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Author: 室橋 美佐

ハイテク関連企業の国際マーケティング職を経て2005年からシアトル在住。2016年にワシントン大学都市計画修士を取得し、2017年から2022年まで北米報知社ゼネラル・マネジャー兼北米報知編集長を務めた。シアトルの都市問題や日系・アジア系アメリカ人コミュニティーの話題を中心に執筆。

2020年から日本で新学習指導要領がいよいよ実施

10年ごとに改定される文部科学省による学習指導要領は今回、グローバル化、スマートフォンの普及、ビッグデータや人工知能(AI)の活用による技術革新などの急激な社会変化を踏まえたものに変化。新学習指導要領は今年4月から小学校、2021年から中学校、2022年から高校で段階的に実施されていく。

教材一覧には、アメリカの子どもたちにおなじみのマインクラフトやレゴの教育版も並ぶ

具体的には、小学校から「外国語」が新教科として導入され、「プログラミング教育」も必修化される。

注目される小学生のプログラミング教育は、特定のプログラミング言語を学ぶわけではなく、「プログラミング的思考」を育むことが目的。子どもがゲーム感覚で視覚的にプログラミングできるデジタル教材を使いながら、算数や理科などの各教科で課題を解決したり表現したりするものだ。

文部科学省、総務省、経済産業省が連携して民間企業とも協力しながら設立した「未来の学びコンソーシアム」では、小学生のプログラミング教育について詳しく知ることができる。同サイトでは、実施事例や無料で手に入る教材も紹介されている。

未来の学びコンソーシアム
https://miraino-manabi.jp

京都・伏見  月桂冠大倉記念館を訪ねて

京都・伏見 
月桂冠大倉記念館を訪ねて

 

濠川越しに眺める月桂冠大倉記念館。かつて、こうした水路で大阪や京都へ樽酒が出荷されていた

姉妹紙『北米報知』企画による「ジャパンツアー」が2019年も催行! 日系アメリカ人を中心とする参加者22人が、東京・飛騨高山・京都を旅しました。2019年から新しく旅程に加わった、京都・伏見にある月桂冠大倉記念館についてレポートします。

取材・文:室橋美佐

アメリカからのツアー参加者は、伏見桃山駅前の大手筋商店街、竜馬通り商店街など日本的なアーケードに夢中

月桂冠大倉記念館は1909年に建てられた古い酒蔵。酒造りの工程や歴史を学びながら試飲もできるとあって人気の観光スポットとなっている。京都市南部に位置する伏見は酒どころとして知られ、月桂冠本社も同地にオフィスを構えている。最寄りの伏見桃山駅から商店街を抜けると、かつて伏見城の外堀だった濠川があり、記念館まではその川沿いを歩く。途中、幕末に坂本龍馬など討幕派の定宿だった寺田屋や、弁天を祀る辨財天長建寺などに寄り道もできる。

中庭や内装から、酒蔵の歴史が伝わり、参加者も興味津々の様子だった

記念館に近付くと、酒の甘い香りが。同じ敷地内にある酒蔵は今も現役で、杜氏が昔ながらの手法で酒を醸している。月桂冠はかつて屋号を「笠置屋」、酒銘を「玉の泉」と称し、この地で1637年から酒造りを続けてきた。初代・大倉治右衛門から代々その酒造りを受け継いできたのが大倉家で、同館名称の由来だ。現存する蔵を建てたのは、11代大倉恒吉。1886年に家督を継いだ恒吉は、新しい時代の流れに乗って、鉄道輸送を使った東京方面への進出や新聞での全国的な広告展開などで笠置屋の販売網を一気に広げた。

貴重な史料が並ぶ展示室

生産方法についても、まだ樽詰酒が主流だった時代に防腐剤を使わない瓶詰酒の製造を研究開発。1905年に「月桂冠」の酒銘を使い始め、米国など日本国外への輸出も開始した。月桂冠社史によれば、恒吉の時代に月桂冠の酒造量は9万リットルから900万リットルへ拡大している。明治期の日本で酒造メーカーも近代化に力を尽くした歴史が垣間見られ、興味深い。こうした努力がなければ、ビールやワインなど西洋から入ってきた酒類に押されて、日本酒は日本の一般家庭から退いていたかもしれない。

 記念館内では、明治初期まで実際に酒蔵で使われてきた木桶、酒樽、櫂など、京都市有形民俗文化財指定の酒造用具類が工程ごとに展示され、酒造り文化を学ぶことができる。また、明治・大正期のラベルや広告など、月桂冠の近代化の歴史を物語る史料も見られる。

大正モダンを思わせるポスター。右端が、検閲を通らなかった「幻のポスター」

大正モダンを思わせる女性たちが絵描かれるポスターの中には、当時の検閲を通らずに使用されなかった大胆な図柄もあり、月桂冠が時代の先端を走っていた様子がうかがえる。恒吉のアイデアで生まれ、駅構内の売店で売り上げを伸ばしたという、ふたがお猪口になっている「大倉式猪口付瓶」も面白い。

酒香房を見学中

 事前予約が必要な「酒香房」と呼ばれる蔵内の見学では、精米された酒米、複雑な発酵過程を経て出来上がった麹菌、発酵段階にあるもろみなどを見ながら、酒造りの工程を学んだ。発酵過程のもろみの香りも嗅がせてもらった。

中庭には、酒造りに使われてきた湧き水も。

一瞬は嗅ぐのをためらったツアーメンバーも、そのさわやかな香りに驚く。「米と水だけで、こんなフルーティーな香りが出せるなんて」との声も上がった。そのあとはお待ちかねの日本酒の試飲と、充実の見学体験だった。

 月桂冠大倉記念館の訪問は、初めて日本を訪れたツアー参加者にとって、日本の伝統文化を学ぶ貴重な経験となったはず。情緒ある街並みも魅力的に映ったことだろう。

シアトル発ジャパンツアー 新旧の東京らしさが詰まったエリアを散策

近年、外国人が注目するのは、よりディープな東京を感じられる場所と言います。姉妹紙『北米報知』が主催した2019年ジャパンツアーで、アメリカ在住の参加者たちの目を引いたのは?

丸の内で歴史とグルメを堪能

新丸ビル7階にあるテラスから眺める夜景も格別。ビル内のレストランからテイクアウトして、食事しながら楽しもう

オフィス街が再開発でオシャレなナイトスポットに生まれ変わった。東京駅赤レンガ駅舎など明治期の近代建築物もここ数年で復元。特に三菱一号館は、歴史資料室が無料で一般開放され、江戸慶長期から現在までの丸の内の進化を追う「丸の内の都市空間の軌跡」も放映する穴場だ。外国人観光客に東京近代化の歴史を知ってもらうにはもってこい!

いちばん人気は柴又!

駅前で発見した何ともレトロな駄菓子屋

東京観光でいちばんと言っていいほど盛り上がったのが、映画「男はつらいよ」でおなじみの葛飾柴又。震災や戦火を免れた明治初期からの建物が残り、昔ながらの東京の下町風情が感じられる。都心の喧騒を離れた落ち着いた雰囲気の中、映画さながらの参道商店街の活気もあり、ツアー参加者もみんな満足そうだった。

浅草まで水上バスで移動

水上バスから見える月島のタワーマンション群。これもまた東京の新風景だ

ツアー参加者から大好評だったのが、東京都観光汽船が運営する水上バス。隅田川沿いにお台場海浜公園、日の出桟橋、浜離宮、浅草を定期運航し、東京らしい絶景が目の前に広がる。浅草では、江戸時代から続く仲見世商店街へ。和を感じる土産物がずらりと並び、歩くだけでもエンターテインメントに。江戸の町民文化を知ってもらうなら、両国にある江戸東京博物館もおすすめ。

北米報知ジャパンツアー
年1回開催の『北米報知』読者向け日本観光ツアーが、好評につき2020年から春と秋の2回開催に! 10月のツアー詳細は1月末に公開予定。 https://napost.com/japantour
 
 

ドア・トゥー・ウェルネス

大好評のシリーズ第7弾。今年のストレスは来年まで持ち越さない! ホリデー・シーズンを前に、美と健康、癒しを求めて、日本人が施術するシアトル周辺のサロン&クリニックへ。ソイソース美容班による体験レポートをお届けします。


マークのある店ではギフト券あり。
クリスマスはもちろん、バレンタインデーなど冬のギフトに最適!

 

※効果や仕上がりには個人差があります。詳細は記載の連絡先に直接お問い合わせください。
取材・文:磯野 愛、ハントシンガー典子、田中美和、室橋美佐

MASSAGE

 

岩盤浴で汗をかいて 身も心も爽快

ドア・トゥー・ウェルネス

しっかりと汗を流すことで代謝を良くし、免疫力もアップ! そんな日本で話題の「汗活」で定番となっているのが、温めた天然石に横たわって、じんわり汗をかく岩盤浴だ。ベルビューにあるドア・トゥー・ウェルネスでは、全身マッサージの施術に加え、岩盤浴も提供している。

「心も体もリラックスして過ごして欲しい」と美香さん。メディカル・マッサージも行っており、定期的に通えば気になる部位の経過を見ながらケアしてくれる
日々のパソコン業務で疲れていた肩や背中をしっかりとほぐしてもらい、全身が楽になった

「天然石から放出される遠赤外線とマイナスイオンにより、天然温泉のように体の芯からポカポカになります。サラサラの汗と一緒に老廃物も流せますよ」と話すのは、セラピストの沖田美香さん。マッサージでリンパの流れを良くしてから岩盤浴を行うことで、デトックス効果がさらに高まるそう。

日本から取り寄せた岩盤浴マットには宮崎・高千穂の天然石が使用されている。じっくり汗をかく間も辛い感じは全くなく、抜群の心地良さ

取材ではまず、60分間のマッサージから体験。ヒアリングと指診で歪みやコリのある部位を確認してから、背中、腰、足、手、首、頭と全身をほぐしていく。アロマオイルを使ったディープティシュー・マッサージだ。コリのある部位はしっかりと指圧を効かせてくれる。「リラックス効果に加えて、生活習慣の中で硬くなってしまう筋肉を定期的にほぐすことで体調メンテナンスにもなります」と美香さん。

そして、いよいよ45分間の岩盤浴。サウナより低温なので、10分くらい経ってから少しずつ汗が出てくる。やがて全身から汗が湧き出てくるような感覚に。最後まで気持ち良く温まりながらリラックスできた。その日はずっと、体の中から暖かいまま。これから寒さが厳しくなる季節、ぜひ体験してみては。

 

Doors to Wellness 
ドア・トゥー・ウェルネス

14042 NE. 8th St., #210, Bellevue, WA 98007
☎425-241-7232、doorstowellness@gmail.com
営業時間:月〜土で応相談(予約制)
料金:マッサージ$70/60分(65歳以上$55)、$90/90分
岩盤浴$20(希望により30〜60分) 
※2020年2月から料金変更予定 ※交通事故、労災保険など対応可

アジュールリフレ

大好評のシリーズ第7弾。今年のストレスは来年まで持ち越さない! ホリデー・シーズンを前に、美と健康、癒しを求めて、日本人が施術するシアトル周辺のサロン&クリニックへ。ソイソース美容班による体験レポートをお届けします。


マークのある店ではギフト券あり。
クリスマスはもちろん、バレンタインデーなど冬のギフトに最適!

 

※効果や仕上がりには個人差があります。詳細は記載の連絡先に直接お問い合わせください。
取材・文:磯野 愛、ハントシンガー典子、田中美和、室橋美佐

REFLEXOLOGY

 

足ケアで 健康美人 

アジュールリフレ

アジュールリフレのオーナー兼リフレクソロジストのゆかりさんは、リフレクソロジストとして20年以上の経験を持つ

美しい肌やつややかな髪の土台となるのは、やはり健康な体。東洋医学に基づくリフレクソロジーで体の中から美をサポートしてくれるのが、アジュールリフレの帆足ゆかりさんだ。「足には臓器や器官につながる反射区が集中しています。この反射区と呼ばれるエリアを刺激することで、気の滞りを改善し、全身のリンパや血流の流れを良くしていきます。たかが足、されど足です」と、足からの健康維持の効果を強調する。定期的な施術で、全身にわたり不調が改善されたケースも多くあるそう。

脳下垂体につながる親指の反射区を、指やマッサージ棒を使って刺激

 

今回の取材では、美に関連する反射区について説明を受けながら施術を体験した。すねなどにある、老廃物を流すリンパのマッサージから入り、そして美肌に関わる内臓とされる肺と大腸、ホルモンバランスに影響する脳下垂体や甲状腺などの反射区へ。心地良い痛みを感じるくらいの刺激で、足全体を指圧していく。疲れが溜まりやすいふくらはぎも念入りに。足を刺激するだけで、体の芯まで温まってくるから不思議だ。希望すれば、耳も軽く指圧してくれる。最後には、デトックス効果が高いという水素水のサービスもある。

くるぶし下には子宮など婦人科系疾患を予防する反射区がある
施術後に提供される水素水

 

身体の不調の「改善」はもとより、病気を「防ぐ」ことに重点を置くのが東洋医学。第二の心臓とも呼ばれる足のケアで、全身の健康維持をサポートするというのがゆかりさんのモットーだ。外出が困難な場合も、出張施術に応じている。まずは相談を。

 

CHECK!

ソイソース読者特典

各施術が10分延長無料に!
※2019年12月31日(火)予約分まで有効。

 

Azur Refle
アジュールリフレ

12951 Bel-Red Rd., #100, Bellevue, WA 98005
☎206-898-8845、azurrefle@gmail.com
www.azurrefle.strikingly.com

営業時間:水〜日(予約制) ※その他の曜日も応相談
料金:$70/60分、$90/90分

大人の学び舎で新しい刺激を シアトル熱中小学校

大人の学び舎で新しい刺激を
シアトル熱中小学校

(取材・文:室橋美佐)

シアトル熱中小学校は、「もういちど7歳の目で世界を見る」をテーマにした大人の学び舎として日本全国に広がる熱中小学校初の海外校。今年2月から6月まで5回の授業が行われた第一期では、NHKでドラマ・ディレクターとして活躍する倉崎 憲さん、「最高齢プログラマー」としてiPhoneアプリの開発などを行う若宮正子さんなどが日本から招かれたほか、茶道裏千家淡交会シアトル協会幹事長の田中佳子さん、元コストコ本社国際バイヤーのハントゥーン寛子さんらがシアトル地域で活躍する教論として講義した。

2019年期第4回授業で登壇したプログラマーの若宮さん。82歳とは思えないパワーあふれる授業に会場が沸いた

専門家ならではの知られざる業界話は、これまでさまざまな経験を積んできた大人だからこそ、より面白く聞ける。自分が関わったことのある業界と比較してみたり、「そんな視点もあるのか」と驚かされたり、固くなった頭を柔らかくするにはもってこいだ。

生徒間の交流も、熱中小学校の魅力のひとつ。シアトル校では、5、6人のグループ・テーブルに座って講義を受け、同じテーブルに座った生徒とディスカッションする時間が設けられることも。シアトルで生活する日本人同士、新しい出会いにつながるはず。

和気あいあいとした授業で、小学生に戻った気分

第二期となる2020年は、2月から6月まで月1回、日曜日の開講を予定している。詳細は、12月1日(日)午後1時から4時まで開催される無料体験オープンハウスで告知される。

Seattle Necchu School

場所:Bellevue Children’s Academy
   14640 NE. 24th St., Bellevue, WA 98007
スケジュール:2020年2月~6月の第1日曜日1pm ~4pm
料金:全5回(15時間)$120
問い合わせ:☎︎425-649-0791(Ext. 6)、info@necchu-seattle.org
詳細:www.necchu-seattle.org

禅修行で心を研ぎ澄ます 曹洞宗永祥禅寺 座禅会/写経会

禅修行で心を研ぎ澄ます 
曹洞宗永祥禅寺 座禅会/写経会

シアトル市内のレニアバレーにある曹洞宗の寺、永祥禅寺では月2回、日本語座禅会を開催する。座禅は大乗仏教の宗派である禅宗の修行。

(取材・文:室橋美佐)

座禅会の様子。無理に足を組んだり正座をしたりすることなく、椅子に座るなど自分なりの姿勢で構わないそう。日本語座談会のほか、英語座禅会も毎週日曜にベルビューで開催

近年、瞑想がリラクゼーションや集中力アップなどの効果をもたらす「マインドフルネス」として注目されているが、住職の板垣光昭(こうしょう)師によれば、マインドフルネスと座禅は全く異なるものだそう。「マインドフルネスは瞑想からの効果が目的ですが、座禅はそれ自体が目的なので、効果は求めません。ひたすら座して自分と向き合います」

鎌倉時代に道元禅師を開祖として始まった曹洞宗。永祥禅寺では、シアトルにいながら道元禅の修行を受けることができる。板垣師は、35歳で禅宗に出合い、神奈川県の大雄山最乗寺などで修行後、国際布教使として1999年からハワイ、2006年からシアトルで、本来の禅修行を広めるべく活動を続けている。ロチェスター工科大学哲学部のブライアン・修道・シュローダー教授などと共に道元禅についての本を出版するなど、禅修行の奥義やその歴史に造詣が深い。ブータン王国のチベット仏教コミュニティーとも親交があり、定期的な交流を行っている。座禅会では30分間の座禅が2回に分けて行われ、最後に約30分間の説教もある。仏教の歴史や宗教論に興味があれば、板垣師の説教を聞くだけでも価値があるだろう。

板垣師は特別講師として各大学で授業を受け持つことも。写真はシアトル大学での講義の様子

座禅会と合わせて、不定期で開催される写経会では、般若心経などの経典を書き写す。「自分と向き合うのが座禅だとすれば、写経は誰かのためにするもの。祈りを込めて書いていきます」と板垣師。どちらも仏教信者である必要はなく、初心者でも気軽に参加できる。静寂の中、心を研ぎ澄ます時間を過ごしてみては。

東京の女子高生がシアトルでキャリア研修

東京の女子高生がシアトルでキャリア研修

左から、ウェブレイン・シンクタンクの岩崎さん、大妻中学高等学校生徒の和夏さん、里帆さん、成島校長、進路・グローバル部部長の関 考平(せきこうへい)教員

中高一貫の女子教育を行う大妻学院から、高校生18名が7月下旬にシアトルを訪問。マイクロソフトやアマゾンなどのIT関連企業やワシントン大学の視察など、キャリア教育のための特別研修を受けました。

(取材・文:室橋美佐)

特別研修は3日間。11日間のホームステイ滞在と英語講習の最終プログラムとして組まれ、シアトルでグローバル・スキルのトレーニングを行うウェブレイン・シンクタンク社がコーディネートした。同社は通常、社会人向けのプログラムを提供しており、今回はその内容を高校生向けにアレンジした。女子高校生たちは、各社で活躍する日本人の女性幹部や女性エンジニアから仕事内容やそれぞれのキャリア形成について話を聞いた。

ウェブレイン・シンクタンクの岩崎マサ氏は、「生徒たちに、シアトルのグローバル企業で活躍する女性たちとの交流を通して、将来のロールモデルを見つけて欲しかった。日本人女性のIT業界へのキャリア輩出につながれば」と、プログラムの意義を語る。「グローバル企業が急成長するシアトルで、最先端の現場を肌で感じてもらいたかった」と話すのは、生徒に同行した大妻中学高等学校の成島由美校長。

英語プレゼンテーションで発表する里帆さん

民間企業に勤務して管理職まで務めた経歴を持ち、自身もかつてウェブレイン・シンクタンク社によるシアトル研修を受けた。「(同社研修で)世界のさまざまなカルチャーとの関わり方を学ぶことができましたが、社会人になってから学ぶのでは遅いように感じていました。大学での専攻を決める高校生の段階で、世界的なスケールまで視野を広げ、将来の可能性を考えて欲しい」と、参加した生徒たちへの思いを伝えた。

研修最終日には、生徒による英語プレゼンテーションが行われ、ウェブレイン・シンクタンク社の米国人アドバイザリー・ボードメンバーが審査員を務めた。特別賞を受けたひとり、高校1年生の蜷川和夏(にながわのどか)さんは、「シアトルの有名企業で活躍する方の生の声を聞いて、自分の道を決めたいと思った」と、研修に参加した動機を話す。各企業で働く女性の話や、滞在先のホスト・ペアレンツの働き方に触れて、自宅勤務や時差通勤などフレキシブルな働き方に驚いたと言う。

研修最終日に行われた英語プレゼンテーションで特別賞を受けた和夏さん(写真左)と里帆さん

「日本でも働き方改革と言われているけれど、こんなにフレキシブルな働き方はできていないと思う。いつか、女性を含めて皆が働きやすい環境作りに挑戦してみたい」と、シアトルでの経験を通して生まれた夢のひとつを語った。同じく特別賞を受けた高校1年生の根岸里帆(ねぎしりほ)さんは、マイクロソフトで働く女性の言葉が印象的だったそう。「いろいろな言語や環境で生きてきた人々が同じ職場で働いているのがアメリカだと。また、失敗を恐れずにリスクを取ることの大切さも学びました」。国際法に興味があり、いつかアメリカの大学院で学びたいと、将来の夢も教えてくれた。

大妻中学高等学校の同研修は、来年以降も継続して行われる予定だ。

 

 

 

 

この店この味 Vol. 5 イタリアンと和が融合する絶品グルメ

Vol. 5

甘口レビュー、辛口コメント、なんでもござれ! ソイソース食レポ班が、シアトル近郊のレストランの1品を主観フルスロットルでご紹介。

オイスター・オン・ハーフシェル $12.50

イタリアンと和が融合する絶品グルメ

パイオニアスクエアにあるビサトは、ジェームズ・ビアード受賞の有名シェフであるスコット・カールスバーグ氏が今年2月にオープンしたイタリア料理店。細部まで手の込んだ料理は逸品ぞろいだ。ほとんどが季節替わりのメニューとなる中で、「オイスター・オン・ハーフシェル」は、ほぼ通年味わえる前菜。新鮮な生ガキを最大限に引き立てるガーニッシュ(付け合わせ)から、シェフの料理愛がひしひしと伝わってくる。先日訪れた際は、いくら、バジル、ラディッシュのクリーム仕立てで、アイスクリーム状になったビーツのソースと共に提供された。キリリと冷えた白ワインと合わせて、極上のひと時を楽しんで欲しい。ビサトの共同オーナーはパイクプレイスにある寿司店、かしばのプロデュースにもかかわった高橋 進さん。きめ細やかな日本的おもてなしの心を、料理からも接客からも感じられる店だ。値段はやや高めだが、その価値は十分に感じられるはず。(M)

Bisato
84 Yesler Way, Seattle, WA 98104
営業時間:5pm~10pm、定休:日
☎︎206-624-1111
www.bisato.com

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子連れ旅なら、やっぱりハワイ! マウイ島(アメリカ・ハワイ州)

子連れ旅なら、やっぱりハワイ!
マウイ島(アメリカ・ハワイ州)

常夏の楽園、ハワイ。日本とシアトルのほぼ中間に位置し、シアトル在住日本人には定番リゾートと言えるかも?中でも小さな子どもを連れてバカンスを楽しむのにぴったりなのが、マウイ島のビーチリゾートです。

カアナパリ・ビーチは波も穏やかで、子どもも安心

(取材・文:室橋美佐)

カプルア・ビーチでウミガメと泳ぐ

ハワイ旅で欠かせないのは、やっぱり海。マウイ島西岸部は、対岸に2つの小島があるために、冬の一時期を除けは波が弱く、穏やかなビーチが数多くある。エメラルド色に輝く海に浸りながら沈む夕日を眺めるひと時は、まさにプライスレス。

マウイ島のビーチリゾート群の中で、わが家がリピートするのはカアナパリ。ウェスティン、ハイアット、シェラトンなどの大手ホテルがそろい、アストン・アット・ザ・ワラーなど複数家族で宿泊できるバケーション・レンタルも充実する。ホテルやレストランをつなぐ海沿いの遊歩道が整備されていて、子連れでの外出もストレスフリーだ。

観光周遊船から望むプウククイ山。青い海とのコントラストが美しい

シュノーケリングを楽しみたいなら、カアナパリから車で20分ほど北上するカプルア・ベイ・ビーチまで足を延ばして欲しい。入り江から少し沖合に出るだけで、トロピカル・カラーの熱帯魚やサンゴ礁の海中世界が広がる。ハワイ語でホヌ(海の守り神)と言われるウミガメに出合うチャンスも高い。

