門で成り立っています。

大学院まで有機化学を専攻し、セントラル硝子株式会社には化学部門の研究者として入社。3年間の研究所勤務後、営業部異動を機に欧米を中心とした海外取引を任されるようになりました。30歳目前まで1度も飛行機に乗ったこともなかった男がアメリカやヨーロッパに出向き、常に最先端を追いかける日々。仕事がとても面白く、研究所に戻る話も自ら断って、営業部での仕事に没頭しました。1997年には社内の語学研修制度を利用し、コロラド州ボルダーに半年間留学。当時のボルダーは日本のマラソン・チームが高地トレーニングを行う合宿地として有名で、選手時代の有森裕子さんが目の前で懸命に練習をする姿には励まされました。

いったん日本に戻り、そのあとはヨーロッパ・オフィスの立ち上げ業務で6年間、イギリスのマンチェスターで勤務。医薬品や農薬を扱う現地の化学企業の買収に携わりました。家族を連れての赴任で、ふたりの娘が現地の日本語補習校に通っていたために週末も忙しくしていました。それでも、ホリデー・シーズンにはEU圏内で観光旅行を楽しみました。さらに国内勤務を経て2011年にはインドへ。デリーの隣に位置するグルガオンという都市に赴任しました。専門の化学に加えてガラス事業も任され、新たなマーケットの開拓に向けて買収先となる現地企業の候補を片っ端から当たる日々でした。インドでのビジネスはまだ粗削りな部分もありましたが、商談相手の意欲とポテンシャルを強く感じました。おそらく、日本の高度成長期とはこのようなものだったのではないかと推察させるものでした。生活面では不便なこともたくさんありました。限られたエリアで車移動中心の生活を送っていたので、自宅に併設されたジムで健康のためにランニングを始めることに。以来、すっかり虜になり、現在も走り続けています。

その後、シアトルに来る直前は、日本で中国にある子会社の業務も兼務しながら、化学関係の営業部で働きました。前述の通り、私のバックグラウンドは化学なのですが、シアトルではついに、ノースウェスタン・インダストリーというガラス1本の企業に勤務することになりました。

シアトルの新たなランドマークとなったアマゾン・スフィアのガラスもノースウェスタン・インダストリー社製。「自社の作品を街中で見ると誇りと責任を感じます」と田沼さん

当社はクライアントのニーズに沿ってガラス加工を行っており、アマゾン・スフィアやスペース・ニードルに使われているガラスも当社で加工して納めたものです。具体的には、熱を加えて強化したガラス、クライアントの希望の柄を印刷したガラス、熱を反射してエアコンの効率を上げるガラスなどを造っています。ガラスは成熟産業なので、常に新しいことを追い求めていた化学とは違って技術の変化やスピード感といったものはあまりありません。慣れ親しんだ環境からペースを変える必要がありましたが、何といってもこの仕事でのいちばんの喜びは、自分の会社が成し遂げたことが目に見えて形に残ることですね。

家族4人でアーチーズ国立公園へ。念願のデリケート・アーチに到達!

シアトルには単身で来ています。これまでマンチェスター時代の子どもたちのサポートから、インド、シアトルと、私が家を空けている間に日本でしっかり家庭を守ってくれている妻には本当に感謝しかありません。SNSのおかげで日々コミュニケーションが取れているので寂しい思いをすることはありませんが、年末年始に日本へ帰省する際の家族旅行を今からとても楽しみにしています。60歳の節目を迎えるまであとわずか。アメリカにいる間に国立公園めぐりにもぜひ出かけてみたいものです。

ブティック・ネイリシャス

大好評のシリーズ第7弾。今年のストレスは来年まで持ち越さない! ホリデー・シーズンを前に、美と健康、癒しを求めて、日本人が施術するシアトル周辺のサロン&クリニックへ。ソイソース美容班による体験レポートをお届けします。


マークのある店ではギフト券あり。
クリスマスはもちろん、バレンタインデーなど冬のギフトに最適!

 

※効果や仕上がりには個人差があります。詳細は記載の連絡先に直接お問い合わせください。
取材・文:磯野 愛、ハントシンガー典子、田中美和、室橋美佐

NAIL

 

ゴージャスでいて上品な3Dネイルアートがシアトルに上陸!
ちょっと差が付く指先でホリデー・シーズンを楽しもう 

ブティック・ネイリシャス

今年6月、ボセルにオープンしたブティック・ネイリシャスは、インスタグラムや口コミで話題の完全プライベートネイルサロン。オーナー兼ネイリストのハンフリーあやさんが得意とするのは、ジェルネイル用クリスタル、パールなどを散りばめた、まるでアクセサリーのような3Dネイルアートだ。

オーナー兼ネイリストのあやさん。「本当に自分の好きなこと」を貫き、子育てがひと段落したタイミングで、マイクロソフト社員からネイリストに転身した

あやさんは、360度どこから見てもクリスタルが最も輝くよう綿密に計算されたデザイン「Double180」の考案者である大城智之氏に師事し、インストラクター資格を取得。加えてスワロフスキー社によるUSネイル・アーティスト認定資格も持つ。ブティック・ネイリシャスで使用するクリスタルとパールは全て正規スワロフスキー社製だ。最高峰の美しい輝きに、そこはかとない脆さも感じるが、土台部分はアクリルでしっかりと固定されているので心配は無用。ほんの少しの心がけと正しい爪のケアで、十分長持ちするそうだが、もし少しでも不安や質問あれば、気軽にテキストやメールで問い合わせて欲しいとあやさんは言う。

人目を引くこと間違いなし! ネイル上級者でも大満足の3Dネイルアート

このほかにも通常のジェルネイルやマニキュアポリッシュ、ハンドケア、フットケア(メンズ用メニューもあり!)の施術も受けられる。ポリッシュとケアに使われているのは全て、高級ホテルのスパ御用達のスパリチュアル社製。完全ビーガンで、アンチエイジング効果のあるアイテムもそろう。ジェル製品は複数の日本ブランドをそろえており、ワシントン州で唯一、日本で人気のネイルブランド、ココイスト正規取り扱いサロンにもなっている。特に重要な、自爪に直接塗布するベースコートは、複数のタイプから自爪のコンディションによって最適なものを選んでくれる。

希望通り、長過ぎず実用的なネイルに仕上がった。深みと透明感が共存する赤と相性の良いオレンジ強めのべっ甲柄のコンビネーションが指先を暖かく彩る

ジェルネイルを実際に体験させてもらった。もう何年もプロのケアを受けていない筆者は、長くてエレガントな爪に憧れつつも実用面からやや抵抗があり、長さがあまりなくても素敵な指先に!と無茶を伝えたうえで施術が始まった。甘皮にささくれにと荒れ放題の爪は、ドライケアと呼ばれる方法で安全に自爪を傷付けることなく甘皮と爪周りをケアしていく。準備が整ったら、ジェルネイル開始。

リクエストしたべっ甲柄は、肌色に合わせて色を選び、一から手作り。顧客に似合うベストな色を提供するためにその都度、色をカスタマイズしてくれる

顧客の肌色を見たり、好みや服装などを丁寧に聞き取ったりしながら、同じ「赤」でも数多ある中で慎重に似合う色やデザインを選んでいく。妥協を許さず、最後まで1本1本、細部にわたって施術し、入念にチェックして完成! 各種ドリンクのサービスもあり、確かな技術とホスピタリティーで終始もてなされ、お姫さまのような気分だった。

気になる衛生面も徹底して管理されているので安心。無料駐車場とWi-Fiも完備する。ジェルネイルはシンプルなデザインであれば50ドルから。お得な月替わりのデザイン「マンスリー・スペシャル・ジェルネイル」は59ドルで、ホームページから今月のデザインを確認できる。14日前までのオンライン予約で、新規は20%、2回目以降は10%の割り引きとなるので思い立ったらすぐに予約をしよう。また、有効期限なしのギフトカードは、オンラインで50ドルから、希望の料金分を購入できる。

ジェルネイルの施術前には必ずカウンセリングを行い、自爪の悩みに適したケアを経て丁寧に整爪する

「爪は健康のバロメーター。健康な爪を保つための正しいケア方法として、たとえば爪への負担が大きい爪切りではなく、ファイル(爪用やすり)でお手入れすることや、ジェルネイルの持ちを良くするためにも爪や爪周りの水分を手洗い後に完全にふき取ることが大切です」と、日頃のケアのコツも教えてくれるあやさん。評判のネイルサロンで「魅せる指先」を手に入れて、素敵なホリデー・シーズンを!

 

CHECK!

ソイソース読者特典!

ハンドジェルネイル予約者全員にパラフィンパック(集中保湿ケア)を追加メニューとして無料提供!
※2020年1月31日(金)予約分まで有効。

 

ブティック・ネイリシャスはフェニックス・サロン内にあり、I-405の26番出口至近。ベルビューから車で約15分

Boutique Nailicious
ブティック・ネイリシャス

22627 Bothell-Everett Hwy., Ste C-E, #104, Bothell, WA 98021
☎425-499-7152、asknailicious@gmail.com
www.seattlenailicious.com

営業時間:月〜木10:30am〜7:30pm、金土11am〜8pm(土曜は予約のみ) 定休:日(第4日曜は予約のみ対応)

料金:ジェルネイル$50〜、3Dネイルアート$15〜、マンスリー・スペシャル・ハンドジェル$59、ビーガン・マニキュアポリッシュ$40(足$50) ほか

 

ホリスティック・スパ KIREI

大好評のシリーズ第7弾。今年のストレスは来年まで持ち越さない! ホリデー・シーズンを前に、美と健康、癒しを求めて、日本人が施術するシアトル周辺のサロン&クリニックへ。ソイソース美容班による体験レポートをお届けします。


マークのある店ではギフト券あり。
クリスマスはもちろん、バレンタインデーなど冬のギフトに最適!

 

※効果や仕上がりには個人差があります。詳細は記載の連絡先に直接お問い合わせください。
取材・文:磯野 愛、ハントシンガー典子、田中美和、室橋美佐

FACIAL

 

日本で人気急上昇のドクターズコスメと 
極上手技のコンビネーション!