潮風に吹かれてラハイナの街をぶらり

カアナパリから車で10分ほど南下した辺りには、ラハイナと呼ばれる小さなダウンタウンがある。19世紀にはハワイ王国の首都だった歴史ある街で、現在はオシャレな店が並ぶ。中心にある広場では、枝が地面へ垂れ下がって根を張るバンヤンの巨木も見られる。

海岸沿いを通るメイン・ストリートを、潮風に吹かれながら、ぶらりと散歩するだけでリゾート気分が盛り上がる。地元シーフードを楽しみたければ、ラハイナ・フィッシュ・カンパニー(831 Front St., Lahaina, HI 96761  https://lahainafishco.com)がおすすめ。マヒマヒのマカデミアン・ナッツ衣揚げや、グリルしたオパのマウイ・オニオン添えなど、ハワイらしいメニューが並ぶ。

伝統のハワイ文化を紹介するオールド・ラハイナ・ルアウは、マウイ島を訪れたら1度は体験して欲しい

伝統的なルアウ(ディナーショー)も必見。人気のオールド・ラハイナ・ルアウ(2481 Kaanapali Pkwy., Lahaina, HI 96761  www.oldlahainaluau.com)は、ホテルなどで開催されるルアウとはひと味違う本格派だ。特に、地面に掘った穴で豚を丸焼きするカルア料理は絶品。

子どもも大人も、くつろぎの時間を満喫できること間違いなし! 日光浴でビタミンD補給も叶う。この秋冬、ぜひ訪れてみては。

 

┃シアトルからの行き方

マウイ島カフルイ空港まで、デルタ航空、アラスカ航空、ハワイアン航空の直行便で約6時間。

日本企業が熱視線 未来の「AI首都」、シアトル

シアトルのスタートアップ企業と日本企業とをつなぐAIイノベーション・ミートアップ(以下AIミートアップ)を運営するイノベーション・ファインダーズ・キャピタル(以下IFC)。CEOの江藤哲郎さん、共同創業者のトム佐藤さんに、同ミートアップとIT業界の未来について語ってもらいました。

取材・文:室橋美佐

 

シアトルは、これからの30年間に起こるAI技術革新の中心地になります。どんな人でも活躍できる土壌がイノベーション分野にはあります。
➖トム佐藤

パソコン黎明期から40年

4年前に、久しぶりに一緒にシアトルを訪れたというふたり。佐藤さんは、「クラウドの急成長とAIベンチャーの急増を肌で感じました。シアトルはシリコンバレーよりも物価が低く、ビジネスの立ち上げに有利。人材も豊富。ここで何かやりたいと思いました」と、IFCを立ち上げた動機を語る。一方の江藤さんは「私はシアトルから、たくさんのチャンスをもらいました。自分を育ててくれた場所で、いつかまた仕事をしたいという思いがありました」と話す。 IT業界でのふたりの長いキャリアを知れば、AIミートアップを実現させた幅広い人脈とノウハウに納得がいく。

江藤さんと佐藤さんは共に、日本マイクロソフト(当時はマイクロソフト株式会社)の立ち上げメンバーだった。「創立当時の1986年は、ビル・ゲイツもまだ現場でバリバリ働いていた時代。一緒に日本企業を回り、商談をまとめていました」と、江藤さんは振り返る。 江藤さんは大学生の頃に雑誌でゲイツ氏のインタビュー記事を読み、「すごいヤツがいる!」と衝撃を受けた。

「何か人と違うことがしたい」と、就職活動ではマイクロソフト製品の日本代理出版をしていた株式会社アスキー(当時)と、 販売をしていたソフトバンクの2社を受ける。どちらも受かり、社長と直接会えたアスキーに入社。2年後、所属するチームで上司だった古川 享(すすむ)氏がヘッドハンティングで初代日本マイクロソフト代表取締役社長に就任し、江藤さんもチーム・メンバーと共に同社へ転職した。初期ウィンドウズ製品の営業マーケティングや広報を担当し、1991年に日本マイクロソフトを退職。それからは電通に25年間勤め、SAPのソリューションによる共通会計システムのアジア30拠点への導入や、イギリス広告大手であるイージス買収後のITインフラでの組織統合など、多くのIT関連プロジェクトを手がけた。

一方、14歳からロンドン育ちの佐藤さんは、大学卒業後にマイクロソフトのロンドン・オフィスに就職。80年代前半に同社がアスキーと共同開発したMSX(エム・エス・エックス)の西ヨーロッパ責任者を務めていた。「僕はアポロ世代。人類が月面着陸する映像を見て、そこに映っていたコンピューターに魅せられました」 大学時代、専攻したのは天文学と物理学だったが、独学でプログラミングを習得。「ファミコン」もまだ登場していない頃、8ビットパソコン用ゲームを独自に開発し、ROMカセットにして店舗に売り込んでいた。「その経験から、プログラムを開発して商品化するというプロセスが理解できていました」。

卒業後はとにかくコンピューター分野で就職したかったという佐藤さん。インターン先を探して業界の集まりに顔を出すうちに、「世界的なデファクト・スタンダード(事実上の標準)をつくる」と語るゲイツ氏に出会う。「僕も一緒にやりたいと思いました」 日本マイクロソフト立ち上げチームから声がかかると東京へ移り、日本語版ウィンドウズのプロダクト・マネジャーに。バブル全盛期の東京を楽しんだ後、90年代後半にドットコム・バブルを迎えていたシリコンバレーへ移住し、Eコマース運営会社を起業。これまでスタートアップ企業の資金調達や成長戦略のコンサルティング事業などを長年続けてきた。

 
 

シアトル企業のイノベーションを日本へ

IFCによるAIミートアップは、2016年から四半期ごとに開催され、現在ではワシントン州商務省の公式イベントになっている。これまで、日本進出を狙う地元スタートアップ企業のイノベーションを求めて、日本から多くの企業が参加しており、富士通、NEC、NTTデータ、三菱商事、ファーストリテイリング、電通国際情報サービスなど大手企業も含まれる。

東京を拠点にAIミートアップへ参加する日本企業を誘致している江藤さんは、「日本企業も、過去の日本流モノづくりによる成長神話にとらわれず、オープン・イノベーションの方向へ舵を切り始めています」と、説明。あらゆるモノをインターネットにつないでIT化する「IoT」は今や一般にまで浸透し、AI対応も待ったなしだ。技術革新のスピードに追い付くためには、オープン・イノベーションと呼ばれる社外組織との技術連携は欠かせない。「こうした分野のスタートアップ企業が集積するシアトルに、多くの日本企業が目を向けています」と続ける。

シアトルのスタートアップ企業もまた、日本企業との提携にメリットを感じている。消費者向けビジネスを展開する企業が多いシリコンバレーと異なり、マイクロソフト、ボーイング、アマゾンなど世界的企業の拠点があるシアトルは、ビジネス・ユーザー向けの技術サービス提供に特化する「B to B」のスタートアップ企業が多い。江藤さんは「日本でも大企業が強い販路を握っています。シアトルのスタートアップ企業もそれを心得ていて、日本の大企業に自社技術を売り込みたいと考えています」と、分析する。

シアトル側のスタートアップ企業誘致を担う佐藤さんは、今後の技術革新でインフラとなるクラウド・ホスティング分野がシアトルで急成長している点にも注目している。「マイクロソフトが提供するAzure(アジュール)、 アマゾンが提供するAWS(アマゾン・ウェブ・サービス)がその代表。クラウドで存在感を強めているシアトルは、これからの30年間に起こるAI技術革新の中心地になります」と言い切る。 毎回、AIミートアップの会場となるのは、シアトル市内コロンビア・タワー40階のメイン・ホールだ。「大型コンベンションを開くよりも、小規模な商談会の場を頻繁に提供するほうが効率的」と、佐藤さん。イベント初日のプレゼンテーション会で、日本企業側は求めているイノベーションの分野を、スタートアップ企業側は売り込みたい技術・サービスを伝え、マッチングが成立すれば、翌日に個別商談となる。商談数は1回の開催で200件にも上る。

シアトルのスタートアップ企業は、日本へ出張することなく複数の企業と一挙に商談ができ、しかも相手の担当者はすでに興味を示しているため、話がまとまりやすい。これまでAIミートアップに参加したシアトルのスタートアップのうち6社が日本支社開設や上場企業との総代理店契約締結などにより日本に拠点ができた。同じく参加した日本の上場企業もシアトルへの進出が増え、今年に入って大日本印刷やデンソーが、シアトル市内でオフィスを開設している。

 

再び時代の大きな波に乗って

シアトルの成長性と魅力について執筆や講演を行う江藤さんは、自らを「日本でシアトルを売り込むセールスマン」と呼ぶ。2015年には、インズリー州知事のワシントン州貿易ミッションの一員として、東京セッションに参加もした。「25年前、ウィンドウズ95の誕生で個人向けパソコンが普及。インターネットも一般レベルに広がりました。そして今、その頃と同じような、もしかしたらそれ以上の時代の波が来ています。その波に乗るシアトル発イノベーションを、日本へ輸出するのが今の仕事。かつての仕事に似ているかもしれません」

江藤さんには日本への熱い思いもある。「日本は、この時代の波の中で変革しなくてはならない転換点を迎えています。冷戦後の世界マー ケットで日本の存在感が相対的に薄れてきているものの、それでもまだ多くの企業が力を蓄えています。今のうちに次の一手に出るとしたら、組むべき相手はやはりアメリカだと思うんです」と、日米の技術的パートナーシップを取りまとめる今の仕事に意義を感じている。

「AIはこれから、あらゆる分野で社会に大きな影響を与えていきます。シンギュラリティと呼ばれる、AI知能が2045年に人類を超える転換点の予測もあります。全体主義の国家や組織が操る危険性も大いにあり、アメリカや日本のような国がルール作りをしていくことはとても重要です」 これまでのキャリアの中で「今がいちばん面白い」と口をそろえるふたり。IFCでの新しい挑戦に意欲を見せる。

50歳を過ぎて初めて子を授かったという江藤さんは、プライベートでの転機も、さらなるステップへの後押しとなったようだ。佐藤さんも、「今後は、日本進出を遂げて成長軌道に乗ったベンチャー企業に出資するビジネスもしていきたい」と、未来のビジョンを明かす。 最後に読者へのメッセージを聞いた。「どんな人でも活躍できる土壌がイノベーション分野にはあります。僕も、プログラミングに秀でているわけではないけれど、ここまで仕事をして来られた。日本の若い人たちも、積極的にAI分野に飛び込んでいって欲しい」と、佐藤さん。シアトルと日本をまたいでITの波に乗ってきたふたりの勢いは、これからさらに拍車がかかりそうだ。

 

AIはこれから、あらゆる分野で社会に大きな影響を与えていきます。日本は、この時代の波の中で変革しなくてはならない転換点を迎えています。
➖江藤哲郎

 

 

⬛️AIイノベーション・ミートアップ ()
IFC主催の企業向けミートアップ・イベントで、2016年の開始から年4回開催。州政府や在シアトル日本国総領事館、地元企業からもサポートを受け、AI分野のイノベーションを求める日本企業とシアトルのスタートアップ企業とをマッチングさせている。IFCは、そこから実際のビジネスへ転じるプロジェクトやスタートアップ企業へ、ベンチャー・キャピタルとして投資を行う。次回は7月24日 (水)〜26日(金)に開催。コロンビア・タワー改修中のため、ピッチ・イベント(プレゼンテーション会)は25日(木)午後にシアトル市立図書館で行われる予定。詳細や最新情報はフェイスブック(www.facebook.com/innovationfinderscapital/)で確認を。

『北米報知』から読む 天皇皇后両陛下のシアトルご訪問

平成最後の日となる4月30日、ご退位を迎えられる天皇陛下。皇后陛下と共に国内外の各地をご訪問され、皇太子時代の1960年には、日米修好百年記念の米国訪問でシアトルを訪れました。姉妹紙『北米報知』掲載記事より、当時のご様子を振り返ります(記事原文を抜粋。一部の旧字体漢字を常用漢字へ変更しています)

取材:竹中春奈、吉田沙   文:室橋美佐

おふたりで初となる外国訪問  戦後の日米友好のために

1960年10月4日の天皇皇后両陛下(当時は皇太子、同妃殿下)のシアトル・タコマ国際空港ご到着を報じた10月5日号には、「この日、雨模様という天気予報だったが、日出ずる国の皇太子ご来訪を寿いでか、秋のシアトルとしては珍しく一点の雲もない日本晴れ、 まさに皇太子ご夫婦をお迎えするにふさわしい好天気であった」とある。ご訪問の公式機は、日本航空DC70特別機シティ・オブ・ロサンゼルス便。空港には日米両国旗を手にした人々が大勢集まった。

シアトル・タコマ国際空港ご到着を報じた北米報知(1960年10月5日号)

「皇太子はタラップ上で片手をあげて出迎え人に挨拶されたが、これに答え群衆からは割れるような拍手が沸き起こり、美智子妃も手をあげられニッコリほほえまれた。(中略)軍楽隊が『君が代』を吹奏あって、フーラー、ブローデル両委員長にご挨拶、続いてローゼリ二知事夫人、ウェバー港湾局長夫人、三原日会長に付き添われた『二世クイーン』澤ナンシーさんからそれぞれ花束をお受けになった。(中略)続いて皇太子はちょっと後方に下がられ、前面のバルコニーを埋めた一般歓迎陣に再び手を上げられると、期せずして割れるような拍手が起こり、日系人中からは『万歳』の声が高らかにあ がった。まさに感激的な一瞬であったといえる」と、記事は続く。

天皇皇后両陛下がそろって初めて米国訪問されたのは、日本中を祝賀ムードに包んだご成婚の翌年。皇太子、皇太子妃殿下として、ホノルル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントンDC、ニューヨーク、シカゴ、シアトル、ポートランドをめぐられた。9 月22日号では「『皇室外交』という重責を帯びる皇太子ご夫婦は二十二日午後三時半日航の専用機で羽田を出発。一六日間にわたる訪米親善の途につかれた。空港には池田首相、岸前首相らをはじめ数千の市民がご夫婦のつつがなきご旅行を祈ってお見送り申し上げた。(中略)ご出発直前、池田首相は一場の送別の辞を述べ、皇太子ご夫婦が微妙な外交的使命を帯びて訪米されるのに感謝の意を表明。『ご夫婦の旅行中におけるご健康と成功を祈りあげる』と述べたが、さらに皇太子ご夫婦の今回の訪米で未曽有の友好親善段階にある日米関係が今後さらに増進されることを信ずると強調した」と、羽田ご出発を伝えている。

1960年の日本は、新日米安全保障条約の調印で大きく揺れていた。同年1月にアイゼンハウアー大統領と岸首相(共に当時)が新日米安全保障条約に調印。野党が強く反対するも、岸首相は強行採決を進めて6月の条約発効を待って辞任。学生によるデモ運動の激化でアイゼンハウアー大統領の訪日が中止される中、決行されたおふたりの米国訪問だった。

シアトル・タコマ国際空港ご到着を報じた北米報知(1960年10月5日号)

シアトル日系人の熱い歓迎

日系人による歓迎行事を取り仕切っていったのが、藤崎萬里シアトル総領事(当時)を中心とする総領事館と、シアトル日系人会。皇太子ご夫婦歓迎準備委員会を立ち上げて、シアトル日本庭園での歓迎式典などの準備を進めた。当時の日系人会会長は、1907年に17歳で島根県出雲からシアトルへ移住し ていた日系1世の三原源治氏。日米親善に尽くした功で1953年に勲五等瑞宝章を受けている。同年に天皇陛下が初の外遊でカナダのビクトリアを訪れていた際には、シアトルから奉迎してクリントン市長(当時)からの招待状を渡していた。1954年に昭和天皇に当時の御所内私邸であった「お文庫」で拝謁し、1958年新年の歌会始めでは入選した短歌を宮中で詠むなど、日本の皇室と交流していた三原氏。シアトルがご訪問都市に選ばれた背景には三原氏の存在もあったかもしれない。

当時のシアトル日系コミュニティーは、戦時中の強制収容から十数年が経ち、外国人土地法撤廃運動などアメリカ社会での地位向上に立ち上がっていた頃。日米関係の行方を見守る在米日系人、特に戦前戦中の苦難の道をたどってきた日系1世は、母国のプリンスとプリンセスの訪問に歓喜したに違いない。

「皇太子ご夫婦のご来訪が一日一日と近づいて来るにつれて、日系人間の話題は殆どこの問題に限られているかのような印象を覚えるほど老いも若きも両殿下のご到着を心待ちにしている。それと共に晩餐会、日本庭園歓迎式、ビクトリー広場歓迎式に出かける場合の服装とか、両殿下に対する態度とか、そのほか何やかんやで話題はつきない」9月30日号)と、ご訪問を目前にした当時の日系コミュニティーの浮き足立った雰囲気が伝わる。約850人が参加した晩餐会への招待状は、その一部が日系人会から一般日系人へも分配されて申し込みが殺到した。より多くの人々が参加できるようにとシアトル日本庭園で開催された歓迎式典には、多くの日系人が集まり、高齢の1世のための特別席も設けられた。

シアトル日本庭園は、1937年の造園決定から戦争中の延期を経て、1960年6月に完成を迎えたばかりだった。記事では「皇太子様は若い力強い声の日本語で『風雲に堪えて今日の発展を遂げた日系人の将来の発展を祈る』との意味のご挨拶をなされた。お声に接し老いた1世は再び感涙にむせんだ。三原日会長から華大(編集部注:ワシントン大学)教授蔦川ジョージ氏作の彫刻『オーボス』七號とシアトル短歌会の歓迎歌集の二つの目録を贈られた。続いて三原日会長の主唱で『万歳』三唱の声は池をぐるりととりまいた歓迎陣のうちふる旗と共に秋晴れの天にとどろいた」(10 月 5 日号)と伝えている。

若いおふたりの旅の様子がさわやかに伝わる記事も多く残っている。「皇太子さまは午前九時ごろ買い物に出かけるとおっしゃられ、山田、福田両氏と共にホテルを出られたが、お買い上げになりたいというのが、野生の花の種というので、(中略)アーネスト・ハードウェアへご案内した。途中で福田顧問に『ここの気候は大変いいネ。だが自動車は随分すくないネ』などと質問されながら、あちらこちらをご覧になった」(10月7日号)。シアトル滞在2日目早朝に、公式スケジュールの合間を縫ってお忍びで街の様子を見に行かれたお若い頃の天皇陛下のご様子が伝わる。皇后陛下へ贈るためか、女性ものの万年筆を探されたという記述も残っている。

皇后陛下についても、同じくシアトル滞在2日目に、ご友人と予期せぬ対面をしたエピソードが。「皇太子とお別れになった美智子さまは、日本庭園からシアトル美術館へおいでになったが、そこに思いがけない古友がお待ちして、久方ぶりのご対面という劇的シーンを現出した。美智子妃の古友はいま日航同地事務所に勤務する寺下登代子さんで、聖心女学院時代の同級生。美智子さまは寺下さんの姿に目をとめられると喜びと驚きのご表情でお手を差しのべられ、久濶を叙せられた後『今朝あなたをお訪ねしたいと女官にいったのですが、時間が許さないといわれました。本当にお会い出来て嬉しい』とおっしゃってこの奇遇を喜ばれた」(10月6日号)。

皇太子徳仁親王(浩宮さま)を出産して間もなかった皇后陛下が、子育てと両立しながらご公務をされていたことが伝わるこんな記事も。「浩宮さまは、生まれてまだ八カ月目、九月上旬にやっと母乳を離れたばかりである。両殿下、とりわけ母君の美智子妃殿下のお子さまに対する愛情ははた目にも思わず微笑をさそうほど。なにぶん従来のあらゆるしきたりを破って養育されてきた浩宮さまである」(9月29日号)。当時、一般市民と同じように、乳母に頼らず親子そろって暮らす新しい皇室の家族像に多くの国民が親しみを寄せていた。

日米友好に湧いたシアトル

百年祭皇族歓迎委員会の共同委員長を務めたシアトル美術館創設者、リチャード・フラー博士とプローデル夫人を始めとする、多くのシアトル市民がおふたりを歓迎した。10月4日号に次のような記事が残っている。「当地の英字日刊紙タイムズは、去る二日社説において『シアトルは皇太子ご夫婦を歓迎する』の題下に、ご夫婦の訪問が日米両国結びつきの力を示すものだとして『日本当局が六月の新安保条約反対デモ事件後僅か三カ月を経過したに過ぎないにも拘らず、既定方針通りに皇太子ご夫婦の訪米を実行したということは日米関係の基礎的健全性に対する日本国民及び政府の自信を裏書きするものである。最も日本に近い米国の港町シアトルは、例えばシアトル神戸姉妹都市計書などのように、日米両国の連携強化のために重要な役割を演じてきた。米国はご夫婦の来訪を喜ぶものである。然しシアトルはその中でも最も大きな喜びを感じているのである』と強調。皇太子ご夫婦のご来市に最大級の歓迎の意を表している」。シアトル市主催のビクトリアー広場前歓迎会には約2,000人のシアトル市民が集まった。

「ずいぶんお世話になりました。皆さんにくれぐれもよろしくお伝えください」と三原日系人会会長に伝え、2 日間の滞在を終えてシアトルを発たれた天皇皇后両陛下。ポートランド訪問を終えて羽田空港に戻られると、「私たちのこの度の訪米が幾分でも日米両国の理解と親善と、それによって世界平和に寄与するところがあったとすれば望外の喜びであります。ここに両国民のご支援を感謝します」とメッセージを発表された。 シアトルでは、多くの写真と記事を掲載した北米報知へ写真販売を望む声が殺到し、記念販売を行うなど、しばらくおふたりへのフィーバーが続いた。

シアトルご訪問スケジュール

10月4日 午後3時半 シアトル・タコマ国際空港ご到着
  午後5時半 ビクトリー広場でシアトル市主催の歓迎式典
  午後8時半 ご宿泊のオリンピック・ホテル(現フェアモント・オリンピック・ホテル)で晩餐会
10月5日 午前10時 ワシントンパーク植物園内シアトル日本庭園で日系人会主催の歓迎式典
  午前11時 皇太子さま(当時)、沿岸警備隊の巡羅船でワシントン湖を渡りレントンのボーイング工場視察。皇太子妃殿下(当時)、シアトル美術館とスワード公園視察。
 

午後3時

シアトル・タコマ国際空港からポートラ ンドへご出発

 

『シアトル・タイムズ』女性記者によるインタビュー

9月29日にワシントンDCに14人の女性記者を招いたお茶会に参加した『シアトル・タイムズ』のアリス・ジョーン記者が報じた記事が、北米報知10月 1日号で和訳紹介されています。当時の皇后陛下の日常がご本人のお言葉で語られている、珍しい記事です。

「美智子妃初の記者会見 楽しみに待たれる当市訪問」

きょうのお茶会は記者会見というものではなかったが、美智子さまは快く、また率先質問に答えられた。美智子さまはシアトル訪問をまちかねておられるが、特にシアトルでは美術を参観し、日本で「東洋美術館のパトロン」として知られるリチャード・フーラー博士と会見することを楽しみにしておられる。美智子さまは記者の質問に、「子供になにかいいアメリカのおもちゃを買うつもりです。その他に、生家の母や親戚にスーペンのガラスを少し買います」とやさしい鈴の音を思わせる声で流暢な英語を以て答えられた。

さらに「浩宮の体重は約一八ポンド半、これは平均以上の体重です。夜八時から朝六時までぐっすり寝ます。一番好きなのは、音楽入りおもちゃですが、スプーンや箱などもお好きです。子供室は、灰緑色のペイントの壁をプラスチックでかぶしてありますが、これは、壁をすぐあらえるからです」と、お母さんぶりを発揮する。「お子さんをたくさん欲しいと思いますか?」の質問には「以前はそう思いましたが、今では男の子を持ちまして親としての重大な責任を認識しました。ですから、いま何人欲しいかお答えできません」と述べられた。