ホリスティック・スパ KIREI

KIREIの美豊さん(左)と、石井医師の娘であり石井クリニック美容研究所長も務める石井聖子さん

オーナー兼エステティシャンの坂上美豊(さかがみみほ)さんの手技にほれ込んだ女性たちが足繁く通うKIREIは、ベルビューにあるフェイシャルエステ専門サロン。週3日だけの営業ということもあって、時に予約も困難なほどの人気を誇る。

そんなサロンで11月から販売を開始しているのが、「エステティシャンとしてこのプロダクトに出合えて本当に良かった!」と美豊さんも太鼓判を押す日本発の化粧水、フィンギー。医師の知見や経験を基に開発された、話題のドクターズコスメだ。1973年に日本で初めて美容皮膚科をオープンし、あのSK-Ⅱの開発にも携わった皮膚科医、石井禮次郎氏が手がけた化粧水で、発酵美肌湿布液「フィンギーマスク」の成分を化粧水にしたもの。京都で150年もの歴史を持つナカムラ酵素で製造された中村菌®熟成発酵液が美肌をもたらすという。「美白に加えて肌の炎症を和らげてくれる効果が期待できるので、大人のニキビやニキビ跡にお悩みの方にぜひ試して欲しいです」と美豊さん。イシイブランドは現在、自社製品を使ったスキンケアを提供する美容皮膚科・石井クリニックと、ドクターイシイメディカルエステティックサロンも展開しており、肌トラブルに悩む女性たちの駆け込み寺になっているそうだ。

そのフィンギーは不思議なことに、「しっとり」と「さっぱり」の両方の質感を兼ね備えている。顔に載せて手のひらでなじませると、肌にぐいぐい吸い込まれ、付けたてはしっとりと保湿を実感できるが、数分するとさっぱり感も出てくる。老若男女問わず、顔だけでなく体全体に使える化粧水だ。

KIREIではさらに、このイシイブランド製品と美豊さんによる極上の手技を堪能できるイシイクリニック公認・フィンギー・スーパーコラーゲン・フェイシャルを提供。75分のコースでは、アンチエイジング効果の高い「フラップセラム」、美肌に欠かせないビタミンCを補給する「プレエッセンスC」ほか、「静炎保湿ジェル」「コラーゲン凍結乾燥シート」など計5種類を使用し、シミ、シワ、保湿、リフトアップと、気になる顔の悩みを隈なくカバーする。

早速、筆者も体験! 施術はまずマッサージから入るが、「顔がこっていますね」と言われてびっくり。顔も筋肉なので肩や首と同じくコリがあり、肌の乾燥と共に、憎きほうれい線などの原因となるそう。一方で、「きちんとケアすれば比較的解決しやすい」と美豊さん。ゴリゴリと顔の筋肉をほぐしてもらい、準備が整ったところで、いよいよメインのコラーゲン凍結乾燥シートの出番。これは、ヒトの皮膚コラーゲンとほほ同質のコラーゲンを97%持つシートマスクで、3種類のコラーゲン成分を編んで凍結乾燥させている医療グレードのプロダクトだ。凍結と言っても決して冷たいわけではなく、見た目はとても薄い発泡スチロールのような感じ。顔に置いて、丁寧に精製水をしみ込ませていくと、マスクの成分が溶け出して顔にピタッと密着する。その上からフェイシャルエステ用のガーゼを被せ、待つこと20分。シートマスクを外すと、まるで生まれ変わったような肌の透明感! もともと肌トラブルは少ないほうと高をくくっていたら、自分でも驚きの結果に。コース内の各所でフィンギーもこれでもか!というくらい吹きかけてくれる。ここまで違いが実感できるとは正直思ってもみなかった。たっぷり保湿され、このあと化粧するのがもったいないくらいだ。

KIREIでは、そのほかにもオリジナル・メニューが充実する。乾燥しがちで保湿がとても重要なこの時期、肌のケアは必須。ギフトカードも用意されているので、お世話になった人へのプレゼントに、自分へのご褒美に、そしてここぞ!とばかりのおねだりにぜひ利用したい。お得な回数券もあり。

メイク落とし、毛穴の中の汚れ除去と、2段階にわたるクレンジングを経て、顔のコリをほぐすマッサージへ。気持ちが良く、思わず寝てしまいそう
肌の状態に合わせて光の色を選び、LEDライト照射。筆者は老廃物除去、リンパの流れ促進、肌や細胞の活性化が期待できる黄色のLEDライトを15分間浴びた

いよいよマスクへ!

❶コラーゲン凍結乾燥シート ❺シートマスクが顔にしっかり密着。栄養がぐんぐん入ってくる

大満足の仕上がり!

施術後の肌は、つるんと殻がむけたようにスベスベ

 

驚異の化粧水、フィンギー(右)とその他イシイブランドの製品

 

イシイブランドの製品はKIREIで手に入るほか、フィンギーUSAの公式サイトでオンライン購入も可。
フィンギーUSA:https://dr-ishiiselectusa.com

 
 
 
 
 
CHECK!

ソイソース読者特典!

初回利用時は全メニュー30%オフ。またリピーターの方も予約時に「ソイソースを見た」と伝えればフィンギー・スーパーコラーゲン・フェイシャルが10%オフに!
※2019年12月31日(火)予約分まで有効。

 

Holistic Spa KIREI
ホリスティック・スパ KIREI

1805 136th Pl. NE., #206, Bellevue, WA 98005
☎425-998-9688、info@holisticspakirei.com
www.holisticspakirei.com

営業時間:火10am〜3pm、金10am〜7pm、土10am〜5:30pm 定休:月水木日 ※予約制
料金:フィンギー・スーパーコラーゲン・フェイシャル$195/75分、KIREIシグニチャー・フェイシャル$80/45分、保湿フェイシャル$120/75分、あがる(アンチエイジング)フェイシャル $135/75分 ほか

農林水産省 小川太輝さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

小川太輝さん。大好きな魚について話し出すと止まらない

#24 小川太輝(たいき)
◾️東京都出身。2014年農林水産省入省。水産庁配属。現在は人事院の留学制度を活用し、ワシントン大学海洋環境政策大学院で勉強中。公用旅券での渡航につき2年間日本に戻ることができないという環境の中、何よりも恋しいのは旬のアジやイワシといった大衆魚の刺身と塩焼き。

釣りやスキューバダイビングを楽しむ両親の影響で幼い頃から海と魚が大好き。東京海洋大学では水産資源の持続的な利用・管理について学びました。私たちが当たり前に食べているマグロ・サバ・イワシといった貴重な水産資源を、これからも食卓に提供し続けられるように研究を続ける中で、交換留学生としてノルウェーにも渡り、サーモンの養殖場でも研修を積みました。その後は東京大学大学院にある大気海洋研究所に進学。魚に囲まれた学生時代を送りました。

学生の頃から強く感じていたのは、世界各地の漁獲量が増加・高止まりし、一部の水産資源の状況が悪化する中、魚の一大消費国である日本は、その問題を解決する責任の一端を担っているということ。大好きな魚と海を守り、これからも安心して魚を食べられるようにしていきたいという思いから、念願の水産庁に入庁しました。配属となったのは国内の魚を専門に管理する部署。漁獲量を設定するほか、他国の政策を分析・比較しながら国の水産資源に関する政策をまとめるのが仕事です。日本は全国津々浦々、多種多様の魚が獲れることが魅力で、魚の種類や場所に合わせた独自の資源管理が行われています。国だけでなく、日々の漁獲量に生活がかかっている漁師の皆さん、そして自治体も一緒になって政策を策定し、将来にわたってその恵みを享受し続けるための最善策を考えて決定されます。漁業の現場に近いところでの経験から、多くのことを吸収できました。その次に配属されたのは、マグロに関する国際交渉をまとめる部署でした。日本で消費されているマグロの約60%はミクロネシアやパプアニューギニアといった太平洋島嶼国の水域で獲られています。日本の漁船が各国の水域で漁をさせてもらえるよう、相手国の水産大臣や関係者と入漁料や条件を取り決める仕事に携わっていました。

FAOでのインターンシップ。発展途上国における水産資源管理に関するシンポジウムの準備に携わった

水産資源の管理に関してはNPFC(北太平洋漁業委員会)など国際機関で決められるルールもたくさんあります。世界的に魚の消費が拡大する中、今後ますます、日本がリーダーシップを取って、漁業資源を守り、持続的に利用していく仕組みを作る必要があります。それに少しでも貢献できる人材になるべく、昨年7月からワシントン大学の海洋環境政策大学院で学んでいます。このプログラムの良いところは、これまで研究してきたような「海の中にはどれだけ魚がいて、持続的に利用するためにはどれだけ獲っても平気なのか? どれだけ規制すべきなのか?」という理系の統計的アプローチだけでなく、経済学や人類学、政治学、文化的側面など、多角的な視野から水産資源の管理について学べる点。世界的に著名な教授陣もそろっています。比較的少人数で構成されるクラスのおかげで、きめ細かな指導を受けられます。クラスメートはアメリカ人ばかり。日本の水産庁や海上保安庁に当たる機関、環境保護団体、マスコミ、水族館など、さまざまな職務経験を持つメンバーが集まっています。国際会議さながらに、日本から来た私の話をとても興味深く聞いてくれるので、大きなモチベーションになります。今年の夏は、ローマに本部を置くFAO(国連食糧農業機関)でのインターンシップも経験しました。

ロシアW杯を現地まで観に行くほどのサッカーファン。勉強の合間を縫ってシアトル・サウンダースFCを応援

1人当たりのコーヒー消費量が世界第1位のノルウェーに留学していたこともあり、実はすっかりコーヒー中毒。勉強が忙しく、なかなか時間が取れませんが、シアトルでは妻と一緒にカフェめぐりに出かけるのが休日の楽しみです。サッカーが好きで、シーズン中は、シアトル・サウンダースFCの試合観戦にも行きます。シアトルは水産業が盛んなため、国内外の水産会社の方から話を聞く貴重な機会にも恵まれ、とてもありがたく感じています。将来は日本の代表団の一員として、国際会議の場でしっかりイニシアティブを取っていけるよう、愛する魚と海のためにも頑張っていきたいと思います。

東京シーフーズ 原田宏之さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

原田宏之さん。手に持つのは取り扱い商品。英語でのニックネームは本名「宏之」のHを取った「Henry」で、取り引き先の社長さんが名付けてくれた

#23 原田宏之
◾️神奈川県出身。趣味は登山で、今夏はワシントン州で2番目に高いマウント・アダムス登頂を果たした。駐在期間中に実現したい夢のひとつはもちろん、マウント・レーニアの制覇!

より自分にとって身近な商材を取り扱い、海外を相手に仕事ができる環境を求めて2009年に転職。築地に本社を構える東京シーフーズ(Tokyo Seafoods U.S.A., Inc. )に入社しました。全部で60名ほどの会社で、創業は1988年。マグロやサーモン、カズノコ、カニなど、水産原料に特化して輸入販売する水産部門と、外食レストランやスーパー向けなどに原料から加工品、メニューそのものまで、顧客のニーズに合わせて商品を提案する食材部門があり、私は後者の食材部門に配属されました。「シーフーズ」と名の付く会社ですが、食材部門では魚介のみならず肉類や乳製品、デザートなど食材全般を幅広く扱っていて、時には顧客が求める食材そのものを海外へ探しに行くこともあります。

ファミリーレストランのデニーズ始め、外食チェーンの担当となった私も、ニュージーランドのアイスクリーム、タイやベトナムのエビフライ、中国の工場で生産するかき揚げなど、さまざまな商品を海外から輸入していました。

新たなUSビーフを求めてカリフォルニア州に出張

イメージしていた通り、海外出張は年に4、5回あり、多忙ながらも充実した毎日。「そろそろマンションでも買おうかな。いつかは結婚もしたいしな……」などと考えていた矢先、寝耳に水のビックリ人事でシアトルへの赴任が決まりました。独り身での海外生活に不安はあったものの、小学生の頃に家族と訪れた初めての海外旅行先がシアトルだったこともあり、縁を感じました。こんなチャンスは一生に1度!と思って飛び込みましたが、やはり着任当時は日々の食事から洗濯機の使い方まで、まずは日常生活で苦労し、生き抜くだけで必死でした(笑)。

赴任先の東京シーフーズUSAは弊社唯一の海外拠点で、主にアラスカやカナダといった北米地域からの水産物の買い付けを担っています。東京本社からの要望に沿って、現地取り引き先との交渉や営業活動、輸出業務全般を行うのが主な仕事です。商品のひとつであるカズノコはアラスカやカナダで獲れたニシンを中国の工場へ運んで加工し、卵だけを日本に運んでいます。そのほか、シカゴの工場で製造するチーズケーキやサーモンの缶詰、銀ダラなどの底魚類なども取り扱っています。北はアラスカからカナダ、シアトル沖にかけての西海岸はサーモンの名産地ですが、特に旬の時期にアラスカから冷凍せずにフレッシュな状態で店頭に並んでいるものは本当においしいですよね。

英語には常に関心があり、留学や駐在の予定もなかったのに日本で1年間の英会話教室に通ったり(大して通うことなく終わってしまいましたが)英会話を練習するミートアップに参加したりもしていました。ところが、実際シアトルに来てからは、業務の半分は東京とのやり取りですし、こちらの取り引き先も日本向けの商売に慣れていて、日本語を話せる人もいます。日本語を使うことが予想以上に多く、自分から積極的に英語を使うよう意識しなければ、アメリカで暮らす=魔法のように英語を話せるようになる、というわけではないということを痛感しています。ESLのクラスに参加したり、コツコツ単語帳を作ったりしながら、地道に努力を重ねています。結局、こうやって身に付けていくしかないんですよね。

標高3,743メートルのマウント・アダムス登頂を達成した感動の瞬間!

休日はなるべく外に出るようにしています。バーベキューや外に飲みに出るのも好きですが、中でも山登りが好きで、休日にはミートアップで知り合った仲間たちと登山に出かけています。こちらにいるうちにマウント・レーニア登頂をぜひ成し遂げたいと思っています。「パラダイス」など車で行けるところから実際の頂上まではまだかなりの距離がありますし、それなりの装備も必要です。また、アメリカに来て現地の友人たちといろいろな会話をしていくと、日本の地方都市やサブカルチャーの話題では自分よりも詳しいアメリカ人がたくさんいて驚きます。日本に戻ったら国内をじっくり回って、さまざまな角度から日本のことを深く学んでみたいですね。また仕事面では駐在中に、水産品に限らずアメリカの食材で、帰任後にもつながるような新たな日本向けの商売を仕かけていけるよう頑張っていきたいと思います。

懐かしいあの頃の記憶をもう1度 MAKIピアノ教室

懐かしいあの頃の記憶をもう1度 
MAKIピアノ教室

子育てがひと段落したタイミングで、あるいは新たに趣味を持ちたいと思った時に、昔習っていたピアノを大人になって再開する人が多いと聞く。5歳から50代までと幅広い年齢層が通うMAKIピアノ教室でも、そんな生徒が少なくない。

(取材・文:磯野愛)

レッスンの様子。楽譜を指で追いながら、丁寧に教えてくれる

 

レントンにある自宅を教室として開放し、ピアノを教えているのは、講師歴15年以上のヘルコウスキー(旧姓:真木)るり子さん。生徒がそれぞれのペースで思い思いの曲を楽しく演奏している、アットホームなピアノ教室だ。

筆者も中学生までピアノを習っていたが、部活が忙しくなったのと、師事していた先生がとても厳しく、練習しないと叱られるプレッシャーに負けて、あえなくレッスンを断念したひとり。今回、体験取材をさせてもらい、およそ20年ぶりにピアノに触ってみた。すると、指はうまく動かないものの、意外なことに楽譜をスラスラと読めて自分でもビックリ! ブランクがあっても、体で覚えたことはなかなか忘れないもので、音符と指の動きが連動している不思議な感覚がとても懐かしく、また新鮮だった。

「本人が持つ可能性を信じて、楽しく丁寧に」をモットーとするのが、るり子さんのレッスン。課題曲は、いわゆる練習曲だけでなく、本人が演奏したい流行のポップスや懐メロなど、何でもありだ。大人の場合、自身のレベルにはちょっと合わない難しい曲を希望する人も多いそうだが、「先ほどのモットーを心に留めて、1小節ずつ、1歩1歩指導するよう心がけています」とのこと。もちろん、全くの初心者でもOK。ピアノが家になくても、200ドルくらいから購入できるキーボードがあれば日々の練習には十分だというから、それほど敷居は高くない。レッスンは週1回、30分を基本にしているが、都合に合わせてフレキシブルに対応してくれるので、ぜひ連絡を。

優しく指導する講師のるり子さんは、おっとりとした印象の方。ベルビューにあるインターナショナル・ラーニング・アカデミーでもピアノ講師を務め、多忙な日々を送っている
Maki Piano Studio

場所:19506 134th Ave. SE., Renton, WA 98058
スケジュール:応相談 ※現在休暇中のため、レッスンは10月12日より再開
料金:1回$30
問い合わせ:rurikohelkowski@gmail.com
無料体験レッスンあり

城東ベントシステムUSA 澤村和矢さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

澤村和矢さん。45歳とは思えない引き締まった体つきと日焼けをした肌は、本格的なアスリート!

#22 澤村和矢
◾️
大阪府出身。大学卒業までは卓球ひと筋で、中学から親元を離れて高知・青森・仙台と、全国の強豪校で腕を磨き、2度の全国優勝も経験。城東ベントシステムUSAの設立に一から携わる。サーフィン、ゴルフ、トライアスロンを楽しむ、バリバリのスポーツマンでもある。

学生時代はとにかく卓球一色で、勉強をすることもなく就職活動を迎えてしまいました。厳しいスポーツの世界を生き抜いてきたそのスピリットだけを買ってもらい(「試験がなかった」という言い方も!?)、1997年、建材メーカーの城東テクノ株式会社に入社。今年で入社22年目を迎えました。初めの12年間は、仙台営業所の営業マンとして仕事に打ち込んでいました。城東テクノは「キソパッキング工法」と呼ばれる、住宅の床下換気システムに必要な建材をメインに販売しています。この工法では、建物の床下に換気用の穴を直接空けることなく換気性を向上でき、また耐震性の面からもメリットがあります。入社当時の20年前は、まだ誰も知らないような最先端の工法でしたから、営業先の設計事務所や住宅メーカーでは門前払いからのスタートでした。この工法は、各地での大きな地震の被害をきっかけに注目を集め、現在の日本ではほぼ100%の建物で採用。おかげさまで城東テクノの製品も高いシェアを誇っています。

次の東京支社勤務時代には、2013年、アメリカへマーケティング・リサーチに行くという機会に恵まれました。日本の人口がどんどん減り、建物の着工数も2020年の東京五輪後は減少していくと予想される中、将来を見据えて新しいマーケットを開拓するためのリサーチでした。アメリカでの反応は思いのほか上々で、私は早速、米国支社の設立を社内で提案。先行して米国オフィスを持っていた販売パートナー、インテラUSA(本欄で前回登場)の皆さんも後押ししてくれました。上司を説得し、2017年には、レドモンドでのオフィス開設に至りました。

当時のメンバーは、私のほかに社長と技術者の3名だけ。現在では1名、アメリカ人の営業スタッフも加わっています。アメリカではまだまだ知られていない工法ですので、仙台時代のように新規開拓営業に明け暮れる毎日。アメリカ中の建築・設計オフィスやハウスビルダーを回る傍ら、全米各地で開催される建材メーカーの展示会に月1、2回出展しています。ほとんどが新規のお客さまですので、しんどい時もあります。今はただ、未開の地で先駆者になれた喜びと、この工法を採用した建物が実際に着工し、形に残っていく達成感に支えられて、何とか踏ん張れています。ここ2年間で全米に60棟の実績もでき、製品への問い合わせも徐々に増えてきています。

家族みんなで食事に出かけるのも週末の楽しみのひとつ

自宅はサマミッシュにあり、妻と14歳の息子、そして12歳の娘の4人暮らしです。多感な時期にこちらに来た子どもたちが、現地校になじめるかどうかがいちばんの気がかりでした。自分自身、卓球の強豪校への転校を繰り返したので、転校生の苦労はよくわかりますし、それが異国ともなればなおさらのこと。最初は言葉の問題もあって相当の苦労があったようです。子どもたちには、自分が身を置いた環境の中で最良のカードを引きながら、たとえ勉強が得意でなくても、人とのつながりを大切にして、そこで培ったコミュニケーション力でたくましく生きていける人間になって欲しい。そういう思いで、ふたりを見守ってきました。今では長男は所属するサッカー・チームをエンジョイし、長女もすっかりアメリカに溶け込み、英語の次は韓国ドラマとKポップにハマり、日々韓国語も上達しています。

2018年、サンディエゴで、トライアスロンよりさらにハードと言われるアイアンマン・レースに出場し、見事完走した

先日、ラスベガスで行われた全米最大規模の展示会ではベスト・エナジー・エフェシエント・プロダクトという最も栄えある賞を獲得できました。これからも城東テクノ唯一の海外拠点として、後に続く人たちの道を開拓していけるよう、力強く邁進してきたいと思います。

インテラUSA 大澤正太郎さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

大澤正太郎さん。手に持つ主力商品は左から、テーブルやドアなどにも使われるポピュラーな建材「MDF」/建築現場や引っ越し作業の際に衝撃から壁などを守る養生材/住宅基礎換気に欠かせない「ベントシステム」

#19 大澤正太郎 インテラUSA
◼️千葉県出身。アメリカ生活をきっかけに料理に目覚める。友人とのバーベキューではもっぱら焼き方担当で、肉の焼き加減ならレアからウェルダンまでお任せあれ! 家庭用のミートスライサーが欲しくて、妻の芽衣さんに稟議りんぎ申請中。

インテラUSAはJKホールディングスを母体とする建材の販売会社です。私は2009年にJKホールディングスに採用となり、ジャパン建材株式会社に入社。丸10年、営業ひと筋です。