美智子さまはそのほか浩宮さま侍従の勧告で皇太子さまが愛犬を東宮御所から他へ移されたこと、さらに一日に五回浩宮さまにお乳をさしあげること、数時間にわたり和歌、お習字をなさるほか、日本憲法初めフランス語の勉強をされていること。また、皇太子さまといろいろの催しに出席されることなど、ご日常について語られた。 なおこの日、美智子さまは、薄紫のちりめんに白菊を金糸で縁とった裾模様の和服姿で人形のように美しかった。 

 

 

酒と日本とアメリカと 〜月桂冠の歴史をたどって〜

月桂冠の長年培った技術が凝縮され、カルローズを原料に醸造されるアメリカ産の純米酒は、「月桂冠トラディショナル」としてアジア系スーパーに限らずアメリカ国内の多くの店舗で販売されている。

シアトル日本町の1920年代の活況が目に浮かぶ回想録。故郷を遠く離れて重労働に耐えていた日系1世にとって、正月の酒は格別な味だったに違いありません。日本酒のアメリカ輸出は、日本人のアメリカ移民の歴史と共に始まりました。『北米時事』創刊年の1902年にアメリカ(ハワイ・ホノルル)へ輸出を開始した月桂冠の歴史をたどりながら、日系アメリカ人と日本酒の関わりを追います。

 

京都伏見の酒

日本酒の起源は諸説あるが、その歴史は日本列島へ稲作が伝わった紀元前10世紀まで遡るともされる。715年頃に編成された『播磨国風土記』には、「神に供えた糧がかれて、カビが生じた」ので「酒を醸(かも)さしむ」などの記述が残っている。飛鳥時代には「造酒司」と呼ばれる清酒醸造をつかさどる役所が宮中に置かれるようになり、祭事と深くかかわりながら日本酒の醸造技術が発展していった。鎌倉時代には販売目的で醸造する「酒屋」が現れ、特に朝廷が徴税をして酒屋を認めた京都周辺で早くから酒屋が栄えていった。1425年の京都の酒屋名簿が残っており、そこには342軒の酒屋が記録されている。

月桂冠が所在する伏見は、京都の中心から数キロ南に位置する。良質な水源や京都中心への便から古くから酒屋が誕生し、特に豊臣秀吉が伏見城を築城して城下町が栄えると「酒どころ」として知られるようなった。江戸 時代に入り伏見城の廃城で城下町は衰退するが、参勤交代が始まると宿場町として再びにぎわい、伏見酒も発展していった。月桂冠の前身「笠置屋」は、そんな伏見に1637年に創業。創業者の大倉治右衛門(1615-1684) が京都最南部、奈良との境にある笠置という山里から伏見へ移ったことが屋号の由来だ。治右衛門の父に当たる善右衛門尉行隆が農業や商工業を幅広く行う中で、酒造業も営んでいたことが、伏見での酒屋創業につながったとされる。月桂冠社史によれば、善右衛門尉行隆は大倉家41代とあるから、大倉家の京都・奈良周辺での長い営みがうかがえる。

伏見の街を流れる濠川運河から眺めた月桂冠の酒蔵風景(1909年撮影。)現在も流れる豪川から眺める蔵の様子はほとんど変わらず、酒どころ伏見を象徴する風景として親しまれている。

江戸時代初期に繁栄を見せた伏見酒だが、中期から幕末にかけては受難の時代が続く。江戸幕府が全国的な水陸交通を整備していくと、灘酒など他の地域の酒どころとの競争が始まり、海に面していない伏見は不利になっていった。幕末には伏見の町は騒乱の舞台になり、鳥羽伏見の戦いでは多くの町屋が焼失。酒造業の経営も困難を極めた。江戸初期の伏見の酒屋名簿に記載された83軒のうち、明治維新まで存続したのはたった2軒。そのうちの1軒が笠置屋だった。

 

明治時代、海を渡った日本酒

明治維新によって近代日本が幕を開けると、窮地を乗り越えた笠置屋は時代の波に乗って大躍進を遂げていく。1886年に13 歳で笠置屋11代目となった大倉恒吉は、日本酒製造と販売に次々と革新を起こして、伏見酒を日本全国、そして世界へ広めていった。1889年に東海道線が全線開通すると、東京での販路開拓にいち早く乗り出し、翌年には東京の問屋と取り引きを開始。1896年には江戸時代から続いた大福帳式から洋式簿記へ改 める。事業規模の拡大から経理の重要性に気付いた恒吉は、地元の保険代理店経営者から洋式簿記を学び、事業で用いるようになったという。1905 年、銘酒中の勝者を願い「月桂冠」を商標登録。「ローラルクラウン」を和訳した商品名は、当時としてはとてもハイカラで印象的なものだった。新聞広告や店頭ポスターなど斬新な手法で、月桂冠の全国的なブランド展開を進めていった。

1886年に13歳で家督を相続して11代目笠置屋当主になった大倉恒吉は、大倉酒造研究所の創立を始め、月桂冠の明治期の躍進をリードした。

日本での全国展開に加えて、1902年には、その頃すでに6万人以上の日系移民が暮らしていたハワイへの輸出を開始した。1906年にはカリフォルニア州へも輸出を開始。多くの若い日系1世たちが新天地を求めて太平洋を渡ったのと同じ頃、大倉家の若き当主もまた、先祖から受け継がれてきた酒で海を渡ったのだった。

大倉は後年、病院や消防署設置への援助など地域社会への貢献に力を注いだ。戦時中に社長の座を息子の12代目大倉治一へ譲り、1950年に76歳で他界した。

そんな恒吉の若いリーダシップで特に際立つのは、大倉酒造研究所の設立だろう。35歳になった恒吉は、それまで杜氏の技に頼っていた醸造技術を科学的に研究。東京帝国大学出身の技師だった濱崎秀(はまざきひで) なども迎え入れ、まだ樽詰が全盛だった時代に瓶詰での製造体制を整えた。同研究所で、防腐剤サリチル酸を使用しない瓶詰酒を開発。1911年、業界に先駆けて防腐剤なしの瓶詰清酒を発売した。同商品は品評会での受賞を重ね、月桂冠は銘酒としての地位を確立した。1915年に開催されたサンフランシスコ万国博覧会でも、欧風調デザインの「黒褐色四合びん」を出展して「プライズ・オブ・オナー」を受賞している。月桂冠の売り上げは大正から昭和にかけても順調に伸び続け、1939年には戦前の最高値約1,130万リットルに達した。月桂冠の茶褐色の瓶酒は、シアトル日本町の繁盛店、まねきの正月の席にも、おそらく並んでいたのではないだろうか。

 

カルローズ米と日本酒

1934年につくられた月桂冠の店舗ポスター

太平洋戦争でいったんは停止した月桂冠のアメリカ輸出は、1949年にハワイのMオータニ商会との取引開始を皮切りに再開。1961年にはシカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、グアムでも販売取引を開始した。その 後、日本食ブームの広がりにつれて日本酒が「Sake」として日系以外のアメリカ人にも親しまれるようになったのは、読者も知るところだろう。

現在の米国月桂冠はカリフォルニア州サクラメント郊外フォルサムに1989年に設立され、その翌年から北米における日本酒醸造の拠点になっている。そして、その原料になる米は、かつて日系農民たちが日本の稲作をカリフォルニアへ持ち込み、同地の環境に合わせて改良を重ねて生み出したカルローズ米だ。フォルサムで生産される月桂冠トラディショナルは、全米のみならず世界各地へ輸出されているが、それは日系移民農家の努力と知恵があったからこそ成り立っている。あまり知られていないが、カルローズ米は、最高級の酒米として知られる「山田錦」の親種「短稈渡船(たんかんわたりぶね)」から生み出された品種だ。短稈渡船は滋賀県で誕生した品種で、同県では短稈渡船を原料とする地酒が近年になって注目されている。サクラメントで醸造される月桂冠トラ ディショナルの豊かな風味は、そんな背景を知れば納得がいくかもしれない。新元号を迎えて家族や友人と過ごすひと時、それぞれの時代を走った先人たちの情熱と知恵と努力とを思いながら、日本酒を酌み交わしてみて欲しい。

1910年に鉄道の駅構内での販売向けに発売された大倉式猪口付瓶。小さなコップが蓋になった斬新な瓶デザインは、コロンビア大学で工芸図案を研究した澤田宗山が手がけた。駅の売店で駅弁と一緒に販売してもらおうという恒吉の後送から生まれた商品。

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シアトルの日系ビジネスと春秋会の歴史

世界恐慌や日米開戦などの危機を乗り越えながら、脈々と歴史を紡いできたシアトルの日系ビジネス・コミュニティー。日本企業のシアトル進出と共に、春秋会の歴史も動き出します。 

【19世紀末〜20世紀初頭】
華々しく活躍した日系パイオニアたち

シアトルの街が形成され始めた19世紀末から、日本人はこの地で商売を営んできた。日系移民たちは炭鉱や鉄道建設など日雇い労働で貯めた資金を元手に、アメリカン・ドリームを夢見て起業した。1936年に北米時事社が発行した『北米年鑑』には、シアトルでの日本人開業の元祖が以下のように記述されている。

  • 洋食店:西井久八(1884年開業)
  • 寿司店:相模屋(1888年開業)
  • ホテル:谷口良三(1890年開業)
  • 仕立屋:古屋政次郎(1890年開業)
  • 床屋:三橋岩五郎(1892年開業)
  • 病院:橋爪医師(1891年開業)

シアトルに爪痕を残した多くの日系パイオニアの中でも、山梨から1890年にシアトルへ渡り、仕立屋から始めた古屋政次郎の成功はすさまじい。仕立屋で稼いだ元金で雑貨食料品店として、古屋商店を1892年に開業する。1907年には日本商業銀行を創設して銀行業も行い、1928年には太平洋商事会社としてシアトル発の日系商社を築き上げた。世界恐慌のあおりを受けて1931年に倒産となったが、それまではシアトルに本店を置き、タコマ、ポートランド、バンクーバーBC、横浜、神戸、横須賀に各支店を、東京に出張所を設けていた。 

【20世紀戦前】
日本企業の駐在員がシアトルへ

20世紀に入ると、草分けとして1896年にシアトル航路をスタートさせていた日本郵船が1911年にシアトルで出張所を開設。また、日本の商社や銀行もシアトルに出張所や支社を出すようになった。

  • 日本郵船 1911年出張所開設(1920年支店に昇格)
  • 三井物産 1916年出張所開設
  • 三菱商事 1919年出張所開設(1924年支店に昇格)
  • 横浜正金銀行 1917年出張所開設(1919年支店に昇格)
  • 住友銀行 1918年現地法人設立

こうした日本企業の代表は、日本帝国領事館(1900年、タコマからシアトルに移設)の総領事を交えて「木曜会」を1922年に結成し、親睦を重ねるようになる。木曜会は、オリンピック・ホテル(現フェアモント・オリンピック・ホテル)にオフィスを構えた。毎週木曜日の親睦会は日本町のレストラン、日光楼やまねきで行われ、週末にはゴルフ、テニス、釣りなどで交流した。「日本人だけで楽しまずにアメリカ人と付き合うこと」、「マージャンは禁止」というのが申し合わせだったという。駐在ビジネスマンらは、クイーンアンなどに用意された社宅で生活し、暮らしぶりは裕福だったとの記述が残る。現インターナショナル・ディストリクト周辺に住んでいた永住する日系移民との交流は限られていたようだ。

後に三井物産代表取締役となり、戦後は国有鉄道総裁を務めた石田礼助も、1916年に三井物産シアトル出張員となり活躍していた。「シアトルの三井は、第二街のアメリカン・バンク・ビルの7階にオフィスを構え、スタッフは多いときで日本人が十名、米人男女を六十名もつかっていた」と、当時を回想している(『続・北米百年桜』から抜粋)。

1920年代、シアトル日本町にあった料亭の丸万で会食をする日本郵船シアトル支店スタッフ(『続・北米百年桜』より)

【戦後から21世紀現在】
春秋会の誕生 

1930年代から日米開戦までの間に、駐在ビジネスマンや日系パイオニアの多くが日本へ帰国した。残った者も戦時下で強制収容所へ送還され、日系ビジネスは立ち退きを迫られた。しかし、戦争が終わると日系ビジネスはすぐに息を吹き返す。

レストランや食品店が先行して日本町で営業を再開。1945年9月には、メーン食堂が店を開けるようになり、まねきも1946年4月に復活した。同年、宇和島屋は戦前に店があったタコマから移り、シアトルで最初の店をS. Main St.に出した。

2003年の新年会。樽酒の鏡開きは毎年恒例

1951年にサンフランシスコ講和条約が締結されると、日本企業も帰って来た。同年に横浜—シアトル間の日本郵船航路が1939年の休止以来再び開通したのに合わせて、領事館も再開。翌1952年には、戦前の木曜会を受け継ぐ形で、商社代表と総領事が毎週火曜日にまねきで昼食親睦会をする「火曜会」が始まった。徐々に親睦会のメンバーも増え、「商工会議所のようなものをつくろう」と、1960年に第一物産(後に三井物産)代表の中山 久が初代会長となり「春秋会」が発足。これが、現在のシアトル日本商工会(春秋会)の母体だ。

ワシントン州には約1万7,500人の日本人、8万6,900人の日系アメリカ人が住むとされ、日本企業の事業所も200を超える。現在、春秋会にはそのうち120社もの日本企業が参加し、シアトル地域の日本人オーナー企業と合わせて、約135社が会員となっている。

※敬称略 文献:『続・北米百年桜』(伊藤一男 、1972年)、『アメリカ春秋八十年』(伊藤一男、1982年)、シアトル日本国総領事館ワシントン州データシート

 

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菅沼秀夫さんに聞く、これからのシアトル不動産市況はこうなる!

宏徳エンタープライズ 菅沼秀夫さんに聞く
これからのシアトルの不動産市況はこうなる!

異常なほどに売り手有利だった2018年前半の市況から、2018年後半から今年に入って落ち着きを見せています。「市場が停滞」と表現されることもありますが、「通常マーケットに戻っている」と言ったほうが正しいでしょう。

住宅物件市場では5、6カ月で売り切れるほどの在庫がマーケットに残っている状況が通常と言われます。2019年1月でレポートされた在庫は1、2カ月分。昨年前半はこの在庫が1カ月分以下の状態でした。中国からのバイヤーの投資案件が減少傾向にあることなどが、シアトルの市況を落ち着かせている要因だと考えます。

昨年は多くの人が家を買いたくても買えない状況だったので、住居購入を検討している方にはチャンスがめぐってきた2019年と考えて良いと思います。

中古物件市場が確立されているアメリカでは資産形成としての不動産購入が可能

築数十年の中古物件でも建物の価値がなくならないことが、日本との大きな違いです。日本では建物の価値は中古車のように年数の経過と共に下がり、30年もすれば、物件の価値は土地代のみになってしまうケースが多いのです。そのため日本では、家を「住む」ものとして購入する考え方が中心ですが、アメリカでは「投資」として購入する考え方が一般的。

市況による価値の上下はありますが、建物の価値がゼロになることはなく、購入した物件を数十年後に再販することができます。住宅ローンを支払うことで資産を形成していくことができるのです。

不動産価値が下がらない理由は、中古物件市場が成熟していて、インスペクション(家屋調査)の慣行など中古物件でも安心して取り引きできるシステムが出来上がっているから。日本では新築が好まれる傾向にありますが、アメリカではある程度の年月が経過した住宅のほうが、似たりよったりの新築物件よりも趣があるとして高値が付くことも多いのです。

また、戦後の日本家屋は安普請が目立ち、高い湿度もあって耐久年数が短いことが多く、一般的に長年の居住を想定して建てられるアメリカの住宅とはそもそも異なります。

一時的なアメリカ滞在では、大きな支出がなく自由に移転できる賃貸住宅に住むオプションもありますが、投資を兼ねて購入に踏み切るメリットも大きいもの。素敵な家に住み、広い庭でバーベキューを楽しんだりホーム・パーティーを開いたりと、アメリカならではのライフスタイルを楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

売り手市場が続く中で購入したい物件を手に入れるには

アメリカでの不動産購入は、さまざまな交渉と手続きが必要なため、不動産エージェントに委託するのが一般的です。実際に家を探す前に、エリア、寝室数、近隣環境など大まかな希望条件を決めておくと良いでしょう。イーストサイドに多い、高ランクの公立学校区にあるエリアは、家の価値も下がりにくく常に人気です。

購入時期は、さまざまな物件が市場に出て選択幅が広がる春夏の季節がおすすめ。特に学校の夏休み中は新学期を前にして引っ越しをする家庭が増え、取り引きが活発になります。

購入物件を決めたら、価格やその他の取引条件を交渉していきます。その際、建物のインスペクションに関わる条件交渉は重要なポイント。売り手が強い近年の市況では、売り手がインスペクション不可としたり、インスペクション費用を買い手負担として条件提示したりするケースも多く見られます。

しかし、プリ・インスペクションと呼ばれる水回り、屋根裏、床下、電気系統など基本的な検査のみに特化したものだけでも、必ず条件に盛り込みましょう。一般的なインスペクション費用は500~600ドルほどですが、プリ・インスペクションは200~300ドル程度で済みます。

2017年から2018年前半にかけては、現金で購入する中国などからの外国人投資家と競争をしなくてはならない状況が続きました。住宅ローンを組んで購入する場合は、「ファイナンシャル・コンティジェンシー」と呼ばれる住宅ローンが組めなかった場合の解約条件を、購入条件に盛り込むのが一般的ですが、現金購入者と競争する際は、このファイナンシャル・コンティジェンシーを条件に含めないという選択肢もあります。

ただし、住宅ローンが組めずに解約しなくてはならなくなった場合、本来は買い主に戻るはずのアーネスト・マネー(手付金)の全てもしくは一部が、売り主に渡ることになり、買い主のリスクは上がります。2019年は、売り主によるインスペクションやファイナンシャル・コンティジェンシーを盛り込んだ購入申し込みもできる状況に戻りつつあります。

 

不動産登記までの流れ安全な取り引きを実現する
「エスクロー」システム

取引条件を契約書としてまとめ、不動産登記に関わる処務を請け負うのが、エスクロー・カンパニーと呼ばれる登記受託会社です。アーネスト・マネー(手付金)や頭金などの支払いもエスクローを介して出入金されます。買い主が売り主の口座へ直接入金するようなことはなく、エスクローが第三者として仲介することで、公平で安全な不動産取引が保たれています。

アメリカでは、日本で法務局が管理している不動産登記簿謄本のようなものがありません。そのため、ワシントン州ではタイトルと呼ばれる権利証書の発行と、その内容に誤りがあった場合に補償をするタイトル保険の購入が売り主側に義務付けられています。

買い主が住宅ローンを組む場合は、銀行が買い主にタイトル保険の購入を義務付けるケースがほとんどです。また、住宅ローンに関連して、アプレイザーと呼ばれる不動産査定業者が物件調査をして、売買価格が適正な市場価格に則しているかを査定するプロセスも加わります。

取引条件を明記した契約書、タイトル保険、アプレイザーの査定結果、決済情報など全書類の手配や買い主、売り主双方の署名をエスクローが請け負います。この全てのプロセスに約30~40日間をかけて、不動産登記が完了、売買成立になります。

ただし、2018年から登記後72時間の保留期間が設定されるようになりました。登記後も、その保留期間の間に売り主または買い主が取り引きをキャンセルするケースもありますので注意してください。

売却時のポイントは?

不動産エージェントを介して販売物件を登録し、売り出します。個人売買することは、住宅物件ではごくまれです。売却時に重要なのは価格付け。土地・建物の広さ、寝室数、バスルーム数、近隣環境などから、競合する物件の価格も考慮しながら設定します。

希望価格に満たない場合でも、マーケットの適正価格にできるだけ近い価格で売りに出すことをおすすめしています。「とりあえず市場価格よりも少し高く売りに出して様子を見よう」と考える売り主も多いのですが、その場合は売れ残るリスクも高まって、結果的に市場価格以下の購入申し込みしか入らない結果にもつながります。

物件の印象を良くするために、ステージングと呼ばれる物件の内装デザインや家具・装飾品のレンタルをするサービスを利用することもできます。また、屋根、雨どいの掃除、暖房機の点検、水回りの掃除や修理など、一般的な家屋メンテナンスを事前にしておくことも、より高値で売却するカギになります。

なお、販売時に得た売却利益に対してはワシントン州から所得税が課されますが、永住権がない外国籍者は州税に加えてIRS(米国税局)から10~15%の源泉徴収が課されますので注意が必要です。

 

押さえておきたい!アメリカ不動産用語

⚫️ モーゲージ Mortgage
住宅ローンとほぼ同意義。日本では銀行から直接に借り入れるケースが多いが、アメリカではモーゲージ・ブローカーと呼ばれる、銀行から独立したエージェントを介するケースが多い。

⚫️ エスクロー Escrow
不動産の取り引きに関わる決済と登記を請け負うこと、またはその受託業者。ワシントン州における不動産売買ではエスクローを使うことが義務化されている。なお、エスクローのシステムがないニューヨークなどの州では弁護士を立てることになる。

⚫️ アプレイザル Appraisal
不動産査定のこと。アプレイザーと呼ばれる不動産査定の専門家が、物件の広さや建物の状態、また市況を踏まえて物件の適正価格を割り出すこと。

⚫️ インスペクション Inspection
実地での家屋調査。インスペクターと呼ばれる専門家が主に建物の構造的な問題がないかをチェックする。

⚫️タイトル Title
不動産の権利証書。所在地や地積、建物の築年数などの基本条件に加えて、所有権の情報が含まれ、売り主以外の地権者がいないか、抵当に入っていないか、未払いの固定資産税が残っていないかなどを証明するもの。

⚫️アーネスト・マネー Earnest Money
物件購入申し込みの際に支払う、いわゆる手付金のようなもの。法的に義務ではないが、買い手の本気度をアーネスト・マネーの金額で示すことができる。後に購入金額の一部になる。

 

宏徳エンタープライズ
☎425-644-7437, info@kohtoku.com
http://kohtoku.com

1992年創業。購入時にはモーゲージ・エージェントやインスペクターの紹介、販売時には価格付けのアドバイスやタイトル保険、ステージングの手配を含むきめ細かなサービスを提供する。「買ってからのおつきあいを大切に」をモットーに、アメリカ生活全般の相談にも応じるアフターサービスに定評。投資住宅物件や商業物件の管理などプロパティー・マネジメントも行う。

「大人の小学校」がシアトルで開校! 豪華教師陣に注目 NHKディレクター 倉崎憲さん

各分野のスペシャリストを教師に招き、大人向けに授業を行う熱中小学校。2月23日、シ アトルでの初回授業で教壇に立つNHK(日本放送協会)ディレクターの倉崎 憲さんは、 2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で助監督を務めています。授業に 先立ち、現在の仕事とそこに至るまでの道のりをたっぷりと語ってもらいました。

取材・文:室橋美佐 写真提供:NHK

 

ディレクターの仕事とはどの ようなものですか?

取材して題材を見つけることから始まり、題材を通して伝えたいこと、伝えるべきことを世の中へ送り出すまでの番組制作を、企画、ロケ、編集、そして放送まで、全体を指揮する仕事です。題材は、人に密着したものや社会問題など何でもです。ドラマであれば原作探し、オリジナルであれば物語の核となるテーマ探しということになります。

「世界から猫が消えたなら」をラジオドラマ化した際は、原作者の川村元気さんを口説くところから始まりました。タイトルに目を引かれて原作を読み、号泣するほど感動したので、川村さんがNHKの勉強会で講師を務めた際、ぜひラジオドラマ化したいと頼み込みました。川村さんは「君の名は。」や「モテキ」などの映画プロデューサーとして今最も注目されている方で、ほかにも多数のオファーが来ている状況。それでも、世界から電話や時計などが少しずつ消えていく原作のストーリーを、ラジオドラマだからこそリスナーの想像力に委ねられるのではないかと、時間をかけて熱意を伝えました。そうして1カ月経ち、「若い人とやってみるのもいいかも」と、返事をもらうことができました。

原作者を口説いたあとは、局へ番組企画を提案します。実はここがけっこう大変。NHKの場合、どのような番組であれ、まずはA4用紙1枚の企画書から始まるのですが、全国47都道府県支局からいろいろな企画書が上がってくるわけです。企画が通らないことには、自分の番組を作ることはできません。「世界から猫が消えたなら」の企画を通すのも、川村さんを口説く以上に時間がかかりました。

企画が通ると、ドラマであればキャスティングが次のポイントになってきます。作品をより多くの人に届けるには、役者さんの力がものを言います。「世界から猫が消えたなら」は、原作を10ページほど読み進めたところで主人公は絶対にこの人しかいないと思い描いたのが、妻夫木聡さんでした。でも、妻夫木さんほどの俳優がラジオドラマに出演してくれる可能性は低いなと。しかも、私のような若手の場合、直接本人へ気持ちが届かない限り、事務所の段階で却下されることも。そこで、妻夫木さんへ宛てた手紙を書き、マネジャーさんに本人に渡して欲しいと懇願し、届けました。翌週に返事をもらえた時はうれしかったですね。そこからは、とんとん拍子で放送まで進んでいきました。実は、妻夫木さんが手紙に興味を持ってくれたちょっとしたきっかけがあったのですが、それは熱中小学校の授業で話す予定です。

 

助監督を務める大河ドラマで は、どのようなことをしていますか?