最初は新木場営業所に配属となり、すでにお付き合いのあった取り引き先や新規の営業先を回る毎日でした。担当したのは墨田区・荒川区・江東区といった下町エリアで、材木屋や水道屋など地域密着型の老舗ばかり。車1台がやっと通れるくらいの狭い道を毎日運転しながら、営業のいろはを学びました。時には電話越しで思いっきり怒鳴られることも……。都内はライバル会社も多く、ただ通っていれば仕事を取れるというわけではありません。商品を卸している顧客のその先で、工務店が着工する実際の建築現場にも足を運んで現場の状況を把握し、自ら採寸をして商品を提案するなど、自分らしい工夫も重ねながら仕事に邁進まいしんしてきました。

そんな生活を4年ほど送った頃、会社の海外語学研修制度で参加者の募集がありました。新しい環境に身を置きたかったのと、実は、成田空港で勤務する妻が英語で外国人と話す姿を見て、ひそかに憧れを抱いていたこともあって、強く興味を持ちました。ただ、単身で行くことが条件。長女が生まれたばかりだったので、妻には絶対賛成してもらえないと思っていたところ、まさかの快諾。力強く、背中を押してもらいました。英語漬けの毎日をと会社が準備してくれたのはスポケーンの語学学校と1年間のホームステイ。ハウスメイトに恵まれ、エチオピア人の彼に学校への通い方からバスの乗り方、洗濯機の使い方まで、生活全般を教わりました。毎晩、夕食時には英語の練習を兼ねて、その日の出来事をホストファミリーにプレゼンテーション。まるで上司に営業報告をしているかのようでした(笑)。

週末には妻と3人の子どもたちと楽しくピクニック。妻の芽衣さんはアメリカ生活をとても楽しんいるそう。「留学も駐在も結局、私がここまで来られたのは、単に彼女の手のひらの上で転がされていただけかも……(笑)」

プログラム終了後は本社の海外事業室で2年間、輸出入業務の基本を学び、2016年8月よりレントンにオフィスを構えるインテラUSAに駐在。営業の最前線は現地のスタッフに任せ、私は受発注、輸出入の書類作成、コストやスケジュールの管理などを行っています。そのほかには月1回程度、全米各地で開かれる建材の展示会の手配もしています。駐在員はよく「何でも屋」と言われますが、まさにその通りで、日本にいた頃よりも仕事の幅は格段に広くなりました。現地のスタッフには、日本的な「2、3言ったら10わかるだろう」という考え方は全く通用しません。細かく指示を出し、納得してもらうことが必要。商慣習の違いもあります。たとえば請求上のミスなどがあれば、日本ではとんだ失礼に当たり大騒ぎになりますが、こちらでは単純にミスを指摘されて請求書を再発行し、それでおしまい。その辺の大らかさというかフェア精神には、とても助けられていますし、見習いたいですね。

絶妙な焼き加減が自慢のトマホーク・ステーキ

日本では仕事ばかりの毎日で、子どもが起きる前に家を出て、寝たあとに帰宅するような生活を送っていました。こちらでは家族と持てる時間が増え、やっと家族の一員になれたような気がしています。長年、妻に任せきりだった家事や子育ても修行中。いろいろチャレンジしてみましたが、自分が楽しめて、妻に迷惑もかけないのは料理だと判明し、土日の食事は私が担当するようになりました。英語力の確かな裏付けとなるTOEICの受験もまだまだ頑張りたいです。

幸い、社の営業成績も大幅に伸びています。現場に合った新しいシステムやツールの導入など、社内外の変化に対応できる環境をこれからも牽引していきたいと思っています。

アッパー・デック・ゴルフ【SNAPSHOT 2019】

SNAP SHOT 2019 MAY 

アッパー・デック・ゴルフ

6月8日と9日に、センチュリーリンク・フィールドで開催された、「アッパー・デック・ゴルフ」に参戦。当日は天候にも恵まれ、青空の下、広いスタジアムに打ち込むティーショットは気分爽快!ゴルフ×シーホークスというキーワードにピンと来る人はぜひ来年参加してみて。(A)

SNAP SHOT 次回もお楽しみに!

テキーラ列車に乗って大人のアドベンチャーへ グアダラハラ・テキーラ(メキシコ)

テキーラ列車に乗って大人のアドベンチャーへ
グアダラハラ・テキーラ(メキシコ)

テレビ朝日の長寿番組「世界の車窓から」に登場し、一瞬で筆者のハートを奪ったテキーラ列車。その体験は期待以上でした。お酒好き×旅好きのキーワードが当てはまる人は迷わずGO!

(取材・文:磯野 愛)

まるまる1日、テキーラ三昧!

テキーラと言えば、その場の勢いでショットグラスを空けたとか、憂さ晴らしや景気づけに無理やり飲んでみたとか、いわゆる「若気の至り」という人生の1ページに登場する、そんな存在のような気がしていた。しかし、テキーラ・エクスプレスの旅を通して、テキーラのおいしさはもちろん、その奥深さを丸1日かけて知ることができた。

座席は3クラスあり、いちばん安い(約110USドル)エクスプレス・ワゴンに乗車。向かいの席のカップルが喧嘩中だったことを除けば、十二分に快適

フランスのシャンパーニュ地方で造られたものしかシャンパンと呼べないのと同じように、テキーラもメキシコ国内の決められた地域で製造されたものしかテキーラと呼ぶことはできない。ホセ・クエルボ社が毎週土曜日に運行するテキーラ・エクスプレスは、メキシコ第2の都市であるグアダラハラからテキーラ村へ向かう観光列車。車窓に広がる雄大な景色を、テキーラを片手に楽しみながら、約70キロの距離をおよそ1時間半かけて走行する。

テキーラ村でテキーラ製造工場を見学!

朝8時、駅に集合。出発時間までメキシコ伝統の舞踊と音楽が披露され、待合所は神秘的な雰囲気に包まれる。すでに興奮MAXだが、ここからが本番。英語組とスペイン語組に分かれて列車に乗り込むと、ワカモレやチップス、エスキーテ(とうもろこしにバターやチーズなどを混ぜたもの)といったメキシコらしい軽食と一緒にテキーラが振る舞われる。テキーラ・マエストロによるレクチャーに耳を傾けている間も、列車はテキーラの原料となる多肉植物の一種、アガベ畑の中を、ゆっくりと駆け抜けていく。

アガベ畑では葉の断裁を体験

テキーラ村に到着後は、いよいよテキーラ工場見学へ。アガべは、葉の先端までは大人の背丈を超える高さがあるが、テキーラに使われるのは根本(茎)の部分だけ。テキーラの香りが漂い、作業音が響く工場内では、このアガべを蒸す大きな窯や熟成用の樽などを見て回る。その後は自由時間。周囲のレストランでランチにするも良し、数多ある土産屋でショッピングするも良し。復路はバスとなり、往路で通り過ぎたアガベ畑にも停車。車内ではゲームで盛り上がり、筆者はビンゴで勝利してテキーラの土産までもらった! グアダラハラに戻ったのは夜8時頃であった。

極上のエンターテインメント旅

何より素晴らしいのは、随所にエンターテインメントの要素が施されていて、1日を通して時間を持て余すことがないこと。ツアーの全行程がとても洗練されている。

列車の発車を待つ時間でさえも、余すところなく楽しませてくれる

ドリンクが飲み放題というのもうれしい。列車に乗った瞬間から帰りのバスを降りるまで、昼食のレストラン以外では、いくら飲んでも料金は変わらず。テキーラはストレートで飲むだけでなく、ストロベリーマルガリータなど各種カクテルでも味わえる。ソフトドリンクも用意され、子連れでの参加もOKだ。往路をバス、復路を列車に変更することもできる。

 


┃シアトルからの行き方

グアダラハラまではメキシコのボラリス航空が直行便を運航。米系の航空会社でもロサンゼルスやメキシコシティなどから、1回の乗り継ぎで到着できる。ホセ・クエルボ社の列車が出発するグアダラハラ駅は市街地からすぐのところにある。

シアトル日本語補習学校 柏 隆さん

シアトル駐在日誌

夏休みスペシャル! アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載

シアトル日本語補習学校の柏隆校長先生にインタビュー

取材・文:磯野愛

柏 隆さん。シアトル日本語補習学校の子どもたちと。どの学校でも間違いなく名物先生だったであろう柏校長と話して、筆者も世話になった恩師を思い出した

#20 柏 隆(かしわたかし) 東京都出身。文部科学省からの派遣で2019年4月にシアトル日本語補習学校の校長として着任。昔、苦労をかけられた生徒とのエピソードを、目頭を熱くして語ってくれた、誰もが1度は出会いたい熱血先生。家族は同い年の妻と、長男・長女。ジャズを聴くことが趣味で、カラオケの十八番は安全地帯。 

 

恩師との出会いで教師になることを決意

子どもの頃、夏休みの間はずっと、水戸にある母方の祖父母の家で過ごしていました。そこにはいつも、伯父もいました。伯父は中学校で国語教師をしており、夏休み中は釣りと読書に明け暮れ、のんびり暮らす毎日。その様子を見て「学校の先生はこんなにも自由で、自分の時間を謳歌できる職業なんだ」と、子どもながらに感銘を受けました。恥ずかしながら、それが教師という仕事に興味を持ったきっかけです。

とはいえ、小学生の頃の私は人見知りで、人前で話をするとすぐに顔が赤くなってしまうことから「茹でダコ」というあだ名が付いたほどでした。そんな私が教師を志す契機となったのは、高校入学後、目標を見失い、横道に逸れそうになった時のことです。問題行動を起こしてしまった私を、ほとんどの教師が「ダメな生徒」と見限る中で、一人の先生が「なぜ、そんなことをしたのか?」と、心情を理解しながらも行為の非を厳しく諭し、私の個性を認め、可能性を信じて激励し続けてくれました。この恩師との出会いにより、「こんな教師になりたい」と、決意を新たに。心を入れ替えた私は、受験勉強にも励み、教員養成課程のある国立大学に進学。卒業後、1978年に中学校国語科の教師として教鞭を執ることになりました。中学校を選んだのは、多感な時期を迎えている生徒たちの失敗や挫折に、ひとりの人間として真摯に向き合い、直接関わっていきたいという思いからです。

1996年、毎日が闘いだった足立第六中学校にて国語の授業中のひとコマ

初任校は築地市場の近くにある、中央区立第二中学校。東京都採用では残念ながら、憧れていた伯父のような暮らしは当然できるはずもなく、右も左もわからない中、1年生の担任、そして男子バレーボール部の顧問として無我夢中でした。しかし、生徒数の減少に伴う教員の過員解消のため、たった1年で同じ中央区の第三中学校への異動が決定。最初に担任を受け持った生徒たちとの別れを惜しんだのも束の間、ここから地獄の日々(笑)が始まりました。

というのも、この中学校には「やんちゃ」な生徒たちも多く、毎日がリアルに名作TVドラマの「スクール・ウォーズ」や、最近で言えば「今日から俺は!!」を彷彿させる世界。血気盛んな男子は喫煙常習、ボンタンにパンチパーマ、女子もスカートは超ロング丈、くるくるヘアのスケバンという出で立ちで、毎日がそんな子どもたちとの愛と戦いの日々でした。若かった私は、先輩教員に最前線に追いやられ、生徒たちと正面からぶつかり合ったことも。大きな声では言えないですが、当時の校内人事は、先輩教師たちが飲み屋で決めたとおりになっていたので(笑)、いちばん下っ端の私は5年連続で手のかかる3年生の担任に。精神的にも肉体的にも疲弊する毎日でした。

教員生活で最初に担任をした中央第二中学校の入学式と40年後の同窓会

そんな時にロンドンにある全日制の日本人学校に赴任する大学の後輩の激励会に行ったんです。正直、変化も欲しかったのでしょうね。いろいろ話を聞くうちに面白そうだと思い、すぐに私もエントリーしました。当時、海外子女の「か」の字も知らず、「か」と言えば「カツアゲ」が浮かぶくらいでしたが、その翌年の1989年から3年間、同じくロンドンにある補習授業校に勤務。借用していた3つの現地校のうちの1つ、クロイドン校舎担当として小学部300人の児童を見守りながら、心穏やかに過ごしました。

 

手のかかった子ほど思い返すとかわいい

日本に戻ってからは、足立区と江戸川区の中学校に勤め、すっかり元の世界の住人となったところで、とある事件が起きました。ある生徒が暴力事件を起こし裁判沙汰となったのです。彼は、いわゆる番長的存在ではありましたが、弱者を守る優しさも持ち合わせていて、自分から暴力を振るうような子ではない。私はそう確信していたので、彼のために陳情書も提出し、裁判にも情状証人として出席しました。卒業式当日、その彼が私の席の前で立ち止まり、「先生、ありがとうございました」と、そっとつぶやいて深々と頭を下げたのです。涙が溢れました。これはもう、教師冥利に尽きるというか、それまでの苦労も全て吹っ飛んでしまう瞬間でしたね。手のかかった子ほど、あとから思い返すとかわいいもの。そういう子は今でもまめに連絡をくれます。

初めて校長を務めたのは、大田区立羽田中学校。空港があるだけに飛行……ではなく、非行に走る生徒も。そんな環境の中で私は、夜中に子どもたちが徘徊することを「ナイトフライト」、それに振り回される担任のことを「キャビンアテンダント」などと呼び、自ら校長室で生徒指導をすることもしばしば。管理職になっても結局は生徒と関わることが好きで、彼らと直接つながっていたい気持ちが強かったのです。同僚の先生たちと力を合わせて学校改善に取り組み、4年後には、すっかり落ち着いた学校となりました。

そのあとも、定年の節目を挟みながら通算6年間、同じ大田区内の大森第四中学校で校長を務めました。田園調布エリアの洗練された雰囲気と情に厚い下町の良さが程良くミックスされた素晴らしい学校で、地域・PTA・教職員が一丸となって子どもたちの成長をサポート。これまでの苦労が報われたかのような、充実した日々でした。立地柄か、海外からの編入生徒もいて、彼らとの交流を通じてロンドンでの充実した生活の記憶がよみがえりました。「第2の人生として、もうひと踏ん張り、新天地で頑張ってみようか」。そんな気持ちから、現在のポジションに応募したのです。また、ロンドンから帰国した後の教員生活では、いじめや不登校への対応、特別支援学級併設校での勤務も経験し、当時以上に海外子女教育に貢献できるという確信もありました。

 

“苦楽しい”この学校が生徒たちの心の居場所であってほしい

現在勤務するシアトル日本語補習学校は、幼稚園年長から高校3年生までの577名、教職員61名で成り立っています。私の主な仕事は、教育課程の編成・管理、教職員への指導や助言といったマネジメント、教職員の採用、児童・生徒の転出入に伴う学籍管理、編入希望者への面接・試験の実施などです。また、監督省である文部科学省や、運営母体であるシアトル日本商工会(春秋会)・教育部会の代表者によって構成される「学校運営委員会」への報告も大切な業務。毎週土曜日にサマミッシュ高校の校舎を借りて開校し、それ以外の日はベルビューにある春秋会のオフィスで、前述のような事務作業に追われています。驚いたのが、保護者の皆さんの強力なバックアップ。先生方は平日に別の仕事を持つ方も多く、週1回の授業日では、日本の公立学校では教職員が担うような様々な行事から、日々の細かな業務まで手が回らないのが実情です。運動会や図書室の運営、古本市や読み聞かせボランティアなど、保護者の皆さんがPTA活動の一環として主体的に請け負ってくれています。また、施設・設備面では、視聴覚機器や電子黒板など、授業で効果的に使用できるICT機器の整備や活用が、日本の教育現場よりもずっと先に進んでいます。こちらもまた詳しい保護者の方がいろいろサポートしてくれて助かっています。

シアトル日本語補習学校のスタッフと

生徒たちは平日に通う現地校での学習、スポーツ、音楽などの習い事と、多くをかけもちしており、忙しい毎日を送っています。特に日本から来たばかりの子どもにとって、現地校での生活は苦労の連続でしょう。シアトル日本語補習学校はさまざまなバックグランドを持つ生徒たちの心の居場所でありたいと思っています。校歌の一節には「きびしく・たのしく・ゆたかに学ぶ」というフレーズがあります。作家の遠藤周作氏が創作活動の喜びの表現に使った言葉もまた、「苦楽しい(くるたのしい=苦しいけれど楽しい)」。そんな学校を理想としています。2つ以上の言語、国籍を持った生徒たちが、国際人としての豊かな人間性、そして、その礎となる確かな日本語力と学力を育むために、大量の宿題をこなしながらも、週に1回、日本語で思いの丈を表現できる、ぬくもりのある場所。この学校がそんな存在になれるよう、精いっぱい頑張っていきたいと考えています。

ジャズシンガーの沖野ゆみさん(中央)と記念の1枚。右は娘の久美さん。「シアトルにいるうちにジャズバーめぐりを存分に楽しみたい!」
 
 

道産子記者が勝手にランキング!本気で選んだ札幌物産展マストバイ

道産子記者が勝手にランキング!
本気で選んだ札幌物産展マストバイ

7月24日(水)~30日(木)、札幌市とポートランド市の姉妹都市締結60周年を記念して、宇和島屋ビーバートン店で札幌物産展が開催されます。嬉しいことにシアトル、ベルビュー、レントンの店舗でも一部商品が購入可。その中から、生まれも育ちも札幌の記者が、選びに選び抜いたおすすめ商品ベスト3を紹介します。

取材・文:磯野 愛

第1位 岩田醸造 紅一点 北海道だし入り味噌

北海道民に長く愛され る味噌で、このパッケージを見ただけで母の手料理を思い出すほど。かつおと昆布のだしの風味が利いた、コクのある懐かしい味わい。柔らかい ペースト状で、調理の際の使い勝手も抜群だ。

 

第2位 池田食品 北豆匠 焼カシュー

 

多彩なラインナップを持つ池田食品の豆製品の中でも、イチオシはカシューナッツを香ばしく焼き上げたこの商品。これからの季節はビールのお供にも最高! そのほか、ほんのりとした甘さの「タマゴボーロ」もおすすめ。

 

 

 

 

第3位 ベル食品 ラーメンサラダ焙煎ごまだれ


札幌の居酒屋では定番中の定番の「ラーメンサラダ」を自宅で楽しむためのたれ。泣く子も黙る人気とシェアを誇るジンギスカンのたれでおなじみの、ベル食品が手がけている。冷やし中華の要領でたっぷりの生野菜と冷たいラーメンにかけて、プロの味を再現。これはあくまでサラダです!

 
Uwajimaya
600 5th Ave. S., Seattle, WA 98104 ☎︎206-624-6248
699 120th Ave. NE., Bellevue, WA 98005 ☎︎425-747-9012
501 S. Grady Way, Renton, WA 98057 ☎︎425-277-1635
10500 SW. Beaverton-Hillsdale Hwy., Beaverton, OR 97005 ☎︎503-643-4512

シアトルで趣味の音楽を楽しもう

音楽グループ みんなを元気にする音楽の力

ラクレレ

定期練習の場である四つ葉学院の教室のドアに手をかけると、ウクレレの音色と共に、きれいにそろった歌声が耳に飛び込んできた。これは、日本の卒業ソングの定番「贈る言葉」!? 

ラクレレの皆さん。英語表記ではL’ukuleleとなり、楽(らく)とウクレレがその由来

「ハワイアンにこだわらず、日本の歌謡曲を含め、何でも弾きます。日本のウクレレ本を参考にするほか、YouTubeで見つけた動画から直接コードを起こすこともありますよ」と、ラクレレのメンバーの皆さんは口々に主な練習曲を挙げてくれた。最初こそ「アロハ・オエ」だったが、「カントリー・ロード」から「アンパンマンのマーチ」まで広がり、今ではレパートリーは約20曲。近隣の高齢者向け・子ども向け日系施設から頼まれて披露する機会も多く、とても喜ばれているそうだ。

メンバーは約10人。毎週、5、6人が練習に集まる

メンバーのほとんどは、合唱グループのエコーコーラスにも参加しており、その中でウクレレの自主練習仲間として集まったのがそもそもの始まり。2016年2月からスタートし、現在は夏季休暇を除く毎週木曜日、午後12時半から2時半までの間、各自が都合の良いタイミングで集まり、自主練習する。「指導者もいないし、ゆるい集まりですよ」と言いつつも、皆さん音楽好きなだけあり、演奏は本格的。聴いているこちらも楽しい気分になり、ステージに引っ張りだこなのもうなずける。

 


その他の音楽グループ

⬛︎エコーコーラス
ベルビューで毎週木曜日にレッスンを行う女声三部合唱グループ。2020年春に、30周年コンサートの開催を予定している。
問い合わせ:echo.chorus.seattle@gmail.com
詳細:https://echochorus.weebly.com

⬛️サウンドシンガーズ
「歌を通じて地域に友好の輪」をモットーとする日系混声合唱団。楽しいことが大好き! 毎週木曜日、リンウッドで練習を行う。随時見学可。
問い合わせ:☎425-412-6511(マギー輝子)
詳細:http://soundsingers.org

⬛️エバーグリーン・グリー・クラブ
シアトルの男声コーラス・グループ。2007年に結成。月に2、3回、日曜日に練習する。トップテナー急募。その他のパート希望者も歓迎!
問い合わせ:https://egcseattle.com/contact/(宮田三郎
詳細:https://egcseattle.com

◼️山小屋合唱団
2018年始動の親子女声合唱グループで、英語表記はCabin Choir。日英両語の歌を月1回、週末に歌う。14名が参加(2019年6月現在メンバー募集なし)。
問い合わせ:cabinchoir@gmail.com(楠瀬奈美)

グルメ新連載!この店この味 Vol.3 搾りたての豆乳で今日も元気いっぱい!