今回の大河ドラマでは現在、メイン監督が4人、助監督が12人ほどいて、1話ごとに担当をローテーションしています。撮影現場を仕切る助監督は、撮影スケジュールを組むところから始まります。昨夏、「いだてん」の海外ロケがストックホルムで3週間ほど行われた際には、当時のオリンピックを再現するために多国籍の役者さんを現地プロダクションと協力して集めました。

ドラマ制作とは、ひと言で表現すれば脚本の映像化です。脚本家の宮藤官九郎さんが紡いだユニークたっぷりの脚本に、さらなる命を吹き込むように、スタッフとキャスト全員で映像化に力を尽くしています。役者さんの役作りのサポートも大切な仕事。主人公、金栗四三(かなくりしそう)役の中村勘九郎さんは1年以上前から陸上選手としての体づくりをし、金栗選手の走り方の特訓を積み、さらに熊本の方言も学んでいます。専門家を探して役作りに必要な指導をディレクションしていくことも、私たち助監督の仕事です。大河ドラマは、スタッフだけで100人超えの大所帯。各部署のプロフェッショナルたちが集まって、シーンのひとつひとつが作られていきます。キャストの皆さんも素晴らしく、自分たちの想像を超えるものが現場で生まれる瞬間には、毎回心が震えます。

監督は、大河ドラマに出演する大御所の役者さんたちとも対等に真っ向から向き合わなければならない立場でもあります。作品や史実を深く理解するのはもちろん、大所帯を率いていく人間力も必要です。自分も挑戦できたらうれしいです。

 

なぜ、ディレクターに? 現職 に就くまでの経緯を教えてください。

もともと自分はコンプレックスの塊で、大学入学当時も、活躍する同世代と自分を比べては鬱憤を溜めているような日々でした。サッカー選手やアーティストなど何かを自分らしく表現している人がうらやましくて。サークルを転々としながらも、物足りなさを感じていた1年生の終わりに、「何かを変えたい」とラオスへひとり旅に出かけたんです。そこで、NPOで働く日本人と知り合い、貧しい農村を案内してもらう機会がありました。青空教室のような粗末な校舎で子どもたちが勉強していて、人々が「自分の子どもたちにはせめて初等教育を受けさせたい」と口々に話していたのが強く印象に残りました。「自分にも何かできるんじゃないか」という思いが体中をめぐり、帰国後すぐの2007年3月、ラオスに小学校を建てるプロジェクトを始動。当時19歳の若気の至りとも言える衝動的行動ではありましたが、仲間を集め、資金を集め、村人や現地政府と話し合いを進め、2008年9月には小学校建設が叶いました。現在も国際団体SIVIO(シビオ)として、学生たちによる援助活動が続けられています。現地のニーズを聞きながら、学校のトイレを整備したり幼稚園を造ったり。学生は皆、「友だちに何かしてあげる」というイメージで動いています。

同じ頃にカンボジアで小学校建設をした葉田甲太さんという方が、自身の活動を題材に『僕たちは世界を変えることができない。』というノンフィクション書籍を出版して、私も写真提供をしました。写真撮影は昔から好きなんです。その書籍が2011年に深作健太監督により映画化され、その制作現場に立ち会わせてもらいました。自分たちが学生としてやっていたことが、役者さんやスタッフを通して映画化されていく過程を目にして、いい意味で違和感を覚えたというか、不思議な感じがしました。「こういうものづくりをしたいな」と、ドラマ制作に興味を感じ始めたきっかけでした。

NHK入局が決まってから、大学を3カ月間休学して世界一周旅をしました。インドのガンジス川ほとりに火葬場があるのですが、眺めていると、年寄りだけではなく自分と同年代くらいの20代、30代の若者も運ばれてくるんです。死を身近に感じた初めての体験で、「この人生で何をすべきか」ということを真剣に考えました。そして、「監督として映像を撮りたい」という思いを強くしました。映像は、監督のアイデアから生まれてくるもの。監督自身の人生経験が作品になっていきます。そんな仕事に強くモチベーションを感じるだろうと思ったんです。すぐ近くのインターネット・カフェで海外の映画専門学校を調べ、その検索で見つけたニューヨーク・フィルム・アカデミーで大学卒業間際に2カ月間の短期留学をしました。

 

今後の活動について、抱負を 教えてください。

ニューヨーク留学中に、偶然にもハリウッドで活躍するキャロライン・バロンさんという女性プロデューサーに出会い、彼女の現場に立ち会わせてもらいました。多国籍でいろいろな人種のキャストやスタッフが一緒に働いているハリウッド映画の現場でした。いつか自分も、多国籍スタッフ、キャストと共に、世界中の人に感動してもらえるような作品を撮りたいと思います。

情報があふれる中で、本当に良いものが埋もれてしまう時代。メディアや人々のライフスタイルも多様化する今だからこそ、本当に良いものを作って、それをより多くの人へ届けていけたらと考えています。


NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」

作:宮藤官九郎 音楽:大友良英 噺 はなし:ビートたけし
出演:中村勘九郎・阿部サダヲ/綾瀬はるか・生田斗真・杉咲 花/森山未來・神木隆之介/ 竹野内豊・大竹しのぶ・役所広司 ほか
“日本で初めてオリンピックに参加した男”金栗四三と“日本にオリンピックを呼んだ男”田 畑政治。この2人がいなければ、日本のオリンピックはなかった。1964年東京オリンピック が実現するまでの日本人の“泣き笑い”が刻まれた激動の半世紀を、豪華キャストで描く!

シアトル熱中小学校 (2月23日オープン!)
www.necchu-seattle.org

「もういちど7歳の目で世界を・・・」を コンセプトに、大人の学び場、交流の場 として2015年に山形県高畠校を開校。 現在では日本各地に12校を展開する。 シアトル校は海外初。入学申し込みは ウェブサイトから。

倉崎 憲■1987年京都生まれ。同志社大学在学中に国際団体SIVIO(シビオ)を立ち上げ、ラオスでの小学校 建設活動に携わる。2011年NHK入局。初演出したラジオドラマ「世界から猫が消えたなら」がギャラクシー 賞奨励賞、イタリア賞入選。その他の演出作品に、熱中小学校が生まれた山形県高畠町が舞台の山形発地域 ドラマ「私の青おに」などがある。50カ国以上を旅し、現在も仕事の合間を縫ってひとり旅を楽しむ。

レストラン・プロデューサー 高橋 進さん

2月2日、パイオニア・スクエアにイタリアン・レストラン、ビサト(Bisato)が開店しました。料理界のアカデミー賞と呼ばれるジェームズ・ビアード財団賞を始め数々の受賞経験を持つ有名シェフ、スコット・カールスバーグ氏の最新店舗として注目を集めています。同店をマネジメント側から支えるのが、シアトルの和食シーンを牽引してきた高橋 進さん。これまでの軌跡をたどると共に、77歳にしてイタリアンという新たな挑戦を選んだ理由を明かしてもらいます。

取材・文:室橋美佐 写真:ビサト、本人提供

 

感謝を込めて、これまで重ねてきた経験を
何かの形で次の世代へ残したいという思いがありました

 

時代と共に次々と新たな人生のステージへ

京都外国語大学を卒業し、日本で商社勤めをしていた高橋さんが、初めてシアトルへ渡ったのは1969年。京都先斗町にあった料亭の女将に頼まれて、シアトルでの骨董店開業を手伝うことになったのがその理由だ。「飛行機から初めて眺めたオリンピック国立公園の美しい風景を、今でも覚えています」と、高橋さんは振り返る。その後、1度はシアトルを離れたものの、1978年に義兄が経営する会社に入社すると、今度は同社のシアトル進出を指揮することになり、再び日本からシアトルへ。ここで、高橋さんが初めてレストラン開店のプロデュースに携わる機会がめぐってくる。「義兄の会社から出資を受けて、アメリカでブームになっていた鉄板焼
きをメインとする店をオープンすることになりました。場所は、当時まだ田舎らしい風景が広がっていたベルビュー。ちょうど80年代以降のベルビューの目覚ましい発展と、景気の良かった日本人コミュニティーの拡大もあって、一躍繁盛店となりました」。鉄板焼きと寿司の店、カモン・オブ神戸は1982年の開店以来、着実に人気店としての地位を築いていった。しかし、90年代に入ると義兄の会社が海外店舗を縮小することになり、カモン・オブ神戸も閉店。そこからまた、高橋さんの新しい人生のステージが始まる。

80年代のカモン・オブ神戸。ここで高橋さんのレストラン人生が幕を開けた

「シアトルに残り、ファイナンシャル・プランナーの仕事をするようになりました。1994年から2008年まで、保険やトラストなどアメリカの金融商品を日本の富裕層へ向けて販売していました」。そこで蓄えたファイナンスの知識は、その後のレストラン経営にも生かされることになる。

金融の仕事と並行してレストラン開店コンサルタントとしても働き始め、シアトルの有名レストラン・グループであるチャンドラーズの日本進出をサポート。チャンドラーズ・クラブハウス横浜や東京ベイ・チャンドラーズ・アメリカングリルのオープンを成功させた。「各方面の最高のプロを集めて、そこに必要な資金を投入すれば、プロジェクトは高いところまで飛べます。この時期に培った経験が、今につながっています」

カモン・オブ神戸の経営が軌道に乗り、ベルビューにもう1軒のレストラン、ベントウ・ボックスを開業した頃の高橋さんと勝子夫人

2008年のリーマン・ショックを機に、ファイナンシャル・プランナーの仕事から退いた高橋さんは当時68歳。さらに別の人生のステージが待ち受けているとは、まだ知る由もない。「リタイアするまでの長い間、会社に属しながらグローバルなプロジェクトにさまざまな形で参加させてもらうことができました。リタイア後は、それまでできなかった活動がしたいと思いました。それは、地元コミュニティーへの貢献です」。地球規模で考え、身近な地域から取り組む「Think globally, act locally.」の精神。それを自分しかできない形で実践したいと考えた高橋さんはまず行動をと、ベルビューのシニア・センターで配膳や皿洗いのボランティアを始めた。加柴司郎シェフから、「寿司かしば開店のパートナーに」と声がかかったのは、ちょうどその頃。「これでまた、人生の新しいステージが開けました」

 

信頼できる仲間とビジネスを成長させる

2015年に、パイク・プレース・マーケット近くの好立地にオープンした寿司かしばは、地元客はもとより多くの観光客を引き付け、今や行列のできる名物店となっている。「日本人以外に多くのアメリカ人スタッフを採用しました。その方針は、最初にプロデュースしたカモン・オブ神戸から変わっていません。和食を知らないスタッフでも、アメリカ流の接客を身に付けた一流のサーバーであれば、それがベスト。和食については、あとから覚えればいいですから」と、高橋さん。寿司かしばが、アメリカ人富裕層を中心に人気を広げていった背景のひとつかもしれない。そんな寿司かしばに、客として訪れていたのが、シアトルのイタリア料理界の巨匠、カールスバーグ氏だった。

「新店舗オープンに協力して欲しい」。カールスバーグ氏が高橋さんに声をかけ、創立パートナーシップが動き出した。和食から離れて、初のイタリア料理へのチャレンジとなる。「一流のスタッフを集めるというサービスの根本は変わりません。シアトルでたくさんの方々にお世話になりながら、いろいろな経験をさせてもらいました。感謝を込めて、これまで重ねてきた経験を何かの形で次の世代へ残したいという思いがありました」と、高橋さんは引き受けた理由を語る。

ビサトのソフト・オープニングを迎え、スタッフと円陣を組む高橋さん

ビサトの創立パートナーは、高橋さんのほか、勝子夫人、カールスバーグ氏、そしてゼネラル・マネジャーのマイケル・ドン・リコ氏だ。カールスバーグ氏は「彼とならできると思った。経営スタイルを尊敬している」と絶賛。高橋さんもまた「料理を口にすればすぐに『これはスコットの味』とわかる唯一無二のシェフ。彼を真似する人はいるかもしれないけれど、彼の経験までは盗めない」と、その腕を高く評価している。そして、かつて老舗ステーキ・ハウスのエル・ガウチョで働いていたリコ氏は、共に寿司かしばを大きくした盟友だ。「この年齢になると、本音で生きることができるようになるんです。無理をすることなく、信頼し合える仲間を集めて、心から良いと思うものを提供する。これまで重ねてきた経験や人脈を集めて、シアトルでイタリア料理店をオープンするのが人生の集大成。こんな人生も、なかなかいいでしょ?」。上品な京都なまりで話す高橋さん。その言葉ひとつひとつに深みが感じられる。

高橋さんは、ビサト出資のために自宅の半分を抵当に借り入れをした。喜寿を過ぎた高橋さんにとって、大きな賭けだろう。家族の反対はなかったのだろうか。「妻には、人生一度きりだからやりたいことをやったらいい、失敗してもいい夢を見させてもらったと思えばいいと言われました」。議論することもなく、すんなり了解したという勝子夫人は、高橋さんにとって、シアトルで共に人生を歩んできた同志だ。

開店に向け「信頼し合える仲間」が、ほかにも集まった。店舗デザインは、寿司かしばの内装も手掛けた松原 博氏が担当。椅子など家具の一部は、高橋さんの友人、クレイグ・ヤマモト氏による特注品だ。施工を行うメソッド・コンストラクションのジェイソン・ミナミ氏は日系4世で、これまで数々の和食店を請け負ってきた経歴の持ち主。イタリア料理店で「和のおもてなし」をしたいという高橋さんの思いが、こうした仲間たちとのチームワークで見事に形となった。

「パイオニア・スクエアというロケーションにも、大きな意義を感じています。ここは、中国人、イタリア人、スカンジナビア人、そして日本人と多様なバックグラウンドを持つ移民がシアトルを築いた創始の地ですから。ビサトは地元コミュニティーに貢献する店として続いていって欲しい」と、高橋さん。ビサトが入居するビルは、日系1世のナカムラ一家が所有するトラベラーズ・ホテルだった建物で、当時は日雇い労働に従事した移民たちが一時的な住居にしていた。現在は、シアトルのウッドランド・パーク動物園の設計で有名な建築家のイルゼ・ジョーンズ氏により、歴史的建築物として管理・維持されている。「レストランの経営方法はそれぞれですが、私の場合はビジョンを共有できる仲間たちと地道に1歩1歩、地元コミュニティーと結び付きながら成長していくスタイルがいいと思っています」

 

食の分野で実現されるボーダレスな世界

ビサトに足を踏み入れると最初に目に飛び込むのが、和風ともイタリア風とも言えるウォール・アート。高橋さんの京都の実家で使われていた障子窓を背景に、リノ・タグリアピエトラ氏によるベネチアン・ガラス工芸の花瓶が飾られている。アーティストのタグリアピエトラ氏は、カールスバーグ氏の親友だ。「最も大切にしているのはクオリティーです。美しいものは美しい。おいしいものはおいしい。クオリティーに国境はありません。障子もベネチアン・ガラスも職人が丹念に作り上げたもの。このウォール・アートは和とイタリアンの融合、そしてクオリティーの象徴なんです」と、高橋さんは説明する。

ビサトが目指すのは、イタリア料理や和食といった枠を超え、クオリティーという1点でつながる「国境のない食(Food without border)」、そして「壁のないサービス(Service without wall)」だ。ダイニング・エリアとの間に仕切りのないオープン・キッチンはカールスバーグ氏のこだわりで、同氏が2012年までベルタウンで開いていたビサト前店舗も同様のスタイルだった。料理人と食する人が同じ空間でつながる一般家庭のキッチン・ダイニングをイメージしている。「板前と客が向き合って、食を介してコミュニケーションを取る寿司バーにも通じるものがある」とカールスバーグ氏。料理人自ら、その日に仕入れた新鮮な食材を紹介しながら、目の前で最高の料理をし、できたてをテーブルに届ける、そんな理想の空間にできたと満足そうに語る。

シアトルの地で多くの挑戦を経験してきた高橋さん。「好奇心を原動力にここまでやって来ました。特にプランに沿って進んできたわけではありません。この角を曲がったらどんな眺めが待っているのか、見たことのない景色を求めて進んで来たら、今の場所にたどり着きました。挑戦の場を与えてくれたアメリカ、シアトルには、感謝の念に堪えません」。アメリカの寛大さ、自由、個人主義、ボランティア精神の中で、自分らしさを求めて進むことができたと話す。

2018年に喜寿を迎えた記念に自費出版した『森の散歩道』には、高橋さんの半生がつづられている。売り上げの一部はベルビューで開催されるジャパン・フェア運営に寄付される予定

ビサトのプロジェクトについては、店の運営が落ち着いたところで身を引く予定という高橋さんだが、そのあとはどんな人生プランを描いているのだろうか。「静かに老後を過ごすかもしれないし、また新しいことをするかもしれません。最後の曲がり角を曲がるまで、人生はどんな景色が待っているかわかりませんから」

 

この角を曲がったらどんな眺めが待っているのか、
見たことのない景色を求めて進んで来たら、
今の場所にたどり着きました

 

高橋 進(たかはしすすむ)■1941年に奈良で生まれる。京都外国語大学を1964年に卒業。1982年にシアトルで鉄板焼きと寿司の店、カモン・オブ神戸を開業。2015年には、パイク・プレース・マーケット近くに加柴司郎氏など数名と寿司かしばをオープンし、超人気店に。2019年、スコット・カールスバーグ氏らと創立パートナーとしてパイオニア・スクエアでイタリアン・レストラン、ビサトを開く。

ビサトBisato

ウエスト・シアトル出身のカールスバーグ氏は、14歳からレストランで働き始め、ニューヨークやワシントンDCの一流レストラン、そしてベネチア近郊メラノにあるミシュラン2つ星店で経験を積んできた。新しい食材を求めて世界を旅する同氏は、和食にも造詣が深い。「ずっと素材本来の味を引き出すシンプルな調理にこだわってきました。食材に恵まれているシアトルで育ったことも関係しているかもしれません。日本を訪れ、和食のコンセプトが私の考えそのものだとわかり、自分のスタイルは間違っていなかったと確信しました」と話す。目の前でスライスされる極上の生ハムから、イクラや松茸など和の食材を使った料理まで、カールスバーグ氏ならではのメニューがそろうビサトは、このバレンタイン・シーズンに訪れるにもぴったり。ぜひ本物のクオリティーを堪能しよう。

84 Yesler Way, Seattle, WA 98104
営業時間:5pm〜10pm
定休:月・火
☎206-624-1111 www.bisato.com

ANAビジネスクラスの機内食をレポート

年末年始の帰省は、ANA便のぜいたく機内食でワンランク上の空の旅を

写真は洋食コースの主菜。驚くほど軟らかい牛フィレ肉のステーキ

2012年からシアトル―成田直行便を運航するANA(全日本空輸)。世界的に評価を受けるビジネスクラスの機内食を試食して来ました!

世界の航空会社を評価するSKYTRAX社から6年連続で「5スター」認定を受けているANAの機内食は、著名シェフやソムリエとのコラボレーションなど、その高い品質で定評。シアトル出発便の機内食調理を請け負っているのは、ANAの機内食品質管理プログラムから長距離線ベスト・ケータリング賞を何度も受賞しているフライング・フード・グループだ。

担当するシェフは、成田便就航時から和食調理を担う西澤由則(よしのり)さんと、シアトル周辺ホテルなどで32年以上の経験を持つデイビッド・ピセグナさん。日本のANA本社から届くレシピに、シアトルならではのエッセンスを加えて考案・調理している。西澤シェフは、日本でのシェフ経験に加えて、シアトルでも日光、西野、旬などで腕を振るってきたベテラン料理人。老舗料亭とコラボレーションする成田出発便の和食メニューに負けない本格的な味が、シアトル発便から楽しめるのは西澤シェフの技があるからこそ。日本に着く前から、気分が盛り上がりそうだ。

※12月から食事メニューが変更されます

 

ビジネスクラス
洋 食

 

主菜は、冒頭写真の驚くほど軟らかい牛フィレ肉のステーキに、繊細な白身魚を濃厚なソースが引き立てるチリアンシーバスのソテー、レモンバター・ソース、ベジタリアンメニュー(乳性含)の野菜キッシュのブロッコリーソース、これら3種類から選ぶことができる。アペタイザーとして出されるロブスターのサラダ仕立て、ジャーマンポークハムも美味。デザートには、フルーツとミルフィーユが
添えられる。パンは、シェフ厳選3種類のパンから選んで。各写真で左に写る3品は、搭乗直後に出されるアミューズ。

 

ビジネスクラス
和 食

 
離陸後①
 
前菜は、キンキ味噌幽庵焼き、ロブスター煮、牛肉ネギ巻き、春菊のお浸し。添えられる揚げ豆腐真丈茸かけは、紀文の魚河岸揚げにノースウエストのキノコ類をふんだんに使った餡かけが絶妙。カツオのたたきは、日本から空輸されたもの。
 
離陸後②

主菜の脂の乗った銀ダラ西京焼きは絶品。愛媛の「石鎚」、福井の「伝心雪」など厳選された銘酒と合わせて楽しみたい。デザートには、どら焼きも。

離陸前

到着前の主菜、サバの梅煮は西澤シェフのイチオシの一品。さわやかな梅の香りと柔らかいサバのハーモニーがたまらない。

毎月、ANA社員で試食会を開き、機内食のクオリ
ティー・チェックをしている。ソイソース・スタッフも同席し、試食させてもらった。ごちそうさまでした!

ANAのシアトルー成田直行便は毎日運航。2019年3月31日から5月31日までに同便(NH177・NH178便)に搭乗するANAマイレージクラブ(AMC)会員対象に、ダブルマイル・キャンペーン実施中。AMC入会およびキャンペーンに関する詳細はANAウェブサイトで。

帰国子女説明会 in シアトル

小嶋社長は、父親で日能研関東創業者の小嶋 勇(いさむ)現会長を継いで2006年から現職。ガウディアや私学妙案研究所などの新規事業を立ち上げ、塾経営のみならず中高一貫私立教育の啓蒙など多方面で活躍している
10月5日、日能研がベルビューで帰国子女向けの中学受験説明会を開催しました。日能研は、全国150校を展開する、小学生の中学受験に特化した学習塾。最新の中学受験事情や帰国生入試について、貴重な話が聞けました。

取材・文:室橋美佐

日能研による帰国子女説明会は、ニューヨークなど全米4都市で巡回開催され、シアトル地域ではベルビュー市内のレイクヒルズ図書館で行われた。当地開催には、日能研の海外加盟校で、日能研と河合塾が提携運営する自学自習プログラム「ガウディア」をカリキュラムに取り入れている四つ葉学院が協力。小学2~6年生対象の無料オープンテストも同校で実施された。

「グローバル人材の育成が重要視される今、外国で多様な経験をした帰国生の受け入れを拡充する学校が増えています」と話すのは、日能研関東の小嶋 隆(たかし)代表取締役社長。「日能研の塾生にも帰国生は増えていて、日本の子どもたちへの良い刺激になっています」と続ける。2018年には、首都圏エリアにある約300校の中高一貫校のうち201校が帰国生募集を行った。日本国外の名門大学進学を視野に入れる私立校も増えているという。

日能研推定によれば、小学6年生で中学受験をする割合は首都圏で約20%(2018年現在)。東京都内であればその割合はさらに高く、中高一貫私立校の人気は高まる一方だ。そもそも、私立中学校へ進学させるメリットは何なのか?

「中学と高校の大事な6年間を、一貫した教育環境で過ごせることは大きな利点」と小嶋社長は説明する。進学校であれば、6年かけて学ぶ課程を5年で修了し、高校3年の1年間は大学入試対策に専念させるなど、各学校により大学受験に向けた独自カリキュラムが組まれている。大学付属校であれば、大学受験がないため、学業以外にも幅広い分野の経験を積み重ねる環境が整う。「それぞれの教育理念や注力分野を明確に掲げているのも私立校の特徴」と小嶋社長。「子どもの個性をよく踏まえたうえで、どのような6年間を過ごして、その先は何を目指すのかを親子で考えて学校選びをして欲しい」と提言する。

説明会には数十名の保護者が参加。自身が小学生だった約20~30年前とは一変した中学受験事情や帰国生入試のポイントなどに耳を傾けていた。

日本の学力が再び上昇!

日本の子どもたちの学力が、いわゆる「脱ゆとり」を経て、再び伸びている。説明会第2部で講演した五十嵐さんが、経済協力開発機構(OECD)が15歳を対象に3年毎に実施する学習到達度調査(PISA)の推移を紹介。2000年代に日本のランキングが急下降したことで話題になった同調査だが、2015年の結果では、数学的リテラシーや科学的リテラシーの分野で、日本はOECD加盟35カ国の中で1位に舞い戻った。

※表は、帰国子女説明会第2部資料から抜粋。情報元は経済協力開発機構(OECD)
※OECD非加盟でPISAを実施しているシンガポール、香港、台湾などは除く

 

お父さんお母さんの時代から激変!
中学受験最新事情

第1部「盛り上がる帰国生の中学受験事情」

講師は営業本部第1エリア部長の須田英毅さん。近年の入試問題傾向として、選択・穴埋め問題ではなく記述問題を中心に出題する学校が増えていると説明。知識のインプットのみならずアウトプットの訓練も重要になっていることを強調した。学校説明では、2020年の大学入試改革への不安からMARCH系大学付属校※の人気が上昇していることや、女子高・男子校の共学化が進んでいることなどを取り上げた。また、御三家と呼ばれる開成・麻布・武蔵、桜蔭・女子学院・双葉に加えて新たに人気を高めている進学校として、渋谷教育学園、洗足学園、豊島岡女子学園などの学校名も挙がった。

※首都圏にある私立大学、明治大学、青山大学、立教大学、中央大学、法政大学の総称。

第2部「帰国生だからこそ必要な親子のコミュニケーション」

子ども未来進学センター所長の五十嵐正樹さんが、子どもの学習欲を伸ばす「親業」メソッドについて講演。具体的な中学受験事情の解説が中心だった前半からはガラッと変わり、小学生の親であれば誰でも参考になるコミュニケーション術を紹介。その一例は、「今日の算数、全然できなかったよ」などと子どもがこぼしたら、「算数が全然できなかったのね」と、まずはそのままの言葉を優しく返して、気持ちを受け止めていることを示すなど。学校や塾で常に新しい発見に触れる子どもにとって、親は「安全基地」になるべく、安らげる環境を作って欲しいと説いた。

「ここちマッサージクリニック」〜人気のお店訪問

 

血行促進やデトックス効果が期待できるとして美容界で注目されているカッピング。今年2月、レドモンドにオープンした、ここちマッサージクリニックで、実際に体験してきました。

取材・文:室橋美佐

透明カップを身体のツボに置いて気圧を下げ、皮膚とその下の血管を引っ張るカッピングの施術は、東洋医療の一種で「吸い玉」とも呼ばれる。リオ五輪中に、多くのアスリートが円いカップ痕を全身に付けて出場したことで話題となった。

患者の容体や要望に沿ってスウェディッシュ・マッサージ、指圧、レイキ、カッピングを組み合わせた施術を60分$75、  90分$110、  120分$145 で提供する。マタニティー・マッサージにも対応。12歳以下対象の子どもマッサージは$60 60分で行っている。取材では、コリが気になる肩と背中を中心に、むくみを解消したい膝下、そして顔をプラスしてカッピング施術を体験

「マッサージでは圧(お)してコリをほぐしますが、カッピングは強く引っ張ることで滞っている血流を促します。老廃物を体外に排出する効果もあり、皮膚から汚物が浮き出てくることもあります」と、説明するのはセラピストの中村 綾さん。レドモンドにあるマッサージクリニックで、スウェディッシュ・マッサージと組み合わせたカッピングの施術を行っている。綾さん自身も長年にわたってカッピングを受けており、その効果を実感しているのだという。「3分間のカッピングで通常のマッサージ30分の効果とも言われています」

施術後のカッピング痕はコリがひどいほど目
立つそうで、自覚症状が強い右肩に濃く出ていた。個人差はあるが2、3日すると薄くなり、1週間ほどで消える

綾さんによる施術ではまず、オイルを使ったスウェディッシュ・マッサージで上半身をほぐしていく。マッサージは腕全体を使い、面で圧すスタイル。施術台は暖かく、全身がポカポカになって、すっかり夢心地に。マッサージ後は、慢性的な肩コリに悩む筆者の希望で、肩と背中を中心にカッピングを行ってもらうことに。機材を使い、腰から肩にかけてカップを肌に滑らせる。「血行が良いところはカップがなめらかに滑りますが、悪いところはカップが滑らなくなるんです」という綾さんの説明の通り、コリを感じるポイントでカップが止まった。しばらくカップを置いて吸引していくと、周辺が温かく火照ってくる。痛みはほとんどなく、マッサージとはまた違う気持ち良さだ。

脂肪が多い部分にカップを当てると痛みが。目に見えない奥のセルライトが壊れている証拠だそう。老廃物をデトックスしてむくみもすっきり

「太ももや腹回りなど気になる部分に複数回の施術をすることで、セルライトも少しずつ消えていきます。むくみやすいふくらはぎも、カッピングですっきりしますよ」と、綾さん。そのダイエットや美容の効果も人気の理由だという。筆者も、美顔効果が期待できるとされる顔カッピングに挑戦!仰向けになり、首周辺のマッサージ後、小さなシリコン製カップでデコルテから顔全体までを軽く吸引してもらう。「顔回りは痕ができないよう、軽い施術になります。それでも、リンパ液の流れを促進してフェイスラインを引き締め、シワやシミの予防ができます」

綾さんによる最新の機材を使ったカッピングでは、火で温めたカップを
ツボに置いていく伝統的なファイアー・カッピングとは異なり、患部全体にカップを滑らせながら吸引していく

1時間の施術を終えると、全身が軽くなり、気分爽快。肩と背中のカップ痕は痛々しく見えるものの、実際のところは何も感じない。施術当日に激しい運動を控えれば、もみ返しもほとんどないという。夏の疲れが溜まっている方も、ぜひカッピングを試してみて欲しい。

ワシントン州公認マッサージ・セラピストの綾さん。日本で国際的な非営利団体でソーシャル・ワーカーとして活躍していたが、2012年に夫の仕事でシアトルへ。
子ども2人の中学校入学を機にマッサージ・セラピストへ転身した。
「もともと私自身がマッサージを受けるのが大好きだったんです」

 

ここちマッサージクリニック Cocochi Massage Clinic
16828 NE. 79th St., Redmond, WA 98052
診療時間:9am ~2pm(日曜は5pm まで) 休診:水土
☎425-243-4502 cocochi@massagetherapy.com
ウェブサイト:www.cocochi.massagetherapy.com

めぐみ保育園園長 鈴木芳美さん

日本語と日本文化を取り入れた乳幼児保育を1992年から続けているめぐみ保育園。創立者として園長を務める鈴木芳美さんに話を伺いました。

取材・文:室橋美佐

 

相手の気持ちを思いやったり、年長者を敬ったりという、
日本的な常識やマナーが当たり前のこととして
身に付くような幼児教育の場を作りたい

 

おじいちゃまおばあちゃまたちに迎えられたシアトル移住

「英語も話せないままシアトルへ来た14歳の私を、日系1世のおじいちゃまおばあちゃまたちが迎え入れてくれたんです」と話すのは、めぐみ保育園園長の鈴木芳美さん。素敵な笑顔でテキパキとインタビューに応える姿からは、大らかな優しさがにじみ出る。芳美さんは、父親が高校教員を辞めてシアトル日本人バプテスト教会の牧師に就いたことをきっかけに、中学生で母や姉と共に、父に付いてシアトルへ移住した。同教会は1899年に日系1世によって創設され、芳美さんがシアトルに来たばかりの80年代当時は日系1世の年長者たちが教会コミュニティーの中心にいたという。「日本以上に日本的な社会がアメリカにあることに驚きました。おはぎを作ってもらったり、舞踊を教えてもらったり、本当に良くしていただきました」

高校時代には教会近くの高齢者向けアパート、川部メモリアル・ハウスで配膳のアルバイトをし、そこでも日系1世の住人たちと親交を深めた。「3世に当たる孫世代ともなると日本語を話せないケースが多くありました。私のような高校生と日本語で会話する機会はあまりなかったのではないでしょうか。交流をとても喜んでくれました」。そんな影響もあり、若者としてはめずらしく国風流詩吟の稽古へ通い、シアトルで活躍していた宮辺孝満さんに弟子入りもした。日系1世たちとの出会いは、その後のめぐみ保育園創立にもつながっていく。

 

日系1世の方々が孫たちと日本語で
会話できない姿を目にしてきて、
次の世代に向けて日本語を教えたいと強く感じていました

 

日本語を介して孫と心の底から通じ合って欲しい

「小さな頃から幼稚園の先生になることが夢でした」と話す芳美さん。実は、芳美さんの母方の祖父母は長年にわたって、めぐみ愛児園というキリスト教精神に基づく幼稚園を日本で営んでおり、芳美さんの母親も園に勤めていた。家庭環境を考えれば、芳美さんが迷いなく幼児保育の道へ進んできたことは自然な流れだったのかもしれない。ウエスト・シアトルにあるクリーブランド高校を卒業すると、シアトル・セントラル・カレッジの幼児教育課へ進学。日系人講師の飯田静子さん指導の下、幼児教育について学び、乳幼児保育の実地経験も積んだ。そして、大学卒業直後にめぐみ保育園を創設した。

当時、芳美さんはまだ23歳。なぜ、自分で園を創設しようと思ったのだろうか? 「大学4年間の勉強と実地経験の中で、日本の教育とアメリカの教育の良いところを組み合わせた保育をしたいという気持ちが芽生えてきました」と芳美さん。そして何よりも、教会や川部メモリアル・ハウスで交流を深めた日系1世へ恩返ししたいという思いがあった。「日系1世の方々が孫たちと日本語で会話できない姿を目にしてきて、次の世代に向けて日本語を教えたいと強く感じていました。同じ言葉を使って心の底から通じ合って欲しいと思ったんです」

 

シアトル初の日英バイリンガル保育園、誕生

めぐみ保育園は、シアトル初の日英バイリンガル保育園として、1992年にオープン。早速、日系1世たちが孫の手を引いて訪れた。「オープンハウスには、教会のおばあちゃまたちが手伝いに来て、テリヤキ・チキンを参加者へ振るまってくれました。おじいちゃまたちは庭の手入れなどをしてくださいました。大学時代にレポーターとしてアルバイトをしていたシアトルの日本語ラジオ放送局、JENからは特別に広告枠をいただいて、日系コミュニティーへ開園告知をすることもできました」と、芳美さん。教会、川部メモリアル・ハウス、国風詩吟会、JENと、中学から大学まで関わった日系コミュニティーの各方面からのサポートがあってこそ、めぐみ保育園をオープンできたのだと振り返る。
芳美さんが思い描いていた、「相手の気持ちを思いやったり、年長者を敬ったりという、日本的な常識やマナーが当たり前のこととして身に付くような幼児教育の場」が誕生したのだ。

めぐみ保育園シアトル校ディレクターのサンダーズ彩さん(左)、1997年から最も長く勤めている保育士の幸田道子さん(中央)と共に。
現在、ベルビュー校30名、シアトル校12名のスタッフがいる

それでも、初年の園児はまだ8名。ビーコンヒルにキャンパスとして借りた小さな一軒家への家賃と、保育スタッフとして協力してくれる友人への支払いを賄うために、夜間は日本食レストランでアルバイトもこなした。「牧師をしている父には『アメリカへ来たら自分のことは自分でやらないといけない』と教えられていて、大学入学資金なども自分でやりくりしていました。そのおかげで自分で資金繰りをすることは自然と身に付きました。保育園の立ち上げを知った横浜の祖母が300万円を貸してくれたので、まずはそのお金を返済しようと、必死に頑張りました」。そうして始まっためぐみ保育園も、2年後には24名の園児を受け入れるようになって軌道に乗り、現在ではベルビュー校122名、シアトル校43名の園児を抱えるシアトル地域最大の日英バイリンガル保育園に成長した。最初の卒園生たちは、すでに30歳を超えている。

 

(写真上下)健康的な和食中心の給食。おやつのパンまで手作りというこだわりよう

 

人生で困難にぶつかったときこそ、
たくさんの愛情を受けて育ったことが強みに

「園の先生たちは、園児と実の子どものように接していて、子どもたちの成長を楽しみに毎日を過ごしています。卒園時には、『いい時間をありがとう』と言いたいくらい、子どもたちへの感謝でいっぱいになります。人生で何か困難にぶつかったときには、めぐみ保育園でたくさんの愛情を受けて育ったことを思い出して欲しい。幼児期に受けた深い愛情は大きな力になるはず」と、芳美さん。現在では子どもたちと直接関わるのはスタッフに任せており、頑張っている現場の先生たちをハッピーにするのが芳美さんの仕事なのだという。「現場に横から入って、一面だけを見てジャッジを入れな
いように気を付けています」。インタビュー当日も、芳美さんからスタッフへ、あんみつの差し入れが。こうしたスタッフと子どもたち、園長とスタッフたちの愛情にあふれる関係が、めぐみ保育園の人気につながっているのだろう。

めぐみ保育園には、日本人や日系アメリカ人の家庭以外からの園児も多い。それは、日本語と英語のバイリンガル教育という言語面だけではなく、日本の文化や食生活を取り入れた教育方針に魅力を感じる保護者が多いからだ。3人の専属給食スタッフが学校内の調理室で作るこだわりの給食は、子どもたちからも大人気だ。日系コミュニティーとのつながりも強く、園児が高齢者向け施設のシアトル敬老を訪れて日本の歌を合唱したり、同じく日系マナーの住人をめぐみ保育園へ招待したりといった交流が続けられている。

中高生の息子ふたりのお母さんという一面も持つ芳美さん。仕事以外でも、シアトル日本人バプテスト教会聖歌隊に参加したり、息子たちが通う柔道道場でボランティアをしたりと、日系コミュニティーで活躍している。数代続くキリスト教徒の家系で「常に家に誰かを招いているような家庭環境」で育ってきた芳美さんは、おそらく根っからの「世話好き」「人好き」なのだろう。そこに、14歳で渡米してから自立して歩いてきたたくましさが重なって、理想の乳幼児保育の場を作り上げるという夢を着実に形にしている。アメリカに住む日本人女性のロールモデルとして、これからもシアトル日系コミュニティーの中で輝き続ける彼女の姿が見られそうだ。

 

(写真上下)1994年の園児たちと開園当時の芳美さん。芳美さんの母、沢野洋子さんは姉妹紙『北米報知』の元編集スタッフで、園の話題が紙面でしばしば取り上げられた

 

鈴木芳美■中学2年生の時に、父親がシアトル日本人バプテスト教会牧師に就いたために、生まれ育った横浜からシアトルへ家族で移住。 教会での活動や、川部メモリアル・ハウスでのアルバイトを通してシアトル日系1世の高齢者と親交を深める。シアトル・セントラル・カ レッジで幼児教育を学んだ後にめぐみ保育園を創設し、26年にわたって園長を務める。

めぐみ保育園
QUALITY CHILDCARE AND JAPANESE IMMERSION EARLY EDUCATION

ホームページ
乳幼児を対象に日本語と日本文化を取り入れたカリキュラムで保育を行う。子どもたちが経験を通して、長い人生を生きていくために大切なことを学ぶ場を提供し、「けんかはダメ」ではなく、お友だちとの衝突を通して「どうしてこうなったか」「他に方法がなかったか」「次はどうしたいか」を考える。経験豊かな保育士たちに見守られながら、小さな経験を繰り返し積み上げて「意欲」と「思いやりの心」を育てる。
ベルビュー校
2750 Northup Way, Bellevue, WA 98004
☎425-827-2540
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シアトル校
7054 32nd Ave. S., #101, Seattle, WA 98118
☎206-723-8818
seattle@megumipreschool.com

「熱中小学校」堀田一芙氏インタビュー~「大人の交流」で地方創生に新風を~

 熱中小学校 堀田一芙さん

熱中小学校プロジェクト創立メンバーで、「用務員」として 教諭リクルートなどを行う堀田一芙氏が7月7日、ベルビューのメイデンバウアー・センターで開催されたジャパンフェアのセミナー・ルームで模擬授業を行いました。プロジェクト詳細、そしてシアトル校開校について話を聞きました。

取材・文:室橋美佐、小林真依子、吉本直生

20代から80代までが集まる大人の学校

国語・算数・理科・社会と懐かしい科目が並ぶ時間割。教論陣には、ベンチャー起業家や大手企業取締役から、映画監督、登山家まで、各分野の第一線で活躍する人物が並ぶ。まさに大人のワクワク感をかき立てるプログラムが詰まっているのが熱中小学校だ。「いろいろな大人が集まって交流が生まれ、そこから新しい可能性につながるんです」と堀田氏は説明する。

堀田氏自身も、半年サイクルで全国各地にある学校を生徒としてめぐっている。最近では、IoT向けワイヤレス通信サービスで急成長しているSORACOM(ソラコム)の玉川 憲(たまがわ けん)社長の授業に「熱中」したという。「開校当初、玉川さんは起業直後
でした。熱中小学校の教壇に定期的に戻って来るたびに、彼のベンチャー企業が大きく成長していくわけですから、説得力があります」。玉川社長は成長ビジョンやビジネスの信条を生徒たちと共有し、生徒たちは各々の分野からSORACOMの成長を応援するという、生徒と教論の「大人の学校」ならではの不思議な関係ができていたという。「教壇に
立つ側も、専門分野のネットワークから離れて、全くの素人へ解説することで新しい発見
ができるんです」。熱中小学校の教論陣は、ボランティアで教壇に立っている。
ヒトに投資する地方創生
熱中小学校の運営資金の大部分は、内閣府からの地方創生関係交付金と、開校する地方行政からの補助金で成り立っている。「今の日本の大きな問題は東京一極集中。地方が人と仕事を取り戻さないといけない」と、堀田氏は強調する。同氏が用意した総務省資料によ
れば、毎年10万人前後が東京圏へ転入しており、そのほとんどが30代以下だ。「就学や就職で若者が地方から東京圏へ来るけれど、結婚をして子どもを育てる年代になっても、
生活費は高いし、地方に住む親にも頼れないから、なかなか子どもを産めない。それで日
本全体の出生率はどんどん下がるという悪循環になっているんです。若者が地方にとどま
る選択肢を持てる状況にしないといけない」。熱中小学校のプロジェクトは、地方に人的交流を呼び込み、人材、仕事、そして街のにぎわいを取り戻すことを真の使命としている。
「地方経済の活性化と言えば、企業誘致をしたりビルを建てたりという『箱もの』が主流でしたが、私たちが取り組んでいるのはヒトへの投資です」と堀田氏。東京圏と地方、地方間の人的交流を活性化させることで、東京圏に偏りがちな先端技術や起業ノウハウの集積を地方へ送り込み、そこから地方発の新しい創造につなげようというヒト投資だ。
最初に開校した山形県高畠校では、生徒同士の「部活動」として、高畠町内で耕作放棄地
となっていたブドウ畑を再生するプロジェクトが始動している。東京大学農学部研究員の
西岡一洋氏を教諭として迎え、ドローンや各種センサーなど先端技術を駆使しながらのワ
イン用ブドウ栽培が生徒主導で行われている。授業後に生徒と教諭が地元の酒を飲み交わしながら湧き上がったプロジェクトで、地元産ワインの生産が当面の目標だ。「誰かが何かを始めたいとなったら、その分野で経験を持つ人材を送り込むことができるシステムが熱中小学校で出来上がっています。まだ開校から3年で、ビジネスとして成り立つものになるかは未知数ですが、いろいろな芽は出てきています」と、堀田氏は説明する。
シアトル校開校へ向けて
そんな熱中小学校がシアトル校開校に向けて動き出している。堀田氏の友人でシアトル在住の保坂隆太 (ほさか りゅうた)氏が、 堀田氏へシアトル開校を打診したのだ。シアトル校開校に当たって、学校運営を担う非営利団体の立ち上げを進めている。「ハイテク分野で急成長するシアトルで開校するとなると、日本の教論陣や生徒のモチベーションも上がります」と堀田氏。熱中小学校では、一校に入学すると他校での授業も受けることができるシステムがあり、複数の生徒が集まって他地方の熱中小学校へ「修学旅行」をすることもあるという。「東京を飛び越えて、日本の地方とシアトルとで個人同士のネットワークが広がれば、新しい何かが生まれるかもしれません」
堀田氏は今年71歳。現役のビジネス・パーソンとして複数のハイテク企業の顧問や取締役を兼務する中、「熱中小学校が私のライフワークです」と言い切る。「年齢を重ねるほどに、若い人と付き合えるようになるというのが重要なんです」という語り口にはさっぱりとした人柄が感じられ、インタビューをしているうちに、同氏の肩書や年齢をつい忘れてしまう。堀田氏のエネルギーと共に、熱中小学校がシアトルの日系コミュニティーに新しい風を呼び込むかもしれない。シアトル校開校は2019年を予定している。

北は北海道十勝から南は宮崎県小林市まで。今後はシアトル校も!

熱中小学校は日本全国で11校を展開

 

堀田一芙(ほった かずふ)■熱中小学校用務員。1969年慶応義塾大学経済学部卒業後、日本アイ・ビー・エム入社。PC販売事業部長、ソフトウェア事業部長、ゼネラルシステム事業部長など常務取締役として歴任。1976年インディアナ大学MBA取得。2007年に59歳で日本アイ・ビー・エムを退社した後は、多くのハイテク企業で顧問や取締役を務め、現在は内田洋行顧問、サイバネットシステム取締役などを兼務。2011年の震災を機にオフィス・コロボックルを開設して熱中小学校を含む地方創生プロジェクトを支援している。

熱中小学校
山形県高畠町で廃校となった小学校を再利用し、「もう一度7歳の目で世界を」をコンセプトに大人の教育と交流の場として2015年に始動した熱中小学校。現在では日本全国で11校を展開する。教諭陣リクルートなどの本部機能を堀田氏が代表を務めるオフィス・コロボックスが担い、学校運営は各地の非営利団体に委ねられている。校舎は、廃校跡地など使われなくなった建物を改築して使用する。カリキュラムは3年間で修了になる。
www.necchu-shogakkou.com

次ページは、模擬授業に行ってきました!