甘口レビュー、辛口コメント、なんでもござれ! ソイソース食レポ班が、シアトル近郊のレストランの1品を主観フルスロットルでご紹介。


搾りたての豆乳で今日も1日、元気いっぱい!

イーストサイドの読者にはおなじみ、ファクトリアにある豆腐店、トーフ101の大豆製品は全てオーガニック、遺伝子組み換えなし。週末はホカホカの飲茶アイテムもあり、駐車スペースが見つからないほどの混雑ぶりだ。そんな中でイチオシは豆乳!きめ細かくトロッとした口あたりで、大豆の濃厚な味と豊かな香りがたっぷりと堪能できる。野菜や果物と一緒にスムージーにしたり、だしと合わせて豆乳鍋を作ったりするのも良いが、起き抜けに冷蔵庫から取り出して、そのままゴクゴク飲み干す1杯は最高。月・火・木・金曜日の週4回製造しているから、いつでもフレッシュな味わいが楽しめる。リーマン・ショック後の2010年、台湾出身のフランクさん夫妻が景気の良くない時代にできるビジネスをと、台湾で学んだ豆腐作りの技術を生かして二人三脚で開いた同店。初心者の意を持つ「101」の店名には、初心を忘れずにというふたりの思いが込められている。大豆に含まれるイソフラボンには美肌や便秘予防など女性にうれしい効果がいっぱい!ぜひお試しを。 (A)

Tofu 101

12816 Factoria Blvd. SE., #G, Bellevue, WA 98006
営業時間:月〜金 9am〜6pm、土 8:30am〜5pm 定休:日
☎︎425-974-1144

 

 

紀文食品 神尾 暁さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

#18 神尾 暁 KIBUN FOODS USA, INC (紀文食品)
◼️千葉県出身。2018年9月よりシアトルに駐在。 華の独身生活を謳歌中! と言いたいところだが、最近はつい寂しさのほうが勝ってしまうことも……。

大学では海洋学部に所属し、食中毒の原因となる菌の研究をしていました。紀文食品(KIBUN FOODS USA, INC.)を選んだのは、その知識を生かして食品会社で品質管理の仕事に就きたいと考えたからです。2007年に入社すると、まずは製造の現場を知るところからスタート。横浜工場に配属となり、「サラダしたらば」という、いわゆるカニ風味かまぼこを担当しました。実際に製造ラインに入って、機械でスケトウダラなどの材料を練り、梱包まで行う肉体労働の日々でした。大変な毎日ながらも工場での徹底した衛生管理を目の当たりにできたのは貴重な経験で、衛生管理の大切さを自分自身に徹底的に叩き込むことができました。

その後、東京の本社の購買部に移り、商品の原材料を調達する部署に所属。担当したのは、でん粉、小麦粉や大豆油、大豆たんぱくといった穀物由来の原材料調達です。所属社員は皆、各自担当する原材料のエキスパート。無知だった私は毎日のように勉強し、サプライヤーさんや周りの先輩からもたくさんのことを学ばせてもらいました。ここでの勤務は本当に楽しかったです。

そして、シアトルに来る直前には赴任準備もあり、国際事業室へ。5カ月間、主に紀文グループの海外拠点への輸出業務を担当しました。紀文はアメリカのほかに、タイ、香港、韓国、台湾、シンガポール、オランダに進出しています。タイには工場もあって、世界に向けて商品を製造・輸出しており、また香港では、フードコートに店舗を構えるなど幅広く事業を進めています。実は、紀文食品で海外勤務を希望する社員はあまり多くありません。私は子どもの頃、親の仕事の関係で5年半、ニューヨーク州とイリノイ州で暮らした経験があり、英語圏で働いてみたいと思って、今回の転勤を志願しました。

雄大な玄蕎麦畑にて

オフィスはベルタウンにあり、総勢17名(うちロサンゼルスに1名)が勤務しています。紀文と聞くと「かまぼこ屋さん」のイメージが強いかと思いますが、私が現在勤務する国際営業部は、北米・中南米で管轄する原材料の売買を紀文グループ以外にも広げて行っている、言わば商社のような部署です。取り扱う商品は、アラスカの工場から買い付けるスケトウダラのすり身や、豆乳製造用の大豆、そばの実など。また、生鮮食品もメキシコ産のカボチャや米国産のジャガイモ、玉ネギなどを扱い、輸出入合わせて商品は約30品目に上ります。

もちろん、日本やタイの工場で製造した、かまぼこやおでんに代表される紀文商品を販売する部署もあります。目下の注力商品は「ヘルシーヌードル(こんにゃく麺)」。コストコでも販売しており、1人前でたった25カロリーです。帰国子女とはいえ、英語には苦戦中。特に電話が苦手で、英語での会話を同僚に聞かれるのが気まずくて、部屋にこもって電話することも多々あります。オフィス内での会話は基本的には日本語なのですが、英語力強化のため、私に仕事を教えてくれているネイティブスピーカーの上司・同僚とは英語で話すようにしています。

平日は自宅と会社の往復で終わってしまいがち。飲みに出ることが好きなので、金曜日と土曜日はベルタウン周辺を飲み歩きします。自宅にも近いアイリッシュ・パブのケルズでは、顔なじみもできました。上司にならい、プライベートを充実させるべくゴルフも始めました。学生時代に打ち込んでいたテニスも、またやってみたいですね。

週末よく飲みに訪れるアイリッシュ・パブ「ケルズ」にて、常連さんとの一コマ

紀文食品は、おかげさまで昨年80周年を迎えました。Kibun Foods USAの今年のテーマは「新規」。購買部での経験も生かしながら、文字通り、新規の販路拡大を目指して頑張っていきたいと 思っています。

完全カスタマイズのワイン・ツアーで忘れられない思い出を


日本語通訳付き!
完全カスタマイズのワイン・ツアーで忘れられない思い出を

 

ワイナリーとの強いネットワークを持つドンさん。ワインの造り手と直に触れ合えるのもこのツアーの醍醐味のひとつ。

取材・文:磯野 愛

全米屈指のワイン産地であるワシントン州。州東部を中心にワイン向けのブドウ栽培が盛んなことや、気候・土壌共にワイン造りに適していることがその理由だ。ワイナリー数は2000年にはおよそ150軒だったのが、2019年ではなんと約1,000軒にも上る。

天気の良い6〜9月はワイナリーめぐりに持ってこいのシーズン。ドナルド・テイラー・ワードさん(通称ドンさん)が主宰するテイラー・テイスティング・ツアーズは、顧客に合わせた完全オーダーメイドのワイン・ツアーが評判で、トリップアドバイザーのレビューでも五つ星を獲得するほど。数あるツアーの中でも人気なのは、シアトルやベルビューから車で30分弱の距離にあり、今や135軒以上のワイナリーが集まるウッディンビルのワイナリーをめぐるツアーだ。このほか、スノコルミー滝を訪れるワイン・ツ アーや、アートや音楽などを組み合わせたワイン・ツアー、シアトル市内のアーバン・ワイナリーをめぐるツアー、女性醸造家のワイナリーをめぐるツアーなど、趣向を凝らしたコースを多数用意している。

ワイナリー内で味わう至福のワイン・メーカー ズ・ランチ(ディナーも可)はテイラー・ワイン・ツアーズならでは!(8~12名のツアーで実施可能)

圧倒的なワインの知識をもつドンさんはソムリエ とフレンチ・ワイン・スカラーの資格を持ち、事前に嗜好や好みの品種の聞き取りを行ったうえで、その日の 顧客に合ったワイナリーを選定して案内してくれる。 その紳士的なおもてなしと人柄には多くのファンが 付く。また、ホテルや自宅までの送迎やワイナリー間の移動もお任せなので、車の心配も不要。心おきなくワインを満喫できること間違いなしだ。

ついうっかり飲み過ぎて(?)しまっても大丈夫。顧客のペースに合わせて時間を取ってくれる。

ツアーは午前10時から午後7時くらいまでと時間はたっぷり。コースに合わせてシアトル周辺にある約4カ所のワイナリーを訪問する。さらにうれしいことに、このツアーには日本語通訳も付く。通訳を担当するのは、ワイン・エキスパートや利き酒師の資格があるウインストン香織さん。これで、専門的なワイン用語が出てきても問題なし!ツアー代金は2名で600ドルから。ウエディングやハネムーン、節目となる結婚記念日、日本からゲストが来た際などに利用すれば、大切な思い出となるはず。最大15名まで受け付けているので、企業の周年社員旅行や祝賀イベントなどにも利用できそう。ウイスキー・テイスティング・ツアーも行っている。

これまで仕事を通じて多くの日本人と出会い、日本人が大好きになったというドンさん。もちろん日本への訪問経験もあり。右は日本語通訳の香織さん

 

 

お次は「ロケ地巡礼&滝が魅力のローカル・タウン、ノースベンドへ行こう」!

 

観光シーズン到来! 夏映えシアトルめぐり
・アートとグルメを楽しむ街歩き
 ・シアトルのSNS映えスポット15選
 ・シアトルの今気になるグルメ11選
・シアトルでお土産探し
 ・特別編 エスプレッソ・ビバーチェ
 ・シアトルで探すお土産5選
やっぱり外せない、SODOでスタバ&マリナーズ観戦
シアトル流社会科見学、Amazon The Spheres
・日帰りに最高
 ・テイラー・ワインテイスティング・ツアーズ
 ・ドラマ「ツイン・ピークス」の舞台をめぐる

神戸シアトルビジネスオフィス 永峰正規さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

引き締まったその体つきはアスリート感がすごい。抱いているのは神戸のゆるキャラ「コーベアー」

#18 永峰正規 神戸シアトルビジネスオフィス(神戸市役所シアトル事務所)
◼️兵庫県出身。2018年5月よりシアトルに駐在。テニスをこよなく愛し、夫婦でプレーをすることも多い。先日ついに自宅でガットを張るマシンまで購入。太陽の下で思いっきりプレーできる夏が今からとても待ち遠しい。

2年間の民間企業勤務を経て、2000年に神戸市役所に入庁しました。大学生の時に阪神・淡路大震災があり、実家も半壊したのですが、自分が街の復興に何の役にも立てなかったという後悔の気持ちが強く、神戸に貢献したいという思いから転職を決意しました。

最初に配属された神戸市内のイベントを企画・運営する部署では、三ノ宮駅近くで行われる「インフィオラータこうべ・北野坂」の立ち上げにかかわり、地域の盆踊り大会の運営もしました。その後、環境問題やごみ収集を担う環境局では人事労務担当、神戸港の管理を行う部署では経理担当として勤務。そこから保育所運営の部署に異動となり、公立保育所を民営化するプロセスを進めました。

その後、神戸ポートアイランドで進める「医療産業都市構想」を推進する部署で、医療関係企業の誘致と企画の仕事をおよそ5年間経験しました。震災からの復興事業である「医療産業都市構想」は、ポートアイランドに医療産業を集積させて神戸発の高度な医療技術を生み出すというもの。全国からの復興支援に対して、人の命を救うという形で恩返ししようと始めたプロジェクトです。ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶 佑(ほんじょたすく)先生が理事長を務める外郭団体と市がこの構想を推進しています。具体的には、研究を進めたい医療従事者と企業をマッチングさせるサービスの提供、新規参入を後押しするレンタル研究室の用意など、行政としてコミュニティー間の橋渡し役を担いました。

神戸シアトルビジネスオフィス(神戸市役所シアトル事務所)には約1年前に赴任しました。駐在員は私ひとりで、現地採用のスタッフと2名でオフィスを切り盛りしています。ここでのミッションは、神戸市をIT関連のスタートアップ企業がたくさん生まれ育つ街にするにはどういった環境づくりが必要なのか、シアトルやシリコンバレーなどからそれを学ぶことと、それを実現するためのネットワークづくりです。神戸市は3年前からシリコンバレーの著名なベンチャーキャピタルである500Startupsと日本で初めて連携し、IT起業家支援プログラムを行っています。また、行政や地域の課題をITスタートアップと連携して解決する日本で初めての事業を昨年開始しました。このような神戸市の取り組みは日本で大きな注目を浴びつつあります。医療産業都市担当時にスタートアップ企業の支援企画を動かしていたこともあり、現場を直に見てみたいという気持ちでこのポジションに応募しました。月の4分の1くらいはサンフランシスコにも行きます。日系・米系問わず各種企業、スタートアップ企業を訪問し、ミートアップなどに明け暮れる毎日です。

神戸市がシアトルやシリコンバレーのような存在になるにはやはり、高度な技術を開発する人材が必要。日本も2020年から公立小学校でプログラミング教育が義務化されますが、現場の教師がその内容を熟知している必要があります。そこで、教師の勉強会をスタートアップ企業に担ってもらうプロジェクトを立ち上げました。海外との競争に負けない独自性を出していくことができれば、神戸市も将来良い人材が生まれ、そして集まってくる場所になれると信じています。

もはや趣味と言うには本格的過ぎるテニス・プレーヤー

自宅はイサクアにあります。家族は妻と現地校6年生の娘、同じく3年生の息子です。息子は登校初日に早速大トラブルが……。帰りのスクールバスで寝過ごし、バス停で降りてこなかったのです。何をどうやってか自力で学校まで戻り、無事に学校でピックアップできましたが、親として心配で、悩んだ末にスマートフォンを持たせることにしました。子どもたちの宿題を見ていると、ここでは覚えたりなぞったりすることよりも、自分でどう思うのか、なぜそうなると思うのかを問われる、アウトプット重視の教育が印象的です。「アイデアを形にしてアウトプットする」という成功体験の積み重ねが、将来の優秀なエンジニアや起業家を育む土壌だなとつくづく感じます。出張が多い私に代わって家族を支えてくれる妻には本当に感謝しています。趣味のテニスは夫婦で楽しんでいます。私はチームに所属し、リーグ戦にも参戦。全米オープンは必ず観に行きたいと家族で話しています。ビールも好きで先日uKegも購入しました。ビール好きの方には本当におすすめ! たくさんの地ビールがそろうシアトルは最高ですね。

日本航空株式会社 山田公正さん

シアトル駐在日誌

春の拡大版
アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

山田公正さん。穏やかな物腰と柔和な笑顔が印象深い素敵な紳士

#17 山田公正(こうせい)
東京都出身。1987年、日本航空株式会社(以下JAL)入社。シアトル支店・支店長として2018年11月より空港事務所開設のためシアトルに着任。

父親が外交官だったので家族で世界中を転々とする生活でした。私自身はインドで生まれ、幼少期はスイスで過ごし、当時フランス語を話していたそうですが、残念ながら今ではさっぱり覚えていません。その後もニューヨーク、香港と、転校を繰り返す生活の中で、新しい土地で生活を始めることの大変さ、そしてそれを乗り越えた時の発見や、糧となる経験に大きな魅力を感じ、「できるだけいろいろなところに行ける会社」というシンプルな理由で日本航空に入社しました。

最初の配属は伊丹空港の国際線旅客担当(1994 年に関西国 際空港ができる前は、伊丹空港にも国際線が飛んでいました)。ここで顧客対応の基本を学んだ後、東京支店の国内線予約センターで勤務しました。バブル崩壊直後に本社広報部へ異動となり、ポスターの制作やテレビCMの撮影など華やかな現場に立てるかと思いきや報道担当に。リストラ施策なども行われた厳しい時代で、いかつい新聞記者を相手に日夜「切った張った」のやりとりをする日々でした。

その次に勤務したのは国際提携部。現在、日本航空はワン・ワールドという世界を代表する13の航空会社から成るアライアンスに加盟していますが、そういった複数の航空会社のアライアンスへ加盟するメリット・デメリットを検証することが当 時の私の仕事でした。

その後、福岡空港支店勤務を経て、たった2年ながら初の海外勤務となる米州支社空港業務部への赴任のためロサンゼルスへ。さらに本社企画業務部、そしてシアトルに来る直前の勤務地となった、関西空港支店に移りました。昨夏の台風 21号による雨で関空が文字通りの陸の孤島となり、3日間空港に缶詰状態になるという経験も味わいました。

シアトルには昨年11月より着任。シアトル支店長として空港事務所開設に当たりました。日本からは私を含めて8名が駐在し、現地スタッフ含め合計17名の 素晴らしいチームができました。

どこの床屋に行ったら良いか、車の購入はどうしようか、といった生活の中の小さな悩みから、空港や関係各所へのビジネス・ライセンス申請、業務委託会社との交渉まで、新しい土地で0から1を作り上げていくダイナミズムを楽しみながら、目前に迫ったシアトル―成田線の就航に向けて着々と準備を進めています。

昨年末から1カ月以上の政府機関の閉鎖があり、まさかの大雪もあり、余裕を持って組んでいたスケジュールも少し押し気味……。ここからがラストスパートです。シアトルという街の魅力のひとつでもありますが、とにかく人が優しいので、想像していたよりも支店立ち上げのハードルが低いように感じました。一方でニコニコしながらも実は全然事が進んでいなかったり、頼んでいたものと全く違う品が届いたりなど、アメリカらしさ(?)の洗礼もそれなりに受けています。

JALシアトル支店の皆さん。今月末に迫った就航に向けてチーム一丸となって準備に追われる毎日

この場で言えることも言えないことも含めて、これまでたくさんの苦労がありましたが、どんな局面でも根っこの部分では常に「多様性」を尊重できる組織、そして人でありたいと思っています。人それぞれの考え方や生い立ち、ジェンダーによって物事の受け止め方は違います。

広報部では正しい情報をいかに自分が相手に正しく伝えるか、そして結果として相手がそれを正しく受け止めるかを念頭に置いて仕事に励んできました。その後、国際提携部では、こちら側からの一方的な発信で動かすことのできる物事には限界があることを知り、この部署での経験が本当の意味での「交渉」を理解する第一歩になったように思います。

1対1で相手と交渉するときは、どれだけ自分たちに有利に事を運ぶか、自社に多くの利益をもたらすかという観点で話し合いを進めるものですが、複数の企業で何かを成し遂げようとする場合、この姿勢では一歩も前に進みません。日本人は時に、個人の能力や資質に頼り過ぎるところがあるように感じます。欧米の人たちはと言えば、組織作りや、組織がうまく回っていくための仕組み作りに長けています。

「世界で戦っていくにはアライアンスが必要」という目指すべき共通のゴールを見据え、そこからさかのぼって前に進んでいく力や、障壁を取り除いていく能力、そして結果的に大勢の意見をまとめていくプロセスを学ばせてもらい、ここでの経験が私の道しるべにもなっています。

シアトル―成田線へ就航する「ボーイング787・ダッシュ8」という機体は、ビジネスクラス30席、エコノミークラス156席で構成され、「世界一の評価をいただいたエコノミークラスの座席が自慢です。一般的な787のエコノミークラスでは1列に9席が設けられているところ、JALの機体では1列に8席の仕様となっており、ゆとりある足元スペースと合わせて前後左右とにかく広く快適です。

ビジネスクラスは、全席から通路にアクセスできる完全独立のフルフラットシート。快適に眠れるよう、専用に開発されたエアウィーブ社製のマットレスと枕 を導入し、機内食も「世界一贅沢な空の上のレストラン」と銘打ち、特に成田発の便では日本が世界に誇るシェフと最高の食材とのコラボレーションを楽しめます。また、日本航空はシータック空港に強いアラスカ航空やアメリカ全土に広いネットワークを持つアメリカン航空との提携がありますので、アメリカ国内での乗り継ぎやマイルの相互積算と交換の利便性も提供できます。

実はシアトルには個人的にも格別の思い入れがあります。1950年代に外交官として領事館に勤めていた父・中正と、現在は横浜港に展示してある氷川丸で留学のためにシアトルに渡ってきた母・美智子が、出会って結婚したのがこのシアトルでした。ハネムーンはイエローストーンだったと聞いています。今回の赴任は、母親が他界して間もなく受けた辞令だったのですが、両親に「頑張って来い」と背中を押されたような気持ちで、並々ならぬ縁と、何か運命的なものを感じています。

シアトルで行われた父・中正さんと母・美智子さんの結婚式

シアトル支店長として私に課せられた大きな使命は2つ。1つは、シアトルを日本人にとってもっと身近な街にすること。もう1つはシアトルに住むアメリカ人にとって、日本をもっと訪れたい場所にすること。訪日バブルとうたわれる昨今ですが、アメリカからの訪日客という観点ではまだまだ伸びしろがあります。ハワイの次に日本から近く、そして日本人に優しい街であるシアトルに、日本企業ももっと目を向けて欲しいので、そのための情報発信に努めていきたいと思っています。おかげさまで、チケット予約も好調です。日本への帰省や旅行に、ぜひご利用をお待ちしています。

3月31日よりJALシアトルー成田線直行便が毎日運行!

心地良い座席で快適な空の旅を

エコノミークラス
広々した座席が自慢のエコノミークラス。長時間のフライトも快適に過ごせる。

ビジネスクラス
憧れのビジネスクラス。このフルフラットシートに、1度は座ってみたい!