アイ・ラブ寿司グループ・オーナー社長 横山義久さん

取材・文:室橋美佐
写真提供:I love Sushi

ベルビューで初の寿司専門店を

老舗寿司屋として、日本人からも地元アメリカ人からも長年の人気を誇るアイ・ラブ寿司。ベルビューで最初の寿司専門店として1986年に創業した。「ワシントン湖を渡って美しいベルビューを見た瞬間に、ここだと思った。『俺はこの町でやる』という身震いするほどの直感だった」と話すのは、オーナー社長の横山義久さん。会って話をすれば、すぐにその非凡で、かつ人の心を一瞬でつかむような個性的な人柄が強烈に伝わってくる。

 

料理人の技が光るアイ・ラブ寿司の会席料理が寿司と並び人気を博している。写真はアイ・ラブ寿司会席 ($45)

 

「当時のベルビュー市長のキャリー・ボーズマンさんのオフィスにアポなしで行ってね。15分間という条件で会ってくれました。『I love your city. What can I do for this city? (あなたの市が大好きです。この市のために何ができますか?)』と尋ねたら、『Why donʼt you open a Japanese restaurant? We do not have one yet.( 日本食レストランをオープンしたらどうかい? まだないから)』と返ってきた。『Yes, Sir. I will do it』と言って、すぐに銀行へ資金調達の交渉に行きました」。1981年夏、横山さんはまだ35歳。「開店資金はない」「レストラン経験はない」「仲間もいない」「信用もない」の「ないないずくめ」だった。それでも、当時の東京銀行シアトル支店がなんと10万ドルを貸し付けてくれた。「思い立ったらすぐの性分。奇跡的にお金も工面できて本当に感謝しています」

同年11月には、ベルビュー初の日本食レストランである将軍レストランをMain St.にオープンした。その頃シアトル側では、武士ガーデン、日光レストラン、帝レストランなどの日本食レストランが成功していた。「ベルビューには(日本食レストランへ来るような)客はいないよ」と多くの人から言われたが、オープンできたことはうれしく、悩んでいる暇などなかったと横山さんは当時を振り返る。ロサンゼルスから友人シェフたちを呼び寄せ、試行錯誤の中で挑戦した。

転機は3年後にやって来た。23歳の日本人寿司職人が将軍レストランに入ってくれたのだ。彼が握る寿司は瞬く間に大人気になった。現在はKIKU寿司のオーナー・シェフである佐藤 忠(ただし)さんのことだ。間もなく、ベルビュー初の寿司専門店のオープンに至る。「佐藤さんは何よりも寿司を愛する職人。それでアイ・ラブ寿司。ほとんどの日本人にはそんな名前はおかしいと言われたけれど、アメリカ人は気に入ってくれたよ」と、横山さん。新規開業のために、将軍レストランは売却した。「すき焼き、天ぷらも出さない寿司専門店であればベルビュー市内に店をオープンしてもかまわないと、将軍レストランの新オーナーに許可をもらいました。おそらく当時、寿司専門店が成功するとは思ってなかったんだろうね。でも、僕は、これからは絶対に寿司の時代だってわかってました」

強い思いを実現してきた半生

横山さんは現在、アイ・ラブ寿司のほかに、シアトルの名店であるしろう寿司、サンフランシスコの高級寿司会席専門店のKUSAKABEを経営する。レストラン以外にも教育や医療機器分野で成功を収めている。横山さんのそのエネルギーは、どこから生まれているのだろうか。

親族は医者ばかりという環境に育ち、子どもの頃は自分も立派な医者になろうと懸命に勉強をしたと話す横山さん。「だけど高校生の頃から急に成績が落ち始めてね。ストレスだよ。神経性大腸炎で食も細くなって医者に通う毎日。ある日、医者からもらった大量の薬を『もう嫌だ!』って、小金井病院の近くの川に投げ捨てたわけ。それで町を徘徊していたら、ある和尚さんに救われた」

憔悴し切った気持ちで通りかかった国分寺にある寺の住職に「どうしたの?」と話しかけられ、いろいろと気持ちを打ち明けているうちに、すーっと気が楽になった。寺へ招き入れられた横山さんは、他の修行僧と一緒に境内の掃除や畑仕事などをした。「一汁三菜の精進料理をご馳走になって、昼間はよく体を動かして。そうしたら、寺へ来てから2日目の朝、目を覚ますと、ものすごいエネルギーが体の中から自然に湧いていたんだよ。今まで経験したことがなかった強くて快いエネルギーでね」。横山さんは、「家へ帰ります」と住職に伝えて帰宅。両親の前で、「私は医者にはなりません。自分の道を行きます」と宣言した。

その後の横山さんの人生は、その湧き出るエネルギーに押されるように大きく動いていく。原動力は「この人に会いたい」という「人」に対する興味だ。戦後初の国産旅客機YS-11製造の中心的役割をした木村秀政教授の本に感動し、同教授が教壇に立つ日本大学理工学部機械工学科航空専修コースに入学した。卒業前の1968年に学生紛争が燃え盛り、大学へ行けない期間、石油ビジネスで大富豪になったジャン・ポール・ゲティの本を読んで感銘を受け、ゲティ・オイルカンパニーと提携していた三菱石油(本社)に乗り込む。「三菱石油で働けばゲティに会えると思った。とはいえ、採用は超一流大学からばかりの企業。虎ノ門にあった同社本社ビルへ通い詰めて、4日目にやっと潤滑油部門部長の目に留まった。熱意を思うがままに伝えたら一発採用だったよ」

入社後はセールス・エンジニアとして、愉快に、楽しく、思い切って頑張った。しかし、入社から5年後に退社して単身アメリカへ渡ることになる。当時、よく遊びに行っていた神戸の六甲山ホテルのラウンジで出会ったギリシア船の船長から「君は海外へ出たほうがいい」と投げかけられた言葉がきっかけだった。同僚や上司、得意先の社長、仕事外で世話になった事業主など大勢の協力者から当時ではビックリの約250万円のカンパを受けてロサンゼルスへ渡った。1973年、横山さん27歳の旅立ちだった。

ロサンゼルスでは英語学校へ通い、そこでもまたドラマが起きる。「授業料は当時で月120ドルと、すごく高かった。ところが、英語教師が生徒に新聞を読ませ、自分は授業中に居眠りしてるんだよ。僕はその先生をたたき起こした」。文句を言う横山さんへ、その英語教師から意外な答えが返ってきた。「ポケットから100ドルのチェックを取り出して、『自分は2週間でこれだけしかもらってない。だから3つも仕事を掛け持ちしていて疲れてるんだ』って逆に不満をぶつけられた」。先生は横山さんより3歳年上のユダヤ系アメリカ人。授業後に英語学校の前のバーへ飲みに行き、「一緒に英語学校をつくろう」と全く金もないふたりで意気投合した。

それから横山さんはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)近くのビジネス専門学校、ソーヤー・スクール内で留学生向けの英語塾を始める。3年後の1976年には、日本へ帰国して米国情報協力センターを創業した。開校資金を借り入れようと、日本政財界の重鎮へも直談判しに行った。そのうちのひとりはなんと、パナソニック創業者の松下幸之助氏。「幸之助さんだけは(他の実業家とは)違っていた。僕がこんな調子で話すのをじっと聞いて、その最後に『私は若い人の話を聞くのが大好きです。いつも学ばせていただいています。ありがとうございました』と丁寧にお礼を言われてしまった。魂を吸い取られたような感じで、資金を出して欲しいと言い出せなくなっちゃったね」

さまざまなエピソードからは、「こうしたい」と思うことを是が非でも実現するために走り続けてきた横山さんの半生が浮かび上がる。「思いは実現する。まずは、思わないといけない。人間だけに与えられた、素晴らしい想像力と意志があるんだから」と語る横山さんの言葉は、ずっしりと説得力を持つ。

「日本人ここにあり」精神を若い世代へ伝えたい

「世界に関心を持ち、大きな志と素直な心で、伸び伸び生きる、日本の若者を育てる」。これは米国情報協力センターを前身とするエディクム社のミッションで、横山さんが常に心に思っていることのひとつだという。横山さんが1989年に知り合ってから師匠として敬う『人生を成功させる7つの秘訣』著者で経営コンサルタントのスティーヴン・コーヴィー博士の言葉を借りて、「多くの若い人に世界のあらゆる場所で『Transition Person(流れを変える人)』になって欲しい」と話す横山さん。「先人が積み上げてきたものを引き継ぐことも大事。でも、そこから改善点を探して変化を起こさないといけない。それは勇気がいることです。私の体験からして、その勇気は時として自分よがりになったり、相手を落胆させたり、怒らせたり、相互に痛みを伴うことも多々ありました。だけど、その痛みも乗り越えて、変革を起こさないといけない」

川崎さん(左)と横山さん(右)の出会いは、ハワイにあるタイムシェア・ホテルのメンバー・ラウンジだった。横山さんが、川崎さんと9歳になる娘さんの会話をそばで聞いていて、その愛情と信頼にあふれる内容に感動をして声をかけたそう

アイ・ラブ寿司は今年5月に新副社長を日本から迎えた。兵庫県に7店舗の調剤薬局と北海道札幌市に2店舗の日本食レストランを経営する川崎博之さんだ。今年48歳の川崎さんは、横山さんの24歳年下で、同じ戌年。上品な関西弁を話す落ち着いた雰囲気の川崎さんを、「僕とは正反対のエネルギーの種類と出し方を持つ人物。だけど、価値観で一致している」と横山さんは紹介する。その価値観とは、人との相乗効果(シナジー)を大事にする点だという。夫婦、家族、ビジネスチーム、あらゆる人間関係で「相乗効果をいかに発揮するか」を人生のテーマとする横山さんが、川崎さんを後継者として迎えた理由でもある。川崎さんもまた、「社長(横山さん)の『日本人ここにあり』の精神を引き継ぎながら、新しいものを取り入れて、ここからさらに100年続いていく会社にしていきたい」と意気込む。今後のアイ・ラブ寿司グループの展開が期待される。

毎日午後5時から6時半まで15食限定で販売している一汁三菜料理($30、要前日予約)。
体にやさしいメニューとして、健康と美容を意識するシニアにおすすめ(写真:Nelson Lau)

「私は思いが強い人間です。その思いに従って動く。だから周りの人たちは大変ですよね。苦労もかけました」と語る横山さん。話の随所で、かつて世話になった人物、一緒に働いた人物の名前を思い出しながら、「あの人には大変世話になった」「あの料理人は本当に素晴らしかった」と回想する。実に、シアトルのレストランでオーナー・シェフやヘッド・シェフとして活躍する日本人の多くがアイ・ラブ寿司で働いた経験を持つ。「日本には資源がないと言われるけれど、日本料理と日本人料理人こそが世界が欲しがる日本の資源。おいしいものを食べることは幸せの原点。素晴らしい日本の食文化を通して、たくさんの日本人が世界で活躍していける場を作りたい」と語る横山さんの思いは、世代を超えてシアトル日系コミュニティーにも根を下ろしていきそうだ。

アイ・ラブ寿司では、熱意と誠意をもって日本料理を世界へ届ける仕事に関わりたい人材を募集している。「挑戦者はアイ・ラブ寿司の扉を叩いて欲しい」と横山さん。

 

横山義久(よこやまよしひさ)■1946年に仙台で医者の三男として生まれ、中学から東京府中市で育つ。日本大学理工学部卒業後、大手石油会社に勤務。1973年から1976 年までロサンゼルスに滞在後、その経験を生かして1976年に東京で留学サポート会社、米国情報協力センター(現・エディクム)を創設する。1981年、妻の恵子さんとシア トルに移住。同年11月に「将軍レストラン」を、1986年に「アイ・ラブ寿司」をオープンする。1989年には、カリフォルニア州アーバインを拠点に東洋医療機器を販売する NIKKEN INC.の社外ビジネス・パートナーとしてグローバル販売ネットワークを構築する。有名寿司シェフである加柴司郎(かしばしろう)氏が1994年に創業した「しろう寿司」の経営を2007年から担う。2014年、サンフランシスコに寿司会席専門店「KUSAKABE」もオープン。

I Love Sushi on Lake Bellevue
23 Lake Bellevue Dr., Bellevue, WA 98005
営業時間:11:30am ~ 2pm、5pm ~ 9:30pm(金土10pm 閉店)
☎ 425-455-9090
ウェブサイト
 

変わるベルビュー ~ ベルビュー市シティー・マネジャーにインタビュー

変わるベルビュー

ブラッド・ミヤケ氏は、市長と市議会議員からの任命を受けて市行政を取り仕切る、ベルビュー市の日系アメリカ人シティー・マネジャー。ベルビューがこれからどう変わっていくのか、話を聞きました。(取材・文 室橋美佐)

2023年のライトレール開通に向けて、駅や鉄橋の建設工事があちこちで見られるようになったベルビュー市。シアトル都市圏のベットタウンとして1953年に誕生した同市は、1980年代からダウンタウン商業地区の開発が進み、州内でシアトルに次ぐ中心都市に成長した。

「ベルビュー市は、ここ数十年で急激に『都会』としての側面を持つようになりました」と、ブラッド・ミヤケ氏は話す。「1990年の時点では人口の約85%が白人住民という、典型的なアメリカ郊外都市の人口構成でしたが、現在では半数以上がアジア系を中心とする非白人住民で、また約37%がアメリカ国外出身です」と、ベルビュー市がダイバーシティに富み、国際色豊かな都会へ変化していることを語る。「リンク・ライト・レールが通れば、ダウンタウンの様相はさらに変わるでしょう」

高層オフィス・ビルやコンドミニアムなど次々と開発が進んでいるダウンタウンに続いて、次の10年では、リンク・ライト・レールがマイクロソフト・キャンパスへ向かう途中にあるベルレッド地区の開発が計画されているという。

ダウンタウン・パークの拡張工事で2017年6月に新しくオープンした「インスピレーション・プレイグラウンド」。夏場には一角がスプレー・パークとなる。プレイグラウンド工事には、住民団体が約500万ドルの募金を集めた

「シティー・イン・ア・パーク」のビジョンを長年掲げてきたベルビュー市は、公園、森林・水辺区域、ハイキング・トレイルなどの拡充に力を入れており、約100の市営公園がある。ダウンタウン・パークの拡張も済み、ベルビュー・スクエア付近からオールド・ベルビューまで、公園の歩道でつながった。「イノベーション・トライアングルという、ハイテク分野の雇用をイーストサイド地域に確保するためのパートナーシップを、ベルビュー市、レドモンド市、カークランド市で結んでいます。誘致競争ではなく、近隣の市と協力して、グローバル企業や優良スタートアップ企業の確保・誘致・育成ができるよう動いています」と、ミヤケ氏。快適な住環境と雇用機会を求めて富裕層が集まるベルビュー市は世帯所得中間値が約10万ドルと、アメリカ国内中間値の5.5万ドルのほぼ2倍だ。

一方で、増える人口と雇用による不動産価格の高騰、交通渋滞など、市にとっての課題も少なくない。多様なバックグラウンドを持つ住民に対応するため「歓迎する体制」を整えており、多言語での窓口対応やカルチャー・イベント開催も積極的に行っている。市の統計によれば、ベルビュー市内の42%の住民が自宅で英語以外の言語を話し、ベルビュー学区に通う子どもたちが英語以外で話す言語は94種類にも上るという。

交通渋滞については、約550万ドルを投じて、SCATSと呼ばれるハイテク信号機システムを2010年から2016年にかけて市内の全信号機に導入した。車に頼らずに移動できるよう、リンク・ライト・レールやバスなど公共交通機関へのアクセス、歩道・自転車道を整備している。「ベルビューは高所得者層エリアと考えられがちですが、ホームレス家庭や、無償の学校ランチ・プログラムを必要としている子どもの数も多いのが現状。そうした低所得家庭の子どもたちのサポートも欠かせない部分です」と、最後に締めくくった。

ブラッド・ミヤケ(Brad Miyake)■日系3世としてシアトルで生まれ育つ。父方家系は広島、母方家系は長野出身。ワシントンン大学のビジネス・スクールを卒業後、キング郡勤務を経てベルビュー市役所へ。2006年から副シティー・マネジャーを務め、2014年から現職。

 

???ベルビューにまつわるトリビア???

「人口の約半分が外国人!?」
ベルビュー市の2016年時点の人口は約14万人。人口は1990年の約8.6万人から右肩上がりに増え続け、特にダウンタウン内の人口は、2010年には約7,000人だったが2016年には約1万4,000人となり、倍増している。人口の半分を占める非白人住民のうち、3分の1がインド系、3分の1が中華系、11%が韓国系、6%が日系だ。

「ファクトリアにウサギ缶詰工場!?」
戦前は日系移民農家が営むイチゴ畑が広がっていたベルビュー。現在
のファクトリア周辺にはウサギの毛皮や食用缶詰工場があった。ワシ
ントン湖を東西に渡る浮橋(現在のI-90ブリッジ)が1940年に建設されてから、ベッドタウンとして人口が増え始める。1941年から1945年までの日系移民強制収容で、立ち退いた土地を開発業者が安く転用できたことも都市の成長につながった事実もある。

 

気になるリンク・ライト・レール

リンク・ライト・レールのイーストサイド拡張で新設される10駅のうち、6駅がベルビュー市内に建設される。昨年から本格的な工事が見られるようになり、道路が通行止めになるなど不便を感じることも。サウンド・トランジットによれば、2022年には工事は完了し、同年後半には試運転を開始するという。イースト・リンク・エクステンション情報

ウィルバートン
116th Ave. NE.とNE. 8th St.が交差するホールフーズ裏側に建設。駅からオーバー・レイク・ホスピタルへの歩道も整備される予定。

スプリング・ディストリクト/120th
スプリング・ディストリクト再開発エリア内に建設される。駅周辺には、REI本社オフィスが入居予定のオフィス・ビル、グローバル・イノベーション・エクスチェンジの大学院キャンパス、アパート、店舗などが集まる計画。

ベルレッド/130th
Bel Red Rd.とSR 520に挟まれるベルレッド区画内の中心に建設される路面駅。

ベルビュー・ダウンタウン
ベルビュー市役所ビル横に2023年オープン予定。マイクロソフト・キャンパスがあるレドモンド・テクノロジー駅まで約10分、ワシントン大学駅まで約30分、シータック国際空港駅まで約1時間の乗車時間が見込まれている。

サウス・ベルビュー
現在のサウス・ベルビュー・パーク&ライドがある場所に、1,500台の駐車スペースとバスのトランジット・センターを含む大型の駅が建設される。

イースト・メイン
112th Ave. SE. とMain St.の交差点の路面上に建設。

 

国際離婚で弱者に立つ外国人妻について、山田総領事がシアトル・タイムズへ寄稿

おはようございます!北米報知社マネジャーの室橋です。

先週末、4月20日(金)から22日(日)にかけて、シアトル・センターで第43回シアトル桜祭(Seattle Cherry Blossom & Japanese Cultural Festival)が開催されました。ソイソースの姉妹紙「The North American Post」も、イベントの公式ペーパーとして会場内で配布されました! シアトル桜祭は、1976年に三木武夫元総理大臣が日米友好の為にシアトルへ1000本の桜の木を寄贈したことに始まったイベントで、シアトルの外国カルチャーイベントの中で最長の歴史を持ちます。

さて、桜祭開催の前日、4月19日のシアトル・タイムズに、目を引くOp-Edが!!

Op-Edとは、「opposite the editorial page(社説の反対側)」の略で、新聞発行元の記者ではない社外の著名人が、意見や見解を著したもの。 社説の反対側に掲載されることから、このOp-Edと呼ばれています。

Op-Edの筆者は、在シアトル日本国総領事の山田洋一郎(やまだ・よういちろう)氏。昨年2017年6月にブリュッセルの在ベルギー日本国大使館からシアトルへ赴任されてから、領事主催のレセプションなどで挨拶させていただく機会も多いのですが、とてもフレンドリーで穏やかな雰囲気をお持ちの方です。一方で、多様な地元のイベントに参加されたり、領事公邸でAIイノベーション・ミートアップなどのイベントの一部をホストされるなど、新しい取り組みも積極的に行われています。

そんな山田領事のOp-Edのタイトルは、「Protect victimized, vulnerable, voiceless immigrant wives」。直訳すれば、「虐待された、弱者にある、声に上げない移民妻を守れ」という表題。

アメリカ人男性と結婚した外国人妻が国際離婚に至った場合に置かれる弱い立場について、サポートが必要だと提言する内容になっています。「アメリカ人男性と離婚をする日本人女性が、言葉・文化の壁から社会から孤立し、またアメリカでの法律・裁判の流れなどの知識がないままに、男性側に有利な状況で離婚裁判を強いられる」、そんなリーガル・ケースが非常に多いことを、山田領事自身もシアトルへ赴任してから初めて知って驚いたそうです。この問題を知ってから、ワシントン州議員などへ補助・サポートの必要性を訴えているとのこと。そんな中での今回のOp-Edです。

山田総領事の記事の詳しい内容は、ぜひシアトル・タイムズの記事を読んでください:https://www.seattletimes.com/opinion/protect-victimized-vulnerable-voiceless-immigrant-wives/

私自身、国際結婚をしてシアトルで生活するなかで、「外国人」として生活し、仕事をし、育児をし、近所・親族付き合いをし、そして結婚生活を送る大変さを身に染みて感じることは多々あります。日本人の友人のなかには、国際離婚後に、家族のサポートが得られて仕事も探しやすい日本へ子供たちを連れて帰国したいものの、共同親権のために日本へは帰れず、なんとか仕事と育児を両立しながら頑張っている人もみられます。もちろん、虐待などの問題がない限り、子供たちと父親の関係は大切ですし、母親の親権が強い立場になりやすい日本の状況よりもワシントン州の法体制の方が理には適っていると私は思います。しかし、山田領事が提言される通り、法的な弱者に立つ外国人妻への何かしらのサポートは、確かに必要!!

幸い、シアトル在住の私の周りの日本人女性は、国際離婚に至るケースでも、しかるべき弁護士を立てて正当な権利を確保しているケースが多いです。シアトル近郊に住んでいれば、日本人コミュニティー内のつながりも持ちやすく、日本人弁護士を含む様々な日本語サービスへのアクセスが容易ですしね:)しかし、ワシントン州内の遠隔地に住んでらっしゃる場合など、本当に社会から孤立して非常につらいケースに陥る可能性も高いのだろうと思います。

今回の山田総領事のOp-Ed寄稿を機に、国際離婚に際しての外国人妻に対するリーガル・アブユーズの問題がもっと一般的に認知され、何かしらのサポート体制の確立に進むと良いですね!

実は、何ともタイムリーなことに、ソイソースでは5月に「国際離婚」を特集。山田領事のインタビューも別号で企画中です。毎月第2、第4金曜日発行の「ソイソース」を、宇和島屋他日系店舗でぜひ手に取ってご覧ください!