機内食のご紹介(例)

 エコノミークラス

エコノミークラスでは、有名店とのコラボレーション・メニューが楽しめる。写真は成田発JL068便で到着前の2食目として提供される「Air Japanese Soba Noodle 蔦」
 ビジネスクラス

東京西麻布「(レフェルヴェソンス)」生江史伸シェフが監修するビジネスクラス洋食メニューの例。成田発JL068便で提供される。

便名 JL067/AA8445  出発時刻 シアトル 2:15pm  到着時刻 成田 4:25pm(翌日)

便名 JL068/AA8446  出発時刻 成田 6:05pm  到着時刻 シアトル 11:05am

大自然に囲まれた壱岐の島で 日本の学校体験

大自然に囲まれた壱岐の島で
地元の子どもたちと一緒に
日本の学校体験

 

長期休暇を利用して子どもに日本の学校生活を体験させたい!そんな親の思いとは裏腹に、日本の学校側で受け入れが難しいケースも増えています。そこで試してみたいのが、昨年から始まった四つ葉学院の体験学習プラン。ソイソース記者が取材してきました。
取材・文:磯野 愛

 

子どもの日本での学校体験を希望する場合、親自身の母校や実家のある場所で、受け入れ校と直接交渉することになる。これがなかなか容易ではなく、特に東京都は期間限定で生徒を受け入れるというシステム自体が確立されていない。「日本での学校体験を願う親子の力になりたい」と、海外子女の受け入れ先を探していた四つ葉学院の西尾校長の申し出に、快く賛同してくれたのが長崎県壱岐市の教育委員会だった。

小学生は給食や清掃含め、日本の学校生活を体験。

壱岐の島は人口約2万5,000人、およそ南北17キロ、東西15キロの大きさで、佐賀県の北に位置している。島には18校の小学校、4校の中学校、2校の高校がある。四つ葉学院が主催する同地での体験学習では、基本的には現地の子どもたちと同じカリキュラムの中で学校生活を送る。事前に壱岐市の教育委員会を通じて、子どもたちの日本語レベルや性格などの情報が受け入れ先の学校にもしっかりと共有されており、適宜必要なサポートを受けられるので安心だ。また現地に暮らす子どもたちにとっても海外子女との触れ合いは、国際理解教育や異文化交流のまたとない機会にもなることから、教育委員会や観光局をはじめ、島をあげて歓迎してくれる雰囲気もとても温かい。

中学生は部活動にも参加

大自然にあふれた壱岐の島は、子どもたちの学びに絶好の環境で、まさに「教育の島」とも呼べる。古墳や遺跡からは歴史を、地層からは地学を、そして日本一の密度を誇るたくさんの神社や、島の人たちとの関わりからは、生きた道徳を日々学ぶことができる。島では全員が同じ民宿に泊まり、集団生活を学ぶ。そのほか、宿泊施設の目の前に広がる海で海水浴や釣り、花火を楽しんだり、また部活動に参加した中学生は先輩・後輩という日本独特の文化に触れたりと、日々訪れる新鮮な出会いに子どもたちはあっという間の1週間を過ごす。昨年、このプログラムに参加した子どもたちにとって、ここでの体験はもちろん、壱岐の子どもたちと今も続く交流は、今後の日本語学習への強いモチベーションとなっている。

海水浴や釣りなどアクティビティーも豊富

多感な時期に経験したことや感じたことは鮮明に覚えているもの。生涯を通じての友人と、この時期に出会ったという人は多いのではないだろうか。壱岐の島で体験するひと夏の経験が、子どもたちの大きな成長につながることは間違いない。受け入れ校が見つからず、子どもの学校体験をあきらめた経験のある方は、ぜひ参加を検討してみてはいかがだろう。

民宿での夕食。玄海灘が育むおいしい魚を使った食事も楽しみのひとつ

 

昨年参加した親子の声

中学1年生

種類豊富な温かい給食には驚きました。教室を各自清掃することは、大人になってからも役立つ、いい経験になったと思います。部活動はソフトテニス部に参加し、毎日汗を流しました。民宿に戻ってからは、ほかの参加メンバーや先生に手伝ってもらい、その日の宿題に取り組みました。新鮮な食材を使った朝食や夕飯はとてもおいしく、たくさん食べることができました。初めての海釣りで魚が釣れた時は、心臓がバクバク言うほど興奮しました!

 

保護者

数々の古墳群や神社、コバルトブルーの海がある素晴らしい環境で1週間を過ごせました。日本語が頼りない娘を、壱岐の子どもたち、先生方は、大歓迎で受け入れてくださいました。アメリカでの体験話を聞くなど、壱岐の皆さんにとっても、貴重な経験となったようです。今後もお互いの経験をシェアして、有意義な文化交流ができたらと思います。

 

2019 夏の小中高校体験 九州・壱岐の島

開催期間:1期6月30日(日)~7月6日(土)、2期7月7日(日)~7月13日(土)

対象学年:小学1年生~高校生

参加費用:$1,880(宿泊費・食費)

※現地までの交通費、保険、学校経費、体験費用は別途かかります。費用詳細については以下にお問い合わせください。

※長崎県壱岐市内にて現地集合・現地解散となります。

■四つ葉学院
655 156th Ave. SE., A#290, Bellevue, WA 98007
☎425-736-3189
www.yotsubagakuin.com

 

 

 

 

 

 

 

 

カーペットの掃除はプロにお任せ!

カーペットの掃除はプロにお任せ!

カーペット敷きが多いアメリカの住まい。うっかりこぼしてしまったワインやコーヒーのシミ、ペットの汚れなど、気になりませんか? そのまま放っておいて「あぁ、もう取れない!」となる前に、カーペット・クリーニングのプロの力を借りましょう。

▶︎これがディープクリーニングの実力!◀︎

Before & After こんなに色が違います!

今回話を聞いたのは、ダン・ライト・カーペット・クリーニング代表のアレン・リオンさん。人気が高いのは、特殊な石けんと熱湯を使用するディープ・クリーニングだそう。「汚れが落ち、新品さながらのカーペットに戻ります。高温の熱で、カーペットに潜むバクテリアも一掃できますよ」。シワの寄ってしまったカーペットの調整にも応じている。料金はベーシック・クリーニングが1,000平方フィートまで100~200ドルのところ、ディープ・クリーニングは300~400ドルだ。

同社ではそのほか、エアダクトや乾燥機のクリーニング、ガレージなどであふれてしまった水の吸い取りサービスも行っている。エアダクトを汚れたまま放置しておくと、家中の空気も汚れ、ハウスダストなどアレルギーの原因になってしまうことも。乾燥機は高熱を放出するため、最悪の場合は溜まったホコリが原因で火事になる場合もあるという。日々の快適な住生活の実現には、プロによる定期的なクリーニングは欠かせない。

ダン・ライト 
カーペットクリーニング 
☎206‐487‐8236(テキスト・英語対応)

日本飛行機株式会社 斉藤淳さん

シアトル駐在日誌

アメリカでの仕事や生活には、日本と違った苦労や喜び、発見が多いもの。日本からシアトルに駐在して働く人たちに、そんな日常や裏話をつづってもらうリレー連載。

取材・文:磯野愛

ボーイング社エバレット工場にて。ボーイング社、調達担当のダグラスさん(左)と

#16 斉藤 淳
静岡県出身。2007年、日本飛行機株式会社入社。2015年よりシアトル事務所に所長として赴任。忙しい仕事の合間には人とはちょっと変わった趣向の旅行を家族で楽しんでいる。

親の熱心な後押しで、高校からオーストラリアに留学しました。飛行機が大好きだったので、高校時代に自家用操縦士資格を、その後進学したモーゼスレイクにあるビッグ・ベンド・コミュニティー・カレッジでは航空機整備士資格を取得しました。

大学への編入のため日本に戻った後、川崎重工業グループ傘下の日本飛行機に就 職。日本飛行機は航空宇宙機器の製造や機体整備を行う会社で、ボーイング社向けの航空機部品は横浜本社に併設された工場で製造しています。約300〜600万点の部品から構成される「777」や「747」という大型機のうち、日本飛行機は主翼や胴体の構成品、フラップと呼ばれる補助翼、そして車輪を格納する扉などの製造と組み立てを手掛けています。

そのボーイング社からは2016年度に「サ プライヤー・オブ・ザ・イヤ ー 」、2017年度には「パフォーマンス・エクセレンス・アワード」を受賞しました。特に「サプライヤー・オブ・ザ・イヤー」は毎年世界中のサプライヤー1万3,000 社の中から十数社のみ選ばれる大変名誉ある賞です。

私は入社してすぐ、海外営業部に配属となり、北米企業への営業活動と納期や契約の管理などを行っていました。2015年より、ここシアトルに赴任となり、航空機製造の最前線で顧客と自社の橋渡しをしています。顧客とのコミュニケーション、および信頼関係の構築はもちろんのこと、自社が製造した製品の状況を確認するため、組み立ての現場を直接確認する作業もしています。

ボーイング社の工場はとにかく広大な敷地面積ですから、ひと回りするだけで も2時間は必要。全作業工程を把握したうえで、現場の情報をいち早く、正しくキャッチできるように努めています。駐在員が私ひとりということもありますし、またここではセールス全般から納期、契約業務、自社製品のクオリティー管理など、多岐にわたる知識と経験が求められるので、日本にいた頃よりも正直多忙な毎日です。学生時代も含め、ここまで紆余曲折ありましたが、無駄なことはひとつもなかったと感じています。

自宅はレドモンドにあり、妻と小学5年生の息子、小学1年生の娘の4人で暮らしています。子どもたちは現地校とシアトル日本語補習学校に通っており、やはり最初は英語や友だち作りに苦労していました。妻も日々頑張ってくれていて、そんな家族を見ていると自分も負けていられないな、といつも励まされる思いです。

家族旅行で北極圏へ

休日には子どもたちとエドモンズの桟橋へ釣りに行きます。ここ までの釣果はたったイカ1杯だけですけれど……(苦笑)。そこに は野生のアザラシも集まって来ます。日本だとアザラシが顔を出 せばアイドルさながらの人気ですが、こちらでは魚を狙いに来た 正真正銘の「厄介者」。この辺りの文化の違いも面白いですよね。

まとまった休みが取れた時は家族で少し変わった旅行に出かけ るのが好きです。無線機やサバイバルキットを搭載した特殊な車 で北極圏以北の村までドライブしたり、吉野家の牛丼を食べにカ リフォルニア州まで1日かけてドライブしたりもしました。先日 はネバダ州の砂漠でなんとUFO遭遇!?(後日、打ち上げられたロ ケットと判明)。

シアトルに来てから、仕事はもちろん、さまざまな活動などを通じ て、日本ではなかなか出会うことのできない方々ともたくさん知り 合うことができました。これからもこの出会いに感謝して、残りの 駐在生活を楽しんでいきたいと思います。