ランドスケープ・アーキテクト 鈴木マキエさん

 

 

都市空間をデザインするランドスケープ・アーキテクトとして、シアトルを拠点に世界で活躍する鈴木マキエさんに、仕事に就くきっかけや最近のプロジェクトなどについて話を聞きました。

取材・文:室橋美佐 

 

天職との出合い

「ランドスケープ・アーキテクトって、『そんな仕事があるんだ』って発見してから就く職業なんですよね」。そう語るのは、グスタフソン・ガスリー・ニコル(以下GGN)でシニア・アソシエイトを務める鈴木マキエさんだ。建築物をデザインする一般的なアーキテクトに対して、屋外空間をデザインするのがランドスケープ・アーキテクト。そのスケールは庭園設計の域に収まらず、複合ビル施設の公共空間、そして街・地域全体の景観にまで広がる。「それぞれの場所が持つ歴史と文化、起伏や河川などの地形、天候、生態系、そして完成後にその場所を使う人々のライフスタイル、あらゆる側面を考察するところからプロジェクトが始まります」

マキエさんがランドスケープ・アーキテクトのキャリアへ近づき始めたのは、大学卒業の頃。2000年、オレゴン州セーラムにあるウィラメット大学で社会学とスタジオ・アートを専攻していたマキエさんは、非営利団体のポートランド・インスティテュート・フォー・コンテンポラリー・アート(以下PICA)でインターンシップをした。PICAは当時、ポートラ ンドのダウンタウン北部に位置するパール・ディストリクトで、アートを活用したコミュニティー再活性化プロジェクトを進めていた。PICAのサポートで少しずつオシャレなギャラリーやカフェが並ぶようになり、荒廃した倉庫街に過ぎなかったパール・ディストリクトが、ついにはアートの街として再生を果たす。その変化を目の当たりにしたマキエさんは、空間デザインで人々の生活をより豊かにしていく仕事に興味を抱いた。大学で写真や陶芸などアートに親しんでいた一方で、社会問題や環境問題にも関心を持ち続けていたマキエさんに、ふっと天職につながる出合いが舞い降りたのだ。

「ブロック・ハウス」プロジェクトを始めたレックス・ホールバイン氏と(写真:Gustafson Guthrie Nichol)

大学卒業後はサンフランシスコへ移り、公園を利用して街のコミュニティーを活性化する非営利団体に勤務した。「シティー・プランナー(都市計画家)になろうと思って大学院進学を考えたときに、たまたまキャリア・イベントでランドスケープ・アーキテクトという仕事を知ったんです。プロジェクトごとに結果が出るランドスケープ・アーキテクトのほうが自分に向いていると思いました」。2006年に、ワシントン大学でランドスケープ・アーキテクチャー修士を取得。大手ランドスケープ・アーキテクト事務所勤務や大学での教職を経て、2012年からGGNで働く。「さまざまなプロジェクトに携われるので、飽きることがありません。新しいプロジェクトではこれまでの知識や経験をリセットし、全て一からの作業。究められないからこそ、楽しいんです」

街に溶け込む深みのある空間をつくりたい

これまで、シドニーのバランガルーからヨルダンの死海沿岸まで、多様な開発プロジェクトに関わってきたマキエさん。直近のプロジェクトは、シアトル・ダウンタウンでのレニア・スクエア建設だ。ワシントン大学が所有する一画が、既存のレニア・タワーだけを残して再開発される。レニア・タワーは、University St.に面した、下部が逆三角形の特徴的なビル。シアトル出身の日系2世でニューヨーク世界貿易センタービル設計者としても有名なヤマサキ・ミノル氏のデザインで、1977年に建設された。そのタワーの横に、オフィス、マンション、ホテル、店舗スペースを含む58階建ての複合ビルがレニア・スクエアとして2020年に完成予定だ。オフィス・スペースはアマゾンのリースが決まっている。建物の設計はシアトル拠点のNBBJが請けているが、屋外スペースはGGNが設計デザインをしていて、マキエさんがプロジェクト・マネジャーを務める。

シアトルのレニア・スクエアに新ビル登場!(イメージ:Wright Runstad & Company)

「レニア・スクエア周辺は、レニア・タワーも含めて、いろいろな時代のアーキテクトが生み出してきた作品が集中しているエリア。一般の人もアクセスできるデッキスペースやホテルの屋上から、そんな街の歴史を見渡す都会ならではの景色を楽しめる空間にしたい」と、プロジェクトのビジョンを語るマキエさん。「街の風景の中に溶け込みつつ、歴史、自然、アート、使い心地、何重ものレイヤーが重なる深みのある空間をつくっていくのが面白いんです」と、ランドスケープ・アーキテクトとしての醍醐味を教えてくれた。

GGNが非営利プロジェクトとして携わっている「ブロック・ハウス」も興味深い。それは、一般家庭の裏庭に小さな家を建てて、ホームレスへ提供するというものだ。シアトル出身アーキテクトのレックス・ホールバイン氏が、ホームレスネス撲滅と路上生活者への偏見を拭おうと2017年から始めた活動で、GGNを含む多くの地元企業が協力をしている。

「6畳ほどの小さな家ながら、屋上の太陽光パネルで電源を確保し、貯水した雨水を使うシャワー室、下水を使わずに汚物を処理するバイオトイレ、小さなキッチンと就寝スペースを備えた『ブロック・ハウス』は、環境に優しい家屋という面でも画期的です」と、マキエさんは説明する。路上生活者はそこに暮らし、裏庭スペースを提供する家庭や近隣コミュニティーと接しながら社会復帰を目指すことができる。アメリカでは、多くの都市で一戸建て住宅区での矮小住宅の増築が禁じられているのだが、その規制をシアトル市が数年前から緩和し始めたこともプロジェクトの実現につながった。ホームレス・シェルターとは全く異なる新しいアプローチとして注目される。マキエさんは、「こうした社会貢献につながるプロジェクトにこれからもっと参加できれば」と話す。

ひとりではできない、 多くの人が関わる街づくり

ダウンタウンではお気に入りの折り畳み自転車で移動するマキエさ ん。「シアトルの起伏ある街並みが好き」だという(写真:Gustafson Guthrie Nichol)

ランドスケープ・アーキテクトの仕事は、建設地の地形や社会的バックグラウンドを調べるサイト・アナリシス、デザイン・リードが出す大きなビジョンを具体的なデザインに落とし込むデザイン・スタディ、そしてデザインを図面やパース(完成予想図)にして委託者・工事業者など関係者へ伝えていくプロダクションと呼ばれる工程に大まかに分かれるのだという。「決して一本線のプロセスではないです。プロダクションでパースにすることが自分たちへのフィードバックになるので、見直してデザイン・スタディに戻るなど、試行錯誤を重ねながら進んでいきます」。工程ごとに担当者を固定する事務所もあるが、GGNでは各プロジェクトで3名から5名ほどのチームを組み、メンバー全員が全工程に関わりながらプロジェクトを進める。「人によって得手不得手があって、ひとつのことがすごく上手な人もいれば、何かに飛びぬけて長けているわけではないけれど全体的にそつなくこなせる人もいます。なので、プロジェクトやチームメンバーの構成によって誰が何をするのかも柔軟に変えていきます」と、マキエさん。最近ではプロジェクト・マネジャーとしてチームのまとめ役をすることが多い。「決してひとりでできる仕事ではなくて、いつでも協力が大事。社内のチームもそうですし、何かプロジェクトが立ち上がれば、そこに不動産業者、構造エンジニア、工事現場に立つ人たち、いろいろな人たちが関わります。そして最終的には、施設を使う人たちが、街をつくっていく大きなチームの一部になってプロジェクトを完成させていく。誰もかかせない。これからも、その大きなチームの一部として、いいものをつくり続けていきたいですね」

マキエさんの出身地は名古屋。「逆上がりができるようになるまで家に帰らず母を心配させたこともあります」と、負けず嫌いだった子ども時代を振り返る。高校生の頃から海外へ出て「大きな世界で学びたい」と考えるようになり、 一度は日本の大学に入学するも3年生のときにウィラメッ ト大学へ編入した。天職を手にして、多忙ながらも生き生 きと活躍するマキエさん。休暇があればアウトドアを楽し む。「自然に恵まれたシアトルでは、ピュージェット湾のき れいな海岸部からレニア山など山岳地帯、そして東へ行け ば壮大な砂漠地帯の風景まで楽しめます」と、仕事以外でも探求心は尽きない。これから機会があれば、日本でのプロジェクトにも参加していきたいという。「ランドスケープ・アーキテクトという仕事は、建築家と比べ一般的に認知度が低い職業。特に日本ではアメリカと比べてまだまだ確立されていない分野だと思います。この仕事についてもっといろいろな人に知ってもらえたらうれしいです」。常に新しい発見を追うマキエさんの世界は、まだまだ広がりを見せそうだ。

鈴木マキエ■ランドスケープ・アーキテクト。ワシントン大学でランドスケープ・アーキテクチャー修士を取得後、ササキ・アソシエイツやバージニア大学で働き、2012年からグスタフソン・ガスリー・ニコルで勤務。これまで関わったプロジェクトは、ブラウン大学リサーチセンターのキャンパス・デザインや、ヨルダンの死海沿岸部マスター・プランなど。

 

グスタフソン・ガスリー・ニコル社┃Gustafson Guthrie Nichol
国際的な賞にも輝く、世界の開発プロジェクトをリードするランドスケープアーキテクト集団。女性ランドスケープアーキテクトのジェニファー・ガスリーさん、シャノン・ニコールさん、キャサリン・グスタフソンさんが1999年にシアトルで創立。ワシントンD.C.とシアトルのスタジオを拠点に、世界の各都市でプロジェクトを請ける。2017年にはナショナル・ランドスケープ・アーキテクチャー・ファーム・アワード受賞。代表作品は、ワシントンD.C.シティーセンターや、国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館など。マキエさん以外にも、日本人ランドスケープ・デザイナーのドノバン篠原千尋さんと堤雄一郎さんが活躍する。(写真:Gustafson Guthrie Nichol)
 

ベルビューで スプリング・ディストリクトが完成間近

ベルビューの再開発地区、スプリング・ディストリクトのイメージ。このマスター・プランもGGNが手がける。(イメージ:Gustafson Guthrie Nichol)

マキエさんは、地区内に開校した大学院、グローバル・イノベーション・ エクスチェンジ(GIX)のキャンパス・プラザ設計を中心に携 わった。GIXは、マイクロソフト社出資の元でワシントン大学と北京にある清華大学が共同運営するテクノロジー分野専門の大学院として注目されている(写真:Gustafson Guthrie Nichol)

インターリム・コミュニティー開発機構 レスリー・モリシタさん

インターナショナル・ディストリクトの非営利団体、インターリム・コミュニティー開発機構(以下、インターリム)で低所得者向け住宅の不動産開発を担うレスリー・モリシタさんに、再開発により同地区が直面する人口移動問題などについて話を聞きました。

取材:ブルース・ラトリッジ 文:室橋美佐

再開発の波にのまれるコミュニティー

ハイテク企業が集まり、経済も人口も急成長するシアトル。不動産価格は上昇を続け、シアトル地域の一世帯住宅価格における年間上昇率は13.2%(2017年)で全米一となっている。しかし、急成長ゆえの都市問題も浮かび上がる。そのひとつが、ジェントリフィケーション(Gentrification)だ。

ジェントリフィケーションとは、都市部の再開発と地価高騰で、店舗や住民が立ち退きを余儀なくされ、そこにあったコミュニティーや文化が失われる現象のこと。富裕層が流入して低所得者層が押し出されるケースが多く、ディスプレイスメント(Displacement)とも呼ばれ、2000年前後から都市部の再開発が活発化してきたアメリカの多くの都市で 問題視されている。80年代バブル期の日本でも、オフィス開発や高層マンション建設による地価高騰で、都内の下町コミュニティーが崩壊する現象が問題になった。しかし、80年代当時の日本と様相が違うのは、そこに激しい貧富格差や人種・民族問題も絡んでくることだ。

「ここインターナショナル・ディストリクトは、アジア系住民とアフリカ系住民が居住を許されていた地区でした。隣のセントラル・ディストリクトもそうです」と、レスリーさん。60年代の公民権運動以前まで存在していたレッドライニング(Redlining)と呼ばれる非白人住民を一部の区画に押し込める市条例や不動産慣習などで、非白人住民は歴史的に同地区で生活してきた。戦前に日本町を形成した日系移民たちもそうだ。現在でも、インターナショナル・ディストリクト住民の多くがアジア系を中心とする非白人層。低所得高齢者や、近年になって東南アジアなどから移民・難民としてやってきた家族が、安価な賃貸アパートに住んでいる。家族経営の小さな店舗も軒を連ねる。古いビルの中にある安アパートや小さな貸店舗の存在が、そうしたインターナショナル・ディストリクトのコミュニティーをつくってきた。しかし、近年のシアトル市内の再開発ブームと地価高騰の波はインターナショナル・ディストリクトにまでも押し寄せており、コミュニティーの住民や店舗経営者などはディスプレイスメントへの不安を募らせている。

インターナショナル・ディストリクトでのMHA制定を決議する市議会 と、そこで意見陳述をするレスリーさん。「移住直後で生活基盤が乏しいマ イノリティー移民を受け入れ続けてきたのがインターナショナル・ディストリクトです」と、地区の歴史と文化への理解を市議へ訴えた

 

シアトル市の住宅政策は十分か

シアトル市は、住宅価格高騰に対応するために、2016年からMHA(Mandatory Housing Affordability)条例をサウス・レイク・ユニオンやユニバーシティー・ディストリクトなど各地区で定めている。MHAは、新規住宅開発について全戸数の一定割合以上の低所得者向け住宅設置を義務付ける条例だ。低所得者向け住宅の確保が目的だが、一方で、条件を満たせばマンション開発の高さ制限を緩めて開発事業主の利得を確保する側面もあり、それによって住宅供給を促進する狙いもある。

インターナショナル・ディストリクトでも2017年8月にMHAが制定され、インターリムは制定前に市議会と住民の間に立って、同地区におけるMHAの具体的な内容の交渉を行った。「住民や店舗経営者たちのところへスタッフが出向いて、意見を聞き取りしました。誰もがディスプレイスメントを危惧していて、MHAの制定がその解決につながるとは考えていませんでした」

レスリーさんは、ひとつの例を挙げた。「かつて移民労働者向けホテルだった古い建物が新しい所有者へ売却されたんです。近年は安アパートとして使われていた上階には、低所得高齢者たちが住んでいました。賃貸料は月200ドルほどのとても安いもの。住居としては粗悪な状態でも、その建物は彼らの長年の住まいでした」。売却後、建物の修繕工事と賃料値上げで住人は退去を余儀なくされ、住み慣れたインターナショナル・ディストリクトから離れることになった。

「インターリムの住居担当スタッフが、彼らの新居探しをサポートしました。売却された建物は歴史保護区画内にあるので、MHAの対象ではありません。それでも、ディスプレイスメントは起こりました。市内の急激な地価高騰で、(古いビルが取り壊されることのない)歴史保護区画内でも、店舗や賃貸アパートの賃料がどんどん上がっています」と、レスリーさんは訴える。

 

コミュニティーの代弁者に

「パナマ・ホテルの横にある駐車場の土地が売りに出されました。インターリムは(そこに低所得者向け住宅を開発するため)土地を買収しようとしましたが、失敗に終わりました。開発ブームの中で、とにかく(土地購入の)競争が激化しています」。その土地を落札した開発業者は、高層ホテルを建設する予定だという。「これから次々に起ころうとしている街の変化を考えると頭が爆発しそう」と、レスリーさんは不安を隠さない。

それでも、歴史保護区画にある日本町やチャイナタウンの古い建物は、市条例で取り壊しが制限されている。一方で、ベトナム系移民が経営するレストランや小店舗が集まるリトル・サイゴン周辺は、多くの建物が高層ビルに再開発される可能性が高い。「リトル・サイゴンは、地区の東側(日本町やチャイナタウン周辺)に比べると歴史的な建物は少なく、古い街並みが残っているわけではありません。しかし、とても貴重な(ベトナム系移民の)歴史と文化があるんです」。再開発が押し寄せて店舗賃貸料が高騰すれば、リトル・サイゴンが瞬く間に失われる可能性がある。「小店舗の経営者たちは日々の営業に精一杯で、興味がないわけではないけれど、とにかく忙しくてコミュニティーの問題に取り組む時間がないんです」。インターリムは、そうした人々の声になる役割を担っている。

アンクル・ボブの精神とインターリムの活動

インターリムが創立されたのは1969年。1965年にI-5 建設でインターナショナル・ディストリクトが分断され、1968年には現在のセーフコ・フィールド周辺にキングドーム・スタジアム建設が決定したことで、インターナショナル・ディストリクト存続への危惧が高まっていた時期だ。アジア系移民2世の若者たちが、それまで日系、中華系、フィリピン系と別れていた民族グループを「アジアン・アメリカン」としてまとめることで市政への発言力を高め、キングドーム反対運動を展開した。その運動の中心になった若者たちがインターナショナル・ディストリクトの保護と発展を目的に集まったのがインターリムだ。

「インターリムのルーツは、コミュニティーをまとめることにあります。この地区の歴史を築いてきた人々が、安心して暮らし続けられるようにしなくてはなりません」と、レスリーさん。「アンクル・ボブは(一昨年に)亡くなりましたが、最近の状況の中で、創立当時の精神をスタッフの間でも話す機会が増えました」。アンクル・ボブとは、インターリム創立メンバーのひとり、ボブ・サントス氏のことだ。フィリピン系アメリカ人のサントス氏は、キングドーム反対運動のリーダー的存在だった。スタジアム建設がインターナショナル・ディストリクトへ与える悪影響を抑えるための地区保護条例を市に求める活動など、コミュニティーの声をまとめてきた。その後もインターリム代表を務め、皆から敬愛を集めていた。「会議室にはアンクル・ボブの大きな写真が飾ってあって、『ボブおじさんが見てるぞ』って言われ ているようで、いつも背中を押されます」

(キングドーム反対運動以降の)インターリムは、ファストフード・チェーン店の進出など街の方向性に大きくかかわるケースを除き、特定の不動産開発に反対する活動はしてこなかった。しかし、再開発の波が押し寄せてきた近年、より積極的に不動産開発プロジェクトの一つひとつに対して声を上げているという。「地区内の再開発を阻害するつもりはないんです。大手不動産ディベロッパーでも、話し合えば、何かコミュニティーのためになる要素を開発の中に盛り込んでくれるかもしれない。プロジェクト段階で話し合う中で、ディスプレイスメントへの問題意識なども共有し合って、彼らの営利目的とコミュニティー志向とが同時進行するように調整していけるはずです」。シアトル市では、不動産開発に対して住民が事業主へ意見をして開発内容の調整を求められる「デザイン・レビュー」のシステムが整っているため、開発事業主もこうしたコミュニティーの声に耳を傾ける必要がある。

そうした活動の一方で、地区内の不動産はコミュニティー自体でも管理すべきという考えから、インターリムも低所得者向け住宅の不動産開発と運営を行う。これまでに6つの賃貸住宅ビルを地区内に開発し、低所得者や高齢者向けの住宅提供サービスを運営している。最近できたヒラバヤシ・プレースや日本町テラス、NPホテルなどがそうだ。アメリカの都市にはインターリムのように低所得者・マイノリティー住民が集まる地区を代表する非営利のコミュニティー団体が多くあるが、自ら住宅開発と運営を行う組織は珍しい。「昨夏はリトル・サイゴンでも物件を取得できました。リトル・サイゴンの人たちとよく話し合って、ディスプレイスメントを防ぐために、どのような形で住宅開発をしていくのがベストか、一緒に決めていきたいと思います」

MHA制定前にインターリム主催で開催したタウンホール・ミーティングには、シアトル市議全9人のうち5人が出席。多くの住民や 関係者が集まり、白熱した議論が交わされた(写真:Nick Turner)

日系人のルーツに誇り

「もともと文化人類学を勉強していて、いろいろな土地 でさまざまな生活様式が形成されることに興味がありました。旅行も好きだし異文化に触れるのも好き。だから、建築家になって海外を行き来したいなんて思っていました」と、話すレスリーさん。インターリムとの出合いは、大学院生としてワシントン大学で建築学を勉強していた時だ。「建築学はヨーロッパ建築が中心。建築史のクラスでも、内容はヨーロッパ史だけ。特に当時は、教授も、カリキュラムの内容も『白人』ばかりで……」。そんな中、マイノリティー学生が集まり、コミュニティーに根付いて活動する団体を招いて講義会を催した。その団体のひとつがインターリムだった。アンクル・ボブがスライドショーで説明する、近隣住民が協力して運営するデニー・ウー・ガーデンのプロジェクトに、レスリーさんはすっかり引き付けられた。サントス氏に話しかけて「私も参加して何かできないか」と尋ねると、ガーデンに必要な物置小屋を作って欲しいと頼まれた。「そのまま、インターリムから離れられずにいます」

レスリーさんの両親と祖父母は、日系アメリカ人として第2次世界大戦中の強制収容所生活を送った。レスリーさんが子どもの頃は、そんな家族の歴史について両親と話すことは少なかった。変化があったのは、レスリーさんに双子の娘たちが生まれてからだ。「この子たちに、自分たちが何者かを教えなきゃと思ったんです。祖父母たちがどのような歴史を経てきたのかを学んで、それを誇りに思って欲しい」。子どもたちの学校へレスリーさんの母親が招かれて、強制収容所での経験を話すこともあった。レスリーさんがプロジェクト・マネジャーを務めたヒラバヤシ・プレースの名称は、日系人強制収容に反対運動を行い、のちに社会学者として活躍し、大統領自由勲章も授与されたゴードン・ヒラバヤシ氏の名前が由来だ。「ウィング・ルーク博物館とも協力をして、ヒラバヤシ・プレース内に日系人の歴史展示スペースをつくっています」。そこには、レスリーさんの娘さんが折り紙を使って創作した、ゴードン・ヒラバヤシ氏の肖像アートも飾られている。

「昨夏はMHA制定に絡んで、ディスプレイスメントに強く反対するコミュニティーの声がまとまりました。みんな 本当にインターナショナル・ディストリクトを愛しています」と、ほほ笑むレスリーさん。これからも忙しい日々が続きそうだ。

ヒラバヤシ・プレース内、日系人の歴史展示スペースにあ る、レスリーさんの娘さんが折り紙で創作したゴードン・ヒ ラバヤシ氏の肖像アートの前にて

レスリー・モリシタ(Leslie Morishita)■ロサンゼルス生まれ。ワシントン大学で 建築学修士を取得するために1989年にシアトルへ。在学中にボランティアとして 参加以来、約25年間にわたってインターリムに勤務。不動産ディレクターとして、 2017年にオープンしたヒラバヤシ・プレースの開発プロジェクトなども手掛けた。

インターリム・コミュニティー開発機構| InterimCommunity Development Authority
インターナショナル・ディストリクトで低所得者向け住宅の開発と運営を行う非営利団体。近隣住民でつくるコミュニティー・ガーデンの運営や青少年のリーダーシップ育成プログラム、インターナショナル・ディストリクト地区の声を地方行政へ提言する政治的活動も行う。そうした活動は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を始め、シアトル市やさまざまな地元企業・財団・個人から支援を受けている。

2016年に完成し、2017年に公式オープンしたヒラバヤシ・プレースは、 インターリムが手がける低所得者向け住宅のひとつ。地上階には託児所や 地区コミュニティーが使える会議室ほか、日系移民の歴史を伝える展示ス ペースもある

InterImCDA
310 Maynard Ave. S., Seattle, WA 98104
ウェブサイト

 

シアトル地域の日本語教育機関2018年版

バイリンガル子育て~シアトル・パブリック・スクールズ~
日本語での教育サポート~ベルJコンサルティング&アドバイザリー
▶シアトルで受けられる日本語の教育

シアトルとその近郊エリアにある日本語教育機関をご紹介!

※情報・写真は各教育機関により提供。
※新規生向けの情報を記載。見学や体験入学、説明会参加の予約、各種申し込み、在校生向けの情報など詳細は各スクールに直接お問い合わせを。

シアトル日本語補習学校

日本らしいイベントがいっぱいの幼稚園部。1月にはお正月遊びやおもちつき大会を開催。

時代と共に変わる「補習校」バイリンガルの人材を輩出

日本に帰国予定の子どもが日本でスムーズに学校の授業になじめるよう日本の教育を提供すべく、1971年に設立されたシアトル日本語補習学校。現在は、帰国予定者と永住者は半々の割合で在籍する。ベルビューにあるサマミッシュ高校の真新しい校舎を借用し、土曜に開校。カフェテリア、2万冊がそろう図書室、養護教諭が常駐する保健室などの設備が整う。シアトル進出日系企業の団体であるシアトル日本商工会(春秋会)が運営母体で、各業界との太いパイプを持ち、日本人アスリートやノーベル賞受賞者、宇宙飛行士、航空技術者などを招いて子どもたちが本物に触れる機会を設けている。

今年度から、幼稚園部、小学1年生では授業を1時間延長し、幼稚園部は昼食指導の時間を新たに設けた。「小学5・6年生にもなると、学力不足から日本語学習を断念してしまうケースも多い。そうなる前に、幼少期から日本語を定着させることが目的」と、説明してくれたのは、中野龍文校長と成田智子園長。バイリンガル教育を進めるうえでの課題は「日本語の定着」と口をそろえる。小学5・6年生では自我が強くなり、サッカーや野球などの自分の興味を優先させたくなるもの。「スポーツも日本語もどちらも大切と親が伝え、子どもたちが理解することが大事。どちらかをやめるのではなく両立できれば、進路の選択の幅が広がります」

日本語も英語も自由に使いこなせるのがバイリンガルと定義するなら、話すだけではなく読み書きも必須。それが、同校が目指す教育であり、子どもたちが日本語をしっかり学ぶことで「夢の実現」が叶うように応援する。たとえば、同校の中学3年生では新聞が読める日本語力を持つという。そのためには「両立のコントロール」が欠かせない。「高校生がいちばん大切だとよく話しているのが、時間のコントロールです。補習校で日本語を学ぶ子どもたちは、誘惑が多い日本の子どもと違って時間を上手に使っている。これは社会人スキルにもつながります」

版を重ね10年以上も使われている、同校オリジナルの少額3・4年生用社会科副読本

常に努力し、成長している補習校の子どもたち。バイリンガルの人材が求められる日本の高校や大学からは、推薦入学の話も少なくなく、引く手あまただそう。「80パーセントは親のサポートにかかっています。辞めていく子どもは宿題がこなせない。子どもはみんな頑張っているので、それを認め、おだててほめる。やる気を出させ、現地校や野外活動との両立をサポートして欲しい。第2の教室は家庭。親が第2の担任です」。具体的に親がサポートできることとしては、宿題のほか読書がある。子どもは基本的に本が好き。「小学3年生までは毎日20分でも読み聞かせをし、小学4年生からは親子で同じ本を読み、理解力を確かめると良いでしょう。小学5・6年生で効果が見えてきます」

来年度の幼稚園部入園はすでに応募が締め切られ、ちょうど 1月末から2月上旬は入園試験中。昨年から受験方法が変わり、面接試験のほか集団行動観察が取り入れられ、日本語の理解力以外に、親離れして集団の中で行動できるか、年齢に応じた成長ぶりも判断される。小学1年生以上のクラスに4月からの新年度に合わせて編入するには、2月1日から申し込みを受け付 けている3月中旬実施の編入試験(筆記試験と面接)に合格する必要がある。

中野龍文■兵庫県出身。教諭時代にインドネシアのスラバヤ日本人学校に派遣され、帰国後は公立中学校で教頭を3年、小学校で校長を2年経験し、2016 年4月に文部科学省の派遣でシアトル日本語補習学校校長として赴任。

成田智子■日本の高校、ジョージア州とフロリダ州で補習学校の教職経験を経て、2003年より、シアトル日本語補習学校中学高等学部の国語科教員として勤務。2015年から、同校の教務主任、2016年から幼稚部園長、高等学部校長も務める。

学校情報

対象年齢▶▶ 幼稚園年長~高校生
預かり時間▶▶ 土8:45am~1:35pm(幼稚部)/2:25pm(小1)/3:15pm (小2~小6)/3:40pm(中高部)

919 124th Ave. NE., #207, Bellevue, WA 98005(事務所)
☎425-643–1661
office@seajschool.org

 

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アガペ日本語学校

タコマの南、レイクウッドにある非営利の日本語学校で、収益金は将来の日系シニアホーム建設資金に充てられる。教職経験35年のプロが教える、子ども向けの各スクール ほか、大人の日本語レッスンもあり。生徒一人ひとりに合 わせた教材を使用する。プリスクールは随時募集、アフタースクールのキッズ日本語教室&土曜日本語クラスは春学期、夏学期、秋学期別に申し込める。サマースクールは5月から一般募集受付を開始し、プリスクールでは7月、アフタースクール&土曜学校では7・8月に実施。

学校情報

対象年齢▶▶ 3歳~大人
預かり時間▶▶ プリスクール(3~6歳):月~水・金9am~ 11am、アフタースクール日本語クラス(4~ 10歳):月・水4:30pm~5:30pm、土曜日本語クラス(7~18歳):土9am~5:15pmのうち開講時間はレベルによって異なる(2時間)。

8815 S. Tacoma Way, #102, Lakewood, WA 98499
☎253-212-3957/ info@agapejapaneselanguageschool.org
ウェブサイト

CHHECK! ●春学期:受付中 ●説明会:1/27、6/3、9/8 ●サマーキャンプ:7・8月

 

おひさま学習幼稚園

少人数制の丁寧な指導で、小・中学生での日本語学習の基盤となる語彙力や表現力を習得できる幼稚園。「日本語の学習ならおひさま」と保護者の信頼も厚い。楽しい行事や工作、歌の時間ほか、受験対応の学習まで充実。各日本語土曜日学校の勉強や宿題をサポートするアフタースクールクラスもある。子どもたちは語彙の勉強に併せ、「自分の言葉で考える」練習を通して日本語を学習。さまざまな教材を使い、毎日の活動の中で 楽しみながら高い日本語力を身に付けられる。

学校情報

対象年齢▶▶ 2歳半~小学生
預かり時間▶▶ 2歳半~3歳:水9:30am~12:30pm、3・4歳:月・金/火・木9:45am~1:45pm(給食あり)/ 水9:15am~12:45pm、4・5歳:月・金/火・木 10am~2pm(給食あり)、文字算数クラス:火・ 金2:30pm~3:15pm、小学生対象アフタースクールクラス:月4pm~6pm

14715 SE. 46th St., Bellevue, WA 98006
☎425-401-6862/ ohisamagyouchien@gmail.com 
ウェブサイト

CHHECK! ●9月新年度:受付2/20~ ●説明会:2/17 ●サマーキャンプ:8/6~8/29 ●見学:OK

 

巣鴨アドバンススクール

レドモンドにある日本語学習塾。現地校のフォローや永住生の日本語学習、英語の基礎固め、日本の中・高・大学受験などに対応している。基本的には先生1人に対して生 徒3人までの個別指導形式。ただテキストに合わせた指導ではなく、その生徒に合うように組んだオリジナルの授業で、生徒の力を100パーセント引き出すことに定評がある。また、「コミュニティーとしての塾」を目指し、保護者へのサポートや夏祭りなどの文化行事も盛んに行う。

学校情報

対象年齢▶▶ キンダー~高校生
預かり時間▶▶ 月~金3:30pm~8:30pmのうち開講時間は年齢やコースによって異なる。土曜は応相談。

8151 NE. 164th Ave., #102, Redmond, WA 98052
☎425-445-7391/ info@sugamoadvance.com
ウェブサイト

CHHECK! ●4月新年度:受付中 ●説明会:第1・3土曜 ●サマーキャンプ:6/25~8/31 ●体験:OK

 

すぎのこ幼稚園・保育園 

イーストサイド初の日系幼稚園として1997年にスタートし、2017年8月に創立20周年を迎えたばかり。小人数制のゆとりある保育環境で、園児の個性や発達に合わせた時間割りを組む。日本の歌や絵本、絵画制作、工作、外遊び、ひらがなの勉強などの豊富なカリキュラムに、四季折々の楽しい行事を取り入れている。2月中は予約制で体験入園が可能(冬季休暇を除く)。サマースクールは4月中旬から一般募集受付を開始する。幼稚園・保育園合同夏祭りも好評で、毎年多くの来場者でにぎわう。

学校情報

対象年齢▶▶ 幼稚園:2歳半~5歳 保育園:1~5歳
預かり時間▶▶ 幼稚園:月~金8:50am~11:50am/12:50pm ~3:50pm 保育園:月~金7:30am~6pm

幼稚園: 11431 NE. 20th St., Bellevue, WA 98004 ☎425-401-8839
保育園: 11510 NE. 20th St., Bellevue, WA 98004 ☎425-462-5426
contact@suginoko.com
ウェブサイト

CHHECK! ●9月新年度:受付3/1~ ●サマーキャンプ:7/2~8/10 ●体験:OK

 

めぐみ保育園

乳幼児を対象に日本語と日本文化を取り入れたカリキュラムで保育を行う。健康と栄養に配慮した、こだわりの手作り給食は和食が中心。子どもたちが経験を通して、長い人生を生きていくために大切なことを学ぶ場を提供し、「けんかはダメ」ではなく、お友だちとの衝突を通して「どうしてこうなったか」「他に方法がなかったか」「次はどうしたいか」を考える。経験豊かな保育士たちに見守られながら、小さな経験を繰り返し積み上げて「意欲」と「思いやりの心」を育てる。

学校情報

対象年齢▶▶ ベルビュー校:3カ月~5歳 シアトル校:1~5歳
預かり時間▶▶ 月~金7:30am~5:30pm

ベルビュー校: 2750 Northup Way, Bellevue, WA 98004 ☎425-827-2540/ bellevue@megumipreschool.com
シアトル校: 7054 32nd Ave. S., #101, Seattle, WA 98118 ☎206-723-8818/ seattle@megumipreschool.com
ウェブサイト

CHHECK! ●随時受付 ●体験:OK ●見学:OK

 

ひまわり幼稚園・日本語学校

完全日本語での保育を行い、先生やお友だちと楽しい時間を過ごしながら自然に日本語を学べる。秋祭りや運動会などの行事も多く、子どもたちの創造力や知的好奇心を育む「情操教育」に力を入れる。0歳から参加できる親子教室、小学生向けの国語教室も開講。充実した保育内容と、週2回保育で他の習い事と掛け持ちしやすいこと、リーズナブルな保育料で、北はユニバーシティー・ディストリクト、南はオリンピアやメープルバレーまで広範囲からたくさんの家族が通う。SNSも要チェック!

学校情報

対象年齢▶▶ 0歳~10歳
預かり時間▶▶ おやこ教室(0~5歳):水10:30am~12pm、 幼稚園:火・木9:30am~12pm/12:30pm ~3pm、小学生:火or木4:15pm~5:45pm

25701 14th Pl. S., Des Moines, WA 98198
☎253-670-0899/ encho@himawariseattle.com
ウェブサイト

CHHECK! ●9月新年度:受付2/16~ ●サマーキャンプ:6~8月 ●見学:OK

BCA土曜学校

私立小学校のベルビュー・チルドレンズ・アカデミーが運営する日本語の土曜学校。幼稚園から高校まで、21世紀型参加学習を実践し、少人数制で一人ひとりを大切に個性を生かした国際人育成教育を目指している。幼稚部・小学部の学習は、国語と算数の授業に加えて、日本の音楽、食育(給食)、茶道の時間があり、季節の行事などの体験学習も豊富。さらに放課後学習広場やクラブ活動も人気。中学部・高校部では、国語、数学、SAT対策、小論文、英語エッセイなどから受講科目を選択できる。

学校情報

対象年齢▶▶ 幼稚園年中~高校生
預かり時間▶▶ 幼稚部・小学1年:土8:45am~1pm、小学2~6年・中高部:土8:45am~1:30pm

14640 NE. 24th St., Bellevue, WA 98007
☎425-649-0791(内線9)/ saturdayschool@bcacademy.com
ウェブサイト

CHHECK! ●4月新年度:受付中 ●サマーキャンプ:あり ●体験:OK

ピカケスクール

子どもの自立心を尊重し、認識力や社会性、感情、身体、精神を育てていく「モンテッソーリ教育法」を軸にしたカリキュラム。コミュニケーションの基礎となる日本語と英語をバランス良く学ぶグローバル教育で、子どもたちの自己肯定感や協調性を育む。体験や発見から学ぶ6歳までの子どもたちが、実際に手で触って「面白い!」と感じるような5感を使う教具や活動がクラス中にちりばめられている。自分のペースで感動体験を積み重ねることで自信を養い、輝けるよう、子どもたちを導く。

学校情報

対象年齢▶▶ 2歳半~6歳
預かり時間▶▶ 英語クラス:月~金9:45am~1:45pm、日本語クラス:月~金10am~2pm、土曜日日本語クラス:土9am~1pmほか

1250 112th Ave. NE., Bellevue, WA 98004
☎425-453-1881/ info@pikakeschool.com
ウェブサイト

CHHECK! ●9月新年度:受付3/1~ ●サマーキャンプ:6/25~8/31●見学:OK

遊学舎

赤ちゃんから中学生まで、発達段階に合わせて日本語が学べる。「言葉は体験することで習得できる」という理念の下、子どもたちの興味を刺激し、楽しく確実に日本語が身に付く多彩なプログラムを提供。国語や算数の学習方法にも工夫を凝らす。日本語と英語の両方の視点から世界を見られる視野の広い人材を育てる。少人数制で先生との距離が近く、家庭と連携して子どもの日本語力をサポートする。2月に見学(要予約)を済ませると、新年度申込書がもらえる。

学校情報

対象年齢▶▶ 1歳~中学生
預かり時間▶▶ たまごクラス(1~2歳):水9am~9:45am、 ぴよぴよ親子クラス(2~3歳):火・金9am~ 9:45am、キッズタイム保育園(3~5歳):月~金 10am~2pm、アフタースクール(キンダー~中学生):火~木4:30pm~6pm、土曜クラス(キンダー~小学生):土10am~2pm

5031 University Way NE., #110, Seattle, WA 98105
☎206-719-1741/ info@yugakusha.org
ウェブサイト

CHHECK! ●9月新年度:受付3/12~ ●サマーキャンプ:8月 ●体験:OK

 

インターナショナル・ラーニング・アカデミー

 「全脳を使って学びの楽しさを発見しよう」という理念の 下、知識だけに偏らないバランスの取れた教育を提供し、 本来持つ潜在的な「学ぶ力」を楽しみながら引き出す。幼 児クラス(日本語・英語)と土曜日クラスほか、チュータ リング・クラブ、ピアノなどのアフタークラスも用意。

学校情報

対象年齢▶▶ 2歳半~小学生
預かり時間▶▶ 年少:月~金9:15am~1:15pm、年中:月~金 9:45am~1:45pm、年長:月~金9:30am~ 1:30pm、英語幼児クラス:月・水・金11am~ 2pm(日本語クラス追加可能)、土曜日クラス(3歳~小学生):土9:30am~12:30pmほか

11512 NE. 19th St., Bellevue, WA 98004
☎425-698-1373/ info@ilausa.net
ウェブサイト

CHHECK! ●随時受付 ●サマーキャンプ:あり ●体験:OK

 

こぐま幼稚園

タコマにあるベイツ大学幼児教育学部と提携し、運営を行う非営利の幼稚園。日本の保育士免許を持つ先生が豊富な経験をもとにカリキュラムを提供する。日本らしい行事や遠足などの課外活動も多彩。保護者がクラスの補助を行い、子どもの成長を身近に感じられる。

学校情報

対象年齢▶▶ 1~5歳
預かり時間▶▶ 1歳(親子クラス)、2歳~3歳半、3歳半~5歳の各クラスによって異なる曜日、時間帯となる。新年度の情報は3月以降、ウェブサイトで確認を。

5236 E. B St., Tacoma, WA 98404
☎253-271-8442/ info@kogumapreschool.org
ウェブサイト

CHHECK! ●9月新年度: 受付3/1~ ●説明会:3月上旬 ●サマーキャンプ:7・8月 ●体験:OK

 

バンブーキッズ

幼児の脳や体の成長を促すための、教材を子どもたちが自由に選べるモンテッソーリ教育の園。子どもたち自身が「自分で選んだ教材を使って思う存分『お仕事』をし、やり遂げる」ことを繰り返し、自主性や集中力、責任感を育んでいけるようサポートする。

学校情報

対象年齢▶▶ 2歳半~6歳
預かり時間▶▶ 9:45am~12:45pm

18722 12th Ave. NE., Shoreline, WA 98155
☎206-545-0402/ bambookids11@gmail.com
ウェブサイト

CHHECK! ●随時受付 ●体験:OK

 

四つ葉学院

【土曜プログラム】文部科学省の学習指導要領に基づき、日本の教科書と教材を使って、国語、算数のほか、理科、社会、体育、音楽などの合科授業を行う。少人数制を生かし、きめ細かな学習指導で着実に学力向上を図る。学校ランチあり(希望者のみ)。

【平日プログラム】科学的思考を育む「サイエンスラボ倶楽部」や、日能研「ガウディア」のほか、帰国受験対策クラスの質の高さは、志望校合格の実績にもつながっている。

学校情報

対象年齢▶▶ 幼稚園年中~高校生
預かり時間▶▶ 土曜補習授業教室:土9am~2pm、受験/各種資格対策3:30pm~7pm、※ガウディア/サイエンスラボ倶楽部:3:30pm~6pm※ ※曜日はプログラムによる。

655 156th Ave. SE., #290, Bellevue, WA 98007
☎425-736-3189/ info@yotsubagakuin.com
ウェブサイト

CHHECK! ●4月新年度:受付中 ●サマーキャンプ:8/11~8/13 ●体験:OK

 

ラーニングパーク

アットホームな雰囲気の日本語学習教室。日本語だけ でなく、算数やそろばん、理科、社会、音楽、サインラン ゲージなどの多彩なクラスを用意する。子どもそれぞ れが持つ独自の感性と自ら学ぶ力を育めるようサポー ト。オンライン日本語クラスも開始。

学校情報

対象年齢▶▶ 2歳半~高校生
預かり時間▶▶ アクティビティータイム(2歳半~5歳):月~金 9:30am~1:30pm、アフタ―スクール(4歳~中学 生):月・火・木・金4pm~6pm/水2pm~6pm/ 土1:30pm~3pm、土曜日クラス(4歳~高校生): 土9am~1pm/9:30am~1:30pmほか

3769 140th Ave. SE., Bellevue, WA 98006
☎425-747-2903/ home@mylearningpark.com
ウェブサイト(ラーニングパーク)
ウェブサイト(アフタースクールケア)

CHHECK! ●随時受付

リトルパイン学園

自然豊かなカントリー・ビレッジに校舎を構えるプリス クール。遊びも勉強も自分のペースでできる環境のた め、子どもたちは心から楽しめ、親もリラックスして送り出せる。ヘルシーな手作りおやつも評判!キンダー以上を対象とした日本語クラスも平日午後と土曜にあり。

学校情報

対象年齢▶▶ プリスクール:2歳半~5歳 日本語クラス:キンダー以上
預かり時間▶▶ プリスクール:月~金9:30am~12:30pm、日本 語・土曜日クラス:土9:30am~12:30pmほか

23732 Bothell Everett Hwy., #B, Bothell, WA 98021
☎425-949-5264/ lpgkamitsuna@gmail.com
ウェブサイト

CHHECK! ●9月新年度:受付中 ●サマーキャンプ:あり ●体験:OK

シアトル日本語補習学校ー時代と共に変わる「補習校」バイリンガルの人材を輩出

シアトル日本語補習学校

日本らしいイベントがいっぱいの幼稚園部。1月にはお正月遊びやおもちつき大会を開催。

日本に帰国予定の子どもが日本でスムーズに学校の授業になじめるよう日本の教育を提供すべく、1971年に設立されたシアトル日本語補習学校。現在は、帰国予定者と永住者は半々の割合で在籍する。ベルビューにあるサマミッシュ高校の真新しい校舎を借用し、土曜に開校。カフェテリア、2万冊がそろう図書室、養護教諭が常駐する保健室などの設備が整う。シアトル進出日系企業の団体であるシアトル日本商工会(春秋会)が運営母体で、各業界との太いパイプを持ち、日本人アスリートやノーベル賞受賞者、宇宙飛行士、航空技術者などを招いて子どもたちが本物に触れる機会を設けている。

今年度から、幼稚園部、小学1年生では授業を1時間延長し、幼稚園部は昼食指導の時間を新たに設けた。「小学5・6年生にもなると、学力不足から日本語学習を断念してしまうケースも多い。そうなる前に、幼少期から日本語を定着させることが目的」と、説明してくれたのは、中野龍文校長と成田智子園長。バイリンガル教育を進めるうえでの課題は「日本語の定着」と口をそろえる。小学5・6年生では自我が強くなり、サッカーや野球などの自分の興味を優先させたくなるもの。「スポーツも日本語もどちらも大切と親が伝え、子どもたちが理解することが大事。どちらかをやめるのではなく両立できれば、進路の選択の幅が広がります」

日本語も英語も自由に使いこなせるのがバイリンガルと定義するなら、話すだけではなく読み書きも必須。それが、同校が目指す教育であり、子どもたちが日本語をしっかり学ぶことで「夢の実現」が叶うように応援する。たとえば、同校の中学3年生では新聞が読める日本語力を持つという。そのためには「両立のコントロール」が欠かせない。「高校生がいちばん大切だとよく話しているのが、時間のコントロールです。補習校で日本語を学ぶ子どもたちは、誘惑が多い日本の子どもと違って時間を上手に使っている。これは社会人スキルにもつながります」

版を重ね10年以上も使われている、同校オリジナルの少額3・4年生用社会科副読本

常に努力し、成長している補習校の子どもたち。バイリンガルの人材が求められる日本の高校や大学からは、推薦入学の話も少なくなく、引く手あまただそう。「80パーセントは親のサポートにかかっています。辞めていく子どもは宿題がこなせない。子どもはみんな頑張っているので、それを認め、おだててほめる。やる気を出させ、現地校や野外活動との両立をサポートして欲しい。第2の教室は家庭。親が第2の担任です」。具体的に親がサポートできることとしては、宿題のほか読書がある。子どもは基本的に本が好き。「小学3年生までは毎日20分でも読み聞かせをし、小学4年生からは親子で同じ本を読み、理解力を確かめると良いでしょう。小学5・6年生で効果が見えてきます」

来年度の幼稚園部入園はすでに応募が締め切られ、ちょうど 1月末から2月上旬は入園試験中。昨年から受験方法が変わり、面接試験のほか集団行動観察が取り入れられ、日本語の理解力以外に、親離れして集団の中で行動できるか、年齢に応じた成長ぶりも判断される。小学1年生以上のクラスに4月からの新年度に合わせて編入するには、2月1日から申し込みを受け付 けている3月中旬実施の編入試験(筆記試験と面接)に合格する必要がある。

お話をうかがった先生

中野龍文

兵庫県出身。教諭時代にインドネシアのスラバヤ日本人学校に派遣され、帰国後は公立中学校で教頭を3年、小学校で校長を2年経験し、2016 年4月に文部科学省の派遣でシアトル日本語補習学校校長として赴任。

成田智子

日本の高校、ジョージア州とフロリダ州で補習学校の教職経験を経て、2003年より、シアトル日本語補習学校中学高等学部の国語科教員として勤務。2015年から、同校の教務主任、2016年から幼稚部園長、高等学部校長も務める。

学校情報

対象年齢▶▶ 幼稚園年長~高校生
預かり時間▶▶ 土8:45am~1:35pm(幼稚部)/2:25pm(小1)/3:15pm (小2~小6)/3:40pm(中高部)

919 124th Ave. NE., #207, Bellevue, WA 98005(事務所)
☎425-643–1661
office@seajschool.org

 

第4回ベルビュー・ワールド太鼓フェスティバル 三宅太鼓が奏でる日本の「祭」

3月3日にベルビュー高校校舎内のパフォーミング・アーツセンターで開催される太鼓の祭典。今年も豪華な演者が集まり、フェスティバルを盛り上げます!

取材・文:室橋美佐 写真クレジット:©Miyake Geinou Doushikai

「ベルビュー・ワールド太鼓フェスティバ ル」は太鼓を始めとする日本伝統芸能をシアトル地域で広めるジャパン・クリエイティブ・アーツが2014年から主催するイベントで、今回は世界的に活動する三宅芸能同志会「三宅太鼓」がスペシャル・ゲストとして演奏する。

三宅太鼓は、伊豆諸島三宅島出身の津村明男さんと3人の息子、和宏さん、秀紀(ひでのり)さん、春快(はるよし)さんからなる和太鼓グループ。三宅島で毎年7月に行われる牛頭天王祭(ごずてんのうさい)で神輿の伴奏として打たれてきた三宅島神着神輿太鼓(みやけじまかみつきみこしだいこ)を継承している。腰を落とした低い姿勢で全身を使って打ち込む「身体に響く音色」が特徴だ。明男さんは、三宅島の祭で太鼓を打ち始めてから今年で40年を迎える。2000年の火山噴火で東京へ引っ越した後は、息子たちに指導しながら神輿太鼓を舞台演奏として創り上げた。日本国内のテレビ出演やパリ・オペラ座など世界の大舞台で演奏する和太鼓集団「鼓童」の演目のひとつである「三宅」は、明男さんが教授したものだ。メンバー同士の共演も多い。

「三宅太鼓の舞台はまさに祭の再現です」と、ジャパン・クリエイティブ・アーツ代表の立石あさこさん。聴衆を巻き込んで「わっしょい」のかけ声を盛り立て、演者と会場が一体になって三宅島の祭を再現するのが三宅太鼓の舞台そのもの。「前回までの太鼓フェスティバ ル公演は演奏や舞踊を鑑賞いただくものでしたが、今回は4人がリードする祭の高揚感をぜひ体感してもらいたいです」と話す。

当日は、ジャパン・クリエイティブ・アーツから立石鈴太郎さん、あさこさん、カスケード・タイコ・ドラマーズが協演し、地域のパーカッション団体も参加予定。公演翌日の4日には、三宅太鼓メンバーが太鼓演奏を直接指導するワークショップも開催される。

日程:3月3日(土)2pm/7pm ※1時間前に開場。
場所:Bellevue HS Performing Arts Center 10416 SE. Wolverine Way, Bellevue, WA 98004
料金:大人$38、子ども(22歳以下の学生含む)$25、予約席$60
問い合わせinfo@japancreativearts.com(立石あさこ)
ウェブサイト